最終話・裏 送り提灯
最初に気づいたのは、慧だった。
「善淵さん。生きてるのが一人、混じってますね」
お盆の夜の木立動物公園。釜の蓋が開いて、こっちの連中がぞろぞろ遊びに出ていた。
その中を、生きた女が一人、自撮り棒を持って歩いている。
「放っておくのが、いちばん楽ですね」
「放っておいたら、出られない」
「つなぐんですか。ここ、圏外ですね」
「俺の枠でつなぐ」
「僕、今夜は休みのはずなんですけどね」
「休んでていい」
あの女の端末は、圏外のはずだった。俺は自分の配信枠を、そこにつないだ。
コラボの申請は、向こうから出した形にしてある。チセ、という名前はそのとき知った。
つないだ途端、枠に客が流れこんできた。見物好きの亡者は多い。
【三年推し:え、チセちゃんだ】
【寝落ち番:知ってる人?】
【三年推し:生きてたころ、ずっと見てた】
【無課金席:じゃあ、普通の視聴者のふりをしよう。怖がらせないように】
それで決まった。今夜この枠にいる全員で、人間のふりをする。
画面の外で、誰かが笑う。
笑い声はいつまでも続いているのに、そいつの胸は一度も上下していなかった。
猿が、チセに寿命を借りに来ている。
俺は、そのまま教えた。逃げろ、という意味のつもりだった。
チセは振り向いて、猿に土下座を返す。数を読みながら、俺は自分が何を見せられているのか分からなかった。
猿を止めるには札が要る。描くのも売るのも、俺一人では追いつかない。
外で遊んでいた慧を、枠に呼び戻した。
「僕も遊びに来たんですけど、今夜は店番ですね!」
慧は茶色の座布団を尻の下に敷き直して、ショップを立ち上げた。
*
オウムが、口を滑らせた。圏外のことも、俺たちのことも。
人は怖がると、間違える。
足が止まって、言われたことを取り違える。それが一番困る。
「善淵さん、ばれましたね」
「待て」
チセは、オウムを信じなかった。
「……あの人、ちょっと鈍いですね」
「助かる」
「褒めてないですね」
「俺は褒めてる」
【無課金席:ばれてないなら、このまま続けよう】
【寝落ち番:続けよう。主が前を向いてるうちは】
猿の借寿も、オウムの一言も、俺が仕込んだものじゃない。園の中には、本当に悪いのもいる。
枠の連中が笑っている間も、俺は画面の端に映るチセの足もとを見ていた。
*
生きている人間に、亡者は占いを売れない。札も売れない。
ただで渡すのは、もっと悪い。あとで何で払わされるか、分からなくなる。
だから、付けにした。
「100枚も描かせておいて、売上の表示は全部付けですね」
「表示は芝居だ。こっちが儲かってると思わせておけば、あいつは遠慮しないで買う」
「遠慮されたほうが、僕は楽ですね」
「善淵さん、もう少し安くできません? 閻魔庁も、ちょっとの割引なら見逃してくれると思いますね」
「値段の問題じゃない」
「じゃあ、待つしかないですね」
「あいつが自分で稼ぐまでだ」
列車の運賃が入ったとき、慧は台帳を開いた。
「やっと、精算できますね」
「押せ」
慧は黙って、付けの行に一つずつ精算の印を押していった。
もう一つ、決まりがある。
占いを一つ外すのは、園の決まりだ。
象園で、俺は南の道を読んだ。外れだと分かっていて、読んだ。
チセは返品を求めてきた。未成年だと言って。
「善淵さん。あの人、どう見ても成人ですね」
「申請は出せ」
「出しても、通らないと思いますね」
「出さなきゃ通らない」
閻魔庁は、それを受理した。
【三年推し:閻魔庁、未成年者取消し通すんだ】
【無課金席:前例ができた。私も使う】
慧はしばらく、台帳に突っ伏していた。
「……僕の売上、3,333円減ったんですね」
「減らしたのは、俺だ」
*
最後の占いを読み終えて、チセの電池が切れた。
暗くなった画面の前で、枠に残った連中が、俺を呼び始めた。
【寝落ち番:善淵さん、最後に顔見に行ってあげて】
【無課金席:私たちも行く。後ろから見送るだけ】
【三年推し:来年の分も、もう推してるから】
【寝落ち番:自分も行く。今度は酔わない】
慧が、腰を浮かせた。
「行くんですね」
「行く」
「濡れたままですね」
「乾かす暇がない」
棚から送り提灯を下ろして、火を入れた。袖の先から、まだ水が落ちている。
去年の7月から、この袖は乾いたことがない。
「最後まで、振り返らせないでくださいね」
「分かってる」
霧の出始めた大通りの先に、兎園の出口が小さく見える。
提灯を提げて、俺は大通りへ出た。
忘れてくれ。




