第1章 4 ありえないこと
十年前、俺が異世界に転移してからしばらくして。
世界で一番巨大だと言われていたダンジョンが、建造物ごと消えたという噂を耳にした。
俺の文字の勉強がてらそのダンジョンについての文献を読み漁っていた時期に、挿絵としてその外観が描かれている本を何冊も読んできた。
「やっぱり、そうだわ……。噂に聞いてたダンジョンよ」
そんなはずがない。
その噂は、あっちの世界でのものだぞ。
ただ似ているだけにしても、そもそも日本にこんなものがあるなんてありえない。
――いや、待て。
これがありえないなら、俺とルナがこの世界に来た理由をどう説明する?
まさか、このダンジョンは俺たちが日本に転移してきたことと何か関係が――
「ボケーっとしてないで、さっさと行くわよ」
「どっ、どこに?」
「あっちの方、やけに人が集まってるじゃない。
これについて何か聞けるかもしれないでしょ」
「あ、ああ……そうだな」
そうして、俺はルナに腕を引かれながら、隣接している建物へ向かう。
ホームグラウンドのはずが、どういうわけか異邦人の彼女に先導されているんだが。
とにもかくにも、情報を集めないことには何もわからないか。
「……これ、マジか」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
ダンジョンと同じくらい周りの建物から浮いて見えていたその建物の中は、モロ『冒険者ギルド』だった。
内部の構造こそ違えど、スーツを着た受付嬢に武装をした人々が往来している。
ここはもう、俺の知っている日本ではないのだろうか。
「ちょっとあんた――」
「待て、ルナ。お前はこれから一切口を開くんじゃないぞ」
「はぁ? 何でよ?」
「色々ややこしいことになりそうだから、今だけは従ってくれ」
隣を通った屈強な男に声をかけようとしたルナのフードを掴み、そう耳打ちする。
「……はいはい」と渋々承諾してくれたので、フードを深く被らせた上で先ほどの男に声をかけた。
「あの、すみません」
「ん? 何だ小僧。ここはガキの来る場所じゃねえ」
ああ、そうか。
今の俺は十五歳の体なんだった。
それにしても高圧的だな、コイツ。
ゴツくてちょっと怖いし、下手に出よう。
「その、引っ越してきたばかりでして、この辺りを散策していたんです。
そうしたら、外の大きな建造物とこの建物が目に入り、どういう場所なのかと」
「ここは冒険者ギルドで、外のはダンジョンだ。
お前の地元にはなかったのか?」
「え、ええ。田舎だったので」
ありましたよ、どっちも。
別の世界から引っ越してきただなんて口が裂けても言えない。
「お前も冒険者になりたいのか? そんなヒョロガリの体で」
「冒険者になるかはひとまず置いておいて、あのダンジョンの起源を知りたいというか」
「んなもん、オレじゃなくて受付嬢に訊けや」
「は、はあ。すみません」
眉をひそめた屈強な男に縮こまった俺は、ルナを連れてそそくさとその場を去った。
クソ!
最後まで舐められて終わっただけじゃねぇか!
ということで、次は受付カウンターへ向かった。
かなりの数の冒険者が中にいるが、かなり広いため混雑している様子はない。
「こんにちは」
「こんにちは、冒険者様。何かご用件でしたら、ギルドカードをご提示ください」
「あ、俺たちはまだ冒険者じゃなくて」
「では、ご登録ですか?」
「あ、いえそうでもなくて……あのダンジョンって、いつどうやってできたのかなぁ、と」
「ご登録していただけるなら、教えてあげても構いませんよ」
この人、登録させようとしてきてるな。
ってか、受付嬢がどうしてこんなに上から目線なんだ。
「どうする、ルナ」
「いいんじゃない? 暇つぶしに潜ったりできそうだし」
「生半可な気持ちで潜ったら痛い目見そうだけどな」
「どちらにせよ、登録しないと教えてくれないっぽいし、もう登録しちゃいましょ」
まあ、ルナがそう言うならそうするか。
俺はいつも、何かを決める時は一人で決めないようにしている。
仲間と相談し、話し合い、全員が納得する形で結論を決める。
それが、俺のパーティのやり方だった。
これはそのなごりだな。
「わかりました。登録します」
「かしこまりました。
いくつか必要な工程がございますが、それほど時間はかかりませんのでご容赦ください」
「はい」
必要な工程、ねぇ。
異世界での冒険者登録なんて、まっさらなギルドカードに名前を書くだけで済んだが、こっちはどうだか。
もっとも、あっちの冒険者の仕事は平原にいる魔物の討伐や護衛任務なんかが中心だったが。
その後、提示された用紙に名前や生年月日、住所を書かされた。
意外にも本人確認をされなかったのは助かったが、ルナも結局顔を見せなければならない羽目となった。
本物のエルフだなんて思わないだろうから、『趣味でコスプレをしている』ということで何とかその場を凌ぎきった。
住所や生年月日はともかく、名前は俺の分もルナの分もごまかすのに苦労した。
ルナは無論だが、俺もどうやって本当の身分を隠すか。
考えに考え抜いた結果、俺は『太陽』と書いて『ソル』、ルナの分は『月』と書いて『るな』という名前を書き記しておいた。
ちなみにだが、登録料として二百円ほどを徴収された。
一人約百円、ルナと合わせて約二百円。
まさかコンビニで残しておいた金がこんなところで役に立つとは。
「まあ、お二人とも相性ぴったりなお名前ですね」
お世辞だな、これは。
ルナはまだしも俺はキラキラネームすぎる。
異世界ということで、張り切って太陽神の名前を借りた昔の俺のセンスを疑う。
「それでは、次が最後です。
ギルドカードの作成にあたってステータス表が必要になるので、こちらの測定器へ腕を通していただきます」
「すてーたす、って何よ?」
「冒険者様のレベルとは別に、各種五つの能力を数値化したものです」
「そんなもの測って何の意味があるの?
あたしたち駆け出しなんだから、測るまでもなく初期値でしょ」
「もちろん仰る通りですが、初期値を刻んでおかないとこれから上昇するステータスが記録されないことになりますので」
「ふぅん」と鼻を鳴らしながらも、担当してくれる受付嬢に従うルナ。
俺もその隣で測定器に腕を突っ込み、結果が出るのを待つ。
……なんか、血圧測ってるみたいだなこれ。
「お疲れ様でした。
すべて完了しましたので、ギルドカードを発行いたします。もう少々お待ちください」
赤い縁のメガネをかけている受付嬢の人は、丁寧に頭を下げて奥へ下がっていった。
どうやら用意ができたら呼び出されるとのことなので、その辺りにあったソファに腰を下ろした。
「はぁ。何か、色々こっちの世界って面倒ね」
「平和だけど厄介ごとも多いからな。
あっちの世界みたいに力ずくで解決もできないし」
「太陽はそういう人じゃなかったじゃない。
無駄に穏便に済ませようとするから、かえって面倒になることもたくさんあったわ」
「すみません……」
ルナは脳筋。
アルは冷静だがキレると歯止めが効かないタイプだった。
そして、ヴェーナは……。
『――愛しています、太陽君』
「……っ」
「? どうかした?」
「いや、別に」
ヴェーナが死に際に放った、あの言葉。
アルの叫びと比べちゃいけないことは、俺もわかっている。
それでも、彼女の慈愛に満ちたような声が、ふとした時に脳裏をよぎる。
今頃、彼女たちはどうしているだろうか。
あのまま二人だけが死に、もう二度と会えないのだろうか。
「おい、小僧」
「は、はい?」
「さっき、ダンジョンの起源がどうとか言ってたな。手が空いたから、教えてやってもいい」
「ほっ、本当ですか? ありがとうございます」
ありがたい。
でも来るのがちょっと遅いよ。
「あのダンジョンは、十年前に突如としてあそこに現れた。
何の前触れもなく、空から落ちてきやがったんだ」
十年前。
俺が異世界に転移したのと同じくらいの時期だ。
偶然だろうか?
「そのせいでこの辺りにあった建物はもれなく全壊、多数の死者を出した。
だが、厳密には本当に死んだのかどうかはわからねぇ」
「どういう意味ですか?」
「公には死者とされてるが、誰一人遺体が発見されなかった。
噂では、このダンジョンの中でまだ生きてるんじゃないかとか、そもそもあれに潰されて骨も残っちゃいねぇかとか色々言われてるけど、真相は不確かだ」
今は冒険者制度が整備されているが、当時巻き込まれた人は戦う術など持たなかったはずだ。
そう考えると、前者の可能性は限りなくゼロに近いだろう。
「今も色んな人間と『天使様』が調査をおこなってるらしいから、オレたちにゃ進展を待つことしかできねぇな」
「? 天使?」
「――そっ、ソル様、ルナ様!」
何だかまた気になる単語が出たような気がするが、それを問おうとしたところで呼ばれてしまった。
「お、登録したのか。ガキのくせに胆力のあるヤツだな」
「ありがとうございます」
「また縁があったら会おう、ソル。それと、ルナ」
「ええ、また」
最初は感じが悪いヤツだと思っていたが、案外気前のいい兄ちゃんだったな。
俺たちは席を立ち上がり、別れを告げて受付カウンターへ向かった。
このダンジョンがどのくらい危険なのかはわからない。
だが、平和なダンジョンなんて少なくとも俺は知らない。
また会えるという確証は、どこにもないだろう。
「終わったの?」
「は、はい。ですが、そっ、その……」
何やら慌てた様子の受付嬢は、取り落としそうになりながらギルドカードをこちらへ見せてきた。
ルナは読めないだろうから、後で見方は教えておこう。
「ステータスは全部初期値なんですよね?」
「はい。まあ、年齢や身体能力によって多少の個人差はございますが……問題はそこではなく、ここです。お二人は、本当に駆け出しの冒険者なのですよね……?」
「まあ、そうですが」
そう言いながら、震える手でカードを指さした。
「――こんなの、普通はありえるはずがありません」




