CASE.108「迷える子供に与うるは」
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アンの発言を受け、場は氷のように静まり返っていた。
てっきり承諾する流れだと思っていたドクトリウスは、瞬き一つせず固まっている。
頭を下げていた職員、クストーディス、そして最後にミュラーの順で、ゆっくりとアンを見上げた。
「……ァ……アン?」
「…………」
ミュラーもまた、絞りカスのような声しか出せずにいた。
一方、アンはゥルルを抱き寄せ、キリっとした表情で堂々と立っている。
もちろん、彼らが本心で願っていることは重々承知していた。
クストーディスは戦力を、ドクトリウスは政治的なプロパガンダを、そしてミュラーはアンたちを新たな同胞として迎え入れようとしている。
そこに偽りはなく、その根底にあるのは“クルキブリを守りたい”という動機なのだ。
彼らは間違っていない。
彼らの正義は至極真っ当なものであり、本心であることはアンの|あなたの物語を聞かせて《ユア・テイル》が教えてくれる。
だからこそ、彼女はそれを真っ向から拒絶する。
なぜなら、ゥルルの本心も知っているからだ。知ってしまったからだ。
ユグドラシルは彼の家。大好きな我が家だ。
同時にクルキブリもまた、彼にとって第二の居場所だった。
まだ全員から諸手を挙げて歓迎されているわけでもない。
それでも、彼はクルキブリの人々が大好きなのだ。
だから彼らの提案を容易には否定できない。だが同時に、ユグドラシルも大好き。
これはあまりにも彼にとっては酷な選択である。
故に、アンが憎まれ役を買って出た。
彼の代わりに矢面へ立ち、真っ向からクルキブリの正義を拒絶することで、ゥルルには選択をしないという選択肢を与えたかったのだ。
「アン様……今、何と?」
「お断りします!!」
その頃、作戦室では各々が多種多様な反応を見せていた。
カイは白目を剥きながらミラを羽交い締めにし、ミラは彼女の腕の中で半ば抵抗を諦めたような顔をしている。
ユリスは脳がエラーを起こしているのか、空のコップを何度も口へ運んでおり、ヘパーはいつも通りだった。
「アイツ、ヤベーぞカイwwww とんでもねえ新人だ、こりゃ!!www」
「ミラァ~~~~~!! あなた余計なことを~~~!!」
「………………アエー( ◜ཫ◝)」
「………………」
アンの下した決断は、想像を一周して遥か先へ行くものだった。
下級執行官でありながら、特殊第六執行部隊を代表して返答するという、半ば越権行為である。
だが格好をつけて「好きにやれ」と言った手前、ミラに文句を言う権利はない。
それでも、あまりにも飛躍した選択ではあるのだが。
本来ならばアンを強く咎めなければならない。
しかしミラの余計な一言によって新人が暴走し、これまで丁寧に築いてきた関係値が一気にマイナスへ急降下したことで、カイは言いようのない怒りをミラへぶつけていた。
「ミラァァァ、アンタって子はァーッッ!!」
「いいーっ!! ごめんなさい~~!!」
そこへヘパーが、からかうようにユリスの脚をげしげしと軽く小突く。
「おいおい、どうすんだこっからよぉ~w でもアイツなりの考えで決めたことだからなぁ~? 人の価値は人それぞれだもんな~? おいおい~?」
「…………」
以前、人の価値についてとやかく言われた腹いせに、ここぞとばかりに煽るヘパー。
にやにやしながら、しつこくユリスの膝をコツコツと小突き続ける。
だがそんな彼をよそに、ユリスはひたすら脳内で軌道修正案を模索し、シミュレーションしていた。
「カイ監査官」
「何よ。こっちは今、それどころじゃないのよ。今このアホ毛を――」
「いや、今はそれこそ互いにいがみ合っている場合ではない」
「……。そ、そうね……」
ユリスはヘパーを一瞥し、その後何事もなかったかのように続ける。
ヘパーは面白くないと、わざとらしく大きな舌打ちをした後、気を紛らわせるように缶ビールをもう一本、無遠慮に開けた。
「アン執行官へ繋いでほしい」
「何か策があるの?」
「策……とは決して呼べないが、試してみる価値はある」
「……つまりは賭けってことよね?あなたらしくもない」
いつもひたすら合理的に正解を求めるユリスにしては、珍しい選択だった。
カイは不安そうな顔で彼を見つめる。
指摘されたユリスは困ったように頭を掻くと、わずかに笑みを浮かべて答えた。
「いやね……少し、当てられてしまってね」
「?」
「我らが二人目の執行官が描く物語に」
場面は戻り、ギルド本部の首脳会議室。
アンの堂々たる拒絶に、ドクトリウスは困惑しながらも、その理由を何度も問いただしていた。
「い、一体なぜ……貴方方には、断る理由など何もないはずでは……」
「嫌だからです!」
「……は?」
「私が嫌だからです! 何度も言わせないでください! むんっ!!」
口をへの字に曲げ、アンは断固たる拒否の姿勢を貫く。
彼女は内心、初めて独断で大きな決断を下したこともあり、ひどく高揚していた。
胸の奥がどきどきと高鳴る。
ゥルルを守りたいという使命感。
特殊第六執行部隊を背負っているという自負。
そして先輩の余計な一言が、彼女の背中をこれでもかと押していたのだ。
(うぉ~、ヤベえなこりゃ。アン嬢ちゃん、見た目に反して結構な肝っ玉だぜ)
アンの子供のような拒否に、クルキブリ側は終始、唖然とした表情で口をぽかんと開けていた。
だがヘロメロスだけは、この状況が可笑しくて仕方がないのか、他人事のようににやにやと修羅場を静観している。
「長老……あなたからも何か!」
「…………」
ドクトリウスは今度はミュラーへ顔を向け、助けを乞うような視線を送る。
「……アンよ」
「はい!」
「この提案に他意はない……お前を害そうとも、執行部隊を利用しようとも考えておらぬ。浅はかな企てなど一切ない……全てはクルキブリを守るため。それだけなのだ」
「知っています」
「では、なぜ! なぜ承諾してくれないのだ?!」
ミュラーは思わず、杖をゴツンッと床へ叩きつける。
普段の彼女らしくない振る舞いに、数人の職員が肩をびくつかせた。
「私は……皆さんを尊敬しています」
「……」
「こうやって日々助け合って、利用できるものは全部使って、その日を越えるためにたくさん頑張るクルキブリは、とても楽しくて、温かいです」
「……アン。では――」
「でも、あなたたちは今度はゥルルを利用しようとしている」
「!!」
その一言に、ドクトリウスが大きく反発した。
「そんな! 我々は、ただゥルルに力を貸してほしいだけなのです!! そしてその暁には、彼は我々から絶対的な信頼を勝ち取り、真の意味で迎え入れられる……。何も、利用などと――」
「迎え入れるのに、なぜ特別な理由が必要なんですか?」
「……ぬッ!!……うぅ……」
鋭い指摘に、ドクトリウスはうなり声を押し殺しながらも固まってしまう。
「サポーニスさんから聞きました。クルキブリは五年前、ゥルルに救われたって……」
(サポーニス……あの旅亭の主人か)
「それでゥルルは皆さんと一緒にいられるきっかけを得たって。でも、ゥルルはモンスター。皆さんは人間。全員が全員、ゥルルを信頼できないのは……分かりました」
アンはゥルルを抱き寄せる手に、力を込める。
ここから先は、執行官という立場を抜きにした彼女自身の本心だった。
だからこそ、自然と身体と声に熱と力が籠もってしまう。
「でも、あなたたちはそれを……“信頼”を餌に、ゥルルを利用しようとしている!」
「「「……!」」」
「ゥルルが皆さんを大好きだなんて、あなたたちが一番分かってるでしょう?! それなのに、こんな小さな子供の心を踏みにじって、利用しようとしている!!」
「アン……違うのだ。我々はただ……」
「口ではゥルルを認めているって言っておきながら、一番ゥルルを差別しているのは、あなたたちじゃないですかっ!!」
すると、ゥルルの目から大粒の涙が溢れ始める。
なぜ自分が泣いているのかは分からない。
アンが叫んでいる内容も、彼にはまだ理解することがちょっと難しかった。
だが、あれほど温厚だったアンが声を張り上げてまで自分を守ってくれていることだけは、何となく分かる。
今まで心へ刺さっていた棘を、優しく引き抜かれるような感覚。
自分では言葉にできなかった不安や悲しみを、彼女が全て理解し、代弁し、その痛みを今まさに共に背負おうとしている。
その姿を見て、幼いながら彼は涙を流したのだ。
【アン……あなたという子は……】
イシス神もまた、感服していた。
最初は、冴えない外れの方の執行官だと認識していた。
だが、今はどうだろうか。
彼女は今、ギルド首脳部という相手側の頂点を前に堂々たる姿勢を見せている。
USBメモリという甘い餌を提示され、ミュラーという予想外のRAC関係者から激励の言葉を掛けられても惑わされず、ゥルルを守るという信念を貫いてみせた。
彼の痛みを、自分の罪を、二人の物語を知った上で、アンはその選択を肯定してくれたのだ。
無い胸の奥へ熱いものが込み上げ、イシス神の心もまた打ち震えていた。
【貴女を選んだ私の目に、狂いはなかったようですね……】
(ママ……?)
声が漏れてしまったのか、ゥルルが頭の中でイシスへ話し掛ける。
【あら、ごめんなさいね……ママ、つい感動しちゃって、声が漏れちゃったみたい……】
(ぼくは……ぼくは、どうすればいい?)
【そうね……】
確か、アンのイヤホン越しに、あのアホ毛娘の「好きにすればいい。尻拭いは我々がやる」という言葉が微かに聞こえた。
何も考えていなさそうな頭の悪そうな娘だが、存外良いことを言う。
この際――いや、この場面だからこそ、ゥルル自身へ選択を委ねるべきだろう。
失敗したらという懸念もあるが、それもまた一興。
今の彼には、自分という母代わりだけではなく、アンという存在もできた。
ならば、ゥルルの成長を促すために、クルキブリはもはや必要ない。
今の自分の声はノイズだと、イシスは判断した。
【あなたの心が望む選択肢を歩みなさい、ゥルル】
(ママ……?)
【フフフ……あのアホ娘の言葉を借りるのは癪ですが……好きになさい。失敗しても、私とアンがいますから】
そこへ、ミュラーの張り裂けるような悲痛な訴えが響き渡る。
「違う! 違う違う違う!! 断じて我々は、ゥルルの心を利用などしていない!!」
「じゃあ、なんで“信頼”を対価だなんて言うんですか!! 普通、子供だったら……お菓子とか、おもちゃとか、そういうものじゃないんですかっ?!」
「お菓子……おもちゃぁ……?」
アンもまた、負けじと腹の底から声を押し出す。
「あなたたちは、結局ゥルルをモンスターとしか扱ってない!!」
「ち、違う! アン、聞いておくれ――」
「表向きはそう取り繕っても、心の中では違う! だから無意識に、そんな酷い提案ができるんですッ!」
ゥルルを守りたいという、母性にも近い感情。
その一方で、アンの中にはもう一つの感情が生まれていた。
それは、怒り。
アンの『|あなたの物語を聞かせて《ユア・テイル》』は、彼らが百パーセント純粋な気持ちで、ゥルルへ協力を求めていることを理解していた。
ゥルルへ差し出す対価が、自分たちからの“信頼”であることも。
だからこそアンには、彼らが悪気すらないまま、家族だと信じながらも、心のどこかでゥルルを“モンスター”として扱っているように思えてならなかった。
その、ゥルルの心を踏みにじるような態度と行為が、アンには我慢ならなかった。
「私は許さない。でも、あなたたちにも守りたいものがあるのは分かります……」
「アン……」
「だから私も、私が守りたいものを守ります!!」
その瞬間、シスターズが勢いよく射出され、警戒モードで空中を浮遊し始める。
クルキブリの面々からすれば、シスターズは未知の技術。
どのような機能を持つのかは定かではない。
だが、彼女らが浮かべる「(╬◣д◢)」という表情から、明らかな敵対行為であることだけは嫌でも分かる。
「アン!」
「もういいでしょう、長老……」
ドクトリウスは口元を押さえ、ミュラーを制止する。
「もはや、言葉ではどうにもならないようなのでね……」
「ドクトリウス……お主、まさか」
「ゥルルはモンスターです。そしてアン様はその彼を庇護し、我々が生き残るために必要なユグドラシル討伐を拒んだ。……ギルド長として、これを看過することはできません」
「待――」
だが、ミュラーがドクトリウスを制止するよりも先に、彼の行動は終わっていた。
ドクトリウスはもう片方の手を勢いよく頭上へ掲げ、高らかに宣言する。
「ギルド長ドクトリウスの名において、この場を以て宣言する。この二人……アンとゥルルを、骸都の脅威と判断するッ!!」
【今回の用語まとめ】
■アンの選択
ユグドラシルもクルキブリも、ゥルルにとって大切な居場所。
どちらかを選ばせること自体が酷だと判断したアンは、自ら憎まれ役となり、ゥルルに「選択しない」という選択肢を残そうとした。
■「骸都の脅威」認定
ギルド長ドクトリウスが、アンとゥルルをクルキブリに対する脅威と判断。
友好的な共同戦線の交渉は決裂し、一転して両者が敵対対象として扱われる事態となった。
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・本作ではChatGPTとclaudeを、誤字脱字の確認、前話との整合性確認、アイデア整理、世界観管理の補助として一部使用しています。
・作品本文および物語の主要構成は、すべて作者自身が執筆・最終決定しています。




