♯20 レーゲンの招かれざる客 Ⅱ
──伝統的な作りのパーラー。静かな空気を割るように、内線電話が轟く。
3人の視線が一点に集まる。ささくれた木柱に磔にされたアンティークの受話器……黄金の小さな槌が、己の数倍はあるベルを小刻みに反復しノックする。のそのそと立ち上がった襟巻の便利屋が、ラッパのような受け口へ手を付けるよりも先に、スピーカーからは酒やけた男の声が発せられた。
「誰か、クランクの替えがある場所知らねえか?
──おーい、ウッリ? ヘド? 何だ、居ないのか!」
男はせわしなく訴えかける。電話線が古いのだろうか、それとも声が大きすぎるのか、随分とノイズが酷い。声色からして壮年のようだが、夜更けだというのに随分と元気が有り余っている。
「……ユモ261Kクランクシャフト型番19Vならない、三週間前の発注から切らしたまま」
襟巻の便利屋は壁に肘をつきながら、しばらく考え込んで答える。数少ない情報から型番まで言い切ったところを見るに、相当手練れている。恐らく、普段からずっとこの調子なのだろう。ジャックの隣でマイケルもまた、やれやれといった具合で手を振っている。
「はぁ、またか! カルの奴、どうして愛しのエンジンちゃんを何度も乱暴に扱えるんだ?」
「部下のケモ耳フレンズにもきちんと言っといてくれよな……特にお前のは、滅多にお目にかかれない箱入りお姫様なんだから、お花を包み込むように優しく使ってくれって。これじゃ、プードル相手に遊ぶってのに拳振り上げてるようなモンだぞ? 鬼畜過ぎんだろ!」
言葉にならない小さなうめき声が、段々とその大きさを増していたかと思えば、受話器越しの漉しきれてない濁声で怒涛の勢いで並び立てる。なんとも乱暴なお得意様に悩まされているらしい。特に動力系は回収品の中でも貴重なのだから、高く売れる分その数も乏しいものだと、ジャックは無知ながら同情した。
「意味不明。そんなことより、客人だ。招かれざる……」
嵐が過ぎ去るまで受話口を耳から離し、襟巻の便利屋はバッサリと切り捨てる。男は少し黙った後、小声で確かめるように話す。
「……客だと? こんな真夜中に? とっくにシャッターガラガラだっつぅの……
ああ分かった。少し待っててもらってくれ、すぐ行く」
返事を置き去りにするように、ぷつりと音が切れる。上の方で数分、何かを叩きつけるような音が数回鳴ったかと思えば、まもなくキッチン裏手にある扉の向こう側からぶつくさと、籠った独り言が聞こえてくるのだった。
「はぁ……ウッリめ、何で通しちまったんだか。こちとらヘロヘロだってのによ」
余程声が大きいらしい。呟きという名の文句がはっきりと客間へ届く。──ドア越しですら、ここまで聞こえてしまえば意味がない。絶対、客足にも影響する。……こんな所で商売やってる奴らが、まともな神経をしているだなんて到底思えやしないけど。
山男の様に屈強なその体躯に反し、男は丁寧にドアを開ける。ぼさぼさになったベージュの短髪に、しっかりと剃っていないのか、顎にまで疎らに生える無精ひげ。
油と酒臭さを纏い、雑な愛想笑いを浮かべながら、男は適当に来賓をあしらおうとする。捲った袖の下に見え隠れする、悪い意味で男らしい獣の毛皮のような腕毛までもが、その雑な性分を物語っていた。
「あのですねお客さん。申し訳ないんですけどね、依頼にしろ修理にしろ、宜しければ営業時間中にお願いしたいのですが……」
面倒な客はこうしときゃ追っ払える。仮に激昂したところで、取り押さえる方が簡単だ──だが、彼の安直な期待に反し、足音も文句の一声も聞こえてくることはない。来客は、目を瞑って嫌そうに後ろ髪を掻きながら伝えても、立ち上がることもせず微動だにしなかった。
男は不思議がったのか、眉を顰め片目を開ける。
「──!?」
「よう」
マイケルが、彼に向かってぎこちなく挨拶した。──出で立ちからしてこの男が、例の親父さんなのだろう。粗野な男は立ち尽くしたまま、開いた口が塞がらない……余程重症のようだ。上下に震える右手で指差し、目を大きく見開きながらマイケルを見続けたと思えば、大きな声で叫び散らかす。
「うっさいわね! いい年こいてあーあーあーあー、何時だと思ってんのよ! ご近所迷惑でしょうが! ついこの間だってお隣のスズーキさんマツーダさんご夫妻から怒られたばかりだってのに馬鹿じゃないの!?」
不意に、上階からつんざくような怒声が響く。マイケルは慌てて、口を塞ぐよう全身で指示する。粗野な男は動転しつつ、両手で口全体を覆う。
「そ、それは昨日ヘドがいい所で取り上げちゃうからだろ? 久々に美味いボックが仕入れられたってのに、酷いじゃねぇかよ全く……」
恐る恐る覆った手を放し、男は焦りつつも口に手を当て上階に向けて話す。
「ヤベッ、ゴリラだ」
いたずらのバレた悪童のようにマイケルは呟く。
「しっ! やめろ、あいつがどれだけ怒ってると思ってんだ?」
男は親に見つからないよう隠れる子供みたく、マイケルに小声で話しかける。そして、キッチン横手に伸びた階段を見遣り、耳元で慎重に伝えた。
「ヘドの奴、今度お前が姿を見せたら……」
気を遣ってのコソコソ話に、あまりの恐ろしさからかマイケルは珍しく顔を青ざめさせる。タイムリミットは近い。勇ましい女性の怒気が更に増すことで、無慈悲にも知れ渡る。
「あんたが事務所の経費気にせずガブガブ飲みまくるから言ってんのよこっちは! 先月の酒代なんて、食費よりも高かったんだよ?!」
そのせいで部品が仕入れられないだの、御近所付き合いが難しくなるだの。ドンドンという激しい足踏みが降りてくると同時に、女は不満を吐き続ける。
「……ヘドも呑みまくってた」
襟巻の便利屋が、冷静にツッコむ。
その隙にマイケルは慌ててジャックの腕を掴み、タンスの物陰へと引っ張ろうとした。だがジャックは、固まったままその場から動こうとしない。
「おい! あんなご機嫌斜めの人面ゴリラに見つかりでもしたら、オレ達はもうサヨナラだ! 突っ立ってねぇでサッサと隠れんだよ!」
「そうだぞ……ヘドはな、赤字続きでここ最近は頗る機嫌が悪いんだ。君が誰かは知らないが、早く隠れた方が身のため──」
二人が一緒になって、そっぽを向き続けるジャックを捲し立てる。階段の方に目を向けていたジャックは、気まずそうに振り返る。
「だってもう……ね」
彼の指差す方には、洗濯籠を抱えながら襟巻の便利屋に言い返す、途轍もない体格の女が居た。
「おだまり! たく、さっきからいきなり何だって……!」
長い赤毛に前髪を流し、体躯に似合わない小さな顔を持つ女は、襟巻の便利屋に言い返し、じれったそうに顔を上げる。ジャックは固唾を飲む──親父さんよりも更にデカい背丈、わざわざ肩から見えるセクシーさを微塵も感じさせない巨岩みたいな上腕二頭筋……優しそうな顔をしているのに、マイケルがあれだけ恐れるのも頷けるわけだ。
そして次の瞬間、部屋中に乾いた音が響く。両腕を力なく下し、空の洗濯籠が地面へ打ち付けられた。
両者の間に沈黙が流れる。先に切り出そうとしたマイケルだったが、束の間の出来事だった。
「……よ、よう、あの──なッ゛」
あたふたとしている父には目もくれず、赤毛の便利屋は一直線に、その大きな肩で風を切りながら無言で詰め寄る。そして、懸命に何かを弁解しようと試みるマイケルの襟元を、背負った大剣ごと片腕だけで掴み上げた。
「おっ、おい! ちょっと……」
男は咄嗟に止めに入ろうとしたが、それを睨むだけで封殺する。赤毛の便利屋は俯いたまま、手を放そうとしない。……僅かに震えている?
「……今までどこで何やってたんだい」
恫喝するかのように、力強く訴える。だが、彼女の声は揺れていた。
「あんた……自分が今までどれだけ迷惑かけたのか解ってるの」
マイケルは喉を低く鳴らすだけで、到底返事できそうにない。そんなことなど露に忘れてしまっているのか、女は話し続けた。
「ようやくね、ようやく……帰って来てくれたのよね」
女は鼻を鳴らし、右腕で顔を拭う。そしてゆっくりと、噛み締める様に顔を上げる。
「おかえりなさい──っミーヒャ!?」
──涙ぐんだ感動の再会は、犯人があげた悲鳴と共に忽ち事件現場となってしまう……人面ゴリラの手の中で、被害者はぐったりとしたまま動かない。憐れな事に、泡を吹いて気を失ってしまった。




