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第1章 2 ――よかった

 これは間違いなく、日本語だ。

 あの世界には、日本語などというものは存在しない。

 言語は最初から通じていたが、文字は違ったので一から勉強し直した。


 この時点でほとんどここがどこであるのかは確定したようなものだが、もう一つエビデンスが欲しい。

 そう思い、俺はベッドから慎重に立ち上がって部屋を見回してみた。


 棚に飾ってある、幼少期の俺と両親の写真。

 十五の時に独り立ちをして、新生活が始まってしばらくしてからあの世界に降り立ったんだったな。

 近くで見ようと足を踏み出してみると、床には絨毯のような埃が積もっていた。


 あまり踏みたくないのでつま先立ちをしながらそれを手に取ると、目の隅にはフライパンや鍋などの調理器具が映った。

 その他にも、これまた埃を被った炊飯器や洗濯機など、懐かしいものを次々に視界に捉えた。


 間違いない。

 いや、そう言い切ってしまうのもおかしな話だが、


「……帰ってきた、のか?」

「――んん?」


 顎に指を当ててそう独りごちた俺の声をかき消したのは、ルナの声だった。

 俺はそれを聞くなり寝ているルナに駆け寄り、その寝顔を見つめる。


「ルナ?」

「たい、よう……?」


 唸り声を漏らしながら薄く目を開いたルナは、瞳を左右に動かした。

 そうして、涙で腫れた俺の目を見て、


「――っ! 太陽!」


 布団を握ったまま、俺の方を見て飛び起きた。

 息が荒く、瞳も激しく揺れている彼女が着ていたのは、死んだ瞬間まで身に着けていた白や青を基調とした、銀髪がよく映える外套。

 その大部分が破けて皮膚の随所が露わになっており、袖口や胸元には血が染みこんでいた。


 ……やっぱり、一度死んだのは間違いないのだろう。


「何、ここ……って、何よその姿?」

「え?」

「何か……幼くない? 出会ったばかりの頃みたいな」


 そう言われ、スマホを持ち上げてカメラを開く。

 不思議そうな顔で俺の様子を見つめているルナをよそに、俺は内カメラで自分の顔を確認する。


「なっ……何だ、これ」


 カメラに写っていた俺の顔は、妙に若返っていた。

 俺がルナと出会ったのは、十五歳で異世界に転移した直後。

 つまり――今の俺は十五歳の姿であるということか?


「この服……そっか、あたしたち、魔王城で戦ってたのよね。

 魔王を倒して、それで……」


 今の今まで俺を見ていたルナだったが、すぐに自分の手へ目を移した。

 そうだ、今は俺自身のことを気にしている場合じゃない。

 まずは、ルナと状況を整理するところからだ。


「……俺たち、死んだんだ」

「……へっ?」


 間の抜けた声で、ルナは眉を微かに動かした。


 そりゃ、そうだ。

 自分が今さっき死んだなんて、言っても信じられるはずがない。

 現に、俺だって自分とルナが生きていることが不思議でならないから。


「死んだ、って……どういうこと?」


 ルナは、自分が死んだことに気づく間もなく殺された。

 だから、死を自覚していないのは当然のことだ。


「魔王を倒した後に出現したあれに、ルナは首……いや、殺されたんだよ」

「殺、された……?」


 光の矢が首を貫いて、そのまま刎ね飛ばした。

 その事実を口にしようとして、止めた。

 ルナに想像させたくもないし、俺も二度とあの光景を思い起こしたくない。


「あたしが死んで……あんたたちは、どうなったの?」

「アルは、お前が死んだことを受け入れられなくて呆然としてた俺を庇って死んだ。

 ヴェーナは、残った少ない魔力で結界魔術を張って、俺を最後まで守ろうとして死んだ。

 ……で、俺も死んだ」

「――」


 自分が死んだという事実を前にした時よりも暗い顔で、ルナはゆっくりと視線を落とす。

 昔から、自分よりも仲間思いなところがあるからな。


「それが本当だとして、ここはどこなのよ。今すぐにでも魔王城に戻って、あいつを倒さないと」

「それは、無理だと思う。色んな意味で」

「色んな、って?」

「あの化け物は強すぎた。俺たちじゃ、敵わない。

 ……それにきっと、あっちの世界には帰れない」

「あっちの世界? 帰れない? わけがわからないわ」


 眉をひそめ、何度も首を左右に振るルナ。


「ここは、地球って星の、日本っていう国だ。

 俺たちは確かに死んだけど、どういうわけかここに転移してきたらしい」

「転移なんて……転移魔法なんてものは存在しないはずよ?」

「あー、えっと……」


 一から説明するとなると、長くなりそうなんだが……。

 まあ、もういっそのことすべて話してしまおう。


「ルナ。俺は、本当はあの世界の人間じゃない」

「……えっ? どういうこと?」

「信じてもらえないとは思うけど、ここは俺が元々住んでた家なんだ。

 それで、ある日突然あっちの世界に転移して、ルナと出会った」


 転移した瞬間のことは、よく覚えていない。

 突如として視界が白飛びしたかと思えば、荒廃した大地のど真ん中に佇んでいたことは覚えているが。


「こんな時にまで、そんな冗談言うつもりなの?」

「俺がそんな人間だった時が、一度だってあったか?」

「あんた結構嘘ついてたけどね」

「そっ、そうだっけ……」


 じっとりとした目を向けられ、俺は思わず目を逸らす。

 おかしいな、あんまりついたことはなかったと思ったのだが。

 自覚がないあたり、ルナの言う通りなのだろう。


「十年間、隠してたってこと?」

「……ああ。悪かった」

「どうして、出会ったその時に言ってくれなかったのよ」

「信じてもらえるとは思えなかったし、突き放されるのが怖かったんだよ」

「……」


 出会って早々、『異邦人です』だなんて言えるわけがない。

 言えたとしても、せっかく拾ってくれた相手を困らせてしまうと思ったんだ。


「わかったわ。ひとまず、信じてあげる。

 仮にも十年連れ添った仲だしね」

「……ありがとう、ルナ。――っ」


 俺は、ルナが自分を信じてくれたことに安堵しつつ、頬を綻ばせた。

 その途端、ルナがいきなり俺に飛びついてきて、強く抱きしめてきた。


「――よかった、生きてて」


 俺の胸に顔をうずめた彼女から、くぐもったそんな声が聞こえた。

 俺も背中に手を回し、軽く抱いてから背中を何度か叩いた。



 ***



「とりあえず、ここがあたしの知る世界じゃないってのは間違いなさそうね。

 あんたの持ってるそれも、百年以上生きてきて一度だって見たことないし」

「電子機器はあっちにはなかったもんな」

「でんし……? まあいいわ。それで、これからどうするの?」

「これから、ね……」

「――アルとヴェーナは本当に死んだのかも、まだわからないわよね」


 確かに、その通りだ。

 俺はともかく、ルナがこの国に転移してきたのだとしたら。

 あの二人だって、この世界に来ている可能性があってもおかしくはない。


 アルの最期の叫び、そしてヴェーナの『愛しています』という言葉。

 どちらも、脳裏にこびりついて離れてくれない。

 否、離してはいけないような気がする。


「死んだはずのあたしたちが別の世界で生きてるなら、アルもヴェーナも絶対生きてるわよ」

「二人を捜す、ってことか」

「当たり前じゃない」


 絶対、とは言い切れない。

 だが、生きていると信じる価値はある。


 とはいえ、どうやって捜せばいいのだろうか。

 日本は広くはないが、人捜しをするには十分広い。

 移動するにも莫大な金がかかることも考えると、かなり長い道のりになる。

 そもそも一人暮らしをしているんだから、家賃に光熱費、水道代に食費……

 ああ、異世界では考えなくてもよかったワードが次々に連鎖していく。


 待てよ。

 埃がこれだけ積もっているなら、あれからかなりの時間が経っているはずだ。

 もしかすると、既に俺の部屋ではなくなっているかもしれない。


 いや、その線は薄いか。

 俺の私物が部屋の至るところにあるんだし、まだここは俺の部屋だ。

 それにしても、俺がいなかった十年もの間放置されていたってことか?


「ちょっと、太陽。聞いてるの?」

「ん? あ、ああ、ごめん。何か言ってたか?」


 ルナはベッドに腰かけたまま俺を見上げ、眉間にシワを寄せていた。


「すぐに捜しに行こうって言ってるの。やけに体が軽いし、魔力も回復してるだろうから、いつでも戦えるわ」

「すぐには難しいな」

「どうして? 一刻も早く見つけてあげないとでしょ?」

「第一、この世界で魔法なんて使うんじゃない。

 魔物はいないし、犯罪者は……まあ多いけど、簡単に人を殺したらすぐに掴まって牢屋行きだからな」


 殺伐としたあっちの世界とは、文化も価値観もまったく違う。

 ちゃんと言っておかなければ、ルナは連続殺人犯として全国指名手配されるだろう。


「移動するにもかなりの金がかかるし、自分の足で探すなんてのは無謀だ」

「じゃあどうするのよ。また冒険者でもやって金を稼ぐの――」


 ルナが早口でまくし立てながら体を寄せてきたその時。

 グゥ~っと、ルナの腹が鳴った。


「……腹減ったか」

「ひ、ひとまず腹ごしらえしてから考えましょう!」


 ルナは頬から耳の先まで赤く染め、プイッとそっぽを向く。

 食いしん坊なところも変わっていなくて、少しばかり安心した自分がいた。

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