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♯21 レーゲンの招かれざる客 Ⅲ

 ──バケツ一杯の水を三度浴びて、マイケルはようやく目を覚ます。


「ゲホッゲホ──あれ、オレはいったい何を……?」


「おお生きてたか! いやーよかったよかった!」

 粗野な男はマイケルの顔を覗きながら、気分良く大笑いする。──さっきまで必死の形相で水を浴びせていたってのに……すごい気の変わりようだ。


「……ヘド、やり過ぎだよ。これじゃ台無し」

 襟巻の便利屋が、次の分をぶら下げながら赤毛の女を叱責する。


「あはは……つい気持ちが昂っちゃってね」

 当事者は首の後ろをさすりながら、白い歯を見せてあどけなく笑う。……いや、当然仕方のないことだったと誤魔化しているだけにすぎない。


「それで、結局こいつは誰なんだよ? あれか、遂にお前にもダチが出来て!」

 空気を読まず冷やかす男に、目覚めたばかりのマイケルは心底嫌そうな顔で応対する。二人に流れるぎこちない空気を見かねた襟巻の便利屋は、バケツの水をシンクに捨てながら助舟を出す。


「ジャック・ファウスト……蝗を一人で仕留めた自称スカベンジャー」

 便利屋は未だ疑いを捨てきれていない様子だ。事実つい先日まで、青年ジャックは、誰かの亡骸に縋らないと生きていけないただの屑拾いでしかなかった。あるいは、永劫に。三人ともが、彼は本心から話していることは理解しつつも、尚到底、信じられる話ではないのだろう。


「っ華奢な割に中々やるじゃない! 

私はヘードヴィヒ、ヘードヴィヒ・フレル。隣の小っちゃいのが……」

 快活な赤毛の便利屋ヘードヴィヒは、切羽詰まった会話を強引に動かす。


「……ユーリケ・レーヴェツォー」

 続いて、話を振られた襟巻の便利屋、ユーリケが面倒そうに名乗り上げる。ヘードヴィヒは呼吸を合わせて、適切なタイミングでパスを回す。

 

「そんで、そっちの酒臭いのが──」


「ゲオルク・ユンカースだ。ここ、レーゲンの事務所で代表をやっている」

 粗野な男、あらためゲオルクは一歩踏み出し、胸を張って伝える。侮辱されているのに、待ってましたと言わんばかりの気持ち良い剣幕だ。

「俺の事はゲオルク()()とでも、ヘル・ユンカース(Mr.ユンカース)とでも好きに呼んでくれたらいいからな」


「……ただの飲んだくれ親父でいいでしょうに、変な事吹き込むんじゃないよ!」

 ヘードヴィヒは横目で睨みながら、調子に乗るゲオルクへ吠える。真反対に慈母の様に朗らかな笑顔で、ジャックらへ柔らかく話しかけた。

「今夜はもう遅いし、二人とも家に泊まっていきなさい。ジャックちゃんはミーヒャの部屋を一緒に使っていいからね」


 マイケルは、部屋の件を聞き耳した途端に気を悪くする。

「はァ?! んでコイツなんかと相部屋じゃなきゃなんねぇんだよ」


「何 か 文 句 で も あ る っ て ん の?」

 応対する時の高い声から、裏社会を知りつくしたのであろうドスの効いた声に変えて、ヘードヴィヒは強く抑圧する。その一言だけでマイケルを委縮させ小さく頷かせた。

「それはそうとあんたにゃ、聞かなきゃならないことが山ほどあるからねぇ」

 ヘードヴィヒは拳を鳴らす。貼り付けた笑顔に青筋を立ててマイケルに迫った。

 

「お、おい! 分かったからよ、あの……な、何でしょうか?」

 般若に怯えながら、めったに使わない敬語で尋ねる。


()()()って言ったの、ちゃあんと聞こえてんだから。今更なかったとは言わせないよ」

 ヘードヴィヒは眼前で仁王立ちし、先ほどマイケルが小声で揶揄った悪口について追及する。


「相変わらずのふざけた地獄耳だな……

や、やめろ! コッチに来るんじゃねぇ! ジャック、助けやがれ! うッうわ!」

 マイケルは咄嗟に、ジャックに助けを求める。ジャックは両手のひらを見せ、災害に対して人間は無力であることを示す。──今更、何を言っても悪化するだけだろう……マイケル、もう何も喋るな。


「うふふ~ジャックちゃんは気にしないで頂戴! 今のうちに荷物でも置いてきちゃって。ちょっと軽めに〆るだけだから」

 笑顔で会釈するヘードヴィヒは、指をポキポキと鳴らした後、じたばたと暴れるマイケルを片腕だけで担ぎ上げる。ジャックは彼の為に、胸元で十字を切ることしか出来なかった。


 後ろの方でゲオルクが、やれやれと溜息を吐く。

「ま、そりゃこうなるよな。ウッリ、部屋まで案内してやれ

それと話なんだが、あとで聞いてやるよ」

 指示を受け取ったユーリケは、手招きをした後キッチン横の険しい階段を上る。


「ほ、本当ですか?! やった! ありがとうございます!」

 ジャックは勢いよくお辞儀する。一先ず惨劇から目を背け、小走りでユーリケの後を追うのだった。

 

          * * *


 ジャックは時折階段下を振り返りながら、ユーリケの後に続く。──悲鳴が止んだ。一体何をされたら、あのマイケルがこんなに……。


「危ない……前を向いていないと、躓く」

 ユーリケが気を遣ってか、最初の時よりも幾分か優しく注意する。


「で、でも」


「……アレは、自業自得だ。ミーヒャが選択した道に伴う代償」

 心配するジャックを、思いのほか冷たく突き放す。ここに居る人達は皆、自分よりも長い間共にいた筈だ。現にお互いをあだ名で呼び合っている。それなのに、余りにも厳しすぎるんじゃないかとジャックは訝しんだ。そして、好奇心に誘われて尋ねる。


「──あのっ……やっぱりマイケルは、ずっと家から飛び出していたんですよね」

 せかせかと歩いていたユーリケだったが、ジャックの言葉に不意に脚を止める。

「ここに帰るのを嫌そうにしてた。でも俺には、貴方たちが悪い人には見えないんです」

「あいつもここを故郷だって……何で、あんなに」

 

 ユーリケはしばらく立ち止まったまま考え込んだ。そして、震える声で呟く。

「……故……郷」

 ジャックは首を傾げる。──記憶違いだっけ? たしかにマイケルの口から、そう聞いた筈なんだけど。


Homo(ホモ) homini(ホムニ) lupus(ループス)

 ユーリケは上を向いて、今度は理解すらできない言葉の羅列を呟く。一度、深く息を吸い込んだ後、便利屋は再び歩き出した。

「知らない。無理に聞くつもりもない。

……本人が話したくなったらでいい」

 元のゆったりとした調子に戻り、ユーリケは雨粒を払いのける様にあしらう。


 じめじめとした場所に相応しい、ぎこちない会話が二人を取り巻く。フロア一つほど上った場所の、べたついた木板で作られた、剥き出しの廊下の先。階段を出て左を向いた側にある、大きな木箱のような構造物を便利屋は指差す。

「部屋は其処、しばらく中で待ってて」

 ユーリケは素っ気なく伝え、階段下へと踵を返す。

「私も少し、話したいことが出来たから……追って迎えに行かせる」

 便利屋は感謝を意に介さず、フラフラとした足取りで消えていった。


 ジャックは足裏をミシミシといわせながら、渇いた木の板の上を歩く。

「まったく仏頂面な人だったなぁ……マイケルも割と、機嫌が悪い時はあんな感じだけどさ」

 ジャックは一度、部屋の前で立ち止まる。涼しい風が半身を通り抜け、月明かりが足元を照らす。風の行方に身を任せ、色褪せた明るみの方へ体を向けた。


「これが海ってやつか、なんだか……」

 しょっぱい、変な匂いがする。だがジャックにとって、それは同時に心地良い感覚でもあった。──昔、婆ちゃんが言っていた。海は奪われちゃったから、尊いんだって。いまいち理解できてないけど、やっとこうして辿り着くことが出来たんだ。


 一度腹に空気を溜めて、大きく深呼吸する。

「っよし、さっさと入っちゃおう」

 折角のチャンスだから、いかがわしい物がないか漁ってやろうと、ジャックは一度悪巧みした。だが、先ほどのいざこざが後ろ髪を引いて、そんな気にはなれそうにない。


「……やっぱ大人しく待っておこっと。

これ以上は流石に駄目だって。なにも触らないまま、大人しく……」

 意味もなく怯えながら、綺麗に拭かれてある取っ手を押した。

 真っ暗の部屋に、月明かりが寂しく差している。ジャックは音が鳴らないように、そっと扉横へ荷物を纏め置く。横長の部屋の左端……無機質な寝台の反対側にある唯一の窓際に沿って、見覚えのある作業机があった。半分を月明かりに照らされたそこへ、ジャックは吸い寄せられるように近づいた。


「にしても、思ってた以上になーんにもないな」

 賑やかで散らかっていたリビングと異なって、この部屋はとても寂しい。壁に適当に張り付けられた、工房の製品を掲げるボロボロの広告ポスターだけで他には何もない。──あいつが工房オタクなのは知ってたけど、それ以外に趣味はないのか? それすらも、あまり大切にはしていなさそうだし。

 こんな時代でも、娯楽は沢山残っている。号外の読み切り、伝説を残した便利屋のインタビュー雑誌に新たに組み上がった文学、少し高価だが音楽だって流通していた。

 それこそジャック、彼は料理好きだ。贅沢に材料を揃えられる程裕福とはいかなかったものの、調味料に始まり可能な限りこだわって見せていた。……殆どが期限を過ぎて、腐っていたりしたものだが。


「これじゃまるで、寝るためだけの部屋じゃ──なんだこれ?」

 机の前に辿り着いたジャック。傷だらけの机の上に、月夜に照らされて銀色に輝く何かが置いてある。

 小さな部品を手に取る。──歯車だ、小さいのにとても分厚い。記憶が間違っていなけりゃ、結構高値で売れる部品だったような……?

「どっかの精密機械っぽいけど憶えてないな

ん? 何か書いてある」

 触れてみると、汚いが確かに文字が彫ってある。ジャックは目を凝らす。──暗くて読めそうにない。好奇心に駆られて、月明かりに掲げる様にそれを持ち上げてみる。

「……()()()()()? なんでこんな、大体何を」

 ジャックは意図もなく、ピントを変える様に向かい合わせになっていた壁を見る。散らかった工具……その上に多数の張り紙が、重ならないよう乱雑に貼ってある。──霞んだ顔写真、上塗りにされた印。痒い。烙印は、永久に体を焦がし続ける。テーリヒト、ヘンリック、クリーガー、シュッツ……まだだ。次は……。

 ああ。どうか、忘れさせてくれ──頭がっ!


「──おい! 何やってんだ? 電気もつけないまま、壁の前でボケーっと突っ立って」

 気が付くと、部屋が明るく灯される。今更だが、どうやらこの家には、電気が通っているらしい。マイケルが藪から棒に、呆然としているジャックへ声をかける。


「あっ──ま、マイケル! 大丈夫だったんだね」

 ジャックは慌てて振り返り、笑顔を繕い浮かべて応じる。


「まぁな……あの野郎、思いっきし叩きやがるから」

 マイケルは悔しそうに顔を顰めながら、左手で臀部を摩る。


「おしりぺんぺんでもされたの?」

 動揺を誤魔化すように、ジャックは軽く冗談を言う。


「違ぇよ! クソッ、痛ぇ……

オマエ、オレが居ないからってよ、変なところ漁ったりしてねぇよな?!」

 マイケルは声を上ずらせる。──こいつ、まさか本当に。

 恥ずかしかったのか顔を真っ赤にして、ジャックの側へと詰め寄った。


「……遊星歯車」

 元気そうに怒っていたマイケルの顔が、瞬く間に冷たくなる。彼は机に置かれていた、奇怪な形の歯車を見て、気の抜けたように呟いた。


「それ、最初からそこに置いてあったんだよね

お、俺は何にも触ってないからな?! 断じて!」

 ジャックは一人、彼の気に障らぬ様精一杯誤魔化す。

 しかし、当のマイケルは何の気にも留めていない。普段の喧嘩勝りな態度はどこ吹く風といった具合に、俯いて語り出す。


「トルクを変換して使う為の部品だ。

 ……そいつはもう欠けちまって、使い物にならないから、置きっぱなしのままだったんだろうな」

 彼は隠すように、ポケットへ手のひらほどの大きさのそれを入れた。吐息を漏らして回れ右をした後、きびきびと部屋を出る素振りを見せる。

「充分だ、さっさと降りろ。飯の時間だからな、()()の分も作ってやるってよ

……早く行かねぇと、オマエにだって容赦はしねぇと思うぜ。あのゴリ──お姉さんが」

 すんでの所でマイケルは口を噤み、悔しそうに言い直す。


「本当?! 俺、なんて言ったらいいんだか……」


 オーバー気味なジャックへ、マイケルが呆れたように忠言する。

「言葉でなら幾らでも繕える。便利屋やるってんなら、結果で答えるしかねぇな

こっちはオマエの分の椅子を持ってこなきゃいけねぇからよ、先に行っててくれ」

 そう言い残して、彼は扉の先へと向かった。


 ジャックもまた、急いで部屋を離れようとする。明かりを消そうと電源へ手を伸ばした時、ふと先ほどの作業机が目に入った。──きっと旅疲れで変になったんだろう。今日は早めに寝よう。きっと、明日からはもっと忙しくなる、そんな気がする。

 

 ジャックは電源スイッチを切り替え、急いで一階の食卓へと向かう。

 ──ワークベンチの裏手……所々凹んでいる壁面には月明かりを吸い込むように、複数の穴が小さな暗がりとなって空いている。


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