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五十六歳の研究者、中学生から人生をやり直す  作者: 正宗


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第五十七話:発売前の足音

「ただいま」


玄関のドアが開く音と共に、父・和雄の疲れた声が響いた。


「お帰りなさい、あなた。今日は早かったのね」


台所から母・佳子が顔を出す。


「おかえり、父さん」


忠夫も居間から声を掛けた。


鞄を置いて上がってきた和雄は、ネクタイを緩めながら肩を回した。

背広には一日の疲れが染みついている。


「月半ばの締め処理が思ったより早く片付いてな。少し早く帰れたよ」


そう言って座卓の前に腰を下ろす。


佳子が湯呑みを差し出した。


「お疲れさま。すぐご飯にするわ」


和雄は湯気の立つ茶を一口すすり、ようやく人心地ついたように息を吐いた。


忠夫はその様子を見ながら、静かに口を開く。


「父さん、母さん。夕食の後に、見せたいものがあるんだ」


和雄が眉を上げる。


「見せたいもの?なんだ急に‥」


佳子が少し気圧されるように訊いた。


「なに? また何か作ったの?」


忠夫は首を横に振った。


「……作ったんじゃないよ。届いたんだ」


その言葉に、和雄と佳子は顔を見合わせた。



夕食を終えた後。


食器を片づける音が台所から聞こえる中、忠夫は両腕で大切そうに“それ”を抱えて居間へ戻ってきた。


赤と白の筐体。

角ばった、小ぶりな機械。


まだ塗装の甘さが残る、どこか試作品めいた外観。


座卓の前に置かれたそれを見て、和雄が目を丸くした。


「……なんだ、これは」


忠夫は、静かにその名を告げた。


「ファミコン。任天堂の新しいゲーム機だよ」


居間の空気が、わずかに変わった。


忠夫は本体をテレビへ接続し、電源を入れた。


ブラウン管が青白く光り、電子音が居間に響く。

やがて画面に積み木のようなブロックと、題名が映し出された。


『TETRIS』


和雄の表情が、ぴたりと止まる。


「……これは」


画面を見つめる目に、驚きと懐かしさが混じった。


「まさか……テトリスじゃないか」


佳子も「あっ」と声を上げる。


思い出すのは夜なべしてテープをダビングし、一通ずつ宛名を書き、カセットを包み、家族総出で発送したあの夜々。耳にこびりついた高周波音と、机いっぱいに積まれた現金書留の封筒。


和雄の口元が、自然と綻んだ。

それは技術への感銘以上に、自分たちが泥臭く関わったものが「未来」として結実したことへの、純粋な喜びだった。


和雄は目を細め懐かしそうに画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。


「……あの時は、ただ必死だったが。今思うと楽しかった」

少し照れくさそうに、けれど誇らしげに和雄は続ける。


「自分たちが手伝ったものが、こうして新しい形になって残るというのは……悪くない。いや、いいもんだな」 


佳子が優しく笑った。


「あなた、あの時ずいぶん張り切ってたものね」


「……」

和雄は咳払いして顔を背けたが、その口元は隠しきれずに緩んでいた。


忠夫はコントローラーを差し出す。


「父さん、母さん。やってみる?」


和雄はそれを受け取り、眼鏡を押し上げた。


「……よし。やってみるか」


世間がまだ「ファミコン」という名の怪物に気づく前。

佐伯家の居間だけが、一足先に新しい時代の熱狂に包まれていた。


そして季節は流れた。

梅雨が明け、蝉の声が街に満ちる。


今日、全国の玩具店に、ファミコンが並ぶ。

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