CASE.107「あなたの居場所」
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いつの間にか日は落ち、クルキブリの外は闇に包まれていた。
一方、相変わらず街の中は明るく、ひっきりなしに人々や、樽を積んだ荷車が行き交っている。
アンは当初こそ極度の緊張に苛まれていたが、ミュラーとドクトリウスの働きもあり、彼女の心の氷はほとんど溶けていた。
今ではギルドの職員たちのほとんどに名前を覚えられ、「アンちゃんと三つの浮くモンスター」として親しまれるまでに友好関係が深まっている。
そんなアンが今いるのは、ギルドの会議兼指令室。
ギルド内を一通り案内された後、晩餐会の会場として再びこの部屋へ招待されたのだ。
メンバーはアン、ゥルル、クストーディス、ドクトリウス、ミュラー、そしておまけのヘロメロスである。
「どうだい、アン。ウチの食事はお口に合うかね」
「はい! とっても美味しいです!!」
昼間は散々警戒し、茶一杯すら飲まなかったアンとヘロメロスは、目の前のご馳走へ獣のようにがっついていた。
というのも、ミラとシスターズの支援により、提供された食事に毒物が含まれていないことは確認済みであり、ミュラーたちも同じ料理を口にしているため、何かが混入している可能性は低いためだ。
そのためアンは、作戦を半ば忘れ、思い切り食事へありついているのだ。
「ヘロメロス、お前は少しは自重というものを覚えた方が良い」
「うっせえ、クストーディス! タダよりうめえもんは、この世にねえんだよ。あ、その肉食わねえなら貰うぞ」
「あ、貴様ッ」
ヘロメロスはクストーディスの隣で、肉を取り合うように互いを肘で押し退け合う。
一時は心配したが、どうやら彼らは本気で敵対しているわけではないらしい。
犬猿の仲――いわゆる、ただのライバル関係のようで、そこまで殺伐としているわけではないのだという。
それよりも、フルプレート姿のまま食事ができるクストーディスの器用さの方が気になるところだ。
「これ、アンちゃん作戦忘れてません?」
「あの子ったら……念のためもう一度伝令を……」
「ういッス。アンちゃーん」
「むぐぅ?!」
ミラに突然声を掛けられ、アンは喉へパンを詰まらせる。
胸を叩いてどうにか飲み込み、水を口へ流し込んでその場をごまかした。
「おやおや、そんなにがっついて……そこまでお気に召したかね。嬉しいものだね、ドクトリウス」
「ええ。これには料理番たちも、作った甲斐があるというものです(あと、私たちの接待もね)」
「え、えへへ……(ミラ先輩、どうかしましたか?!)」
ミラはアンへ再び、ユリスから言い渡された作戦内容を復唱する。
内容は極めて単純。
ミュラーの目的、ユグドラシルを狙う理由、そしてイシスとの関係を、そのまま直接尋ねるというものだ。
宴席がすっかり和んでいる今だからこそ好機なのである。
だが、アンには一つ気掛かりがあった。
「ゥルル、大丈夫?」
「……う、うん。ありがと、アンねーちゃん……」
ゥルルは今日、ギルド内を案内されていた時から、ずっとこの調子だった。
思い当たる節があるとすれば、一つだけ――
――忌々しきユグドラシルを、今こそ共に滅しようぞ。
ミュラーのこの発言以降、ゥルルは明確に元気がない。
ゥルルにとって、ユグドラシルは自分の森を背負う「世界一大きなドラゴンさん」だ。
つまりユグドラシルとは彼の家であり、「てるまえ」を除けば唯一の居場所なのだ。
それを、ミュラー本人が殺すと言った。
無理もない。
「大丈夫だから。私に任せて」
「アンねーちゃん……」
アンは深呼吸する。
ここが勝負どころ。
ここでの会話次第で、任務の行く末が大きく決まるのだ。
意を決し、ミュラーへ尋ねる。
「ミュラーさん」
「あら、なんだいアン?」
「どうして、ユグドラシルを狙っているのですか?」
「ああ、そうさね。きちんと説明しなければならないね……クストーディス」
「は」
クストーディスはヘロメロスを押し退け、席を立つ。
ヘロメロスは椅子から転げ落ち、ぎゃあぎゃあと文句を垂れるが、そんなことはお構いなしに彼は一枚の木板を運び込んだ。
まるで、ホワイトボードに見立てたような板である。
「あれって……」
「まるでモニターだな……なるほど(この空間自体が、作戦室を模しているのか?)」
部屋の構造、道具や円卓の配置などから、ユリスはこの部屋自体が、RACの執行部隊に共通する作戦室の構造と酷似していることに気付く。
それにより、ミュラーがRAC内部の基底界人であり、第零執行部隊の関係者であるという推測は、いよいよ確証へ近づいていった。
「私から解説しましょう。あの竜……ユグドラシルは、モンスターの巣窟であり、母とも呼べる存在です」
「母……」
「絶えず数々のモンスターを生み、我ら人類を殺すべく、動く要塞として長老様が台頭する以前から君臨する超生物。まさに、モンスター側のクルキブリのようなものです」
「人類を殺す……ユグドラシルは、そんなにも危険なんですか?」
ミュラーは木彫りのスプーンを置き、天井を見上げた。
「諸悪の根源だよ。アレを潰せば、クルキブリも、人類も救われる」
「……」
「私の同胞たちも……今度こそ救われるだろう……」
ミュラーは目を閉じ、再びアンを見つめる。
「アンちゃん。私とあんたたち、特殊第六執行部隊の目的は、おそらく同じだよ」
「……目的って……なんですか」
ミュラーは手を伸ばし、アンから見える位置で、指を使って何かの合図を送った。
おそらくそれは、執行官が初等教育で教わる、周囲へ悟られずに情報を伝達する際に用いる“指文字”。
それが示すものは――
――ISIS。
「ッッ!!!」
アンはヒュッと息を呑み、一瞬だけ呼吸を乱す。
ガタンッとカイが椅子から立ち上がり、ユリスもモニターへ食いついた。
「ミラ、今の見た?!」
「はいッス! 確かに“ISIS”って……」
「やはり目的はイシス神。であれば、彼女はいよいよ……」
これが吉報か、はたまた凶報かは定かではない。
だが、ミュラーが確かにイシス神の名を示したことで、彼女が過去に送り込まれた決死隊――第零執行部隊の一人である可能性は、ほとんど確定したようなものだった。
そして、それを聞きつけたノルハイコは、笑顔でも怒りでもなく、無表情のまま、すぐにサイモンの元へ戻る。
「隊長……大丈夫ですか? 少しはお休みに――」
「いえ、彼女が第零執行部隊である以上、我々の動きは大きく変わります……」
「隊長……では」
「やむを得ません。オペレーターEへ移りましょう」
サイモンは目を閉じ、静かに息を吐く。
「第四執行部隊とは連絡は?」
「いまだ付かず」
「そうですか。では、引き続き彼らとの接触を。私は――」
すると、カイたちが再びざわめき始める。
モニター越しで、またも進展があったようだ。
「ウル坊の厄竜を退けた力。そして、お主ら特殊第六執行部隊……」
「お二方のご助力があれば、クルキブリはまさに鬼に金棒。ぜひ、かのユグドラシル討伐へご協力願いたい」
なるほど、これが目的かと、アンはようやく納得する。それは作戦室も同じ。
ここまでのもてなしも、接待も、その全ては、この作戦への参画を促すためのものだったのだ。
だが同時に、ユリスには一つだけ、ずっと脳裏へ引っ掛かっている疑問があった。
(なぜ、ユグドラシルを……。もしやミュラーは、イシス神の現状を知らないのか?)
「ドクトリウス、あれを」
「かしこまりました」
するとアンの元へ、ドクトリウスが何やら厳かな木箱を、丁寧に布で包んで持ってきた。
布を取り払い、慎重に木箱を開く。
木箱には幾重もの封が施されており、まるで中身が外気へ触れないよう、厳重に保管されているかのようだった。
「これって……」
「はい。先祖代々、長老様の一族に伝わる秘宝です。これを報酬としてお渡ししましょう」
木彫りの小刀か。
それとも、金のネックレスか。
そんなものを想像していた。
だが、中に入っていたのは、その想像の遥か斜め上を行くものだった。
「うぇええ、カイ姐これって?!」
「……なるほどね」
「興味深い」
それは、小さなチップ。
USBメモリであった。
木箱の中央に、隙間なくぴたりと埋め込まれており、その状態は極めて良好。
PCへ挿せば、今すぐにでも接続できそうなほどだった。
つまり、ミュラーが提示する報酬とは“情報”である。
そしておそらくそれは、こちら側に何らかの利益をもたらすと確信した上での提案だった。
(情報……どういうことだ。彼女はこちら側の現状を理解している? その上での情報提供? 彼女は何者だ? この違和感はなんだ……)
「私には、貴方方“いと貴きヒト”の目的も、これが何かも測りかねます。ですが、長老様はこれが君――いえ、君達の部隊を救うものであると確信しておられます!」
「ド、ドクトリウスさん……」
「アンよ。ユグドラシルを討伐した暁には、それをお渡しすることを約束しよう。そして、ウル坊や」
「…………」
「お主もきっと、真の意味でクルキブリの民から認められる。もう誰も、お主の存在を煙たがるような真似などせぬわ」
「でも……ぼくは……」
ゥルルは席を離れ、アンの元へ避難する。
だが、それでもミュラーは続けた。
「だからどうか、お二人とも――」
「「「――我々に手を貸してほしい」」」
ミュラーをはじめ、クストーディス、ドクトリウス、そしていつの間にか集まっていた職員たち、さらには他部門の長たちまでが、深々と頭を下げる。
ミュラーに至っては、頭を下げるどころか額を床へ擦り付け、誠心誠意の懇願を示していた。
「おいおい、なんだこりゃ……」
ヘロメロスは、ギルドの首脳陣がことごとく2人の子供へ頭を下げている、その異質な光景に肉を食べる手を止めてしまう。
当のアンは、当然のように固まっていた。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう……)
アンは混乱する。
頼みの綱であるユリスも、ずっと黙り込んだまま。
首脳部全員が頭を下げている以上、ここで中途半端な返答をするわけにもいかない。
そして何より、『|あなたの物語を聞かせて《ユア・テイル》』が、彼らが本心から願いを申し立てていることを伝えてくる。
それが余計に、アンの選択肢を狭めていた。
(どうすればいいのかな。ユリス先輩、ミラ先輩……誰か、助けて――)
だがその時、誰かに袖を引かれる感触を覚える。
「アンねーちゃん……」
「ゥルル……」
ゥルルは、ぎゅっとアンの袖を掴んでいた。
涙目で、迷子の子供が大人へ助けを求めるような、そんな表情だ。
アンは恩寵によって、ゥルルの心中にある、怯え、不安、悲しみといった感情を読み取る。
「アンちゃん」
「……!(ミラ先輩!)」
突如、ミラの声が届く。
同時にカイとユリスも目を見開いており、彼女が何を思って、アンに語り掛けているのか見当もつかないでいた。
「好きにやっていいッスよ」
「え……」
「ユリス先輩もだんまりだし、ここまで来たらその場その場でやるしかないッス。だから現場にいるアンちゃんが選ぶべきだと思うッスよ。アンちゃんが何を選択しても、尻拭いはこちらでやるので好きにやってください」
「…………」
「なんせ、アタシらは行き当たりばったりの特殊第六執行部隊。それに、アタシはアンちゃんの先輩ですから」
「ちょ、馬鹿ミラ!!」
イヤホン越しに、どたばたと暴れるような音が聞こえる。
おそらく、ミラがカイに取り押さえられたのだろう。ぎゃあぎゃあと彼女たちが騒ぐ声が響いていた。
ミラの一言。
それは一見、ミラの責任放棄にも聞こえる。
だがアンにとっては、一歩を踏み出すには十分過ぎるほどの激励だった。
(そうだった。私は執行官。ゥルルを守る……特殊第六執行部隊の執行官……)
「アンねーちゃん……」
アンは微笑み、ゥルルの淡紅色の髪、そして頬の順に、優しく撫でてやる。
「大丈夫よ、ゥルル。おねーちゃんに任せて」
「?」
ゥルルの居場所であるユグドラシル。
知ってか知らずか、その命を狙うギルド。
そして、目の前には泣いている子供がいる。
――ゥルルをお願いね。
サポーニスの声がフラッシュバックした。
アンはゥルルを撫で終えると立ち上がり、いまだ頭を下げ続けるギルドの面々を見据えた。
ようやく返答を得られると察し、ドクトリウスが歓喜の表情で、ゆっくりと顔を上げる。
「アン様! では!」
「僭越ながら、私、アンがお答えします!」
アンは密かにシスターズへ指令を送り、いつでも動けるよう待機させる。
「私たち特殊第六執行部隊はその申し出――お断りしますっ!!」
【今回の用語まとめ】
■ユグドラシル討伐共同戦線
クルキブリ首脳部が特殊第六執行部隊へ提示した協力要請。
モンスターを生み続ける“母なる竜”ユグドラシルを、この異世界の人類にとっての諸悪の根源として討滅することを目的としている。
■執行官の指文字「ISIS」
周囲に悟られず情報を伝えるため、執行官が初等教育で習得する指文字。
ミュラーはこれを用いてイシスの名を伝え、自身が旧RAC――特に第零執行部隊と深い関係を持つ可能性をさらに強めた。
■秘宝のUSBメモリ
ミュラーの一族に代々伝わるという、極めて保存状態の良い記録媒体。
クルキブリ側はユグドラシル討伐への報酬として提示しており、その内部には特殊第六を「救う」とミュラーが確信する何らかの情報が保存されている。
■オペレーターE
ミュラーが第零執行部隊の関係者である可能性を受け、ノルハイコがサイモンへ移行を指示した対応。
現時点では、その具体的な内容・目的は不明。
■特殊第六の回答
ギルド首脳部からのユグドラシル討伐要請に対し、アンが現場判断で提示した答え。
特殊第六執行部隊として――共同戦線を拒否した。
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