第十七話 斧で開けた穴が四角くなっていた
翌日、ハルトークはまた宿の角部屋に篭って、扉越しにユーディットと話していた。昨日と違うのは、ユーディットが斧で扉に開けた穴が、人が手を突っ込めるくらいの四角い穴に生まれ変わっていたことだ。
昨日の夕方、ついに宿の主人が扉の穴を修理に来たため、ハルトークは交渉して扉の穴を正方形に綺麗に開けてもらおうと頼んだ。すると宿の主人は腹を立て、なら自分でやれと工具箱を置いていってしまった。
しょうがなくハルトークは鋸とやすりを手に、自分で頑張って扉の穴を綺麗に整え、部屋の中が見えないよう釘で綿の余り布を暖簾のような形に貼りつけた。見栄えも整い、これで扉越しでも声が聞こえやすくなった。
しかし、昨日のアーセナルから聞いた魔神の話が、どうにも引っかかる。魔神がどうこうというより、なぜスメルナ王国に現れたのか、という点だ。
アーセナルによれば、魔神エキドナは人間を食べて魔物を大量量産するらしく、であれば人間の捕食が目的だろうが、どうやっても万を超えない人口のスメルナ王国へわざわざ来たのなら、何か他に狙いがあるはずだ、とのことだった。
他、つまり——魔神エキドナにとってそれだけの価値があるものではないか。そういう推測だが、魔神の欲しがるものがこの貧しい国にあるようには思えない。それは部外者であるハルトークやアーセナルだから分からないのであれば、誰に聞けば分かるのか。
「聞いていますか、ハルトーク様」
声を尖らせて咎めるユーディットが、扉の穴に指を入れて布をめくろうとした。ハルトークは短い悲鳴とともに、一生懸命布の端を引っ張って妨害する。
「やめてめくらないでだめだめ」
「なら返事をしてください。こちらは真剣にあなたの女性恐怖症を治そうと考えているのですから」
「ごめんなさい何だっけ?」
「もう。何か、気がかりなことでもおありですか?」
図星を突かれ、ハルトークは咄嗟に嘘を吐いた。それは自分のためではなく、ユーディットのため、不安にさせないためで、声を明るくするよう努める。
「大丈夫大丈夫。それよりさ、ユーディット王女は」
「声が大きいです」
「ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ。一応はお忍びで来ているので、ユーディでお願いします。今更ですが、あまりその、身分を知られるわけには」
気遣いが足りなかった、と己の不明を恥じて、ハルトークは言い直す。
「分かった、じゃあユーディは」
そこまで口にしてから、ハルトークは自分の口を押さえた。
呼び捨ては不敬どころか無礼で、そして何より——気付いてしまったのだ。
家族以外の女性の愛称を口にしたのは、初めてかもしれない、と。
「うわあああ女の子呼び捨てしちゃった……!」
「それさえもだめなのですか?」
「ごめんちょっとだけ心臓に悪かった。呼び捨てにしてごめんなさい」
「深呼吸して落ち着いてください、誰も責めませんから。私がそう呼んでほしいと言ったのですから、ね?」
「うんそうね、ちょっと待ってね」
ばくばくと脈打つ鼓動を落ち着かせようと、ハルトークは深呼吸しようとして、鼻から吸うのか口から吸うのか分からなくなり、とりあえずと息を吸って、むせた。激しく咳き込む。ちょこまかと動くゴブリンを叩こうと追いかけていたときでさえ、これほど脈拍が激しくなることはなかったし、息切れしたのは久しぶりだった。
少し床に転がって、ようやく息の調子が整った。ハルトークは起き上がり、ユーディットへの中断していた問いを再開する。
「えっと、ユーディ」
「はい、何でしょう」
「スメルナ王国って、もしかして隠し財宝とかある?」
ハルトークはやはり言ってから気付く。これではまるで、スメルナ王国は国が滅びかけ、民が困窮して今に至ってもなお財産を隠し持っている、と疑っているように聞こえてしまう。
慌ててハルトークは取り繕った。
「ごめん今のはほら国王批判じゃなくて伝説とかないかなって! な、何か、ない?」
ユーディットは少し間を空けて、言葉を選びながら答える。
「伝説、ですか……いくつか、王家に伝わる伝説はありますが」
「どんなやつ?」
「二百年以上前、大陸中の争いを嫌った人々がこの土地にやってきて、このスメルナ王国を建国したのですが、スメルナ王家の人間は元々はとある国の神殿に仕える一族だったようです」
「へー」
「どんな神殿の、どんな神を信じていたのかは記録に残っていません。しかし、伝説では神へ捧げる血を持つ一族だったせいで多くの血を要求され、そのことに堪えられなくなった当時の一族の長が、生き残った一族を引き連れてここまで逃げてきた、とのことです」
ふむふむ、と話を聞き終えてから、ハルトークはその伝説の——神へ捧げる血という言葉の意味を、言い換える。
「それってつまり、生贄ってこと?」
「おそらくは、そうですね。自分で言うのも何ですが、スメルナ王家の人間は美しい顔立ちが特徴、と言われています。大陸の多くの神々は、何らかの優れた特徴のある人間を生贄に欲するもので、その特徴がはっきりと現れる血族は都合がよかったのでしょう」
「なんか……うーん……ひどい」
「仕方がありません。魔物の脅威に晒され、人々は不安でしょうがないのです。神に生贄を捧げて安寧を得るなんて、未だにどの国でもやっていることですし、力のない弱者は強者の言いなりになるしかないのです。それでも、逃げるという選択肢を選び、魔物も強者もいない土地へやってきた先祖は、英断をしたと思います。同じような寄る辺のない人々を集め、長旅の末に貧しくとも平和な土地までやってきたのですから」
ユーディットは、ささやかながらも先祖の偉業を誇りに思っているようだ。脅威があれば戦って打ち倒すことばかりやってきた先祖を持つハルトークとは方向性が違いすぎるが、それもまた、多くの人々を助けたという意味では偉業で、ユーディットの誇りとなるのも納得がいく。
しかし、ハルトークが独りで納得していると、ユーディットは声のトーンを落として、気落ちを隠すように無理をして言葉を発する。
「でも、それももう終わりです。遠くない未来、この国も滅ぶでしょう。皆、住めなくなった土地を離れて、他の国へ行くしかありません。もう魔物はいないかもしれませんが、何もかもをなくしてまだ生きていけるほど、この荒野は甘くはありませんから」
ハルトークは、それを否定できない。
実際に、ハルトークがこの国に入ってから倒した魔物の数は、あまりにも多かった。魔物の血や毒、酸、腐肉は、確かに回収できればさまざまなものに利用できるが、一度に回収できる量にも限度がある。
加えて、鮮度も問題になるケースが多い。辺境にあるスメルナ王国へわざわざ来て、迅速に魔物の死骸から素材を回収できる業者が、どれほどいるだろう。
残された魔物の死骸は、人の手で片付けて、水や薬剤で洗い流さないかぎり、土地を汚染しつづける。作物は有毒化してまともに育たず、毒や酸の影響で専門の装備のない人間や家畜が歩くこともできない不毛の土地になってしまう。
もし人口の多い土地なら何としてでも除染するだろうが、生憎と大して人の住んでいない辺境の荒野を除染する必要性は薄い。
そして、そのための費用を出せるほど、スメルナ王国には体力が残っていないのだ。
魔物を討伐してはいおしまい、ハッピーエンドで大団円、というわけにはいかない。
現実は耳触りのいい物語のようにはならず、救いはそう易々と与えられない。何なら、生きての救いよりも死の安寧を押し付けられることだろう。
ハルトークも、そんな世の中を少なからず見てきた。
見てきても、何もできないのだ。魔物を討伐することしか求められず、何かをしようにも、どうすればいいのか迷い、悩む。それは自分の仕事ではないのだと思っても、救われない人々を見れば、心が締めつけられる。
「すみません。こんなことを、救ってくださったハルトーク様に聞かせるつもりは」
「あ、いや、いいよいいよ。気にしないで」
そうは言うものの、扉を隔てていても空気は重い。
何とかユーディットを励ますべく、ハルトークは重苦しい未来の先、好転するかもしれない将来のことを考えさせることにした。
「ユーディは、ここから離れたら、どこに行きたい?」
しばし沈黙、そしてユーディットはしれっとこう言う。
「考えたこともありませんでした」
「そうなんだ」
「というのは嘘です」
「嘘ぉ!?」
「私は、いろんな国を回ってみたいのです。たくさんの言葉を学んで、旅をして、世界がどんなものなのかを知りたいです」
なるほど、斧を持ってくるようなお転婆なお姫様なら、できそうだ。ハルトークはうんうんと、誰に見られているわけでもないのに頷く。
「なんて、王都からも出たことのない私は、外の世界の厳しさを知りませんから、そういう夢を持てるのですけど」
「いや、いいんじゃない? うん、俺はいろんな国に行ってきたけど、いいと思うよ。変な人いっぱいいるけど」
「変なのですか?」
「馬鹿みたいな威力の変な剣を押し付けてくる鍛治師集団とか、魔物対策の道具を作って試したいから魔物の群れに突っ込んでいく魔法道具師とか、槍を投げただけで大砲みたいに地面を抉る英雄とか、あとはうちのお袋とか親父とか」
ハルトークは思い返してみるが、父も母も姉たちも人類の規格外だし、魔物の討伐に関わる人間は大概突出する能力を持っていて、それと反比例するように精神構造が一般とはかけ離れて変になる。
力を持つと考え方が変わるのだろうか。そう思っても、生まれながらにして力を持ち、鍛えられたハルトークには何とも言いようがない。
誰がおかしくて誰がおかしくないのかを考えていると、頭がショートする。ハルトークは無益な考えをやめた。しょうもない。
そこへ、ユーディットが——本気とも何とも取れない気持ちを、吐露する。
「もし、あなたの妻となったら、いろんな国のいろいろな人たちに出会えるのでしょうか」




