第1章 11 鈍感な天使様
アザゼルの家を後にしたあと、俺の家へ帰ってきた。
ルナはもちろんだが今夜はレミエルも招き、三人で寝ることになった。
「何だいこの部屋は! アザゼルのところと大違いじゃないか!」
「狭いわよね」
「一人暮らしなんてこんなものなんですぅ~」
文句ばかり垂れる二人にこの世の厳しさを教えてやるには、ちょうどいい部屋かもしれないな。
「これ、もしかして小さい頃のソルかい?」
「えっ! 見たいわ! 可愛い~!
どうしてこうなっちゃったのかしら」
「うっせぇ。出てけ」
……これからしばらくは、この二人と生活することになるんだろうなぁ。
***
「よし。早速だが、アークに入るための儀式をしよう」
「儀式って何よ。ギルドに届け出を出せばいいんじゃないの?」
「形式的にはそうだけど、それだけじゃ契約を結んだことにはならないんだ」
埃まみれの床に座らせるわけにもいかないし、三人でシングルベッドに座るのはさすがに狭いため、俺だけ床に座ってそんな会話を聞いている。
届け出を出す以外にも、何か必要な過程があるのか。
儀式とかいう仰々しい響きだし、何だか面倒臭そうな匂いがしそうだぞ。
「……いてっ」
ブチッという音とともに、レミエルは自分の髪の毛をつまんで引き抜いた。
「それじゃあ、まずは二人ともこれを食べてくれ」
「……はい?」
そして、抜いた二本の髪の毛を俺たちに差し出した。
「かっ、髪の毛を食べろって!? 何考えてるのよ?」
「そっ、そうですよ! ちょっとさすがに髪の毛は……」
「キミたちのステータスの上限解放や恩恵を授けるにあたって、ボクのDNAを取り込んでもらわなければならないんだ。
アークに入ってる冒険者たちは、みんな通ってきた道だ」
「嫌ったら嫌! それならソルと結婚する方がまだいいわ!」
髪の毛食うのに比べればマシってか。
何か複雑だな。
「それなら別の方法もあるけど、この方法が一番マシだと思うよ」
「ちなみに、他の方法っていうのはなんですか?」
「ボクの血を飲むだとか、爪の垢を煎じて飲むだとか」
「……ルナ、水と一緒に流し込めば大丈夫だと思うぞ」
「うぅ……」
「一度取り込んでしまえば二度とこんなことはしなくてもいいから、今回だけ我慢してくれ」
そうは言っても、人の髪の毛を食べるなんてのはなぁ。
自分の髪の毛が口に入ってるだけでも不快感がすごいのに、まして喉を通すなんて。
覚悟を決めて水とともに流し込んだ後、レミエルは「ありがとう」と柔らかく微笑んだ。
そんな顔をされると憎めないからやめてほしい。
それはそうと、特に体に変化が起こった様子はないようだが。
後から何かが起こるのだろうか?
「じゃあ手始めにソルくん、服を脱いでベッドの上にうつ伏せになってくれ」
「へっ!? 何する気なのよ! ソルはまだ……」
「安心してくれ、ルナくん。キミの男に手を出すつもりはない」
「はっ、は!? あたしのとかじゃないし! 勘違いしないで!」
「ルナ、声が大きい! 壁薄いから声が筒抜けになる!」
まずいな。
これからこの二人が同じ部屋にいたら、下の部屋からも横の部屋からもクレームが入りかねない。
今後は口にガムテープを貼ったまま生活してもらおうか。
なんて冗談は内心に留めつつ、俺はレミエルに言われた通り上の服を脱いでベッドに横になる。
「ガリガリだね」
「やめてください」
俺の本当の姿を見せてやりたいものだ。
巨漢とかいうほどではないが、それなりに体は大きい方だった。
「見てみな、ルナくん」
「? 何よ……えっ!? 何よこれ!」
え? え?
何?
怖いって!
「今ソルくんの背中には、ボクの天使の紋章が刻まれている。
ボクがこうしてキミの背中に触れると、キミのレベルやステータス、スキルなんかが浮かんで……って、本当に多いんだね、スキル」
「ステータスは初期値ですけどね……」
「いいや、そうでもないよ。
恐らく、格上のモンスターを倒して経験値を多くもらったから、初期値から少し伸びてる」
なるほど、そういう仕組みがあったのか。
それなら、アザゼルアークの眷属たちを捜すほかにも中層に潜る理由が生まれるな。
「ソルくん、一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「何ですか?」
「どうして、こんなにスキルが多いんだ?」
「――」
そう問われ、俺は反射的に体を震わせてしまった。
「普通なら、駆け出しの冒険者がこんなにスキルを持っているなんて考えられない。
もちろん、ルナくんのそのありえないステータスもだ」
「それは……」
「キミたちは、何者なんだい?」
背中越しにそう訊かれたが、俺は口を開くことができなかった。
しかも馬乗りになられているため、逃げようにも逃げられない。
まさか最初から、この状況を作り出すために……?
俺とルナが別の世界から来たとバレたところで、特段何かが変わることはないと思う。
しかし、その事実だけは俺とルナの間だけで留めておきたい。
「安心してくれ。どんな答えが返ってきても、キミたちは大事な眷属として扱う」
「……」
「じゃあ、質問を変えよう」
レミエルはそう前置き、短く言葉を切る。
「あのダンジョンには、特に名前はつけられていない。
突如として空から落ちてきて社会を一変させた『ダンジョン』としか、冒険者たちからは呼ばれていない」
「……そう、なんですか」
「でも、実はあのダンジョンにはちゃんとした名前がある。
それはボクたち天使しか知らない本当の名前で、キミたち冒険者は知る由もない」
「へえ……気に、なりますね」
「そうだろう」
そう答えながら、横目でルナを見る。
彼女の額にも汗が浮かんでおり、瞬き一つせず彫刻のように硬直していた。
「オリンポスの塔。この名前に、聞き覚えはあるかい?」
「「……っ!」」
嘘、だろう。
こんなの、ありえるはずが……
「一応、訊いてみただけにすぎない。
でも――――ボクたちは、同じ世界から来た可能性があるかもしれないと思ってね」
自分の鼓動の音が、耳の奥でどんどん速くなっていく。
俺は辛うじて声を絞り出し、
「聞いたこと、ありませんね。
そんなにかっこいい名前があるなんて……」
彼女の質問に、そう答えた。
ルナが固唾を呑む様子が、目の端に映り込む。
声は震えているし、馬乗りになられている以上大きくなりすぎた心臓の拍動はレミエルに伝わっていてもおかしくはない。
さすがに、もうごまかせないか――
「そうかい。まあ、そんなはずがないか!」
「えっ、え?」
「だって、キミたちは人間で、ボクは天使だ。
同じ世界の存在だなんて、そんなわけがなかったよ。
すまないね、変なことを訊いて」
えっ、えー!
ここまで問い詰めておいて、引き下がるのかよ!
こちらとしてはありがたいが、どこまで鈍感なんだ、この天使は……?
「引き続きステータスの更新をするから、そのまま寝ておいてくれ」
そうして、何事もなかったかのように『儀式』とやらが再開された。




