♯19 レーゲンの招かれざる客 Ⅰ
──異様に湿った裏路地を、二人は黙々と突き進む。
同じ裏路地といっても、時間や場所によってその姿は様変わりする。ヴァルトブルクの下町、湖沿いのここは、パイプで雁字搦めになったまるで迷路だ。狭い道を搔い潜るようにして進むマイケルを、ジャックは不器用ながら後追う。鉄橋を渡り、臭い立つ下水道の配管を越え、幾つもの淀んだランプの光を通り過ぎた先……やや広がった道の半ばで、マイケルはようやく立ち止まる。
「なんで、こんな所に店なんか構えてんだよ
普通、目立つ街路の側にでも……」
ジャックは息を切らしながら文句言う。──隠遁なアルトマイヤー爺さんの店でさえ、人の多い広場の外れにある。入り組んだ道の先に店を構えて、稼ぎなんて得られる筈がないだろうに。
「裏口だからなここは、お客用の玄関ならちゃあんと街路の正面に貼っついている」
マイケルは鉄骨で斜め十字に補強された、そびえる柱と天蓋の頂上を見つめて言う。裏路地側にせり出すように建てられた地上階までの柱の各場所に、小さな部屋が蟲の巣のように引っ付いてる奇怪な建物が、彼の言う便利屋事務所レーゲンなる場所らしい。
「なら、普通に正面から入ればいいだろ……
回り道をする必要なんて──ひっ!?」
壁に手を付きながら、文句を垂れるジャック。突如、彼の指にうねうねと、しっとりとした何かが纏わりつく。
「うわ、何だこいつ?! 気持ち悪っ!」
思わず腕ごと振り回し、側で突っ立っていた傍観者にしがみつく。襲い掛かる異物と目を合わせようともしない様子に、マイケルは呆れかえって話す。
「……タダのナメクジじゃねぇか、んな調子で大丈夫なのか?
ここはジメジメしているし、排気の熱であったけぇから集まってんだろうな」
「大体、正面玄関はもう閉まってんだよ。……オマエがウロチョロしやがるせいで」
マイケルは当然の恨み節を、眉をひそめながら伝える。”さっさと離れやがれ”といわんばかりの冷徹な視線と目が合ったジャックは、気まずそうに手を放しすかさず小声で謝って見せる。
「やれやれ……この先どうなることやら
ほら、裏口だったらまだ開いてるからよ。こっちまで閉まっちまう前にさっさと入れ」
臆病加減に呆れているからなのか、はたまた何か気まずいことでも隠しているのか。潮風で腐食した壁面の中にはめ込まれた、際立って目立つ真新しいドア。マイケルはその横壁に、後ろ髪を掻きながら凭れ掛かる。表札には、ランプに寂しく照らされたRegenの文字……だが、折角の帰省だというのに、マイケルは隣、それもわざわざ開け口の反対側に立ち尽くすだけで、頑なにドアノブを捻ろうともしない。ジャックはそのことについて突っかかる。
「……なんで入ろうとしないんだよ
こちとら初対面なんだぞ? よっぽど気まずいじゃん」
「うっせぇ、ここまで連れてきてやっただろ?
オマエから入れってんだ」
マイケルは平静を取り繕っていたが、動揺を声色から隠しきれていない。ジャックはこれまでの、らしくない彼の様子を見て漸く勘付く。
「……ははーん、さてはマイケル、怖いんだな?」
「帰りたくないんだろ、何があったのか知らないけどさ」
目を細め、悪戯に突くジャック。図星だったのか、マイケルは一度大きく身を震わせた後、声を裏返して誤魔化す。
「ち、ちげーし! 何の今更、そんなしょうもない事で怖気づくわけねぇだろ??
……オマエじゃねぇんだからよ」
憤慨し、後ろめたそうにそっぽを向きながら、先ほどナメクジに怖気た間抜けを揶揄し小さい声で蔑むマイケル。プライドの高い彼の為にも、このまま黙っておいてやろう。そう思っていたジャックだったが、小馬鹿にした発言に思わず血が上り、あろうことかまくし立てる。
「この……んな言い方はないだろ」
「知ってんだからな。お前、さっきからずっとブルブル震えてんじゃねぇかよ! それも、ここに近づくにつれて、どんどん酷くなってる」
「これじゃどっちが真の怖がりなのかな? さっぱり分かんないね〜」
図に乗って流れるままにべらべらと話してしまうジャック、止めどころも分からぬまま続く彼の煽り調子に呼応して、マイケルの眉間の彫も深くなってゆく。
「……この野郎、言わせておけばツラツラと──オラッ!」
遂に堪忍袋の緒が切れたのか、両手を突き出して飛びかかるマイケル。ジャックは咄嗟に受け止め、二人は互いに押し合い始める。
「うおっ、こいつッ!」
靴底に砂利が擦りつく。一度は押し返したものの、ジャックは次第に押されるのを肌身で感じていた。──途轍もなく力が強い……だけじゃない。右手に至っては、血が一切通っていないように固く……冷たい?
「離せよっ! おまっ、先に言いがかりつけてきた癖して……」
「テメェが先に──ドアを!」
不毛な取っ組み合いを続けていたのも束の間、険悪な空気を割るように、”ガチャリ”と不気味な音を立てドアノブが回る。淵沿いに風を纏いながら、徐に扉が開かれたと思えば、一度の瞬きすら許さない素早さで、音もなく、怒るマイケルのこめかみに強化鋼の銃槍があてられた。
* * *
ブロンドの癖毛を襟首まで伸ばし、顔の下半分全てを覆ってしまう程長いスカーフを巻いた人物が、開いたドアの僅かな隙間から、玄関前の不審者を厳しく牽制する。
一瞬の閃光に一切の敵意がないことを示すために、マイケルもまた煮詰まった怒りを直ちに水に流し、冷静に両手を顔の横まで上げた。
「……! ミーヒャ……」
ドア越しの便利屋は思うところがあったのか、聞きなれないあだ名でマイケルの事を呼ぶ。両目を見開いて、喉を傷めているかのような小さく掠れた声で……室内だというのに厚手のセーターまで着ているものだから、”そんなにも寒いのだろうか”などと、くだらない妄想に走るジャックにも、流れるように矛先が向けられる。
「!? お、俺はただの……」
額の前で僅かに鳴った”カチッ”という音に戸惑うジャック、すかさずマイケルに目線を向ける。彼はただ、両手を上げて、彼女に大人しく従えと、やるせなく目を閉じ顎で指図した。
「……此奴は?」
長い襟巻の便利屋が、ジャックに槍を向けた姿勢のまま、尖った声で指摘する。
「ツレだ、オヤジに用がある」
マイケルが、肩の力を少し緩めて答える。暫くの間、敵を見定める小動物の様にジャックをにらみ続けていた彼女だったが、10秒ほど経ってようやく構えていた槍を下ろし、身を乗り出し辺りを警戒してから扉を開くのだった。
「……入れ、何れ目を引くだろうから」
便利屋が踵を返すのを見送ってから、ジャックはようやく苦しかった息を吐く。──こちらに槍を向けたその瞬間……微かだけど、打ち金の音がした。あいつ、その気になればいつだって……。
鳴り響く心臓の音。もし、マイケルがここに居なければ……とんでもない所に来てしまったかもしれないと肩を落とす彼だったが、反対にマイケルは、先ほどまでの様子とは一転して、躊躇いなくドア内へと歩く。ジャックは後ろから声をかけたが、彼は止まる素振りを見せるだけで、振り向きもせずにシカトする。
後ろめたい気持ちと苛立ちに挟まれながら、ジャックはより明るい方へ、小さな段差を越えた。
「……お、おお! すっげぇ!」
歯痒い思いのまま、目に差し入る照明を手で遮る。やがて眩しさにも慣れ、ジャックは瞼を開けた。面会室に生活感を無理やりくっつけたような、小さな部屋。中央で先ほどの便利屋が、腰掛けながら丁寧に部品の手入れを行っている。こちら側に向いたペニンシュラキッチンの手前に、切れ端が煤けた茶皮のソファーが長机を挟んで二対。差し詰め食事の場として用いつつ、ここで依頼を引き受けているのだろう。
「うっひょ! 何かとても、仕事人って感じ!」
下り坂の気分だったジャックも、未だ尽きぬ好奇心の前ではこうしていられない。それにしても狭いなと感じつつ、観光気分でやって来たよそ者のように、せわしなく辺りを弄り回る。
「勝手にアレコレ触んな! オマエの語彙はソレしかねぇのか?
……なぁよ、オヤジはドコに」
どこへ行っても”凄い”の一言でしか表すことの出来ない、憐れな子供を横目で見張りながらも、マイケルは立つ瀬のない小声で尋ねる。
「その前に、言うべきことがあるでしょうに。
──在れは誰だ。何故、ここへ連れてきた」
慎重に撃鉄を戻し、分解し推進筒内を拭き取り……便利屋は話を受け流しつつ、逆光の中慣れた手つきで作業を続ける。そして、長いバレルを再び取り付けた後、途端に動きを止め、マイケルに対し低い声で尋ね返した。横隣で壁に架けられた依頼書の数々に目を輝かせていたジャックも、ドスの効いた低い声を聞き本能的に身体を硬直させる。
それが単なる質問ではなく、警鐘を意味していたのは誰の目にも明らかだった。
にも拘らず、マイケルもまた一向に譲ろうとしない。
「名前はジャック・ファウスト。西のエフォロイ、外れにあるスラム街で拾った」
襟巻の便利屋は寡黙を貫き通す。散弾を込め再び打ち金に指を架けようと、時計の秒針が動くほどの速さで左手を上にスライドさせた。が、静かなる脅迫にも構うことなくマイケルは続ける。
「本人曰く、屑拾いらしい。だがよ、コイツは一人でイナゴを斃した」
正に彼が断定した瞬間、撃鉄を倒そうとハンマーに指を当て、血管の浮き出た手の動きが止まる。ジャックが訂正しようと、咄嗟に口を開いたのを左手で制止しマイケルは目で訴える。
「確かに頭が回るヤツじゃあねぇかもしれねえ
だがセンスならオレが保証する」
「1人で……蝗を? 出鱈目……そも貴方、いきなり帰ってきたかと思えば、何様のつもり──ッ!」
襟巻の便利屋は気取ったのか、ここへ来て初めて堅固な牙城を崩した。硬直したままの腕を下ろし、彼女はジャックに目線を移す。
「俺からもお願いします! その、親父さんに聞きたいことがあって……」
「その方なら知っているかもしれないんです。今はまだ、これくらいしか支払えないんですけど……
足りない分は便所磨きでも剥ぎ取りでも何でもやります! だから──」
ジャックはじたばたと、首にぶら下げていたポンチョの結び目を解く。──ここまでの旅費で多少減っているけど、それでもかなりの金額だ。たとえ足りなくとも、しがみついてでも。このチャンスを逃すわけには……。
机の上に風呂敷を広げ懸命に、足元で頭を地面につけてまで懇願する。便利屋その姿を見下ろし、睨み続けるのをやめた。両目を閉じ、ジャックに対して単調に語りかける。
「……ファウスト、か。この子には、背負いきれないだろうに」
便利屋はしみじみと呟く。──俺の姓……ありきたりだと思うけど、そんなに気を引くものなのか?
ジャックは頭の回路を動かさせて、襟巻の便利屋に集中する。小柄なその人は、足元から頭までマジマジと観て、彼に次の言葉を告げる。
「Man geht nie weiter, als wenn man nicht mehr weiß, wohin man geht」
「……へ? 今、何て……」
ジャックは熱の籠った面持ちから、急落して間抜けな顔で見上げる。──確かに一語一句は聞き取れる。それなのに、まだその意味までを掴むことは叶わない。
「要らない……それに、私に云われても困る
二人共、どこでもいいから掛けて待ってて」
便利屋は、ポンチョに見え隠れする通貨の束を指差す。根負けしたのか、横髪につけた白いリボンを触りながら、覇気のない声で伝えた。
言われた通りに、壁沿いのソファーに腰掛け安堵の溜息を吐いたマイケルは、少し間を開けてからジャックに話しかける。
「まさか言い包められるとはな、やるじゃねぇか」
「どうも」
ぶっきらぼうに返事をするジャック。一先ず難は去ったのだが、互いに顔を合わせようともしない。どこかぎこちのないやり取りの中で、ジャックははっと思い出す。──いきなり始った命のやり取りに気を取られて忘れてしまっていたけれど、さっきは酷いことをしてしまった。
謝りさえすれば……赦してくれるのなら、解き放たれるのだというのならば、どれ程までに幸福なのだろうか──それでも、取り返しのつかなくなるよりも先に、気持ちを打ち明けられるのなら。
マイケルを振り回しているのは他でもない自分自身だ。ここまで来られたのも、可能性を汲み取ってくれたのも。どうして彼に、感謝せずにいられる。
ジャックは脚の上で拳を握りしめ、マイケルの側に振り向き思い切って口を開く。
「マイケル! その……ごっ──」
──謝罪の言葉を投げかけたその時だった。奥手の柱に架けられた受話器のベルがジリリリリと、小さな面会室の中でけたたましく鳴り響いた。




