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五十六歳の研究者、中学生から人生をやり直す  作者: 正宗


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第九十四話:それぞれの戦場

忠夫と高村が資料の骨子を固めていたころ。


西村と関根のほうでも、レイアウト進捗をまとめる資料作りが始まっていた。


西村が図面を指で追いながら、関根がノートに数字を書き込んでいく。


完了ブロック、八。

未完了、三。

進捗率七割。

レイアウト凍結予定、三月末。

マスク投入予定、四月上旬。


「根拠を添えるぞ。役員が見るのはこの日付だ。ここがずれれば、稟議ごと信用を失う」


関根は黙って頷き、数字を書き込み直した。



大門と小林の机には、命令セットの仕様書と原稿用紙が並んでいた。


大門が仕様書を参照しながら書き込み、小林が原稿用紙を確認していく。


三十二命令。

固定長三十二ビット。

ロード・ストア型。

演算とシフトの統合。


「命令セットの特徴、これで伝わるか?」


小林が原稿を指で叩いた。


「……このままだと役員には伝わらない可能性が高いだろうな。……命令数を絞った分、デコード回路が単純になる——これを付け足せばどうだ?」


「なるほど、なら例外処理の説明はどうする?」


「割り込みからの復帰が高速である、とだけ書こう。正確な数字は技術資料に回せばいい」


大門は短く頷き、原稿用紙に向き直った。



本社、常務室。


斎藤は机の上に書類を広げていた。


マスク費用の見積もり。試作ラインを止めた場合の機会損失。歩留まり予測。回収年数。既存マイコン製品との食い合い予測。


数字の一つ一つが、役員会で必ず突かれる刃だった。


(……性能がいい、では通らん)


斎藤は煙草を灰皿に押し付けた。


技術が正しいことなど、役員会では二次的な問題だ。重要なのは、なぜ今やるか。なぜ東芝でなければならないのか。なぜDRAMで稼いだ金を、得体の知れないCPUに注ぎ込むのか。


それを、技術者ではない人間に分かる言葉で説明しなければならない。


机の上の電話が鳴った。


経理部だった。


「……ええ。試作費用の概算です。……いや、それでは足りません。第二次試作も織り込んでおいてください」


短いやり取りの後、斎藤は受話器を置いた。


斎藤は手帳を開いた。


そこには、稟議までに根回しを終えなければならない人間の名が、十数人並んでいた。



同じ夜、東京大学。


今川は机の前に座り、ノートを開いていた。


TRON構想との関係についての見解。


ペンを走らせる。


現在のコンピュータは、汎用性を追求した結果、どこにでも使えるが、どこにも最適化されていない機械になっている。家電に積まれたチップが、オフィスのコンピュータと同じ命令セットを処理する必要はない。


TRONが目指しているのは、その前提を変えることだった。


用途ごとに最適化されたコンピュータが、共通のアーキテクチャ思想の下で連携する。


炊飯器も、オフィス端末も、工場の制御装置も、同じ情報基盤の上で結び付く。


そして利用者は、日本語でも、英語でも、ドイツ語でも、自分の言葉でそれらを扱える。


(……よし)

今川はペンを置き、書いたものを読み返した。



開発室の片隅。


忠夫は、68000と80286のデータシートを交互に見比べ、一つ一つの数字を比較表へ落とし込んでいった。


68000との比較、80286との比較、トランジスタ数、予測ダイ面積——。


競合より速い、それだけでは稟議は通らない。


68000と比べて何が優れているのか。

80286と比べてどこが違うのか。

その差を裏付ける根拠は何か。


忠夫はペンを握り直した。

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