第二十一話 破廉恥!
魔神勢力圏、そこは距離も時間も関係のない空間だ。
少なくとも、魔神にとっては。衰えもなく、与えられる苦痛もなく、己の力をどこまで進化させられるかをそこで試し、そうして鍛えた力を人類生存圏で殺戮をもって示す。その繰り返しを続ければ、いつかは人類も滅亡するだろう。
気の長い話だ。しかし魔神たちにとっては確実に、人類を滅びの道へと誘うための手段だと信じられている。
いつかのことだ。魔神勢力圏のどこかで、魔神たちは会話を楽しんでいた。
魔神エキドナはそこで愚痴を漏らした。腹が減っている、食べ足りない、と。
すると魔神の一柱が大笑いした。
「食糧が足りない? エキドナは大食いだからなぁ! はっはっは!」
「笑いごとじゃないわ。人間を攫える魔物を作るのも骨が折れるのよ」
魔神エキドナの反論に、別の魔神が答える。
「なら、直接食いに行けばどうだ。お前の前任のイフリートはそれで殺されたがね」
それを言われると、魔神エキドナも躊躇してしまう。
魔神イフリートが討伐されてしまってからは、魔神たちは一層慎重に人類生存圏攻略を進めていた。計画を練って、調査をして、限られた時間で最大の収穫を得られるように、と——考え方を変えてしまった。
それまではただ人類生存圏に現れては破壊と死を振りまき、それぞれに好みの食べ物を得たり、戦いを堪能したり、遊んでみたりとのんびりとやっていたのだが、それは獲物を簡単に仕留められるからという強さを頼みにした狩人としての立場があったからだ。
だが、その獲物は、牙を剥いた。時間を追うごとに、その牙は磨がれて、狩人の喉元へと届いてしまった。
それが、魔神イフリートの遺した、魔神たちへの忠告だった。
魔神の一柱が、指を鳴らす。
「それだよ。人間の強靭さを甘く見ていたかもしれない」
魔神エキドナは強弁しようとした。しかし、別の魔神の言葉に遮られた。
「『黒い鎖』を敷いたのは間違いじゃなかった、ということだな」
「あれだけは人間には触れられないからね。それでもいつかは対策を取られる、未知の技術を開発するかもしれないし、その前にここにいる全員が討たれるかもしれない」
「そんなことがあってたまるか!」
エキドナの低い濁声が響いた。この中では若輩者の魔神エキドナは、それ以上虚勢を張ることはできない。
もはや、人類を侮ることはできない。それはここにいる魔神全員の総意となる。
なったはずだった。
「何にせよ、だ。我々の目的は変わらぬ」
ある魔神が、魔神エキドナへと助言する。
「エキドナ。目的を履き違えるなよ」
そのとき、魔神エキドナはこう思った。
魔神イフリートは慢心したのだ、だが自分はそうはならない。
いざとなれば、産み出した魔物たちを盾にしてでも、魔神勢力圏へ逃げられるのだから。
その考えが甘かったのだと、魔神エキドナは実感し、走馬灯は振り払われた。
☆
死に抗うことは、人類も魔物も同じだ。
それを、ハルトークは知っている。ただし、魔物は死の概念をよく理解していないようで、あくまで本能的に忌避しているだけのようだった。だから、忌避すべき死を与えてくる者へ強く抵抗をする。それが自分へ襲いかかる強者と戦う理由となった。
では、人語を解する魔神はどうなのだろう。
死から逃れる、という選択をしようとしている、つまりは敵前逃亡を選んだことに、ハルトークはちょっとだけ驚いていた。
戦おうとしてくるどころか、当初の狙いであるスメルナ王族の人々を追い、王宮へと一目散に移動していったのだ。
当然、ハルトークは追いかける。追い詰める。
王宮の門を破壊して、魔神エキドナはその両碗を振るって王宮の壁を剥ぎ取るように破壊していた。
「どこだ。どこにいる」
子どもの積み木のように、放り捨てられる壁が砕けていく。砕ける前の壁の破片を足場に、ハルトークは跳ぶ。魔神エキドナめがけて、氷剣を振るう。
「はーい! ここにいるよ!」
「チッ! お呼びじゃないよ!」
魔神エキドナは足の蛇を一本盾にして、難を逃れた。横一文字に切り裂かれた蛇の頭が地面に落ち、転がる。その傷口は瞬く間に凍り、滴ったその毒を含んだ血さえも赤い氷となっていた。氷剣はハルトークがそのために選んだ剣だ、これで魔物の死骸による土地の汚染をわずかなりとも少なくできる。
しかし、魔神エキドナはバランスを崩し、王宮へと倒れこみかける。蛇たちが必死になって本体を支える、腕を地面へと伸ばして体勢を整える。そのたびに、王宮は崩れ、無惨にも残骸の山が積み重なっていく。
あとで修理できるかな、などとハルトークは考えるが、多分これは建て直したほうが早いだろう。
「やっぱ、地下に立てこもらなくて正解だったわ、これ。重さで潰れてるもん」
呑気にハルトークは魔神エキドナへと近づく。広間だった場所は天井が崩れ、魔神エキドナが腕を伸ばして体を支えているせいで、床が抜けていた。
「くそっ、人間ごときが……!」
「何? あ、俺はね、ハルトークって言うんだけど」
「聞いていない!」
魔神エキドナは、空いている左腕を振るう。ハルトークはあっさりと躱し、肉薄する。足となっている蛇たちも迎え撃とうとするが、ハルトークの剣で次々と切断され、凍らされていく。
瞬く間に足をすべて失った魔神エキドナは、起き上がれない。這いずり、体は若干縮む。
「くそっ、くそっ、くそっ! こんな、私がこんな無様に、地を這うなんて許されるか!」
「いや、帰ったら何もしないって言ったじゃん。無視したのそっちじゃん」
「その口の利き方! 私を舐めるなぁ! 私は、魔神エキドナだ!」
「知ってるけど」
「ぐうううう!」
話にならないと互いに思いはじめたころ、魔神エキドナの体は変化していく。
そう、変化だ。元々、食糧となる人間を食べ足りないことから、スメルナ王国への侵攻を開始した魔神エキドナは、飢餓状態に陥っていた。魔物を産み出し、戦うための巨体を維持し、足となる蛇をすべて切られ、当然のことながらその体のエネルギーはとっくに底を尽きている。
そして、魔神エキドナとは、女性の姿をした魔神だ、と伝えられている。
それでも人間の倍以上はある肢体だ。漆黒の薄布の下には、石灰色の肌の、女の足のない裸体があった。銀色の長髪は振り乱され、鬼女のようにおどろおどろしい。蛇を体としていた形態から、少しでも体力消費を節約する形態へと変化したのだ。
その眼前のそれを、ハルトークは思いっきり見てしまった。
「あわわわ……!」
狼狽える。先ほどまでの余裕綽々が一変、激しく目を泳がせ、慌てるハルトークに、魔神エキドナは当惑した。
「何だ、何を」
それ以上は言わせない。
ハルトークは必死になって言い放つ。
「破廉恥!」
「は?」
「いーやー!」
あとは、脱兎のごとく、ハルトークはその場から逃げ出した。
置いていかれた魔神エキドナは、呆気に取られていた。
しかし、魔神エキドナの瞳孔が縦に割れた目は、本能で輝きを取り戻す。
食べ物を探す。当初の目的を思い出し、魔神エキドナは蛇に備わる熱感知能力を駆使して、発見する。
王宮の居住区、魔神エキドナはそこに人間を見つけた。




