CASE.046「卒業」
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マジで執筆が追い付かん!
まずい!!
※本作はカクヨム、小説家になろう、noteにも掲載しています。
その日の深夜。
場所はヴォルツの家。
「…………」
「ああ、目が覚めましたか。よかった」
「あなたは……?」
「わ、私はヴォルツ。ただのヴォルツでございます。ヴォ、ヴォル、ヴォルツとお呼びください」
「……え、えっと。“ゔぉゔぉるつ”さん……?」
自身の名を名乗っただけで舌がもつれ、見事に噛み散らかしたヴォルツ。
ここは彼が私財を投じて買い取った、街外れの小さな一軒家である。台所、便所、居間、寝室――風呂こそないが、生活に必要な最低限の設備は一通り揃っている。何の変哲もない、質素な家だ。
そんな場所へ、異性を、それもこれまでの人生で一度たりとも見たことのない絶世の美女を招き入れてしまったのだ。異性慣れとは無縁の「宝剣」が狼狽するのも、ある意味では当然だった。
「あ、いえ……ヴォルツさん、で。失礼しました」
「ええ、それで結構です……」
「ヴォルツさん……アナタが、助けてくれたんですか?」
ヴォルツはこくりと頷く。
彼女はあの後、糸が切れたように意識を手放してしまった。ゆえに仕方なく、自宅へ連れ帰って介抱したのだ。そう、仕方なくだ。
ちなみに彼女が今身に纏っているシャツはヴォルツの私物であり、その事実が彼の胸の鼓動をさらに速めていた。
「あ、ありがとうございます……」
「い、いえ……」
女性は頬をわずかに染め、はにかむように礼を言う。
その笑み一つで何万という男の心を攫い去れるだろう――そんな、あまりに完成された微笑だった。無論、ヴォルツもすでにそのうちの一人だ。
「お名前を、お聞きしても?」
「あ、ごめんなさい! か、貝塚穂香って言います。穂香って呼んでください」
「ホノカ様ですね。……素敵なお名前だ」
「そう……ですか。ありがとうございます」
王城で磨かれたおべっかの技術を反射的に披露したヴォルツだったが、穂香の表情がほんのわずかに陰った。
聞き慣れない響きであったのは事実だ。だからこそ“素敵”という言葉は本心だったのだが、どうやら返しとしては外してしまったらしい。
戦場では決して流れなかった脂汗が、じわりと背を伝う。
どうにか場を繋ごうと、ヴォルツは話題を変えた。
「失礼ですが……ホノカ様は宝国の方ではありませんね?」
宝国の生まれであるならこの神代めいた美貌が王家の耳に届いていないはずがない。今まで噂ひとつ聞かなかった以上、異国の者であることはまず間違いないだろう。
もしや難民か。あるいは――
(敵の斥候という線は……いや。だとして、あのように目立つ真似をするとは思えませんね……)
「ホ、ホウコク……? ここはホウコクっていうんですか?」
「…………?」
どうやら彼女にとって「宝国」という名そのものが初耳らしい。
ここがどこであるかさえ把握していない様子に、ヴォルツはひとまず安堵する。少なくとも、敵の密偵の類ではなさそうだった。
「はい。ここは宝国――7代目宝国王トルマリン・カスケリオン王が統べる、宝石の国です」
「とるまりん……宝石……?」
自分で言っていて反吐が出そうになる。
今の宝国は“栄えある国”というより、上層部に“蠅たかる国”と呼ぶ方がよほど実情に近い。王家と民の絆は、とうに腐りかけているのだから。
だがホノカは、ただ困ったように小首を傾げるばかりだ。
(………)
いかに異国の民とはいえ、宝国を、そして悪名高きトルマリン王の名を知らぬはずがない。20の国へ同時に戦を仕掛け、10年ものあいだ戦火を撒き散らしている魔王として、その名は各国に轟いている。
それを知らないとは、どれほど世情に疎いのか。
その時、不意にダリヤ王女の顔が脳裏をよぎる。もしやこのホノカという女性も、あの王女と同じく外界を知らぬ箱入り娘なのでは――などという、余計な想像までしてしまった。
「私、日本の埼玉出身なんですけど……ここってどこなんでしょう。ヨーロッパ、とか……ですか?」
「…………???」
知らない単語ばかりだ。
ニホン。サイタマ。ヨーロッパ。一つとして聞き覚えがない。
遥か彼方に未知の国々が広がっているという話はある。だが、そこから来たにしてはあまりに不自然すぎるのだ。
少なくとも長旅をしてきた人間の足、外見ではない。
それに宝国どころか、この一帯の常識を知らなすぎる。
何よりこんな美女が入国したなら、それだけで国中の話題になるはずだ。
であれば、彼女はどこから来たというのか。
言うなればまるで、突然この世界に落ちてきたかのような――
「……天使のようだ」
「あ、え? 天使?」
しまった、とヴォルツは目を見開いた。どうやら最後の一言だけ、無意識のうちに口から零れてしまっていたらしい。
顔を真っ赤に染め、「し、失礼いたしました」と何度も頭を下げる。
その様子がよほどおかしかったのだろう。ホノカはとうとう吹き出した。
「ぶふっ……あはははっ」
「……あ……その……お見苦しいところを……」
笑う姿すら、どうしようもなく美しい。
ヴォルツの脳内はすでに、ホノカという女性が見せる一つ一つの表情に完全に囚われていた。
最悪の1日だった。だがその果てに、このような女神と巡り会えた。もし神というものが本当に存在するのなら、ヴォルツは迷わずその存在に祈りを捧げただろう。もっとも、いるならばの話だが。
「やさしいんですね……ヴォルツさん」
「いえ……宝国の剣として当然のことをしたまで、です」
「でも、何かお礼をしないと……あ、そうだ」
何を思ったのか、穂香はおもむろに身に着けていたシャツへ手をかけた。
突然の行動に、ヴォルツは両手で目を覆い、大いに狼狽える。
「ど、どうぞ」
恐る恐る指の隙間から覗いた先には、あられもない姿で両腕を広げるホノカがいた。
「な、何を……!?」
「今の私には、これくらいしかあげられるものがないんです……だから、ほら……」
ホノカは、顔を覆うヴォルツの手にそっと触れると、そのまま自身の胸元へと導こうとする。
振り払えば、その細腕など容易く砕け散ってしまいそうなほどに弱々しい力。なのに、ヴォルツには抗うという選択肢が浮かばなかった。まるで女神の導きにでも引かれるように、ふらりとその身が引き寄せられていく。
そしてとうとう、彼の鼻先がホノカの柔肌に触れた。
どくん、と心臓が鳴る。
その鼓動はさらに一段深く、速く、強くなる。
彼女が何を差し出そうとしているのか――いかにこの手の経験に疎いヴォルツでも、さすがに理解できた。
「ホ、ホノカ様……、これは――」
「大丈夫、私に任せて……」
――――――
ヴォルツが目を覚ました時には、すでに陽は高く昇っていた。
記憶はどこか曖昧で、何が起きたのかは分かるのに、細部だけが靄に包まれている。
だが、一つだけははっきりしていた。
あれは極楽浄土にも等しいひとときだったということ。
夢のような時間。頭は不思議なほど冴え、胸の奥は奇妙なほど静かで温かい。
けれど傍らには誰もいない。
添い遂げたはずの、あの絶世の美女の姿がどこにもない。
(…………夢)
極度の疲弊が見せた都合のよい夢。
そうでも考えなければ、辻褄が合わない。
あれほど魅力的で、どん底に落ちかけていた自分を引き上げてくれるような御方が、都合よく現れるはずが――
「お、おはようございます……!」
「――お……え!?」
寝室へ入ってきたのは、まさしくその人だった。
実物のホノカ――幻もなければ夢でもない。昨夜運命的に出会ったあの女性は、ヴォルツが自らの弱さゆえに描いた救済の幻想などではなかったのだ。
「あ、あの……大丈夫、ですか?」
「……え?」
頬を何かが伝う感触がした。
手で触れれば、透明な液体が指先に移る。舐めるとわずかに塩辛い。
「あ……えっと、これは、その……」
何かを察したのだろう。ホノカはふわりと微笑むと、愛おしむような眼差しでヴォルツへ歩み寄った。
そして次の瞬間、そっと包み込むように彼を抱きしめた。
「……よしよし……もう、大丈夫よ」
「――…………」
まだ出会って半日ほど。
金髪の麗人――ホノカという女性の素性はいまだ何一つ分からない。
「ご、ごめんなさいっ! つい癖で……」
「い、いえ……」
ホノカは頬を赤らめ、慌てて身を離す。
寝起きの目をこすりつつ改めて見れば、彼女は簡素なエプロンを身に着けていた。
「ごめんなさい……その、勝手に台所を使わせてもらってて……エプロンも……」
「あ……」
「その……よかったら朝ご飯、一緒にどうですか?」
「……」
まだ、たった半日だ。
「はい。喜んで」
その返答を口にした時には、もう遅い。
ヴォルツの心は、とうに陥落していた。
【今回の用語まとめ】
■貝塚穂香
後のロザリア・ディ・エルヴァニス。
日本の埼玉から来た転生者であり、この時点では宝国の事情も、自分が置かれた世界のことも把握していない。
ヴォルツにとっては、人生で初めて恋を抱いた相手である。
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