第十二話 私、スメルナ王国王女のユーディットです!
そうしてアーセナルが王宮に招集された翌日のことだ。
ハルトークの宿を突き止めたアーセナルは、朝一番に訪ねた。巣にしているのは二階建ての宿の角部屋で、大臣からもらった銀貨三枚で三日の宿泊を頼み、やってきてから食事にも出てこず部屋に籠っていると宿の主人は不審がっていた。
アーセナルからすれば、いつものことである。一週間もの魔物の討伐を終えて、疲れてベッドから起き上がれなくなっているのだろう。超人的な体力を持っていても、休まずにいられるわけではないのだ。
アーセナルは、二階の角部屋の古びた木製の扉をノックする。
「おいハルトーク。開けろ」
すぐに、眠そうな声で返答が来た。
「やだー寝てるー」
「起きているだろうが。話がある」
「起き上がりたくないからまた今度ー」
正直、アーセナルは今すぐ扉を開けて叩き起こしたかったが、そこまでするほどの急ぎの用事があるわけでもない。穏便に済ませる。
「じゃあ、王宮からの手紙を扉の隙間から入れておくからな。あとで読んでおけよ」
「いーやー」
「読め。すぐにだ」
眠さのあまり聞き分けのないハルトークに呆れつつ、アーセナルは持ち手横の隙間から手紙を差し込んだ扉の前を離れた。少し待ったが、起きてくる気配はなく、仕方なく踵を返して階段を降りようとしたそのときだった。
階段を昇ってくるショールを被った女性と、肩がぶつかったのだ。アーセナルはよろめく女性へ咄嗟に手を伸ばし、背中を支える。
ちらりとショールの中に見えたのは、美しい少女の顔だった。緑色の目は大きく、はっきりとその透明感のある色を見ることができる。それに、右耳の前に一房垂れた金髪も、よく手入れされている。
とはいえ、詮索することでもなし。アーセナルは少女の足が階段を昇りきったことを確認し、背中から手を離した。
少女はアーセナルへ礼儀正しく頭を下げる。
「すみません、前を見ていなくて」
「こちらこそ申し訳ない。大丈夫ですか、お嬢さん」
「はい、ありがとうございます」
そんな会話を交わして、アーセナルは階段を降りた。どことなく身なりがよく、足運びもダンスの心得のある良家の子女らしい少女だったが、少なくとも——暗殺者ではないことは確かだ。それだけ分かれば十分だった。
☆
自然と緊張で早くなる鼓動を抑え、ショールで顔を隠したユーディットは、宿の主人から聞いたハルトークの部屋の前に辿り着いた。
リディアとバルトスに相談して、ハルトークの人となりを直接確かめに行く、と決めたのは昨日の晩のことだ。ハルトークが王都にやってきたこと、大臣から銀貨三枚を受け取って宿に泊まっていること、そして——王宮では彼への報酬を決めかねていることを、ユーディットは聞いていた。広間の外で盗み聞きしたり、使用人たちの噂を聞いたり、狭い王宮ではすぐに情報が伝わっていく。
もし、ハルトークが自分の結婚相手となるなら、気に入られるように努力をしよう。そうでなくても、彼が欲しい報酬の手がかりが得られるなら、それはそれでいい。
とにかく、接触して、話をしてみないことには始まらない。ユーディットはそう考え、自ら動くことにした。リディアやバルトスは使者として代わりに行くことを提案してきたが、おそらく当事者同士でなければ腹を割って話すこともできないだろう、と判断してのことだった。
もちろん、襲われそうになれば逃げるように、と心配しきりのリディアに念押しされて、王女の身分を隠す地味な服装をさせられて、リディアとバルトスは本来は禁じられているユーディットの外出を誤魔化してくれることになった。
ユーディットは身だしなみを整え、深呼吸をする。もし自分が王女だと信じてもらえなかったらどうしよう、ハルトークが乱暴な人だったらどうしよう、などと不安は尽きない。
それでも一歩を踏み出し、拳を扉の前に伸ばし、ユーディットは軽く三回、扉を叩いて呼びかける。
「ハルトーク様、いらっしゃいますか? 私、スメルナ王国の」
「もー! いいってば! 王宮とか嫌!」
突然の大声にユーディットが驚いていると、扉を室内に引いて開き、ほんとにもう! とドアノブを掴んでフランクに怒っている青年が現れた。
目が合う。ユーディットも青年も、固まっている。
ユーディットから見て——顔も体も傷だらけの、パジャマのズボンだけ履いた半裸の赤毛の青年は、宿の主人の言葉が間違いでなければ、おそらくスメルナ王国救国の英雄、最強の騎士と名高いリーベル・ハルトークだ。
てっきり強力な魔物を討伐しつづける騎士なら筋骨隆々の気難しい人か、と思っていたのに、それほど怖い顔でもない。むしろ童顔だ。ユーディットより少し年上の、二十歳そこそこの青年だろう。
ユーディットはやっと会えた結婚相手候補に、声を弾ませる。
「ハルトーク様ですね? 私、ユーディットと申し」
「いやああああ!!!」
いきなりの絹を裂くような悲鳴、そして扉は勢いよく閉められた。
閉め出されたユーディットは、唖然とする。
何事か、とユーディットは混乱したが、すぐに頭を振って扉を再度叩く。
「あの! ハルトーク様ですよね? 私、スメルナ王国王女のユーディットです!」
「知りません知りません帰ってえっち!」
「何がえっちですか! 帰りません! あなたがハルトーク様であることは確かなのですね? 宿帳も見ました、ばっちりリーベル・ハルトークと書いていました!」
「偽名です!」
「それを宿の主人の前で言えますか?」
「言えません! 嘘吐きました! ごめんね!」
ユーディットはドアノブを回そうとする。しかし、内側からがっちり掴まれていて、開く気配はない。いっそ壊して入ってやろうか、とユーディットのお転婆の本性が見え隠れしてきたそのとき、ハルトークは妥協案を示してきた。
「待って! ちょっと聞いて話!」
「何ですか?」
「いやさ、俺に話があるんだよね?」
「はい、急ぎの話です」
「じゃあそこで話して」
「はあ?」
「嫌なら帰ってください」
「分かりました、話します。耳かっぽじってよく聞いてくださいね」
「やだ何それ怖い」
こほん、とユーディットは咳払いをして、明朗な声で扉へ語りかける。
「王女である私は、あなたへの報酬として嫁ぐことになりそうなのですが、いかがですか? あなたはお嫌ではありませんか?」
しばし沈黙があって、ユーディットはその間もドアノブを回そうとしているが、びくともしない。
やがて、中から不安げな声が聞こえてきた。
「え、そんな報酬別に欲しくない」
「何ですか! 私が嫌なのですか!」
「違うから! 俺は嫁さんなんて欲しくないの!」
「男性がお好みですか?」
「違います! でも女も嫌!」
「わがままですね! じゃああなた、結婚でもしているのですか?」
「してません」
「じゃあ何が嫌なのですか。他の報酬を選ぶためにも、お教えくださいませ」
再びの沈黙を受け入れるほど、ユーディットは気が長くない。
「答えないなら斧を持ってきますよ」
「王女が斧持つの? この国野蛮!」
「あなたがそれを言いますか」
「俺は野蛮じゃないですー。話の通じない魔物をぶっ殺してるだけですー」
「ならそれでいいですから、答えてください」
「だって……女って怖いじゃん。すぐ怒るし殴るし殺そうとしてくるし」
「はあ?」
「何でそんなドスの利いた声出せるの? 君本当に王女?」
そんな言葉を無視し、ユーディットは、まるで扉を開けようとしないハルトークを相手に今日はこれ以上ここで粘っても無駄だと確信した。
「分かりました、では今日のところは帰ります」
「はい、お疲れ様でした。その話断るからもう来なくていいよ」
「明日も来ます。何なら明後日も来ます。ここにいてくださいね」
「何で? 俺ここから出られないじゃん!」
「出てもいいのですよ。ちゃんと面と向かってお話ししましょうか」
「嫌です」
「あなた、本当に最強の騎士リーベル・ハルトークなのですか? 随分と、イメージと違いますけど」
「そんなこと俺に言われても。勝手に想像してて俺に文句言われても。理不尽よそれ」
確かに、理不尽ではある。それはユーディットも反省した。
この日、ユーディットはあっさりと退散し、宿の主人にハルトークが逃げないよう見張っておいてほしいと言い含めて、なけなしの銀貨を握らせた。




