第1章 1 敗走、死、帰還
喉が枯れるほど声を張り上げ、強く握り締めた剣を振り抜く。
青白い斬撃が空気を切り裂きながら飛翔し、敵の顎先へ直撃する。
だが、それはその顎の前で霧散してしまった。
「何で、通らないのよ……」
隣に立つ、銀髪のエルフの少女・ルナは、巨大な『それ』を目の前にして蒼色の双眸を震わせている。
「魔王は、倒したのに……」
そう小さくこぼしたアルもまた、嫌に涼しい風に金髪をなびかせながら、夜空からこちらを見下ろしている『それ』を睨み据えながら唇を震わせている。
「戦いましょう、皆さん。まだ、負けじゃありません」
たった一人、毅然とした表情で俺たちに言い放ったヴェーナ。
空一面に広がった無数の眩い光に一切目もくれず、俺たちをいつもの柔らかな笑顔で見つめている。
彼女は長い杖を地面に突き刺し、「エクストラヒール」と唱えた。
でも、体から痛みが消えていく感覚はほとんどない。
先の死闘で、俺はほとんどの力を使い果たした。
それは全員同じで、特に俺たちをずっと治癒し続けてくれていたヴェーナの魔力はもう限界に近い。
それでも、彼女は俺たちを立ち上がらせようと己の命を削ってくれている。
――ここで膝をつくことは、『勇者』には許されない。
「ソル」
「……何だ」
「――あれは、倒せない」
「――」
そう告げられた俺は、それを否定しようと声を振り絞る。
しかし、出てきたのは掠れきった声だけだった。
夜空一帯を覆い尽くしている、あの造物。
名前も知らないあれは、魔王を倒した途端にヤツの影から立ち昇ってそのまま夜空と同化した。
「諦めちゃダメよ、アル。ヴェーナの言う通り、まだ負けじゃないわ」
「ソルの攻撃が通らないんじゃ、僕たちの攻撃なんて通るはずがない。逃げた方がいい」
「逃げるって言っても、どこにだよ」
「……」
今度は、俺の言葉にアルが押し黙る。
きっと、否定のしようがないのだろう。
アイツは、もはや夜空そのものだ。
だが、ブラックホールのような三つの大きな眼が俺たちを絶えず睨んでいる。
どこへ逃げようとも、もはや無駄だろう。
出現してから最初の数十秒は、まだ勝てると思えた。
『光の太刀』も、ルナの魔術も、どちらもちゃんと通ったのだ。
でも、もうその攻撃すら通用しなくなった。
頭を回せ。
どこかに、勝ち筋はあるはずだ。
これまでに、何度も窮地に追い込まれてきた。
その度に、誰かが突破口を開いて勝ってきたんだぞ。
こんなところで、負けるわけにはいかない。
「私は、最後までソル君に従います。
命を救っていただいたご恩は、貴方に尽くすことで一生をかけて返すと決めましたので」
服は破け、傷でボロボロの体を揺らしながら俺に歩み寄ってくるヴェーナ。
彼女は過去に、俺に命を救われたことのある聖女だった。
そんなに大層なことはしていないのに、俺を恩人として敬ってくれる、天使のような存在だ。
「……ヴェーナがそう言うなら、僕もそうするよ。
戦士なら戦士らしく、最後まで戦い抜くのが筋だ」
砕けた鉄鎧に、潰れた左目。
誰の目に見ても、アルが限界の状態であることは明らかである。
そんな彼は、残った金色の右目で俺を真っ直ぐに見て、口の端を持ち上げて笑っている。
「ソル……いえ、太陽」
「っ。いきなり本名で呼ばれるとビックリするな」
「……十年も経ったのね」
ルナは懐かしむように、俺から少し目線を逸らしながらそう呟いた。
「長かったか?」
「あっという間だったわ。十年なんて、エルフのあたしからすれば瞬きしてたら経っちゃうもの」
「……そうか」
そう返すと、ルナは小さく笑い、
「あたしはずっとあなたに着いてきた。――だから、最後まで着いていく」
この世界に降り立った俺が初めて出会ったのが、ルナだった。
ヴェーナのように忠実でもなければ、アルのように冷静であるわけでもない。
でも、このパーティの中で一番勇敢で、そして一番付き合いが長いのがこの子だ。
「お前ら、もしかして負けるとか思ってないだろうな」
俺を囲む三人を一人ずつ見つめながら、俺は確認するようにそう尋ねる。
その時、夜空から光り輝く矢が凄まじいスピードで飛んできた。
が、俺が気づくよりもよっぽど早く、ヴェーナが結界魔術を張ってそれを防いでくれた。
「もちろん、負けるつもりなどまったくありませんよ、勇者様」
「勝とうが負けようが、戦うしかないなら戦う。それが勇者だ」
痛いだろうに、苦しいだろうに、凛々しい顔で笑う二人。
自分から聞いておいておかしな話だが、思わず目頭が熱くなる。
「アイツを倒すのが、あたしたちの最後の仕事」
光の矢の雨が終わり、結界魔術を解いたヴェーナ。
その隣からゆっくりと立ち上がり、彼女の前に出たルナが、堂々と口にする。
そして、
「行くわよ、皆――」
ルナが俺たちに力強い笑みを見せた、その瞬間。
「ル――」
俺は、その名を叫ぼうとした。
叫ぼうとして、声が詰まった。
俺の顔に、生温かい雨が降り注いだ。
それとほぼ同時に、ドサッと音が立った。
「嘘、だろ……」
アルのそんな声さえ、俺の耳には届かなかった。
矢の雨は、終わっていなかった。
結界魔術を解除させるために、敢えて一時的に攻撃をやめただけにすぎなかったのだ。
――ルナは、首を刎ねられて死んだ。
「ああ……あぁぁぁぁ!」
亡骸を抱いて慟哭した俺の視界の端には、目を見開いたまま動かないルナの首が転がっていた。
それを見ないようにと亡骸を見るが、首のないそれを見ることでかえって現実を突きつけられる。
夢だ。
これはきっと、悪い夢だ。
本当は魔王戦なんて始まっていなくて、気持ちが逸ったことによる悪夢を見ているだけだ。
そう言い聞かせないと、壊れてしまう。
「――ル! ソル!」
「――」
見つめていた亡骸が、光に照らされる。
アルの必死の叫びを聞き流す俺の脳裏では、これまでのルナとの思い出が次々と浮かんでは消えていくのを繰り返している。
わかってはいるのだ。
こんなことをしている場合ではないことくらい。
でも、それでも――――
「っ……」
刹那。
亡骸を照らしていた光が、どんどん大きく眩しくなった。
「馬鹿野郎――ッッ!」
ようやく、アルの声が鮮明に聞こえた。
だが、もう既に遅かった。
「アルさんっ!」
再び、俺の頭を血の雨が襲った。
ルナの血を上塗りするように、べっとりと頭から顔に垂れてくる。
俺のせいだ。
アルはきっと、俺を庇ったんだ。
最後まで戦うと言ったばかりなのに、戦わずして死んだ。
そして俺は、その死に様すら、見てやることをしなかった。
……何が、勇者だよ。
「ソル君」
「ぅ、ぇ……?」
みたび、空が光った。
ここに到達するまで、瞬きをしている余裕すらなかった。
しかし、ヴェーナはそれを結界魔術で防いでみせた。
「もうすぐ、私の魔力も底をつきます。ですからこの結界は、もうじき破られるでしょう」
「……ぇ?」
一発だけではなく、無数の光の矢が打ちつけてくる。
彼女の言う通り、結界は既にひび割れ始めている。
「貴方に救われてから、色々なことがありました」
「ま、待て」
「魔王を倒せるだなんて、夢にも思いませんでした」
「待て、待てって。まだ、終わりじゃ……」
「――いいえ。もう、終わりです」
その声は、決して冷たくはなかった。
寧ろ温かく、俺を優しく包み込んでくれるような声音だった。
「さっきまで、終わりじゃないって言ってただろ。俺はまだ戦える!」
「私には、もう勇者様を治してあげられるほどの魔力が残されていません。なので、せめて最期は、貴方を守る盾となって死にたい」
「死にたいだなんて言うな! 諦めるなんて、俺が許さない!」
喉が痛むほど、声を荒らげる。
届いていないはずがないが、ヴェーナはどこか悟ったように目尻を下げ、
「――愛しています、太陽君」
一粒、涙を落とした瞬間。
結界が音を立てて割れ、彼女の背中を無数の矢が容赦なく貫いた。
ルナの亡骸を抱えたまま膝をついている俺に、息絶えたヴェーナの体が目の前で倒れた。
最後に俺に向けて手を伸ばしたが、その手が俺に届くことはなかった。
「――」
受け入れられない。
こんな一瞬で、長年連れ添った仲間を失うなんて。
俺たちは、確かに魔王を倒したんだ。
なのに、後から出てきた得体の知れない怪物に……
空にいる『それ』は、三つの眼で俺を見下ろしたまま動きを見せない。
三人を貫いた矢の攻撃を止めて、俺とただ視線を交差させている。
「……殺せよ、化け物」
「――」
「俺だけ生かすなんて、意地の悪いことをするんじゃない。いいから、早く殺せ」
負けた。
俺たちは、アイツに負けたんだ。
最初の数十秒以外は、手も足も出ずに。
「――――――」
何だ、この声は。
もしかして、あの化け物から聞こえているのか?
もう、どうでもいい。
だから、早く俺を殺してくれ。
下手に生き長らえるより、ここで殺してもらって楽になった方が幾分マシだ。
「――――まの――――は、――――ゃない」
そう願った直後。
最後にそんな声が聞こえ、夜空が眩く光った。
そして、
「――ぁ」
ほんの一瞬の痛みも感じることなく、意識が途絶えた。
***
「……」
小さく唸りながら目を覚ました俺の鼓膜を、何故か不快感を覚える振動音が揺らす。
薄目でその音の出所を探そうと、布団の中をまさぐる。
と、
「んっ……」
俺の手に何かが触れたかと思えば、隣から声が聞こえた。
ぼやける視界を晴らそうと、指で目をこすってから声の正体を目に映した。
「――!」
それを見て、俺は深く息を呑んだ。
と同時に、どうしようもない感情が胸の内から湧き上がってきた。
銀色の髪に、横に長く先の尖った耳。
寝返りを打った彼女の雪のように白いまつ毛が、ピクピクと揺れている。
「ルナ……っ?」
それは、先ほど首を刎ねられて死んだはずのエルフの少女・ルナだった。
首から上はしっかり繋がっていて、めくれた布団からうっすらと見える体に傷は一つもない。
「……っ! ルナぁっ……っ!」
どこか懐かしさを感じる狭い部屋に、聞き覚えのあるバイブ音と俺の嗚咽音だけが響いていた。
しばらく泣いた後、ベッドの中で未だ鳴り続けているバイブ音の正体を探した。
ほどなくして、それが俺が頭を預けていた枕の下にあることに気がついた。
一度ルナに触れて肩を軽く揺すってみたが、反応はない。
呼吸はあるため死んでいるわけではないだろうが、ひとまず生きていることはわかった。
なので、俺は枕をめくってバイブ音の出所を探った。
「……えっ」
そこにあったのは、スマホだった。
充電器が刺さっているそれは、ようやく枕の重みから解放されたことを喜んでいるかのようにバイブ音を撒き散らしている。
何だか腹が立ってきたので、画面をタップしてそれを止めた後、その画面を凝視する。
『4月21日(火)
07:00』
画面には、そう書かれていた。
読んでいただき、ありがとうございました。
初めて本腰を入れて現代ファンタジーを書いてみました。面白いと思っていただけたら、評価やブックマーク、感想等もよろしくお願いします!!




