表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
五十六歳の研究者、中学生から人生をやり直す  作者: 正宗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
95/104

第九十五話:投資の理由

11月中旬。

開発室の会議机の上には、分厚い資料の束が並んでいた。


西村と関根がまとめたレイアウト進捗資料。

大門と小林がまとめた命令セット仕様書。

今川によるTRON構想との関係資料。

そして忠夫と高村が仕上げた競合比較表と性能予測資料。


各々が研ぎ澄ませた資料が、ここに集結していた。


斎藤は腕を組み、無言でページをめくっていく。紙をめくる音だけが、張りつめた部屋に響いていた。


やがて最後のページが閉じられた。


「……よくここまで揃えてくれた」


声は低いが、わずかに満足げだった。


「技術的な正しさは、これで十分に示せる。だが、役員会という重い扉を開けるには、まだ決定的に足りないものがある」


大門が身を乗り出した。


「足りないもの、ですか?」


斎藤は資料の山を指先で軽く叩いた。


「ああ、『なぜ今、東芝がこのCPUに巨額を投じるのか』だ。今期もDRAMは好調で、既存マイコン事業も安定している。このタイミングであえてリスクを取る理由を、数字と論理で示さねばならん」


沈黙が落ちた。


技術の優位性なら語れる。設計思想も説明できる。

しかしそれは「投資の動機」にはならない。


最初に口を開いたのは忠夫だった。


「……DRAMだけに頼り続けるのは危険です」


斎藤の視線が忠夫に向く。


「今は製造技術の優位性で大きく利益を出しています。しかし、その優位がいつまで続くかは分かりません。将来的に、海外勢による本格的な追随が始まれば、価格競争は避けられません」


斎藤は少し間を置いた。


「……根拠は」


「今年の秋、サムスンが64KDRAMの量産出荷を始めました。今はまだ品質で差がありますが、追いついてくるのは時間の問題です」


(……前の人生では、そうなった。そしてそれは致命的だった)


斎藤は黙って頷いた。


そして高村が静かに続けた。


「ですがCPUは違います。アーキテクチャという設計資産が長期に残ります。同じメモリを使っても、システム全体の価値を決めるのはCPUです。我々が自前で握らなければ……中核技術を他社に依存することになります」


今川が穏やかだが力強い声で引き取った。


「TRON構想も、まさに同じ危機感から生まれています。これからの時代は、汎用コンピュータが全てを処理する時代ではありません。家電、産業機器、事務端末、通信機器……それぞれに最適化されたコンピュータが、共通の基盤で連携する世界です」


今川はゆっくりと全員を見回した。


「海外の汎用CPUに依存し続ければ、東芝は——いや、日本は——その未来の主導権を失います。このCPUは、その未来を自分たちの手で築くための第一歩です」


重い静けさが部屋を包んだ。


斎藤は深く椅子にもたれ、目を細めた。やがて、口元に笑みが浮かんだ。


「……悪くない」


彼は手元のメモ帳を引き寄せ、太い字で書き始めた。


『なぜ今か』


その下に、勢いよく続ける。


・DRAM依存からの脱却

・情報機器市場における主導権の確保

・TRON対応CPUとしての先行投資


ペンを置き、斎藤は資料の山を見渡した。


「これで稟議書の骨子ができた。あとは私がまとめる。引き続き開発作業を続けてくれ」


全員が静かに頷いた。


忠夫は資料の表紙を見つめたまま、静かに息を吐いた。 指先がわずかに資料の角を押さえていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ