第五十八話:発売日
1983年7月15日。
朝から強い日差しが、商店街のアスファルトを白く照らしていた。蝉はまだ本格的ではないが、夏の気配だけは十分すぎるほど濃い。
忠夫は学生鞄を肩に掛け、いつもの通学路を歩いていた。
駅前へ抜ける角を曲がったとき、足が止まる。
玩具店の店先。
ガラス戸の内側に、見慣れぬ箱が積まれていた。
『ファミコン 本日発売』
POPが貼られている。
そしてその横には、四本のゲームカセットが並んでいた。
そのうちの一つ。
鮮やかな光沢を放つ横長の箱に、あの文字が刻まれていた。
『テトリス』
家族で夜なべし、一本ずつ発送したあの作品。
それが今は洗練された製品として整然と棚に収まっている。
それを見て忠夫は感慨深く目を細めた。
始業前。
教室の後ろで、男子が数人集まって騒いでいる。
「なあ、今日ファミコン発売なんだってよ」
「なんだそれ?」
「任天堂の新しいテレビゲームらしいぞ」
「ドンキーコングができるって兄貴が言ってた」
「へえ。でも高いんじゃねえの?」
「たしか一万円くらい」
「そんなの買ってもらえるかよ」
笑い声が上がる。
話題にしているのは、その輪の中だけだった。
他の生徒たちは、昨夜のテレビ番組や漫画の話に夢中になっていた。
忠夫は自分の席に座り、その喧騒を遠くに聞いていた。
◇
放課後。
玩具店の前には、いつもより少し多くの子供たちが集まっていた。
「これがファミコンか」
「ドンキーコングってどれ?」
「うちの母ちゃんに聞いてみようかな」
ガラス戸の向こうでは、店主が箱を一つ取り出し、客の母親に説明している。
棚に積まれていた赤と白の箱は、いくつか数を減らしていた。
◇
夕食の時間、玄関の開く音がした。
父の帰宅だった。
「ただいま」
居間に入ってきた和雄の手には、小さな紙袋が握られていた。
和雄はそれを、食卓の上に静かに置く。
「……帰りに見かけてな」
袋の中から現れたのは、光沢のある紙箱に包まれた『テトリス』だった。
和雄は箱を手に取り、しげしげと眺める。
「……俺たちで手作業していたものが、ちゃんと商品になった。それが嬉しくてな」
佳子が、ふっと笑った。
「そうね。本当……よかったわね」
忠夫は何も言わず、その箱を見つめた。
家族で夜なべし、一本ずつ送り出した作品。
それが今、こうして店頭に並んでいる。
静かにこみ上げる感慨に、
佐伯家は今だけ、その余韻に浸っていた。




