第4話:深夜の動悸は恋のサイン? カタブツ総務部長の危険な勘違い
「はぁ……また今月も予算書の辻褄が合わない……もういっそ、この書類の山に埋もれて死んでしまいたいわ……」
辺境の町「社畜」の冒険者ギルド。その最奥にある総務部長室で、私は頭を抱えていた。
私の名前は【ソウム】。この町で全てのデスクワークと納期管理を統括する、自他共に認める鉄の女――二十代後半の、悲しき仕事人間である。
この町は呪われている。終わらない書類仕事、上がらない生産性、環境、そして部下たちの「もう限界です」というゾンビのようなうめき声。私の心も、とっくの昔にすり減って、灰のようになっていた。
あの日、あの男がこの町にやってくるまでは。
「おいおい、そんな死にそうな顔で書類を見てるんじゃないよ」
突然、部屋の扉が開いた。そこに立っていたのは、数日前に王都から流れてきたという『ン』の付く元冒険者――カフェインだった。
彼の噂は聞いていた。中央ギルドから無能として追放されたゴミだと。
「邪魔をしないで。私は今、徹夜三日目で脳が限界なの。用がないなら出て行って――」
「まあ、これでも飲んで落ち着きな」
カフェインは私の言葉を遮り、漆黒の液体がなみなみと注がれたマグカップを私の机に置いた。微かに香る、香ばしくもどこか危険な香り。
「何よこれ、不気味な飲み物……」
「いいからグッと行きな。お前のその滞ったタスク、俺が全部『ブースト』してやるからさ」
男に不敵な笑みを向けられ、私は苛立ち紛れにその液体を口に含み、一気に飲み干した。
苦い。だけど、喉を通り抜けた瞬間――。
ドクンッ!!
私の脳内で、何かが爆発した。
どんよりと淀んでいた思考の霧が、一瞬で消し飛ぶ。限界を迎えていたはずの視界が、まるで世界に光が戻ったかのように鮮明に開かれた。
「な、何これ……!? 脳が……脳が冴え渡る……!?」
「スキル――【脳内覚醒】。さあ、残業(お仕事)の時間だ」
カフェインがパチンと指を鳴らす。
その瞬間、私の手は勝手にペンを握り、超高速で計算式を書き殴り始めていた。
一時間。いや、わずか十五分。三日間誰も解けなかった予算の赤字原因が、まるでパズルのようにスラスラと解決していく。
「終わった……終わったわ! 完璧な予算書ができた!」
歓喜の声を上げ、私はバッとカフェインを振り返った。
彼はフッと口元を緩め、「よく頑張ったな」と私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「じゃ、俺は現場の社畜どものバフに行ってくるから。無理すんなよ、ソウム」
そう言い残し、彼は部屋を出て行った。
静まり返った総務部長室。一人残された私は、自分の胸に手を当てた。
バクバクバクバクバクバクバクバク!!!
「……つ、強い」
心臓が、破裂しそうなほど激しく脈打っている。
顔が信じられないほど熱い。呼吸がうまくできなくて、夜なのに、一睡もできそうにないほど彼の顔が頭から離れない。
私は、長年忘れていた『とある感情』の記憶の扉を叩いた。
(この、胸の激しい動悸……顔の火照り……。そして彼が去った後も、一晩中目が冴えて彼のことを考えてしまうこの症状……)
二十代後半、仕事に全てを捧げてきた鉄の女は、ハッと目を見開いた。
(これって……私、あのカフェインくんに『初恋』をしてしまったんだわ――!?)
※注:ただのカフェインの過剰摂取による軽い動悸と不眠症です。
だけど、恋を知らない純情な総務部長に、そんな冷静な突っ込みができるはずもなかった。
私の脳内(冴え渡りモード)は、瞬時に「カフェイン攻略作戦」のタスクを立ち上げた。
「待ってて、カフェインくん。私のこの燃え上がるパッション、総務部の意地にかけて、あなたに書類(婚姻届)を提出させてみせるわ……!」
翌日から、私の猛アタックが始まった。
「カフェインくん! これ、総務部の福利厚生の一環で作ったお弁当(キャラ弁)よ! 栄養バランスはビタミンちゃんに負けないんだから!」
「カフェインくん、今夜の深夜残業、二人きりで進捗確認しない?」
職権を乱用し、隙あらばカフェインの隣をキープしようとする私。
そんな私を、カフェインくんの義妹であるビタミンちゃんが、般若のような恐ろしい目で見つめていることには、まだ気づいていなかった。
一方その頃、王都のしりとりギルドでは、私たちが超高速で片付けているような事務処理が完全に滞り、書類の山でパンクしかけていたのだが――そんなことは、恋する総務部長の知ったことではなかった。




