第二話 俺を開戦の合図にするのやめてほしい
ようやく馬を模した骸骨に鞍を付けた死骸馬の群れを率いる、皮袋のような帽子とマントが特徴的な少年のネクロマキナトスを発見し、ハルトークは安堵する。こちらもまた、知り合いだった。
ネクロマキナトスは、普通の馬よりもずっと頑丈で速いが半日しか保たない死骸馬を、希望者に有料で貸し出す。魔物の死骸で作られた死骸馬なら維持費もかからず、乱暴に扱って壊れても特に問題はないため、ハルトークのような騎士団に所属しない騎士はよく死骸馬を使用していた。
とはいえ、ハルトークが普通の馬に乗れないのは、進んで危険地帯へ行くせいで多くの馬に嫌われるからだ。馬だって命は惜しいし、主人は選びたい。
「マキナトス、馬貸してくれ」
「はいよ」
手慣れたもので、少年のネクロマキナトスはすぐに一頭の大きな死骸馬をハルトークへ寄越した。ハルトークは懐から出した硬貨入りの小袋を、そのまま少年のネクロマキナトスへ渡す。
大柄で従順な死骸馬に跨り、ハルトークは愚痴を大いにこぼした。
「もーさー! 俺もさー! 骸骨以外の馬に乗りたい! まあ嫌われて乗れないんだけど!」
「なら馬を使った戦車とかどうだ? 二頭立てにすれば早いぞ」
「いいけどそれ騎士じゃないね! 俺、一応騎士なんだよね!」
「そんなもんにこだわる必要があるのかよ」
「街中では一応身分って大事だった」
「そうか、そういうもんか。ネクロマキナトスやってると、ほとんど街に入れてもらえないからなぁ」
「無理に行かなくていいよ、色々面倒が多すぎる」
軽快に会話を交わし、ハルトークは鐙で死骸馬の腹を軽く蹴る。
死骸馬は声のない嘶きを上げ、手綱を持つハルトークの意を受けて前線の先へと進みはじめる。縫うように大規模討伐参加者の列を抜け、一気に飛び出した。
敵まで一直線、遮るもののない大地を、無名の死骸馬は駆ける。背中に乗るハルトークとは以前からの主従関係にあるかのごとく、全幅の信頼を置いて魔物の群れの先鋒、弓矢や投石武器を構えたホブゴブリンの集団へと突っ込んでいく。
「ハルトークが行ったぞ! 開戦だ!」
アーセナルの命令が飛び、ハルトークの背後で鬨の声が上がった。ハルトークは不満である。
「俺を開戦の合図にするのやめてほしい」
しかし無駄である。戦いにおける人類側の先駆けを務められる人間はそうはいない、とハルトークも分かっていた。
ハルトークは左腰の剣を抜き、ほの青く光る刃を掲げ——一瞬でそれは持ち手が伸び、剣から大槍に換わった。雨のように降ってくる大量の黒曜石の鏃の矢や拳大の石を、横に一閃し、ただそれだけの風圧ですべて弾き飛ばす。矢と石だけでなく、先頭のホブゴブリンの一列までも、後ろに吹き飛んで仲間とぶつかっていた。
死骸馬が並み居るホブゴブリンを前脚で蹴り飛ばし、次列のリザードマンが盾を構えたころ、ハルトークは鞭のように右腕をしならせて精一杯後ろへ引き、掴んでいた大槍を前に立ち塞がるリザードマンたちへ投擲した。
たったそれだけである。大槍の先端にいたリザードマンは、消滅した。一匹ではない、まるで死骸馬のための道を作ったように、魔物の大群を貫通するハルトークの一撃は、その軌跡の周辺にいた魔物ごと消し飛ばした。その一撃だけで魔物の討伐数は何十、百を超えるかもしれないが、いちいち数えはしない。
死骸馬は加速する。一旦魔物の大群を抜け切ってから鋭く踵を返し、背中の黒剣を抜いたハルトークは叫んだ。
「黒剣ザッハーク、耐えろ!」
繊細な装飾と蔦のような鍔の黒剣は、本来なら観賞用にでもされるほどの美麗さだ。
しかし黒剣を打った鍛治師は、己の鍛治技術と魔法を用いてとんでもない仕掛けを施していた。
蛇の怪物の漆黒の血と骨をこれでもかと練り込まれた刀身は、ハルトークが振りかぶるころには、その正体を露わにしていた。真下にいた二足歩行の大山羊のサテュロスの瞳には、巨大な樹木の根のように刀身から空へと伸びる無数の黒い大蛇が映り、次の瞬間には黒剣の大質量に押し潰されてサテュロスは肉塊と化していた。
まるで、巨人の手のひらが大量の蟻の這う大地へと叩きつけられたように、巨大化した黒剣の隙間からはそこかしこに血柱が上がり、肉片が飛び散る。奇跡的に生き延び、血と肉を被った魔物たちは何が起きているのかも分からず、一部は死骸馬に轢かれた。
ところが、黒剣から現れた大蛇たちは、まもなく霧散する。ハルトークの握っていた柄まで亀裂が入り、刀身は無残に砕けていた。
とはいえ、ハルトークにすれば、いつものことである。ぽいっと柄を捨てる。
「うーん、やっぱ壊れたか。次にしよ」
そんな気軽さで、背中の二本目の剣を抜く。鉄片を纏った長剣だ。まだ速度を失っていない死骸馬は、魔物の大群の指揮官であろう見事な二本角のバイコーンへ向かう。
バイコーンの周囲には、十匹ほどの翼を持たないドラゴン、ワームが威嚇の雄叫びを上げていた。小山を思わせるその体躯から、普段は敵などいないのだろう。ゆえに先ほどの一撃を目の当たりにしていても、まだハルトークという小さな生き物への慢心と敵愾心が勝っている。
ハルトークも負けじと叫び、剣を指揮棒のように前へと突き出す。
「翼剣アイトヴァラス、追尾しろ!」
こちらは剣というよりも、魔法道具として作られたものだった。
剣は名前と命令に応じ、その刀身をするりと解体した。そして弾けるように鉄片が宙を広く高く舞い、ひらりと上昇してから、化けた。あまりの速さに赤い炎を纏って、地面へと墜落していく。
ワームたちめがけて、極小の隕石が散弾のように飛び散る。鉄よりも硬い表皮だろうが、炎を寄せ付けない鱗だろうが、おかまいなしに抉っていく。
地面に衝突跡を残すほどの鉄片だ、貫けばまだましだが、肉の中に留まった鉄片は燃え尽きるほどの高温を帯び、あたり一帯にはワームの聞いたことのないような悲鳴が谺し、竜の血肉の焦げる悪臭が湧いて充満していた。
「あ、これいいな。今度同じの作ってもらお」
もはや死を免れない仲間の悲鳴から必死に怯え耳を閉ざす魔物たち、というおぞましい光景だが、ハルトークを乗せた死骸馬はまだバイコーンへ向かっていく。
すでに賢いバイコーンは、一旦逃げて態勢を立て直そうとしていたが、ハルトークから逃げれば人間たちの最前線に、魔物の列から後退すればハルトークへと向かっていくしかない。左右は阿鼻叫喚の魔物たちが大混乱して右往左往だ。人類側もまた、後続のアーセナルが上手く逸る人々を制御して、魔物の大群の両側から圧力をかけているのだろう。
小型の魔物たちは邪魔だとばかりに大型の魔物に手足で払われ、潰され、無慈悲にも文字どおり身命を失う。その大型の魔物たちは、ハルトークを殺さなければ生き延びられない、と本能で理解していた。敵うかどうかではない、戦わなくてはならない。ドラゴンも大猪エリュマントスも黒妖犬ブラックドッグの群れも、一斉にハルトークへ敵意を剥き出しにした。
一方、ハルトークは呑気に背中の最後の一本、赤い鞘から剣を抜き——それは刀身がなかった。ゆらめく陽炎が、そこに何か高熱の見えないものがある、ということを示していたが、魔物たちは鳥類でもないかぎりそれほど視力がよくないため、気付かない。
死骸馬は跳んだ。おおよそ、馬の跳躍する高さと距離ではないが、大猪エリュマントスのはるか上空だ。
「よし、この角度。炎剣クルシェドラ……火を吹け!」
ハルトークは、陽炎の剣をバイコーンへ向けて、目一杯力を込めて投げた。
剣が大気を切り裂き、白い燐光の尾を引く。言葉を発する暇もなく、バイコーンは剣の見えない切先に当たる、かと思いきや、そのまま剣は地上を焼き尽くすような炎を吹き出した。炎の中には、剣も、魔物も、バイコーンの姿も隠れてしまい、何もかもが濛々と立ち込める熱気や煙に包まれてしまった。
ハルトークを乗せた死骸馬は、そこから燃え盛る大地のふちに着地し、猛然と走り抜けた。高原地帯の少ない野草が劫火に巻かれ、野火とは比べものにならない勢いで広がっていく。
死骸馬の脚力があれば、多少なら溶岩の上でも駆け抜けられる。おかげでハルトークは自分の撒いた種の被害に遭うこともなく、炎を受けて後退した人類側の前線に何とか辿り着いた。
そう、完全にハルトークも予想外だったのだ。
「なんか思ったのと違う! 火を出すだけって言ってたのに!」
ハルトークの予想では、炎剣クルシェドラはバイコーンに刺さって燃やし、指揮官を失った魔物たちは混乱を極めて人間に包囲されて討伐される、という筋書きだった。だから掃討用の左腰の剣は残していたのだが、振り向けばすっかり炎は魔物の大群を飲み込み、天を衝く勢いだ。
これでは魔物の死骸は骨か竜の皮くらいしか素材回収できない、正確な討伐数も計測できそうにない。おまけに他の人々は魔物の討伐などほとんどできていないだろう。つまり戦闘参加者の報酬は最低保障額しかなくなり、わざわざ来たのに収支マイナス、となる。
中年の傭兵しかり、見知らぬ誰かしかり、これは怒られてしまう、とハルトークが逃げようとする前に、アーセナルのお叱りが飛んできた。
「ハルトーク! 燃やすな!」
「あわわわ、こうなるとは思わなくて! あいつら脂っこかったし!」
事実、ワームよりも巨大な大猪エリュマントスなど一匹からとんでもない量の燃料獣油が取れそうだった。そうした魔物を燃料に、炎はまったく衰えを見せないまま、戦いが終わったあともきわめて明るい夜を迎えることになる。




