第二十六話 吟遊詩人になって、語り伝えること
アーセナルが遠慮なく扉を開ける。そして、挨拶を交わす。
「ごきげんよう、ユーディット王女。ハルトークならこちらに」
「ありがとうございます、アーセナル様」
「いいえ。それではごゆっくり」
昔取った杵柄とばかりに、騎士らしくアーセナルは丁重な言葉と姿勢で来客——ユーディットと対話し、帰っていった。
まずい、とハルトークは竪琴を持ったままベッドの毛布の中に鼠のごとく潜り込む。ユーディットと直接顔を合わせるのは、魔神エキドナを討伐した日以来だ。
思えば相当恥ずかしいところを見せてしまっていた、丸まって顔を腕で覆うくらいに恥ずかしい。それに、今でもユーディットの叫んだ言葉が忘れられない。女性になんてことを言わせてしまったのだ、偽乳って。
思い出してまた悶絶しているハルトークのそばに、ユーディットはやってきて、しゃがむ。毛布の塊となったハルトークへ優しく話しかけた。
「ハルトーク様、大丈夫ですよ。顔をヴェールで覆っていますから見えません。これなら安心でしょう?」
少し間を空けて、ハルトークはちらっと毛布の隙間から、ユーディットを覗き見た。
確かに、ユーディットはティアラにも似た髪留めから草木染めの麻のヴェールを垂らし、頭全体を覆っていた。見づらいだろうが、これなら問題なく歩けるし、ハルトークからは顔の輪郭くらいしか分からない。
加えて、服も工夫されていた。いつもの金糸刺繍のケープとスカートではなく、ゆったりとしたローブを羽織り、体のラインを隠している。ズボンとブーツも履いているし、王女らしからぬ、まるで旅にでも出るような地味で実用的な服装だ。
ハルトークは、それでも恐怖は拭えないのだが、多少はマシだと割り切った。のそりと毛布から出てきて、ユーディットへ魔神エキドナの素材で作った竪琴を押し付けるように差し出す。
「こ、こここ、これ! あげる!」
ユーディットはじっと竪琴を見つめる。手を伸ばし、受け取ると、ちょうど小柄なユーディットにはぴったりの大きさだった。ユーディットはヴェールを通しても分かるくらいに、はにかんでいた。
「素敵ですね。ありがとうございます」
「う、うん」
毛布に潜り直しかけたが、ハルトークは勇気を振り絞って、ベッドから這い出た。パジャマから着替えていてよかった、と用があるわけでもない荷物の包みへ近づき、片付けるふりをする。
ユーディットは、そんなハルトークへこう言った。
「さあ、出発しましょう。どこへ行きますか?」
「え? 何で……あれ? 旅装?」
ハルトークはやっと気付く。ユーディットの服装を認識していたはずなのに、恐怖と緊張のあまりその意味までは分かっていなかった。
ユーディットは、さらっと重大な人生の選択をしていたのだ。
「あとのことは父に任せてきました。申し訳ございません、この国から出るまで、同行させていただけませんか?」
「えっ」
「私がこの国にいても何もできないなら……吟遊詩人になって、有名になってお金を稼いで、スメルナ王国について他国へ宣伝して、少しでも故郷のために動きたいのです。だから……」
だから、吟遊詩人になる、その目標を叶えるべく、ユーディットは動き出した。
そしてハルトークは、それを勧めて、竪琴まで渡してお膳立てをした。
ならば、ここではいさようなら、とするわけにはいかない。
ハルトークは慌てふためきながら振り向く。視線は床だ。まだ女性を直視はできない。
「危ないからね! しょうがないね! ていうか、さすがに安全なところまで送らなきゃ……うん、頑張る! 俺頑張るから応援して!」
「じゃあ、後ろから応援します。お手数をおかけします」
「と、とりあえず、支度するから、外で待ってて」
「お手伝いしましょうか?」
「大丈夫! 大丈夫だから!」
この日、ハルトークはかつてない早さで荷物をまとめ、あるだけの剣を背負って宿から飛び出した。後ろからユーディットがついてくることを何度も振り返って確認しつつ、王都郊外の厩舎へやってくる。
ここまで来る道のりで、誰もユーディットのことを気にしていなかった。ユーディットの顔をスメルナ王国の人々は知らない、その存在がいなくなっても、おそらく大した影響はない。
それを、ユーディットも分かっているだろう。自分がいたところで、今のこの国はどうにもならないのだ、と。
ならば、吟遊詩人になるという決断は、決して悪い手ではない。
それに——ハルトークとの女性恐怖症を治す手伝いをするという約束がある。ハルトークの人生ではごく少ない友達のうちの一人になったのだから、ハルトークはユーディットを助ける大きな理由がある。
周りの馬より二回りも三回りも大きな死骸馬アーデンスが、無言の嘶きでハルトークを出迎えた。厩舎から出して荷物を積み、ハルトークは鞍に跨る。ふと、気になったことをユーディットに尋ねようとしたとき、ユーディットもまた砂色の馬に乗ってしずしずと現れた。
手慣れた手綱捌きに、ハルトークはつい問う。
「ユーディ、馬乗れるの?」
「乗れますよ。王宮を抜け出して、よく遠駆けをしていましたから」
「お転婆だわこの子」
「何ですか。文句があるならヴェールを取って顔を突き合わせて話しましょうか?」
「やめてまだ怖いの」
相変わらず、ユーディットはその美しい容貌に似合わず、お姫様らしくなく、とてもお転婆だ。
大きな死骸馬アーデンスに乗ったハルトークは、砂色の馬に乗ったユーディットを手招きする。
「あのさ、後ろにいると見えなくて不安で守りづらいから、横に」
「そうですね。では」
「ちょっとだけ視界に入らないぎりぎりのところを維持して」
「難しいです。気にしないよう頑張ってください」
「うわあああ足が震えるんだけど!」
「大丈夫ですよ。ところで、どこへ向かいますか?」
しばし馬蹄の音だけとなり、荒野に踏み出した二人と二頭は黙っていた。
悩んだ末、ハルトークは真っ先にやらなければならないことを思い出す。
「銀行? アーセナルにお金送らなきゃ」
「なるほど。でも遠いですね、隣国の大きな都市に行かないとないでしょうし」
「うーん、まあ、そこを目的地にしとこ」
こうして、最強の騎士リーベル・ハルトークは、魔物と魔神の侵攻という類を見ない危機からスメルナ王国を救い、王女ユーディットを連れてあっさりとどこかへ行ってしまった。
その後も、ハルトークは変わらず魔物を討伐しつづける。
ユーディットはそれを間近で見て、一つの目標を打ち立てた。
スメルナ王国を救った最強の騎士の物語を、残そう。そうすれば、故郷のこともハルトーク自身のことも、きっと世界中に分かってもらえるはずだ、と。
最強の騎士と吟遊詩人の元王女は、まさしく珍道中と言うべき旅を続けるが——それはまた、未来の物語だ。
ひとまず第一部完、という感じです。続きはまた今度。




