第九十三話:数字の戦い
翌日。
忠夫と高村は、資料室から台車で運んできた分厚い資料の山と格闘していた。
高村が性能予測をまとめ、忠夫が競合比較の分析を進めていた。
忠夫が資料を手に取った。
(モトローラの68000と、インテルの80286。どちらも今の市場を押さえている。アップルのマッキントッシュは68000を積んでおり、IBMが発表した最新のPC/ATは80286を積んでいる)
忠夫はそれぞれの資料を引き寄せ、特徴をノートへ書き出した。
68000は命令の種類が豊富で、プログラムが書きやすい。だが命令が複雑なぶん、チップの内部でその命令を処理するのに時間がかかる。
80286はメモリ保護機能を備えた高機能な設計だが、管理機構が複雑で処理に余分な手間がかかる。
そして、自分たちのRISCは複雑な処理を一命令で実行することはできない。だが、そのぶん内部処理は単純で、高速化しやすい。
忠夫はペンを置き、高村の席へ向かった。
「高村さん、少しいいですか」
高村が顔を上げた。
「競合比較の骨子が固まりました」
高村は手元の煙草を灰皿に押し当てた。
「どうまとめる?」
「性能、チップ面積、命令実行効率を軸に比較します」
「……性能か」
高村が腕を組んだ。机の上には、彼が格闘していた計算途中の書類が散らばっている。
「予測値をまとめているんだが。……正直難航している。普段なら他の石のカタログスペックから逆算して、『最低でもこれくらいは出ます』と書ける」
高村は息を吐いた。
「だが、この石は新規アーキテクチャだ。カタログスペックから逆算するための石が存在しないんだ」
忠夫は手元のノートへ視線を落とした。
「……なら、カタログスペックからの逆算ではなく、物理的な根拠から予測値を組み立てればいいんです。重要なのはクロック周波数そのものではありません」
忠夫はノートを高村の前へ置いた。
「同じ処理を終えるまでに、何クロック必要かです」
高村が眉を寄せる。
忠夫は続けた。
「既存のCPUは複雑な命令を実現するために、多くの内部処理を必要とします」
「一方、我々の命令は単純です。その分、一命令あたりの平均実行サイクル数を大幅に減らせる」
高村が資料へ目を落とした。
「つまり?」
「同一プロセス・同一クロックで比較した場合、実効性能で優位に立てる可能性があります」
忠夫は資料の別ページを開いた。
「もちろん、これは推定値です。だからこそ根拠を示します」
「東芝のCMOSプロセスの特性値と、現在のレイアウト結果から遅延を見積もれます。座標リストも固まっていますから、主要な配線長とセル遅延もかなり具体的に把握できています。これで動作クロックの根拠は現実的な精度で出せるはずです」
高村は感心したように深く頷いた。
「なるほどな……」
「クロックの絶対値じゃなく、その数字に至る根拠と効率で優位性を証明するわけか」
「はい」
忠夫はさらにページをめくった。
そこにはウェハーの模式図と、複数のチップ面積比較図が描かれていた。
「もう一つ、比較の軸として強力なのは『面積』です」
「面積?」
「我々のチップは、トランジスタ数を約五万に抑えています」
忠夫はノートを指差した。
「現行主力の80286(十三万四千)の半分以下、68000(六万八千)と比べてもそれ以下に抑えられる見込みです」
高村がノートの数字を見つめ、低く唸った。
「……しかもビット数は、これらが16に対して、俺達のは32ビットだ」
忠夫は頷いた。
「はい、そして同じウェハーから取れるチップ数は、面積が小さいほど増えます」
高村の表情が変わった。
「……32ビットの性能を出しながら、製造コストは16ビットの競合よりも安く上がる」
「ええ。性能だけでなく、この面積とコストの差をどう見せるかが鍵になると思います」
しばらく資料を眺めていた高村が、ゆっくりと口元を緩めた。
「面白い」
高村は立ち上がった。
「よし。佐伯君はそのまま、面積を含めた競合比較の資料を仕上げてくれ」
「俺は、クロック効率、実行性能を元に性能予測をまとめる」
「分かりました」
忠夫は頷き、再び自席へ戻り、ノートを広げペンを走らせた。




