第十五話 急襲・後
咳き込んでいたファシパルーズはようやく落ち着きを取り戻して、アーセナルの思考の手助けに入ってきた。
「以前、人類が魔神を討伐できたのは、四百年前ですよね。それも当時の英雄たちが総出で倒して」
「まあ、総出には違いないな。魔神を誰が倒せるかを競って、出現からたった一日で討伐したわけだが」
「英雄っておかしいですね! それくらいじゃないと魔神なんて倒せないでしょうけど!」
「そうだな。とにかく、魔神となれば魔物討伐とは訳が違う。当代の英雄でなければ倒せない、ハルトークの出番だ」
決して敵を過小評価するわけでも、ハルトークを過大評価するわけでもない。それ以外に手段がなく、アーセナルほか多少魔物を殺す技術が上手いだけの人間では、魔神に太刀打ちなどできはしない。まずもってアーセナルはそう見ていた。
人間には、自然現象を操る魔法や神の奇跡を体現する法術という力がある。しかし、魔神の生じさせる力は、似ているようで、まるで異次元の理を用いている。
第一、四百年前の魔神討伐でも、当事者たちは何も分かっていなかったに等しい——それだけ切迫していたし、当時の英雄たちの決断は結果的に正しかった。後世の人間がぶつくさ言えるのは、当事者ではないからだ。
ようやく室内の爆薬の匂いが薄れてきたところで、ファシパルーズはアーセナルに問う。
「あのー、アーセナル団長。魔物と魔神の違いって、人語を解するかどうか以外に何がありますか?」
「何だ、吟遊詩人なのに知らないのか?」
「いえ、確認というか、認識のすり合わせです。もし、伝説と同じなら相当まずい、ってことは、私でも分かります」
ファシパルーズの言いたいことを把握したアーセナルは、その類の慎重さは得がたい性質であると再認識する。ファシパルーズとなら、『認識のすり合わせ』をする価値はあるだろう。
「なるほど。なら、基礎知識からだ」
「はい! お願いします!」
アーセナルは自分から、知りうる魔神の知識を確かめるように、できるだけ正確に口にする。
「人類生存圏を囲む『黒い鎖』の杭を管理する八柱の魔神は、人類を絶滅させることを目的として様々な魔物を産み出す。また、魔神たちも固有の特殊能力を持ち、魔法とも違う系統の力を操る。対抗手段は基本的に個人の能力ではなく、特殊能力に応じ対策を講じた魔法道具や装備を用いることが推奨されている。たとえば、四百年前に現れた炎と死霊を操る魔神イフリートは、対策として水ではなく風——燃やすための空気を徹底的に奪い、動けなくなったところを討ち取られたと記録されている」
「はい、そこまでは私の知る内容と同じです。あとは……魔神イフリートが現れる前兆として」
「通常魔物の侵攻地点となる『黒い鎖』と関係のない、遠い土地に突如魔物が湧き、襲撃されたと聞く。他の魔神の出現時も、俺が知っているかぎりは似たようなものだ。とはいえ、百年単位で現れる魔神の早急な対策には、あまり役立つ情報ではないが」
「ええ。その被害は一国を滅ぼし、周辺国の人々をも食い尽くすほどだったとか」
「ゆえに、魔神が出現すれば、天災と比肩するか、それ以上の被害も珍しくはない」
魔物をひたすら討伐してきたハルトークとアーセナルたち、それに人命救助に従事するこの国の兵士たちや必死に逃げ延びた民たち、心身ともに削って支援に注力する国王や大臣たちの努力もまた、ひとたび魔神が現れれば——無に帰すだろう。
しかし、それは無策であれば、の話だ。
「対策を打つ。そのためには、予測の精度を上げておく必要がある」
アーセナルはやる気に満ちていた。逃げるという選択肢は、まだ早い。
なぜなら、ここには最強の騎士ハルトークが滞在しているからだ。
ハルトークの強さを、アーセナルはよく知っている。初めて会ったとき、その強さからすぐに自分のいる騎士団へスカウトした。世間知らずの少年は二つ返事で応じ、瞬く間に頭角を表した。
それから、互いに事情あって立場は変遷し、魔物討伐を生業とする最強の騎士と流浪の騎士団の長という身分になったが、何度も戦場で会い見えるたび、ハルトークは成長している。もはや、英雄と呼ばれて当然であろうと世間は評価するだろうが、やっかみを買いやすく誰もが認めるほどにはなっていないだけだ。
アーセナルはその場にいる全員へ目配せをして、部屋を出た。ファシパルーズもついていく。
ファシパルーズは、アーセナルとの会話にどれほど価値があるのか、気付いているだろうか。無邪気に装う少女の吟遊詩人の内心はさておき、会話は続く。
「では、ここまでの認識のすり合わせは問題ないということで。それで、問題はどの魔神が、なぜここに、どうやって現れるか、ですね。それらが分かれば、希望はありますよ!」
「それはそうだが、魔神の襲撃の理由は今なお不明だ。以前の魔神イフリートの出現理由も、なぜその土地を選んだのかも、何も分かっていない」
「会話はできなかったんですかね?」
「その前に英雄たちが話を聞かずに倒してしまった」
「何でそういうことするんですかね!」
「とにかく、現状でも、スメルナ王国に今後現れるであろう魔神の正体は見当がつく」
アーセナルは店舗部分に戻り、外に出て、それぞれの班に分けた騎士たちの無事を確認する。誰一人被害を出さず、この場を凌げたことは僥倖だった。スメルナ王国側へのちほど情報提供の場を用意してもらうよう連絡要員を派遣し、撤収はあっという間に終わる。
ファシパルーズは待っていた。待たされているというよりも、アーセナルでさえ魔神の名を口にするには心の準備がいるのだと知っているのだろう。
アーセナルの考えが一つ間違っていれば、どれほどの人命が失われてしまうか。もし合っていたとしても、正しい対策を取れなければ、被害がどこまで広がるか。
そして、すべての騎士団員が帰途に着くその最後尾について、アーセナルはやっと、熟考の末に答えを導き出す。
「散々考えたが、これしか思い浮かばない。古文書において、蝙蝠女ミニュアデスを使役する者、不死の花嫁、怪物たちの母である蝮の女と呼ばれる魔神。スメルナ王国を狙っているのは、『魔神エキドナ』だろう」
人類側は、八柱すべての魔神を知っているわけではない。四百年前に魔神イフリートが討伐されたあとが空席なのか、それとも別の魔神が生まれたのか、それさえも確認できていない。
だからこそ、あくまで人類側に残る記録の中にある魔神から推測するしかないが、今回は幸運にも蝙蝠女ミニュアデスという手がかりが活きた。以前も人類生存圏に現れた魔神である、と考えられ、そして手がかりによって該当するであろう魔神が一柱、いる。
それが、魔神エキドナだ。女の姿を取る魔神であり、蛇の下半身を持つ。
自身よりもはるかに巨大な魔物さえ産み従え、類を見ない規模の魔物の大群を引き連れ、人間を捕食しながら、捕食した魔物を食いながら、進軍しながら新たな魔物を産む。魔物は鼠のように増え、周囲の人間を食い尽くせば、魔神エキドナはいつの間にか姿を消す。人類との戦いの結末は、いつもその繰り返しだった。
「否定する材料があればよかったんですが、やっぱり私も同じ魔神を予想してしまいました。吟遊詩人の語る詩歌にもありますよ、百二十四年前にガリシア帝国のはずれに出現した、億を越える魔物の女主人。何より合成獣の産みの親ですから、蝙蝠女くらい産めますよね……はあ」
自分で言っておきながら気分を落ち込ませるファシパルーズの背を、アーセナルは励ましになるようぽんと叩く。
「喜んでいいぞ、記者にとっては特大ニュースだ」
「記者じゃありません! 吟遊詩人です!」
思ったよりも、ファシパルーズは元気そうだった。落ち込むのはいっときだけということか、とアーセナルは微笑ましく思う。
アーセナルは近くにいた大柄の騎士を呼んだ。
「マクマラン、ハルトークを騎士団の宿へ呼んできてくれ。緊急事態だ、急げ」
騎士マクマランは無言で頷き、駆け出していった。アーセナルにとっては、判明したことをできるだけ早くフィードバックしておく、そうしてハルトークにも対策を練る一端を担ってもらう、そういう算段だった。
そうしている間に、ファシパルーズは立ち止まって考え込んでいた。アーセナルは道を戻り、それに気付いたファシパルーズが慌てて小走りでやってきた。この状況について真剣に考えすぎて、足が止まっていたようだ。
「あのですよ? 魔神エキドナって……うーん、彼女は特徴的な、特殊能力らしいものってありましたっけ? 逃げ足が早いのはともかくですよ? 怪物たち、つまり魔物を産み出す能力が高いことは知っていますが、それだけですか?」
アーセナルは、なるほど、と思った。自分とファシパルーズの認識が違う点が、やっと見えたからだ。
「ああ、それだけだ。だからこそ、厄介なんだ。物量で攻められれば、戦える者の少ない、守る者ばかり多いこちらは圧倒的に不利だ」
戦略以前に、戦の基本は敵よりも兵や武器の数を用意することだ。
そのために兵站を整え、軍備を揃え、大軍をもって寡兵を破る。これが基本にして極意だと言っていいだろう。しかし、現実にはなかなかできないことでもあり、だからこそ——滅多に起きないが——人類間の戦争というものは往々にして勝敗が読めない。
対して、人類と魔物の戦争においては、人類側は常に数で劣り、その不利を補うためにさまざまな技術が広範に発達してきた。
であれば、魔物側はどうだろうか。
魔物はほとんどの場合、大群をなしてやってくる。その数は小規模でも数百、大規模になると万を超えることも珍しくはない。まさに数の多さを生かして数の少ない人類を叩き、その繰り返しをするだけだ。
加えて、魔物の場合、人類ほど兵站を整える必要はない。まず食料は現地調達だ、人間を食う。軍備に関しては生まれ持った爪や牙、巨体がある。道具を使う場合でも、作成がそう難しいものではない。魔物の中でも種族の違いから行動や習性が違うことはあるが、数の力というのは、それを補って余りある。
そして何より——指揮官がいてもいなくても、魔物はどこまでも殺戮の限りを尽くす。これだけですでに、力を持たないものが大半である人類にとっては脅威なのだ。
その脅威が、本当に億を超えれば、人類は対抗できるのか。
アーセナルは思いついてしまった疑問を、頭を振って散らせる。
(いいや、違う。百二十四年前の魔神エキドナの出現でも、人類は絶滅しなかった。魔神エキドナの討伐には失敗した、それは苦い敗北ではあったし、被害者数は恐ろしい数を数えたが、生き延びることができた者もいるからこそ情報が今、俺たちに伝わっている)
ならば、対抗できるのだ。対抗するための策を、アーセナルはこれから考える。そうしなければ、アーセナルもこの国の人間も、もしかすればハルトークだって生き残れない可能性があるのだから。
「となると、戦えない人々の避難を急がせて、ということですか?」
「いや、そもそも魔神エキドナの目的、目標が不明だ。それに、どこに現れるかは分からない以上、避難した先が狙われない保証はない。できれば、連携しつつ分散して避難したほうがいいだろう」
「でもですよ? 人語を解する蝙蝠女ミニュアデスを送り込んで、この王都で何かを調べていたってことは、間違いなくここにしかない人類に関するものを狙っているのでは?」
「そうは思うが、その価値があるものは一体何だ?」
「そうですねぇ……魔神エキドナなら、魔物を生むための栄養のあるものとか?」
「人間だとしたら、こんな辺境じゃなくもっと人口の多い土地を狙ったほうが効率的だが」
「分かりませんよ? 一例でしかありませんが、人口の多いところだと、英雄たちが真っ先に駆けつけてきて魔神イフリートみたいにすぐ倒されるじゃないですか。それに、効率で言うならやっぱり少数でも栄養価の高い人間を選ぶでしょうし、危険も少ないです。試しにやってみた、という話かも」
「ふむ、あちらも学習したのかもしれないな」
「だったら、ちょっと情けない理由になっちゃいますけどね!」
ふふふ、とファシパルーズは機嫌よく、含み笑いをする。その気持ちは分からなくもないが、案外、いや当然のように図太い性分だ。
ファシパルーズとの会話で、アーセナルも少しは対策の糸口が見えてきた。事実の積み重ね、認識のすり合わせ、知識の交換、これができるだけでも大きく違う。
アーセナルはさらに情報を得るため、ファシパルーズに指示を出す。
「ファシパルーズ、念のためだ、このあたりで宝物と呼ばれるものは何か、探ってきてくれないか」
「分かりました! 少々お待ちください!」
「頼んだ。何かあれば宿へ来てくれ」
ハルトークへの取材申し込みという交換条件があるとはいえ、協力的な態度を取ってくれているファシパルーズに感謝しつつ、アーセナルは騎士団の拠点としている宿へと戻ることにした。
魔神エキドナの狙いさえ分かれば、十分に勝機はある。アーセナルは巡る頭に集中しつつ、足は勝手に宿へと向かっていた。




