第三話 おまけの占いを返品します
虎の背中で園路を3つ曲がったところで、扉の音は聞こえなくなった。
降りて首をなでると、虎は私の手のひらを一度だけ嗅いで、暗がりへ帰っていった。
次の看板は、孔雀園。
「善淵さん、ここも占ってください」
「二つ目は半額ですね」
慧さんが先に答えた。一つ5,000円、二つ目が半分で合わせて7,500円の、3つ目の「付け」が注文画面に並ぶ。
古銭が布に落ちる。
「開いた羽を見るな。雄の求愛に頷くな」
「見たら、どうなるんですか」
「……羽の一部になる」
「頷く人、います?」
「いる」
善淵さんがそう言うなら、いるのだろう。私はサングラスをかけなおす。
金網沿いを歩き出してすぐ、前に人が立った。
背の高い男の人だった。色の白い肌に、やけに整った顔をして、閉園後の動物園にひとりで立っている。
【無課金席:顔がいい】
【三年推し:主、頷くなよ】
男は金網に片手をついて、私の行く手をふさいだ。
「見れば見るほど嫌いになる。……嫌いになれないところが、ね」
「はい?」
「この口説き文句は借り物。でも、君を好きなのは本物」
【寝落ち番:油っぽい】
サングラス越しでも、額がてかっているのが分かる。
「すみません、急いでいるので」
「急ぐ人ほど、立ち止まる価値がある」
私は鞄から、あぶらとり紙を一枚抜いた。男の顔めがけて、放る。
「どうぞ。使ってください」
紙が、男の額にぺたりと貼りついた。
男が甲高い声で叫んだ。背中から、緑と青の羽が、音を立てて広がっていく。
羽の一枚一枚に描かれた眼の模様が、全部同時に瞬きをして、こちらを向いた。
私は顔を伏せた。サングラスを片手で押さえたまま、羽と私の間にスマホを差しこんで、ライトを最大にする。
「まぶしっ。人の目にライト当てるなって、習わなかったのか」
羽をたたんだ孔雀が、文句を言いながら茂みの奥へ逃げていく。
「習いましたけど、人の目じゃなかったので」
返事はなかった。茂みの揺れが、遠ざかっていく。
*
象園の看板の前で、慧さんの声が明るくなった。
「お客さん、ここは二つ買うと一つおまけですね!」
10,000円。4つ目の付け。
善淵さんの手から、古銭が3回に分けて落ちた。
「飼育員は一人。道は南。……占いを、一つ外した」
「最後の、何ですか」
「言ったとおりだ」
「外したんですか。外したって、分かってるんですか」
「分かってる」
「じゃあ、それ返品します」
「占いはデジタル商品なので、返品は承っておりませんね」
「私、未成年なんですけど」
【無課金席:その顔で?】
慧さんが黙った。善淵さんも黙った。
画面の向こうで、二人が小声で何か言い合う。少しして、通知が一件届いた。
――返金完了。商品名「占いを一つ外した」、3,333円。
「……そっちを返されても」
外れが一つある、という知らせだけが消えた。外れそのものは、まだ3つのうちのどこかに残っている。
私は3,333円を、ショップに突き返した。
「返金はいいので、おまけのほうを取り消してください。おまけなら、外れてても文句言いません」
「どれがおまけか決めるのは、お客さんじゃないですね」
【三年推し:おまけって、どれ?】
【寝落ち番:いちばん眠そうなやつ】
【三年推し:「外した」でしょ。外れなんだから、おまけ】
【無課金席:てか、円で返ってきても、ここじゃどうせ使えないし】
慧さんは長いため息をついた。善淵さんが、画面の外へ短く何か言う。
しばらくして、明細の一行が書き換わった。――おまけ取消、マイナス3,333円。
「ありがとうございます。お手数おかけしました」
「二度とおかけしないでほしいですね」
どれが外れかは、歩けば分かる。とりあえず、南。
*
私は南の門へ向かった。
途中で、飼育員さんに呼び止められた。
腰に鍵束、手にバナナの房。作業帽の下の顔色が、青い。
「南は工事中だ。東へ行ってくれ」
「すみません、南に用がありまして」
会釈して通りすぎようとすると、背中のすぐ後ろで声が低くなった。
「俺の案内が聞こえなかったのか」
振り返る。飼育員さんの口の端から、一筋、血が垂れていた。
私は体ごと向きを変えて、深々と頭を下げた。
「失礼しました。従います。全部従います」
飼育員さんは鍵束を鳴らして、巡回に戻っていった。胸の名札の番号は、「03」。
私は東へ歩き出した。
【三年推し:弱腰コース】
東の柵の内側にも、飼育員さんがいた。象にキャベツをやりながら、題名の分からない鼻歌を歌っている。
名札は、こちらも「03」だった。
象が顔を上げた。澄んだ目をしている。
「お姉さん、ピーマン嫌い?」
「……嫌いです」
「おんなじだ」
「にんじんは?」
「にんじんは好きです」
「おんなじだ」
どこかで聞いたことのある声だった。
【寝落ち番:この声、知ってる気がする】
ひとしきりピーマンの悪口で盛り上がってから、私は聞いた。
「南の門まで、送ってもらえたりします?」
象は耳を伏せた。
「南はだめ。怖い人が見てる」
「見ないでって、言ってもらえませんか」
「怖いから、言えない」
私と象は、黙って顔を見合わせた。
*
私はスマホを持ちなおした。
「慧さん。何か、手は」
「返金の人! 個別のご案内は、ここまでですね!」
画面の右下に、灰色の通知が出た。――個別チャットはブロックされました。
【無課金席:根に持ってる】
「慧」
善淵さんの声が、一段低くなった。
「売り場の恨みを、こっちに持ちこむな」
「……持ちこんでないですね」
「持ちこんでる」
慧さんは口を閉じた。ブロックは解けないまま、画面の隅で拗ねている。
「返品の話は終わりだ。あんたはショップを見ろ」
公開ショップは、まだ開けた。見たことのない名前のお札を値段の安い順に並べ替えて、いちばん上を押す。
金縛りの札、画面を向けている間だけ有効。注文確定、付け。
【三年推し:いちばん安いの選ぶの、主らしい】
私は南へ戻った。
鍵束の音が、すぐ横から来た。
「どうして戻ってきた」
スマホを突き出す。
「だるまさんが、転んだ」
飼育員さんが、片足を上げたまま止まった。
画面を少しずらすと、指先が動く。慌てて戻すと、止まる。
私はスマホを顔の高さに掲げたまま、後ろ向きに一歩下がった。
「視聴者さん、少々お待ちください。後ろ向きで失礼します」
【寝落ち番:画面ずっと飼育員さんで、酔いそう】
一歩、もう一歩。かかとで段差を探りながら、南の門をくぐる。
門の外に出て、私は腕を下ろした。
金縛りの解けた飼育員さんが、まっすぐ突っこんでくる。
鉄の門を、力いっぱい閉めた。
がしゃん、と金網がたわむ。勢いのまま網の目にめりこんだ飼育員さんの指は、こちら側までは届かない。
「出てこないでください。怖いので」
*
門から少し離れたベンチに、腰を下ろした。
腕が上がらない。ずっと掲げていたせいで、肘から先がしびれている。
鞄の底から、水玉の巾着を引っぱり出して、膝にのせた。
【寝落ち番:腕、休めて】
「休めてます。今、全力で休めてます」
ベンチの向こうに、観光列車が停まっていた。小さな機関車に、客車が6両。
私は巾着の口を開けて、飴を一つ、口に入れた。腕を膝に置いたまま、しびれが指先から抜けていくのを待つ。




