表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
五十六歳の研究者、中学生から人生をやり直す  作者: 正宗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/72

第七十一話:同期

翌朝。


東芝の一室には、異様な空気が漂っていた。


壁一面に貼られたタイミングチャート。

机の上には、回路図とログ用紙の山。


徹夜明けの高村たち技術者が、血走った目で無言のまま資料を睨んでいる。


そして部屋の奥のパイプ椅子には、ネクタイを外し、ワイシャツの袖を捲り上げた斎藤常務の姿があった。


その重い空気を破るように、重厚な鉄扉が開いた。


「……失礼します」

忠夫の声とともに、一人の男が部屋に入ってきた。


部屋の視線が一斉に入口へ向く中、真っ先に動いたのは斎藤だった。


ゆっくりと立ち上がり、男の前に歩み出る。

「……東京大学の、今川先生ですね。東芝の斎藤です」


今川は徹夜明けの斎藤の姿と、背後の技術者たちの熱気を見回して、ふっと口角を上げた。


「……ご挨拶痛み入ります。……どうやら、本気のようですね」


「ええ。生半可な石を焼くつもりはありませんよ」


斎藤が応じると、今川は静かに笑い、そのまま机へ分厚い紙束を置いた。


ドン、と重い音が響く。

一番近くにいた西村が、思わずその紙束を手に取った。

ページをめくる手が、ピタリと止まる。


「……まさか、もうコンパイラの仕様まで起こしてきたのか?」


「いえ。私がTRONでずっと構想していた『理想の要求仕様』です」


今川は即答した。


「OSだけ作っても意味がありませんから。

この石は、コンパイラと一体で設計しなければ性能が出ない。命令配置、レジスタ割り当て、例外処理――全ては繋がっているんです」


高村が腕を組む。


「つまり、ハード側の都合で下手に命令を増やすな、と?」


「ええ」

今川は迷いなく頷いた。


「中途半端な互換性や親切心を残せば、必ず遅くなる。コンパイラが予測できないハードの動きは、システム全体にとって毒でしかありません」


一瞬、空気が張る。


だが、その緊張を破ったのは忠夫だった。


「だから、レジスタは16本に抑えてるんです」


全員の視線が、忠夫に集まる。


忠夫はホワイトボードへ歩き、チョークを取った。


「レジスタを増やせば、コンテキスト切り替えは重くなる。命令を増やせば、デコードは複雑化する。結果、クロックが落ちる」


カツ、カツ、と白線が走る。


「逆に、命令を極限まで単純化すれば、コンパイラ側で最適化できる余地が増える。TRONなら、タスクの優先度制御も完全に活かせる」


今川が静かに頷いた。


「リアルタイムOSは、“待ち”が致命傷なんです」


その一言で、室内の空気が変わった。


西村が手元の図面を睨みながら、ハッとしたように呟く。


「……つまり、何があってもパイプラインを止めるな、って話か」


「そうです」

忠夫は即答した。


「パイプラインが止まれば、このCPUの強みは活かせない。ハードを止めないために、ソフト側が先回りして命令を並べる必要があるんです」


沈黙。


だが、その沈黙は昨日までの“行き詰まり”ではなかった。


やがて、小林が低く笑った。


「面白ぇじゃねえか……。普通は、ハードの仕様が決まってからソフトが渋々合わせるもんだ。なのに今回は、最初から噛み合わせにいってやがる」


今川が静かに言った。


「ええ、最初から、同じものを見ているんです」


部屋が静まり返る。



徹夜明けの疲労も忘れ、技術者たちが図面と仕様書を睨み直す中。


斎藤の脳裏には、これまで見てきた無数の開発現場が過っていた。


ハードが先に形になり、後から載せたソフトが悲鳴を上げる。

そして問題が見つかるたびに、既に出来上がったハードへ無理やり修正をねじ込む。


そんな、妥協と後追いの調整を何度も見てきた。


だが、目の前の光景は違う。


「……日本で初めてかもしれんな」


その声には、確かな興奮と畏れが滲んでいた。


「CPU、OS、コンパイラを、最初から同期させて設計するなんて」


窓の外では、朝日がゆっくりと昇り始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ