♯18 秘匿されたヴァルトブルクの城
──ジャックの頭上で、誰かの呼ぶ声が聞こえる。
「……い、起きやが……何……」
ジャックは聞き覚えのあるその声をシカトする。──眩しくて、とても暖かい。夜の砂漠は、とても冷
たい筈なのに……お陽様に、照らされているみたいに。
そのままボンヤリとし続けていた彼。瞬間、鋭い痛みが右頬に走る。
「──っ! 痛って! 何だ!?」
慌てて体を起こすジャック。真横ではマイケルが、苛立たしそうに腕を組み、足踏みをしながら立っている。
「……野郎、いつまでそうやって寝っ転がってるつもりだったんだ?
昨日言ったよな? 朝陽が昇る頃にはココを畳んで出るってよ、なあ!」
何度見たことか、マイケルは眉間に皺を寄せて、尖った口調で責め立てる。寝起きでまだ開き切っていない目を擦りながら、ジャックは光の指す方を見た。地平線の少し上、ギラギラと火球が灯っている。
「眩しッ……ってうそ!? もうこんな時間?!
ねぇマイケル、何で起こしてくれなかったんだよ!」
烏滸がましく嘆くジャック、慌ててマイケルの方を振り返る。彼は静かに、ただ拳をポキポキと鳴らしていた、今にも堪忍袋の緒が切れそうな具合に。
「……コッチは何度も起こそうとしてんだよクソが。飯はソコだ、殴られたくねぇのならサッサと荷物纏めやがれ。もし間に合わなければよ……今夜は砂漠のど真ん中でマジの野宿だからな」
冷淡に話すマイケル。控えめに言ってイナゴの餌、死刑宣告に近い。自身が撒いた種とはいえども、それだけは勘弁したい。
「はいっ! 直ちに!」
ジャックは跳び上がり、干し肉の余りを咥えながら慌てて残りの荷物を担ぎ上げる。──それにしても、妙な夢だったな。夢に合理も非合理もないのだろうけど。
最初のキャンプ地を発ってもなお、ジャックは昨晩見た夢について考えていた。夢というには明瞭で、得ていた感覚も鋭い。痛みに、渇きに、飢え。実際に味わっているかのようだった。何よりも奇怪なのは感情で、あんな経験はしたことがない筈なのに、正にあの瞬間、体験しているかのように揺れ動く。ここまでならまだ良い。あの夢には、何かが欠けていた。
「……顔、見えなかったんだけどな」
印象的な少女の表情。柔らかな笑顔に、とぼけた姿。その一切を感じ取っていた筈なのに、素顔が見えることはない。まるで、モザイクがかけられたように秘匿されている。──暖かい夢だった。どこか懐かしさを感じて、蕾が花開く頃に吹くそよ風のように暖かかった。それなのに何故か……
「おい、さっきから何ブツブツ言ってんだ?」
先行して歩いているマイケルが、不満そうに声をかける。
「い、いや? 何も」
ジャックは咄嗟に口角を上げ誤魔化す。──きっとただの考え過ぎだ、ありきたりな夢だってのに。今でさえ曖昧なのだから、どうせ明日には忘れている。
しばらくの間疑わしそうに横目で睨んでいたマイケルだったが、同じように考えたのか、再び顔の向きを正面へと戻す。
二人はヴァルトブルクに到着するまで、町や岩陰を梯子して向かう。ジャックの目論見通りと言っていいのかは分からないが、彼自身あの夢での出来事を、気づかぬ内に忘れ去っていた。
……他の殆どの夢と同じように。
* * *
傾斜を前かがみになりながら、トボトボと先駆者の後を追い続けるジャック。──あれからどれ位歩いたのだろうか?
それこそ最初の頃は陽気に歌ってさえいた彼だったが、今となっては頗る元気がない。
「今日は11月の……何日だっけ」
マイケルが、念じるように応じる。
「三十日、聖アンドレイの日だ」
「そうそう、11月30日。アンドレアスの……? 意外とマメなところあるよね」
「天気は最悪……寒いし、曇ってるし……」
ジャックは嫌味たらしくぼやき始める。宛ら深夜の様に、大地を暗くさせている分厚い層雲。冬が近く、土地柄も相まって気温も低い。日記でもつけるかのようにして長旅を嘆く彼を、マイケルは諌めようと試みた。
「意外は余計だ。大体、んな悲観的になっても仕方ねぇだろ、カンカン照りよりは余程マシ──」
マイケルが一通りの文句を言い終えようとしたその時、彼の額に何かが滴り落ちる。幸か不幸か、雨まで降り始めた。
「はぁあ、曇り時々雨に変えなくちゃな……」
ジャックは大きく肩を落とす。彼にとっては物珍しい景色だろうに、単調な反応しか見せず未だ不機嫌なことを憂いたのか、マイケルは不服そうに言い返す。
「何だ? んな残念がらなくてもいいだろ、砂漠暮らしだってのにツレねぇな」
「それに雨が降るってことはよ、そろそろ……」
意味深に言葉を切ったマイケルは、尖った岩山の頂上へと登る。ジャックは一度立ち止まり、辺りを見回した。──切り立つ崖、表面を滴る雨水、岩肌の剥き出しになった地面。今まで飽きるほど見てきた砂の大地と、全く持って異なる景色だった。
ポンチョが風で飛ばされないように、襟元の結び目を押さえながら、着々と前に進む。
「そんな所で突っ立ってどうしたんだ? って……」
マイケルに並び立ったジャックは、彼と同じように崖下を見下ろす。そこに広がっていたのは、想像を絶するほどに壮大な景色。
「──海」
ジャックは呆気に取られた。岸沿いに蒼黒い絨毯が、唸りながら広がっている。内地で生きてきた彼は今まで、海というものを見た事がなかったのだから、衝撃は言うまでもない。
「正確には湖だな。
元は海だったらしいけどよ、落日で入江ごと塞がっちまったんだ」
浸るジャックの横から、邪魔にならないようマイケルは小さく助言する。そしてバランスを崩さないよう恐る恐る、湖沿いのある場所を指差した。
「アレがヴァルトブルク。目的の場所だ」
複数の照明が灯り、灰色の煙が立ち上る。間違いない、あの場所こそが工房の街。
* * *
イナゴなどの外敵から身を守る為なのか、或いは、更なる脅威を退ける為なのか。エフォロイよりも更に堅固な、機械仕掛けの巨壁が二人を出迎える。
「……こりゃ、凄い威圧感だな」
黙々と壁前へ歩く先導者に従いながら、ジャックは間抜けに呟く。手前まで歩いたマイケルは一度深呼吸し、ただ5回、ノックでもするかのように壁を静かに叩いた。静寂が辺りを包み、しばらくして藪から棒に壁の向こう側から、老いた声が発せられる。
「……あいことばだ……」
声色からは考えられない程に溌剌とした、気味の悪い文言に対して、マイケルは祈祷を……しかし確かな呪詛を唱えた。
「ソリ・デオ・グロリア」
久しく聞き覚えのあるその言葉……一瞬、ジャックの頭によぎったのは、血濡れ歪みながらも、目的を完遂せんとこちらに大筒を向ける処刑者、マシュー・ホプキンスの煮凝りの様な執心だった。だが、追憶を置き去りにするように、一枚の壁が、轟音を立てながら縦に裂かれ動き出す。
「スゲェだろ? 新世界じゃあ、一番腕の立つ技術者が集ってるからな。大昔の貴族だかが持ってた城塞の門を、修復してそのまま使ってるんだぜ」
マイケルは誇らしげに話す。例に倣って、機械の事となれば享楽の如くひけらかしている。……しかしながら彼は、どこかソワソワとしているのを隠せていない。それも、この場所に近づくにつれて、日に日に酷さを増している。帰郷の晴れやかな感情とは乖離的な何かが、左手の僅かな震えとなって表れているのを、ジャックは未だ見逃せずにいた。
開き切った要塞内に足を踏み入れ、二人は長い門下を潜る。トンネルを抜けた先に広がっていたのは、終末世界に似つかわしくない。人の臭いが至る所に漂う巨大な城郭都市、ジャックはぎこちない緊張感など露に忘れ、興味のままに人混みを避けながら辺りを走り回った。
「アストナイド鉄鋼に、ダイナモ・スミス……シリンダー・オートマチックまで……
お、マイケルマイケル、歯車工房もあるよ!」
さながら買い物でもする主婦のように、ジャックは工作所を目移りさせては、都度マイケルを手招きする。──掲示板に貼られたカタログでしか見たこともないようなアーゲーの店が、街道沿いに列をなす。まさに圧巻の一言で、マイケルのあの自信も頷けるわけだ。
「当たりめぇだろ? コイツを何処で買ったと思ってんだ」
マイケルが、人混みを搔い潜って姿を現す。はしゃぐジャックとは対照的に、気怠そうに振舞っているが、内心鼻高々な様子を隠すつもりもないらしい。背中の巨剣をさすりながら彼は、ここへ来て初めて嬉しそうに話した。
「だが、ここは目的地じゃねぇ。金持ち共にお誂え向きの、見栄っ張りな繁華街ってワケだ
オレ達が行くのは、湖の近くにあるきったねェ下町だからな、行くぞ」
マイケルは続けて、単調に行き先を伝える。結局、歓喜も一瞬の内だけで、すぐにやさぐれた面持ちに戻り、彼はワークショップを横切る。
「あちょっ……ちょっと待ってよ、マイケルってば!」
いつの間にか歩き去っていたマイケルを、置いて行かれぬよう親に縋りつく子の如く、ジャックは必死に追いかける。──それにしても、ヴァルトブルクは大きい。企業の支店に、見るからに清潔で高級そうなレストランや酒場。大きな市場の先の広場にはBlumenladenの看板……花屋まで?!
郊外の砂漠にある寂れた町では決してお目にかかれないような物珍しさに心を躍らせ、見晴らしの良い小高い丘の上まで歩いたジャックは、湖沿いの下町を見下ろした。ヴァルトブルクの繁栄ぶりに驚かされながらも、屋根屋根の煙突から立ち昇る黒煙のように、彼の頭に一つの疑問が浮かぶ。
「なぁマイケル、ここって……」
辺りを見回す内に、この確かな違和感が降り積もるように増えてゆく。──安息修道院に、教会支部。これほどに大きい街だというのに……星辰の教会、奴らの姿が見えない。この街にやって来てからというもの、全くと言っていい程だ。ジャックは訊ねようとした。
「ああ、教会のヤツらだったら居ねぇよ。この街にはたったの一人もな
前に言ってなかったか? ここは企業の街だからよ」
毎度の如く分かりきっていたかのように、マイケルはジャックの思考を言い当てる。──心配してたから気を使ってくれていたのかもしれないけど、それにしても……あまりの勘の良さに動揺しつつも、ジャックは続ける。
「たしかに言ってたけどさ、それと教会の連中がいないことに何の関係が?」
坂を下るマイケルの後を追いながら、ジャックは心から呟く。余程表現し難いのかマイケルは、一度歩を止めて悩ましそうに頭を掻く。
「そうだな、オマエに何といえばいいのやら……
まず、ここはミットラーに引きこもってやがる企業のヤツらが取り仕切ってる」
「エフォロイが教会の街なら、ヴァルトブルクは企業の街だ。アーゲーのブタ犬共と教会のクズ共は何でかずっと仲が悪いからよ。言っちまえば、互いのナワバリは無暗に荒らさないようにしているってワケだな」
マイケルは噛砕くように説明する。どうやら彼によると、教会と企業は余裕がないからこそ、互いに無駄な衝突で消耗し合わないよう距離を置いているらしい。ジャックは胸を撫でおろす。──ここなら少なくとも、教会がらみの厄介事に巻き込まれることはないし、誰かが奴らに苦しめられることもない。マイケルには感謝しなくちゃな。
些細な雑談もほどほどにして、目的の場所、レーゲンの便利屋事務所を目指し、下り坂の途中に枝分かれした裏路地の中へと続く小径に、二人は足を踏み入れる。
……背後に忍び寄る、白い影に気づかぬまま。




