第1章 3 平和な世界と異質な建物
料理は、できないこともない。
むしろ、仲間からはよく手料理を褒められたものだ。
だが、ウチには食材が何もなかった。
十年間も家を空けていたのでそもそもまだ俺の部屋であるかは不明だが、置いてあった冷蔵庫に入っていた食べ物は軒並み使い物にならなくなっていた。
というわけで、
「へえ、街の感じが全然違うわね」
俺たちは、食料の調達のために外へ出た。
まったく知らない街なのに怖がる様子もなく、興味深そうに辺りを見回している。
十年も経ったら景観も変わっているかと思ったが、案外あの時のままだな。
いやまあ、あまり覚えていないというのが正直なところだけれども。
「あっちは木造が多かったけど、この辺りはどれも鉄筋コンクリート造りだろうからな」
「『こんくりーと』とか、よくわからない言葉使わないで。ほんとにその癖変わってないわね」
ルナは呆れたように両手を広げ、深く息を吐く。
日本人のなごりで、異世界でも日本独自の言葉を使ってしまう癖。
いきなりあっちの文化に馴染めと言われても、無理があるんだよな。
まあ、それはこの世界に来たルナも然りだな。
「っていうか、ほんとにこのフード必要なの?」
「あんな血まみれで異世界チックなローブに、銀髪アンド長耳なんてのが歩いてたらコスプレだと思われるからな。俺が持ってたフードつきのコートで我慢してくれ」
「だから知らない言葉ばっかり使わないでってば!!」
日本なのにこの言葉が通じないのは、いささか不便だなぁ。
「ルナ。当然だけど、今の俺は無一文だ」
「別に、食べ物くらい調達できるでしょ。その辺の兎とか鹿とか、何なら動物型の魔物でもいいし」
「魔物はこの世界にはいないって言っただろ。
それに、野兎も野鹿もこの辺りにはいない」
「じゃあどうするのよ? 盗む?」
「何で『買う』って選択肢が出ないかね」
「お金ないなら盗むしかないじゃない」
そうだけど違う!
この国で盗みなんて働いてみろ。
光の速さで警察が来て、帰ってきて早々捕まってしまう。
「金がない。じゃあ、どうすればいいと思う?」
「稼ぐ」
「はっはっは。甘いの、生娘――」
「誰が生娘よ。あんたの何倍も生きてるのよ」
人差し指を振り子のように揺らすと、喋り終わる前に手刀打ちを見舞われた。
「ズバリ。金がないなら、探せばいい」
「探すぅ? その辺にお金が落ちてるっていうの?」
「そういう、ことだッ!」
俺は、道端に設置してある自動販売機を通りかかったところで足を止めた。
そして踵を返し、勢いよく地面を蹴って飛び込んだ。
「……何よそれ」
「これは自動販売機って言ってな。
金を入れれば、好きな味の飲み物を買える機械なんだ」
「じゃなくて、あんたは何してるのって意味なんだけど」
「自動販売機の下には、少ない小遣いでやりくりしている小学生が誤って手を滑らせて落としてしまった小銭がある!
十円玉があればラッキー、百円玉があればスーパーラッキー、五百円ならウルトラスーパーラッキー!」
「……」
暗い自動販売機の下に手を突っ込みながらルナにそう説明したが、ルナは冷めきった目で俺を見下ろしている。
この世界での生き方というものを知らないらしい。
――おっ、この手触りは……!
「あったぞ! 五百円玉だァァァ!」
俺は、声を上げながら高らかに拳を掲げた。
それを、ルナは未だに興味のなさそうな目で見ている。
そこまではよかったのだが。
「ママ、あの兄ちゃん何やってるの?」
「シッ! 見ちゃダメよ」
通りすがりの親子にまで、白けた目を向けられてしまった。
それから少し歩き、俺たちはついにコンビニに辿り着いた。
「懐かしっ……!」
「何ここ」
「日用品とか食べ物とか、色んなものが買える店だ」
「ああ、万事屋ね」
的確な例えだな。
確かに、基本的に何でも揃っているコンビニは日本の万事屋であると言えるだろう。
「なーんにも文字が読めないわ。つまんない」
「また勉強しような」
「勉強は嫌」
「いいじゃん、俺に文字教えてくれたのはルナだろ?」
「あの時のあたしはどうかしてただけ。勉強なんてまっぴらごめんだわ」
昔、つんけんしつつも優しく読み書きを教えてくれたのをよく覚えている。
恩返しも込みで教えてあげたいが、日本語ってあまりにも難しすぎるからなぁ。
子供用の絵本とかウチにあったっけ。
「おにぎりたっっっか!? 今二百円もすんの!?」
見間違いかと思って目をこすったが、視界が霞んだだけで値段は変わらなかった。
もしかして、今とんでもない物価高に陥っているのか、この国。
ただでさえ金がないっていうのに、勘弁してくれよ……
「おにぎりって? 雪の塊みたいね」
「米ってのがこの国の主食なんだけど、それを三角に握ったものだな」
「食べたいわ。買って」
『食』という文字が会話に組み込まれたら、ルナは決まって目を輝かせる。
俺は十年間それを特殊能力だと信じてやまない。
所持金は五百円。おにぎりは一個二百円。
ちょうど二人分買えるが……。
「ま、この国の食文化に触れてもらうために、買ってやるか」
「さっすが太陽! なんだかんだ優しいわよね……って、太陽のは買わないの?」
「とりあえずルナの分だけな。万が一に備えて金はとっておく」
備えるには少なすぎるが、まあないよりはいいだろう。
***
ルナは店員から温めてもらったおにぎりを受け取るなり、我が子を守るように抱きながらそそくさとコンビニを出た。
俺は思わず笑みをこぼしつつ、盗賊のような動きをしている彼女の後に続いた。
「ねえっ……! これどうやって……開けるのっ……!」
「ちょいちょいちょい! 脳筋バカめ!」
「殺すわよ!」
力ずくで開けようとしているルナを慌てて止めてさりげなくディスると、ルナは獣のように目をひん剝いた。
そして宥めながら開け方を教えると、「何よ、簡単じゃない」と涼しげな顔で袋を開封した。
「このまま食べるの?」
「ああ」
袋越しではなくおにぎりそのものを手に持って首を傾げたルナに頷き返すと、ルナは早速おにぎりの角にかぶりついた。
「どうだ?」
「――」
尋ねるが、返事はない。
黙々と口を動かしているルナだったが、やがてその動きが止まった。
もしかして、異邦人の口に日本食は合わなかったか――
「うんんんんんま!! ナニコレ!?」
「おお、良かった」
「食べたことない味だわ!
ちょっとネチョネチョしてるけど、噛めば噛むほど甘味が出てくる!」
宝石箱や、とか言い出しそうな雰囲気だが、ルナは激しくがっつき始めた。
ああ、俺の二百円が一瞬にしてルナの腹の中へと消えていく。
「まだ朝だし、ちょっと散歩してみるか」
「そうね! またお金落ちてるかもだし、もっと食べ物が欲しいわ!」
「次はルナがあれやってみるか」
「それだけは絶対に嫌」
上機嫌だからいけるかと思ったが、ルナの満足げな顔から一瞬にして表情が消えた。怖い。
それにしても、異世界に目が慣れてしまっていたから何もかもが新鮮だな。
登校している小学生や、ベルを鳴らしながら自転車を漕いでいる主婦。
電柱や電線はもちろんのこと、信号や交差点なんかは異世界では見られなかった。
月日が流れていくにつれて日本のことを忘れていったが、それもこの真新しさのためだったと思うと不思議な気持ちになるな。
「ねえ、この世界って平和すぎない?」
「まあ、あっちと比べればな」
おにぎりを頬張りながらそう言ったそばから、スズメのさえずりが聞こえる。
あっちの世界では、街はともかく、その外を歩く時は常に何かから襲われる覚悟をする必要があったからな。
魔物をはじめ、金品を目的とする盗賊。さらにはルナのような可愛い少女をさらって売り飛ばそうとする輩もいた。
殺してやろうかと何度も思ったが、器の大きい俺は一切人を殺めることなく生きてきたことを褒めてほしいものだ。
「そういえば、あたしたちが魔王を倒そうとしたのって、平和な世界にしたいっていう単純な理由だったわね」
「単純だが、立派な理由だと思うけどな」
結果として、魔王は倒せた。
だが、俺たちはその直後に全滅した。
今ごろ、あっちはあの化け物に支配されてしまっているのだろうか。
そう思うと、やりきれない気持ちになってしまう。
「ねえ、太陽」
「ん?」
「……あれって」
目を伏せているところに、ルナがそう訊いてきた。
彼女へ目をやると、どこかを指さしてそちらを見つめていた。
「――」
そこにあったのは、見上げるほど高い建物だった。
しかしそれは東京タワーや東京スカイツリーとは比べ物にならないくらい高い、極めて異質さを放っている建造物。
明らかに、周りのビル群からは浮いて見える。
そして、俺は――いや、俺たちはあれを見たことがある。
「――どういう、ことだ」
空を突き抜けるようなあの建物は、とあるものと酷似していたのだ。




