第百一話:精密制御
エアシャワーの激しい風が、防塵服に付着した目に見えない塵を吹き飛ばしていく。
クリーンルームに足を踏み入れた瞬間、工作機械フロアの荒々しい駆動音と油の匂いは完全に遮断され、人工的な静寂が一行を包み込んだ。
「こちらが、当社の最新電子線描画装置『EBM-130V』の評価設備でございます。小林社長からお話がありましたように、これからテストパターンを使った描画デモンストレーションをご覧いただきます」
開発部長の合図を受け、操作担当者がコンソールへ向かった。
しばらくすると、ガラス越しの巨大な真空チャンバー内部で、金属製の精密なステージが動き始めた。
目にも留まらぬ速さで縦横に滑動するその動きには、微細な振動すら感じられなかった。
「……素晴らしいな。あのステージの位置決め精度はどうなっている?」
斎藤が高速で動くステージを見つめながら尋ねた。
「レーザー干渉計によるフィードバック制御により、サブミクロン単位の位置決め精度を確保しています。この精度があれば、次世代LSIの微細な回路パターンもマスク上に正確に再現できるはずです。
現在はこちらの装置の評価を進めておりますが、予定どおり進めば、一メガDRAMの試作マスク製作にも投入する計画です」
開発部長の説明を聞きながら、忠夫はコンソールモニターに表示された位置制御ログを凝視した。
超微細な電子ビームを正確に当てるための、超精密なステージ制御。加減速時の慣性や外乱を予測し、複数の軸の動きを高い精度で同期させる——それは、あの工作機械フロアで見た大型マシニングセンタの多軸制御と、根を同じくする技術だった。
(……そうか。この精密制御を実現できる技術者たちがいるからこそ、海外製のNC装置と自社の大型工作機械を、あれほど高い精度で組み合わせることも可能だったんだ)
ステージが寸分の狂いなく往復する様子を目の当たりにし、忠夫は静かに息を吐いた。
「描画装置の物理的な精度はよく分かりました。ちなみに、これほど精密な同期制御を実現するとなると、ホスト計算機には相当な演算負荷がかかるのではありませんか?」
忠夫の質問に、開発部長が頷いた。
「ええ。ホスト計算機で描画データを処理するだけでなく、ステージの各軸を滑らかに同期させるため、制御ソフトウェアにもさまざまな工夫を盛り込んでいます」
「……やはり。もし差し支えなければ、この装置や先ほどの工作機械で使われている制御ソフトウェアの構成や設計資料を、少し拝見させていただけませんか。
リアルタイム制御の設計思想は、僕たちが開発しているCPUやコンパイラの最適化に、大きなヒントになると思うんです」
開発部長が一瞬、難色を示した。
「制御関係ですか……。現在、別の海外向け案件の調整作業も並行しておりますので、機密資料が多く、部外者をお通しするのは少々……」
海外向け案件。
その単語に、忠夫の視線がわずかに揺れた。
忠夫が言葉を継ごうとしたとき、斎藤が穏やかだが重みのある声で口を添えた。
「部長、差し支えない範囲で構いません。彼は設計だけでなく制御技術にも強い関心を持っています。参考になる範囲だけでも見せてやってくれないだろうか」
部長は斎藤と忠夫の顔を見比べ、小さく頷いた。
「……承知いたしました。では、あちらの棟の調整室へご案内しましょう。ただし、機密に関わる部分には立ち入れませんので、その点はご理解ください」
「もちろんです。ありがとうございます」
忠夫は深く頭を下げた。
クリーンルームを出た後、防塵服を脱ぎながら、斎藤が静かに尋ねた。
「どうだった、佐伯君」
「描画精度は十分確認できました。少なくとも、現在進めているレイアウト設計の前提が大きく崩れることはなさそうです」
「そうか」
斎藤は満足そうに頷いた。
着替えを終えた一行は再び別の建屋へと向かった。
案内されたのは、窓の少ない無機質な廊下の奥にある、重厚な鉄の扉だった。
プレートには『制御調整室』と記されている。
開発部長が鍵を取り出し、鉄の扉を開けた。
中には、何台もの端末が並び、机の上には「KONGSBERG」のロゴが印刷された英文の保守マニュアルが開かれている。
その脇にはパラメータ設定表やラインプリンタから出力された制御プログラムのリストが重ねられ、手書きのラベルが貼られた八インチフロッピーディスクが整然と並べられていた。
忠夫は静かに部屋へ足を踏み入れた。
まだ確証はない。
だが、この部屋には、単なる制御技術以上の何かが隠されている――そんな予感がしていた。




