第二話 鶏は買いません。ください
「挑発、やめてもらえます?」
私は止まり木の前で、足を止めた。
「この配信は、今いちばん頼りになる人とつながってるんです。猿も止めてもらいました。お札も、ちゃんと効きました」
オウムは返事をしない。濡れた羽の先が、止まり木の上でかすかに揺れている。
「それに視聴者さんは、私の親みたいなものです。親の悪口は、やめてください」
オウムは首をかしげた。一拍置いて、短く言う。
「……ぺっ」
【三年推し:チセちゃんを推して3年。俺の見る目、間違ってなかった】
【無課金席:配信は2年。私の数え間違いじゃなければ】
「はい、そこ。年数で揉めない」
細かい数字はいい。今は、出口までの距離のほうが大事だ。
画面の善淵さんは、何も言わなかった。
私はオウムに背を向けた。
*
日が落ちた。
閉園の音楽は、とっくに止んでいた。売店のシャッターも、全部下りている。
「みんな、閉園時間、過ぎちゃいました」
「知ってる」
「知ってるなら、もう少し早く言ってほしかったです」
「最初に言った」
言われていた。
園路の街灯が、一本ずつ遅れて点いていく。青白い光が低いところで揺れて、燐火みたいだった。
虎園の看板の下で、立ち止まる。檻の奥は真っ暗で、何頭いるのかも見えない。
「善淵さん。ここ、占ってもらえます?」
「5,000円ですね」
答えたのは慧さんだった。注文画面に、二つ目の「付け」が並ぶ。
善淵さんは、膝の前に小さな木箱を置いた。振ると中で古い銭が鳴って、布の上に3枚こぼれた。
「管理人から、物を買うな。人間の金は、ここじゃ通じない」
「通じないって、電子マネーも?」
「全部だ」
スマホのライトをつけた。
虎園の入口に、黒い人影が立っていた。
【寝落ち番:誰かいる】
【三年推し:管理人さん、かな】
足が動かない。私は口の中で、昔ドラマで見た呪文を唱えた。
「臨兵闘者……皆……列、在、前?」
「一つ抜けてる」
「すみません、覚えてないです」
人影が、こちらへ一歩出た。私も一歩出て、向こうもまた一歩。
足の震えが、膝まで上がってくる。私はスマホを顔の前に構えなおした。
「念のため、視聴者さんの安全のために、モザイクかけておきますね」
【無課金席:モザイク、やさしい】
フィルターをかけ終えて、顔を上げる。
作業着の男が、もう目の前にいた。
引きつった笑みで裂けた口の端から、提げた鶏の首へ、同じ色の血が糸を引いていた。
男は腰袋を叩く。予備の作業手袋が、二組はみ出している。
「虎にやる鶏、2,000円。買っていく?」
買うな、と言われたばかりだ。
それなら、もらえばいい。
「学生なので、ください」
「……え?」
「しくしく。貧しい学生なので、鶏をいただけると助かります」
自分でも驚くほど、平らな声が出た。
「家には、80の母と、3歳の弟がいまして」
男の手が止まった。
「……お母さんと弟さんは、いくつ違うの?」
「話すと長いんですけど、母は実の母ではなくて。弟も、実の弟ではなくて」
「俺、そんな事情までは聞いてないよ」
「しくしく」
「鶏、要るの? 要らないの?」
「要ります。ただで要ります」
男はしばらく、鶏を見下ろしていた。それから、私の手に脚の側を押しつけた。
「分かった、持っていって。お金はいらない」
鶏の脚には、荷札が結んであった。銭の形の模様が6つ横一列に刷ってあるだけで、値段も店の名前もない。
男は背中を丸めて、暗がりへ戻っていった。
【三年推し:主の泣き方、棒すぎる】
*
檻の中には、虎が3頭いた。
どれも、あばらが浮いている。3頭とも、私の手の鶏だけを見ていた。
鶏は、一羽。
「みんな、相談です。虎が3頭に、鶏が一羽。角の立たない分け方、ありますか」
【寝落ち番:虎、細い……】
【無課金席:3等分。一頭あたり0.33羽】
【三年推し:「歯に青のり付いてるよ」って言って、鏡を見に行ってる隙に帰る】
【寝落ち番:鶏を真ん中に置いて、みんなで昼寝】
【無課金席:主、保育士っぽい言い方なら聞いてくれるかも】
スクロールしながら考えて、保育士コースを選んだ。
「はーい、虎さんたち。いちばんいい子に、鶏をあげまーす」
3頭が、柵に寄ってくる。光る目が6つ、横に並んだ。
「お座り」
3頭とも、座った。
「伏せ」
3頭とも、伏せた。思っていたより、育ちがいい。
「お手。……はい、隣の子と、握手」
一頭だけが、隣の虎の前足に、自分の前足をそっとのせた。
「はい、あなたがいちばん。どうぞ」
柵の隙間から、鶏を放りこむ。真ん中の一頭が空中でくわえて、奥へ下がっていった。
残りの二頭は、座ったまま私を見ている。お座りの姿勢のまま、尻尾だけが地面を打っていた。
「ごめんね。一羽しかなかったの。明日また来るから」
私は手を払った。これで、虎園は終わり。
背中で、鉄の軋む音がした。
*
【寝落ち番:主、扉】
【三年推し:走って】
振り向くと、鶏をもらえなかった二頭が、虎園の扉ごと外へ出てくるところだった。
蝶番の外れた鉄の扉を、片方が背中に載せている。もう片方は、その横を並んで走ってくる。
がん、がん、と扉がアスファルトに当たる音が近づいてきた。
「話が違います。お座り、したじゃないですか」
「善淵さん」
「見てる」
「見てるだけですか」
返事の代わりに、古銭の鳴る音がした。占ってくれているのか、手持ち無沙汰なのか、分からない。
二頭とも、痩せすぎていて足は遅い。それでも、私よりは速い。
「そこの、鶏食べた子」
奥の暗がりで、さっきの一頭が顔を上げた。
「おいで」
虎は骨を落として、私の横まで駆けてきた。
「しゃがんで」
素直にしゃがんだ背中に、私はまたがった。毛が温かくて、あばらの段差が太ももに当たる。
鞄を前に回して、首の毛をつかんだ。
「お願い、振り切って」
【無課金席:保育士、急に騎乗】
虎が、地面を蹴った。
すぐ後ろで、背負われた扉が、がん、と鳴った。




