第二十話 奇襲、アルグムドの杖
今日ばかりは左腰に備えた氷剣ガルムレイドと、手にしている黒い骨でできた長剣『アルグムドの杖』だけで戦う。
巨豚ベヒモスへ奇襲を仕掛けたハルトークは、屋根の上を伝って移動していた。
魔物の大群が王都の目抜き通りを中心に広がっていく、その外縁部までやってきて、中心部にいる魔神エキドナを遠目に視認する。
魔神エキドナの姿に、ハルトークは安心した。事前情報、女性の姿をした魔神である、という恐るべき情報とは違っていたからだ。
「よかった! ただの蛇でよかった! じゃ、アルグムドの杖、よろしく!」
ハルトークが『アルグムドの杖』と呼んだ長剣は、鏃のような切先を屋根へ突き刺されると、その姿を変えた。
柄の部分に巻きついている黒い骨が裂け、空へと飛ぶ。それらは弧を描き、ハルトークの背に浮かぶ一つの巨大魔法陣を生み出した。刀身は屋根へと力強く根を張り、地面を目指して拡張を続ける。
黒い骨たちは、歌う。死霊の歓喜の歌だ。アルグムドの杖の刀身、そして魔法陣から現世に戻ってきた死霊たちが、噴出する。
洪水のように、実体を持たない、けれどその存在は認識できてしまう死霊たちが王都へと傾れ込む。数、という概念はもはや存在しない。水を数として数えることがないように、その大きさは示すことができても、数えることはできない。
荒野にはあるまじき原初の洪水のような死霊の波が、魔神エキドナと次々と産み出されていた魔物たちを襲う。死霊たちは生きているものを羨む、冥界へ引きずり込もうとする。魔物たちを何色とも表現しがたい死霊の波が被り、断末魔ごと吸い込まれていく。
どこへ行くのか。地の底にあるとも、異世界にあるとも言われる冥界だ。死した者たちの行き着く果て、命あるものすべてが等しく訪れる死が導く——生者は誰も見たことのない地獄へ。
その死霊の波の中を、魔神エキドナがかき分けて、王宮の方角へと進んでいた。
「冥界の死霊か! 人間のくせに、なんて冒涜的な!」
蕩ける声ではなく、金切り声だった。それだけ魔神エキドナにとって屈辱的な、脅威的な出来事が起きたのだ。
ハルトークは冷静に観察する。
「うーん、魔神は引き込めなかったか。また魔物が湧いたら使お」
ハルトークは、アルグムドの杖を屋根から強引に引き抜く。地面と魔法陣から噴き出していた死霊の列は止まり、街中に溜まった死霊たちもそのうち帰っていくだろう。
ハルトークは魔神エキドナを追いかける。屋根を飛び移り、直進していく。
だが、配下の魔物を失った魔神エキドナも、ただ黙ってやられはしない。
「ふん……相手にするなど、馬鹿馬鹿しい」
失ったのなら、また産めばいいとばかりに、魔神エキドナの周囲には、産みの親の魔神エキドナと同じ大きさの、腐肉を滴らせたドラゴンゾンビが五匹、漆黒の薄布の下が膨れあがって現れた。
まるで手品だ、とハルトークは緊張感のない感想を覚える。
「まあ、倒してから行ったほうがいいよね……ドラゴンゾンビって死霊系だから引き込めそうにないし」
アルグムドの杖を背中の鞘に戻し、ハルトークは左腰に差した氷剣ガルムレイドを抜剣する。
氷剣の名にふさわしい氷壁のような青い刀身に、鋭利な薄い刃を持ったその剣を手に、ハルトークは魔神エキドナへと放たれた矢のように疾走していく。
氷剣の最初の一撃を見た魔神エキドナは、こう思った。
あれは死だ。暴力の化身だ。力は力にねじ伏せられる、その当たり前の弱肉強食の原理を、体現する存在だ。
そして、まるで人間のように、死を前にしての走馬灯が魔神エキドナの脳裏に流れる。




