第1章 7 英雄であり、英雄でない男
「異常、現象、って?」
「文字通り、ダンジョンで異変が起こってるんだよ。
この先には、中層――二十階層より下からしか出現しないはずのモンスターが群れを成して、冒険者たちを襲ってる。……もう、何人もやられてるんだ」
「何人も……」
男は、悔しさを顔に滲ませながらそう吐露する。
その後ろにいる男たちも、同じような顔をしていた。
「どのくらいいるか、わかりませんか?」
「わからない。逃げるのに必死で、数を数えている余裕なんてありゃしねぇよ」
まあ、それもそうか。
「とにかく、テメェらも上層階に避難しろ。
モンスターは基本的に、二階層よりも上に来るこたぁねぇ」
そう言いながら、男たちは慌ただしく俺たちの横を通り過ぎていった。
肩越しにその様子を見つめ、耳を澄ましてみる。
悲鳴や怒号、そしてモンスターの鳴き声だと思われるものも、前の方からほんの微かに聞こえてくる。
どうやら、あいつらは嘘をついているわけではないらしい。
「どうする、ルナ。逃げるか?」
「あんたはどうしたいの?」
ルナの意見を聞こうとしたが、逆に問い返されてしまう。
「俺たちは、今日が初めてのダンジョンだ。
安全を考えるなら、あいつらの言う通り上へ上がった方がいい。でも」
「……でも?」
「助けに行きたい」
「……」
俺は、仮にもあの世界で魔王を倒した勇者なのだ。
勇者たるもの、助けを求めている人間から目を背けるわけにはいかない。
これまでに人が死んでいく様を、何度も見てきた。
何度見ても慣れないし、できるならもう二度と見たくない。
だから、
「俺は行くよ、ルナ。さっきので、剣がない今でも戦えるってわかったしな」
そう決意を表し、ルナに対して不敵な笑みを浮かべる。
すると、ルナもまた笑い返して、
「あんたに着いていくわ。どこまでも」
彼女が着いてくるとわかって踏み出した、俺の後へと続いた。
進み続けるにつれ、交戦している音がどんどん近づいてくる。
まだ戦っているということは、手遅れではない……と信じたいが。
「ルナ、見られるか。後ろは任せろ」
「ええ」
立ち止まってそう確認した俺に、ルナは目を合わせることなく頷いた。
そして、
「蒼き双眸よ、果てなき彼方を映せ――鷹眼」
小さく唱えた彼女の眼には、はるか前方の景色がはっきりと映っていることだろう。
エルフ特有の目の良さに加え、彼女がもとより持っていた能力。
この能力に、何度助けられたことか。
「どうだ?」
「人が何人も倒れてるわ。
その前で……カマキリ、かしら。大きなモンスター数体と戦ってるのも見える。
その他にも結構な数のモンスターがいるわね」
「出来る限り正確な数を教えてくれるか?」
「そんなことしてる暇はないわ。ざっと五十ってとこね」
「五十……」
そんな軍勢が、中層から這い上がってきたとでもいうのか。
いや、事実として起こっているんだから深くは考えるな。
今は、いち早く助太刀に行くのが先決だ。
「足は温まった?」
「まあ、多少はな」
「ふーん。足引っ張んないでよね」
「俺に助けられといてよく言うぜ」
軽口を叩くと、ルナは「うっさい」と言いながら速度を上げた。
まあ、昔は助けられてばかりだったからとやかくは言えないけどな。
***
「ぐあッ!」
「大丈夫か! クッソ……!」
肉が裂かれる音と悲鳴、そして苦々しく毒づく男の声が、もうすぐそばで聞こえる。
そしてついに、ずっと視界を狭めていた両翼の岩壁が唐突に途切れ、開けた場所に辿り着いた。
「大丈夫ですか!」
「っ! 上級冒険者か!」
「いえ、あたしたちは初めて潜った駆け出しよ」
「はぁ!? ひよっこが何匹来たところで状況は変わらねえよ!
とっとと失せろ!」
助けに来たというのにひどい言いぐさだな。
『駆け出し』って言葉だけ聞いたら、そりゃ期待外れだろうけど。
「俺たちは、あなたたちを助けに来たんです」
「今のオレの言葉を聞いてなかったのか?
ひよっこが敵う相手じゃねぇんだ。誰ともすれ違わなかったのか?」
「すれ違った血まみれの冒険者たちに、逃げろと言われました」
「それに逆らって、今日付けで冒険者になった駆け出しがここに来たと?
今からでも遅くねぇから上層階に逃げろ! 相手は中層以降にしか出現しない格上だ!」
こうやって言葉を交わしている間にも、前線では冒険者たちとモンスターたちが交戦している。
こんなよくわからん男に時間を食われている暇は、ないというのに。
「最後の警告だ。早く逃げて、ギルドに報告して上級冒険者を連れてくるように頼め。
しかも、お前に関しては丸腰でどうやって戦うつもりなんだよ」
「つべこべうるさいわ。あんたももうボロボロなんだから、大人しくしてなさい」
「……! 駆け出しに出る幕なんて――」
「駆け出しじゃ、助けちゃダメなんですか」
男の声を遮るように、俺はそう尋ねる。
押し黙った男は大剣を握り締めながら、
「オレのパーティメンバーはそうやって英雄に憧れて、無謀に突っ込んで死んでいったんだ!
だから、お前らも同じ目に遭ってほしくなくてこう言ってるんだよ!」
「……そうですか」
「っ……!」
ポロッとこぼすと、男はますます感情を露わにして、
「人の善意を踏みにじるってか! 死にてぇのか!」
「……死にたくないですよ」
「じゃあ、早くこの場から失せろって言ってんだよ!」
「でも、誰も死なせたくない。あんたも、あの人たちも」
「――」
この人の警告には、悪意も下心もない。
そのくらい、声を聞いていればわかる。
でも、俺にだって譲れないものはあるんだよ。
何度も何度も、人が死んでいくのを見た。
どれだけ目にしても慣れることはなくて、見るたびに二度と見たくないと思った。
そして俺は、一番見たくない光景を焼きつけられたまま死んだ。
「ルナ。半分ずつだ」
「わかったわ」
「っ――。お前らっ……!」
警告を無視して前に出た俺とルナに、男はなおも怒りをむき出しにする。
俺は一瞬足を止め、
「ヴァラーさん」
「テメェ、どこで俺の名前を」
「剣の柄の部分に彫ってあるので」
首だけ後ろへ振り返り、彼の握っている大剣の柄を指さす。
ヴァラーは一度目を丸くするが、すぐにまた眉間にシワを作った。
「俺は、英雄に憧れてなんかいません」
「……? どういう、意味だ?」
昔は、憧れていた。
英雄だとか、勇者だとか、とにかく自分には手の届くはずのない恰好のいい言葉に。
でも、もうとっくに憧れるのはやめたんだ。
「――俺を英雄だと認めてくれた子が、すぐそばにいるので」
そう言い切った途端、頬が勝手に綻んだ。
そしてすぐに前へ向き直り、目を閉じて、
「全員、前線から離れてください。
――俺たちが、片づけます」
立っている冒険者たちにそう指示を送り、ルナと顔を見合わせて同時に飛び出した。




