第十話 暗澹たる交渉・前
ハルトークの魔物討伐開始から四日後。
アーセナルが呼んだ天馬で構成された偵察隊の空からの観測によれば、スメルナ王国国内において、魔物の姿は一匹も見られなくなった、とのことだった。
元々スメルナ王国は三方を高い山脈に囲まれ、辺境ではあるが魔物が出現する人類生存圏の先、魔神たちによって築かれた圏境線『黒い鎖』からは遠い。ゆえに、『黒い鎖』の先にある魔神勢力圏から継続的に魔物が送り込まれてくる、ということはないだろう、との結論に至った。しかし山脈地帯に魔物が隠れている可能性もあるため、これから各地へ兵を送り、くまなく巡って確認作業をしなくてはならない。
それらの連絡、指揮、スメルナ王国側との交渉、支出管理、さらには各種業者の窓口業務などを一手に引き受けたのが、アーセナル騎士団だ。アーセナル自身がこうした折衝や事務に滅法強く、対魔物戦力だけでなくその能力も込みで各国の信頼を得ているだけあって、特筆すべき混乱もなく事態は収束へと向かっていく。
問題は、そのあとだ。
隣国の大規模討伐から連続しての強行軍にも、アーセナル騎士団は服装の乱れ一つなく、統率された姿をスメルナ王国の避難民に見せつけてきた。
自分たちを助けにきた連中が、疲れを見せてみすぼらしい格好をしているとなれば、せっかく助けられても失望、あるいは絶望してしまう。追い詰められての暴動や離散、無法行為に走らせないよう、最大限気を配る必要があった。
その甲斐あってか、アーセナルはここまでの道のりで魔物との戦い以外の危機に遭遇したことはなく、スメルナ王国の避難民たちも救助を歓迎していた。
先行した『最強の騎士ハルトーク』の噂も自然と広まっており、不思議と避難民たちは笑顔を見せていて、アーセナルは随分と胸を撫で下ろしたものだった。
少なくとも、人類側の失望による不幸な出来事はスメルナ王国には訪れないだろう。避難民とそれを助ける兵士たちを見て確証を得て、アーセナルは騎士団を率いて王都へ上る。
王都といっても、街並みはいかにもな古都然としたもので、他国であれば地方の商業都市程度の規模だ。ただし、田舎臭さはなく、どこか洗練された印象も受ける。
これは約二百年前に争いを嫌って逃げてきた人々の中に、当時の最先端の美意識や建築技術を持つ知識人がいたことによるものだ、とアーセナルは案内役の兵士から説明され、納得した。確かに、どこかでそんな話を聞いた覚えがあったからだ。
王都での衣食住の手配と馬の管理を部下に任せ、スメルナ王国王都に向かっているというハルトークからの連絡を待ちつつ、アーセナルは王宮へ出向いた。国王からの呼び出しがあり、アーセナル側もそろそろ直接話をつけなければならないこともあって——ハルトークが殊勝にもこんなところに来るわけないことから、代理としてやってきたのだ。
贔屓目に見ても古い砦にしか見えない建物を前にして、アーセナルはこれから主張しなければならないことに暗澹たる思いを隠し、出迎えた大臣に連れられて広間へ入る。
小さな広間だった。詰めれば人が数十人は入れるだろうが、それだけだ。木製の玉座には白磁器の装飾があり、その歴史と貴重さにはアーセナルも目を引かれたものの、他に王宮の広間らしさはない。せいぜいが、軍議の会議場くらいの印象しかなかった。
玉座から立ち上がり、アーセナルの前にやってきたのは、アーセナルとそう年齢の変わらない少壮の国王だった。金髪に緑の目の、なかなかの美男子だ。こんな辺境にいるのはもったいない、と思えるほどに整った顔で、一方で疲れの色が濃い。
無理もない、いきなりの降って湧いた滅亡の危機に対処するため、ろくに眠れていないのだろう。目の下には明らかにくまができていた。
アーセナルは一応は片膝を突いての敬礼をしようとしたが、国王は慌ててそれを止め、こう言った。
「よいのだ、家臣でもない恩人に礼を尽くさねばならないのはこちらだ。大いに助かった、感謝する、アーセナル騎士団長」
「過分なお言葉、痛み入ります、陛下」
「ああ、そう畏まらずともよい。状況が状況だ、堅苦しいことは抜きにしよう。まずは、報告を聞きたい。頼めるか?」
「もちろんです」
そうと決まれば、アーセナルは国王へ着席を促し、スメルナ王国の現状とそこまでの経緯を語る。
「八日前、我々とハルトークは貴国の依頼を受け、王国内の魔物の討伐を開始しました。昨日までのハルトークの活躍により、現在ではほぼ王国内の魔物はいなくなった、と見ていいでしょう。無論、各地の調査、逃亡した魔物がいないかを隅々まで確認しなければなりませんが、すでにスメルナ王国全土をアーセナル騎士団および熟練の素材回収業者が見回っています。しかし、魔物の死骸や血で汚染された土地はしばらく使いものになりません。そちらの除染の見積もりはもうしばらくかかります、胃が痛くなる金勘定は後回しにしましょう」
アーセナルの報告を聞き、大臣や官僚たちは色めき立つ。金が云々よりも、魔物の脅威から解放された喜びが強いのだ。
とはいえ、国王は真剣そのものの顔だ。それを見て、一時は高まるかと思われた歓喜の声も、すぐに静まった。
アーセナルは気にせず続ける。
「魔物の死骸など利用回収できるものの処分はいかがしますか?」
「ああ、できればそちらに任せたい。我が国には技術も伝手もない、どうしようもないのだ」
「では、諸々の連絡や手続きはこのアーセナルが。ですが、あまり期待なさらないよう。業者は買い叩く理由を難癖つけてきます、遠隔地だからだとか、経費がかかりすぎただとか、何とでも。私もできるかぎり交渉しますが、おそらく国庫を潤すようなことはないでしょう。加えて、そういった金を持つ連中を狙った山賊のような輩も横行しますので、治安の悪化が懸念されます。警戒を厳重にしてください」
国王は、大きく頷く。一気に現実に引き戻された大臣や官僚たちは、どうにも重苦しい空気に包まれていた。
アーセナルの報告を聞いて、いくつか国王は大臣たちへ指示を出し、何人かは広間を出ていった。少なくとも、国王より若い事務官は姿を消した。
それを見計らって、アーセナルはもっとも重要な、それでいて言い出しにくい話を切り出そうとする。
「さて、これほどの貴国の惨状を目の当たりにしたあとでは大変心苦しいのですが」
その前置きから、内容は察せられたのだろう。
「分かっている、騎士団と……騎士ハルトークへの報酬だろう」
「お察しのとおりです。我々とて霞を食って生きているわけではありません、腹を満たし装備を整え、魔物を討伐しつづけることが求められています。特に、ハルトークは大陸各地でひっきりなしに呼ばれるほどです。やつの活動を後押しするためにも、どうか」
そうは言ったものの、アーセナルも満足いく報酬がスメルナ王国からもらえるとはこれっぽっちも思っていない。
しかし、無報酬というわけにはいかない。金額の寡多ではなく、『タダ働きをしてくれる存在』だと思われることがよろしくないのだ。まさか、命を懸けて戦う人間の価値を、無価値にするわけにはいかない。そんなことをすれば、アーセナルやハルトークだけでなく、同業の戦士や騎士たちにとっても悪影響を及ぼす。
国王は、固い顔のまま玉座から立ち上がり、アーセナルへ命令、ではなく、頼んできた。
「ついてきてくれるか」




