第六話 一方そのころ、スメルナ王国では
翌々日の朝、ちょうどハルトークがスメルナ王国の依頼を引き受けてから、一日半後。
スメルナ王国王宮の広間に、伝令の兵士が飛び込んできた。今か今かと吉報を待ち望んでいた国王と大臣たちの間に、緊張が走る。
ハルトークと接触した使者の男性は疲労のあまり途中で倒れたのだが、それでも兵士たちが報告を必死で引き継ぎ、収集した情報とともに持ち帰ってきた。もちろん、金貨入りの皮袋も、伝令の兵士の手にある。
「報告です! 使者はハルトークと接触! ハルトークはすぐさま魔物討伐の要請を引き受けたようです!」
驚きと喜びのあまり、国王は飛び跳ねるように玉座から立ち上がる。
「何!? 承諾してくれたか! それで、今はどこにいる? 状況は?」
「はっ! すでにこちらへ出立しており、途中見聞きしてきたところによれば」
伝令の兵士は、一呼吸置いてから、平静に努めてこう言った。
「東の国境を越え、魔物の大群の先頭に攻撃を開始、ものの数十分で壊滅させました」
この報告には、国王も大臣たちも、言葉がない。
これまでの国内の報告では、北方から現れた魔物の大群は大地を埋め尽くすほどで、装備や練度に関係なく、スメルナ王国の兵士たちがどう足掻いても太刀打ちできない規模だった。たとえ兵士の一人一人が差し違えても、何の意味もないほどだ。
それが、ごく一部とはいえ、たった数十分で討伐できるものなのか。
真偽はともかく、その情報の意味するところを正確に把握できていないことを認識した国王は、補完するためにもう少しばかり情報の要素を知ろうとする。
「魔物は……どんな構成だった? 数は?」
「はっ、遠目ですが、ドラゴン三匹、ゴブリンはざっと百以上、オークを従えた一つ目の巨人が十匹ほど。まだいたかもしれません」
「それを一人で壊滅だと? 正気か?」
「それが、目の前で見ていた私も信じられませんでした。ハルトークの剣は確かに特殊なもののようでしたが、だからと言って……たった一撃で魔物の集まりがちりのように吹き飛ぶさまなど……未だに、しっかりと目に焼きついてしまっています。あれならば、どれほど魔物がいようともすべて討伐できる、と本当に思えてしまうほどでした」
伝令の兵士は、声が震えていた。恐ろしさにではなく、希望が湧き、興奮したからだ。希望に満ちた目は、その言葉が嘘ではないと物語っている。
「そののち、ハルトークは兵と民の避難を確認してから、さらに北上しました。ハルトークへの使者が倒れてから、引き継いだ私たちは現地の兵たちと協議して、余っている食料や水をハルトークへ届けるよう話をつけてきました。さすがに最強の騎士とはいえ、飲まず食わずでは戦えません。後続のアーセナル騎士団も動くための糧食を要求しています」
伝令の兵士が、ハルトークの要請でアーセナル騎士団がスメルナ王国に助力するためやってきている旨と、人心鎮撫のためその情報を喧伝するようにと助言されたことを国王へ告げると、国王は一瞬だけ躊躇ったのち、深く頷いた。
「そうだな、そのとおりだ、よくやった。輸送部隊を編成して、少しでも多く支援物資を送っておく」
国王は大臣へそれらの指示を出したあと、ハルトークから返された金貨入りの皮袋を受け取り、伝令の兵士を下がらせた。大臣は、国王の一瞬の躊躇いが、憂いであることを知っている。
まもなく、別の伝令の兵士が広間へやってきた。やはりというべきか、慌てた様子で駆け込んでくる。
「陛下!」
「今度は何だ」
「報告します、本日未明から魔物の侵攻が止まりました。それどころか、引き返しているようです」
これには、広間がざわつく。何が起きたのか、国王は大臣へ目をやり、意見を求める。
大臣は顎を撫でて考えながら、己に蓄えられた知識で求められる推論を導き出す。
「聞いたことがあります。魔物とは魔神が人類を絶滅させるために作った生き物。しかし自分たちを攻撃し、生存を危うくするほどの強大な存在が現れたとき、その存在を最優先して倒すべき敵と認識し、本能的に襲いかかるのだとか」
それは、魔物のいなかったスメルナ王国では、ほとんどの人間が知らない魔物の習性だ。魔物の『敵意指向操作』として大陸各地の戦場では常識であり、その習性を利用した戦術も普遍的に存在する。その意図があったのかどうかは定かではないが、現在、スメルナ王国ではたった一人の騎士が魔物の敵意を集中させることに成功している。
国王は、大臣の言わんとするところを察した。
「つまり、ハルトークが魔物を引きつけてくれている、ということか!」
「ええ、今のうちに避難を押し進めましょう。私どもも詳しくはありませんが、魔物たちの死骸で溢れた土地にはしばらく暮らせますまい」
「うむ……民には負担を強いるな」
国王の浮かない顔を見て、大臣は話題を変えた。
「ところで陛下、これからを考えましょう。ハルトークによって魔物が討伐されたあと、彼に何をもって報いましょうか」
つらい現状から目を逸らすには、少しでも明るい未来を見ることだ。スメルナ王国における建国史上最大の危機が去ったあと、救国の英雄には礼をしなければならない。どのようなものがいいだろうか、と国王は悩む。
「前金は返されたが、無報酬とはいくまい。金銭以外となると、難しいな。宝物庫にも大したものはないぞ」
「最強の騎士ともなれば、我が国の位階や領地など関心がないでしょうし、何か将来に至るまでの契約を結ぶということも」
「しかし、何を言われても呑まねばなるまい」
「ユーディット王女を要求されてもですか?」
国王は、あからさまに固まる。顔は引きつり、言葉を詰まらせた。
「それは……」
嫌と言うわけにはいかない、しかし国王は——目に入れても痛くないほど可愛がっている一人娘を手放すなど、我が身を引き裂かれるようなものだ。
それを知ってなお、大臣は進言する。
「僭越ながら、申し上げます。ユーディット王女は美男美女揃いのスメルナ王家でも、もっとも美しい女性です。ゆえに陛下が王宮からあまり出ないよう命じられている意味はよく分かります、しかし今、どうかその美点を活かし、国を救った英雄に見初められることをよしとなさってはいかがでしょうか」
その答えを出すまで、国王はしばし沈黙した。
国王とて道理が分からないわけではない。ユーディットは美人と評判で親の贔屓目を除いても器量のいい娘だ、と認めている。だからこそ見合いの話があっても断ってきたし、できることなら裕福で大事にしてもらえる家に嫁がせたい。
それを、最強の騎士と名高いとはいえ、人格も何も分からない突然現れた男に渡せるか、と言われれば、親としては断固反対だ。すでに亡くなった王妃にも申し訳が立たない。
スメルナ王家が潰れてもそれは国とともに滅びるのなら致し方ないが、これからを生きる娘がハルトークに嫁いだせいで悲惨な人生を歩むことになれば、目も当てられない。
逡巡の末に、国王は、詰まりながらも答えを出す。
「さすがにユーディットへ色仕掛けをしろとは言えぬ。だが、ハルトークが面会を求めるのなら、会うだけは許そう」
かつてないほど苦痛に塗れた声の国王に、大臣は何とも言えない顔を見せるしかなかった。
☆
緊張感と慌ただしさに包まれた広間は、ひっきりなしに人が出入りし、話し声が絶えない。
その様子を、窓の外から一人の少女が窺っていた。
金髪碧眼の、美しい少女だ。スメルナ王国では珍しい、金糸の刺繍が入ったスカートやケープを身に纏っている。
彼女はスメルナ王国国王の一人娘、ユーディット王女だ。過去に類を見ない王宮の慌ただしさに、何事かと驚いてやってきて、窓越しに衝撃の事実を耳にしたばかりだった。
だが、ユーディットの顔に悲壮さはなく、むしろ勇気を振り絞って前を向こうとしている。
「何だか、大変なことに……私も、何かしなきゃ」
ユーディットはそそくさと、王宮の自室へと戻る。
やれることなどたかが知れているが、やらないわけにはいかない。
ユーディットは、自分の持ち物の中で少しでも金になりそうなものをかき集めはじめた。




