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お盆の夜、閉園後の動物園から配信してたら、視聴者が全員死んでた  作者: 空の異変


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第六話 今日は猿を見ます

兎園の柵は、膝くらいの高さしかなかった。


芝生の上で、白や茶色の兎がうずくまって草を食べている。耳が、ときどき片方だけ動く。


【三年推し:兎はセーフ。かわいい以外の仕事してない】


【無課金席:危険度ゼロ。癒やし代もタダ】


いちばん手前の兎が、顔を上げる。


口の端から、500円玉より大きな前歯が二本、黄色く濡れてのぞいていた。


私は柵の手前で、片足を上げたまま止まった。


足を、そっと元の位置に戻す。ショップで護符を一枚選んで、購入を押した。


――残高が不足しています。


「え」


もう一度押す。同じ表示が出た。


「善淵さん。私、そんなに使いました? カードには、まだ残ってるはずなんですけど。これ、もしかして詐欺じゃ」


画面の向こうで、善淵さんがしばらく黙っていた。


「カードからは、一円も落ちてない」


「はい?」


「最初の円の注文も、列車のあとは全部、鞄の冥銭で落とした」


鞄に手を入れる。列車でもらった札束は、薄い数枚になっていた。


「……じゃあ、最初の何回かは」


「付けだ。列車で冥銭を受け取ってから、精算が始まった」


「慧さんも、知ってたんですか」


「帳簿つけてたの、僕なので。知ってましたね」


「なんで、言ってくれなかったんですか」


「言ったら、あんたは怖がって止まる」


明細を遡る。「付け」の印がついていた行が、上から順に、全部「精算済」に変わっていた。


    *


【三年推し:オウム、最初に言ってたよ】


【寝落ち番:ここは圏外、って】


コメ欄が、ゆっくり流れていく。


私は柵の前に立ったまま、自分の腕に鳥肌が立っていくのを見ていた。


画面の左上には、まだ「圏外」が出ている。


「みんな」


声が、思ったより小さく出た。


「みんな、ずっと、そこにいたの」


善淵さんが、短く息を吐いた。


「怖がらなくていい。この枠を見てるのは、全員、あんたの視聴者だ」


【三年推し:一晩ずっと見てた。お礼させて】


【無課金席:1,000冥銭。今夜の配信代は払う】


画面の端に、1,000冥銭の投げ銭の通知が出た。送り主は、無課金席さん。


【寝落ち番:1,000冥銭。自分からも】


【三年推し:1,000冥銭】


知らない名前と知っている名前が、同じ額で通知に並んでいく。残高の数字が、止まらずに増えていった。


鼻の奥が、つんとする。私は何も言えずに、スマホを両手で持っていた。


「もう十分だ。彼女は生きてる、多く渡すな」


善淵さんが画面の外へ手を上げると、通知が止まった。


「これで、最後の一回は買える」


古銭が3枚、布に落ちる。善淵さんは長いこと、それを見ていた。


「兎を驚かせるな。足音を殺して進め。大通りに出たら、真っ直ぐ行け。振り返るな」


「最後まで『振り返るな』ですね」


慧さんの声には、いつもの勢いがなかった。


【三年推し:振り返るな】


【寝落ち番:振り返るな】


【無課金席:振り返るな】


【名無し:振り返るな】


【名無し:振り返るな】


「……はい」


「善淵さん、慧さん。ありがとうございました」


「まだ早い」


画面の右上で、電池の表示が0になった。スマホは、そのまま黒くなった。


    *


黒い画面を、鞄にしまった。足音を殺して、柵をまたぐ。


兎は、顔を上げなかった。草を噛む音だけが、芝生のあちこちでしている。


つま先から下ろして、かかとを置く。一歩ずつ。


振り返るな。振り返るな。


兎園の出口の向こうに、広い道が延びていた。


    *


霧が出ていた。空はまだ暗く、道の先は白くかすんでいる。


その霧の中に、提灯の明かりが一つ浮かんでいた。持っているのは、善淵さんだった。


画面の中と同じ白装束。ただ、裾から水が滴っている。


髪も濡れて首筋に貼りつき、提灯を持つ手首は、紙みたいに白い。


草履の底が、地面から少し離れていた。


「この姿、怖いか」


「怖くないです」


善淵さんの口元が、ほんの少しゆるんだ。


「ついてこい。迷うと面倒だ」


「どこまでですか」


「門まで」


提灯が、先を行く。私はその少し後ろを歩いた。


「今夜は、お盆だ。地獄の釜の蓋が開いた。ここにいたのは、遊びに出てきた連中だ。人のなりをしたのも、獣のなりをしたのも」


「遊びに」


「いいやつもいる。悪いやつもいる。あんたは、そこに迷いこんだ」


霧の中で、自分の足音だけが聞こえる。善淵さんの足音は、しない。


「あんたが自分で稼いだ冥銭で、払わせた。列車の運賃と、今夜の配信の礼だ。これで、あんたとこっちの間に、貸し借りはない」


道の両側の柵が、霧の向こうへ遠ざかっていく。


「その火、濡れても消えないんですね」


「消えたら、困る」


「善淵さん。視聴者さんたちは」


「後ろにいる。みんなで、見送ってる」


「みんな、って」


「全員だ。あんたの配信を、一晩見てた連中だ」


首の後ろが、ちりちりした。たくさんの気配が少し離れてついてきて、顎が勝手に横を向きかけた。


「見なくていい。あいつらは、遊びに来ただけだ。跡を残したくないんだ」


「善淵さんも、ですか」


「俺もだ」


「また、配信で会えますか」


善淵さんは、答えなかった。


それきり、彼は前を向いて歩いた。


霧が薄くなって、道の先に門の形が見えてくる。その上の空が、白から薄い金色に変わり始めていた。


提灯が止まった。


「ここからは、ひとりで行け」


「門の向こうは」


「あんたの朝だ」


善淵さんは、道の脇へ退いた。私とすれ違う位置で、足を浮かせたまま立っている。


「チセ、振り返るな。そのまま行け」


名前を呼ばれたのは、初めてだった。


「善淵さん。はい、前を向いています」


私は門へ歩いた。一歩、もう一歩。


背中の気配が、ひとつずつ遠くなっていく。


門をくぐったとき、提灯の明かりは、もう私の横になかった。


    *


目を覚ますと、紺色の枕カバーに頬が貼りついていた。


長い夢を見ていた気がする。中身は、何も残っていない。


頭の隅に、言葉が3つだけ引っかかっていた。清天院、動物園、善淵。


充電の終わったスマホで、「清天院」と検索する。


山寺のページが出てきた。占いの配信もしていて、善淵という人の最後の配信は一年以上前の日付だった。


下へスクロールする。


訃報。去年の7月、増水した川で子どもを助け、そのまま亡くなった、とあった。


法名の由来が、一行だけ添えてある。『老子』の「心は淵なるを善しとす」。


画面を閉じる。何を調べていたのか、もう思い出せなかった。


開園の時間に合わせて、予定どおり木立動物公園の門の前に立った。


パンフレットの写真と、どこか違う。どこが違うのかは、言えない。


胸が苦しい。


一度だけ深く息をして、配信を始めた。


「みんな、おはよう。チセです。今日は、動物園から」


【通りすがり:コラボ見たい】


【はじめまして:誰かとつないで】


【旅好き:旅行系同士がいい】


おすすめのコラボ相手の欄に、「清天院・霊視占い」が出ていた。


旅行配信に、どうして占いが出てくるのか。私は指で、それを横へ飛ばした。


一つ下にいた、知らない旅行配信者とつなぐ。画面の半分に、手を振る女の子が映った。


「こんにちは、チセです。今日は猿を見ます」

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