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からすヶ丘小史  作者: 煙亭しっぽ


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12/14

第十一章:夜明け前

深夜。

裏庭の隅の石畳を掘り返して姿を現した隧道を、青年が前に立って安全を確認しながら進んでいく。


ランプの灯りで照らされた壁は意外としっかり造られていて、ところどころで崩れているけど予想したほど荒れてはいない。

荷物は少なく身軽なものだが、それでも空気は暑苦しくて中を進むだけでもそれなりに疲れてしまう。

正確にはわからないが、長さは2〜3000ヤードもありそうだった。


ようやく辿り着いた突き当たりで石蔵の床板を押し上げると、流れ込む八月の夜気が汗ばんだ首筋を撫でていく。

扉を開けて外を覗くと暗い隧道にずっといたせいか、空に浮かぶ月が奇妙なぐらいに明るく感じられた。


丘の斜面を登りながら振り返ると、町の灯りがまばらに二つ三つ光っている。

みんなもう眠っているんだ。

これから起こることを誰も知らない。

私たちがやろうとしていることも、それが正しいかどうかなんて、きっと夜が明けても誰にもわからないだろう。


丘の稜線に自分たちの影が目立たないかを気にしながら、静かに研究所の裏に回りこんでいく。

前後二つの扉には議会の封印と錠前がかかっているけれども、屋根の半分はがら空きだから中に入るのはわけもない。

入ってしまえばこっちのものだ。

研究所の中は頼もしい工具でいっぱいで、役所が予算を節約しながら調達した安い鍵や鎖なんて格好の餌食である。


「私はレールの先にあるゴムフックをどかしてくるから、あなたは中に入って鍵を破っておいて。」


「え、自分が登るんですか? 高い所は苦手なんですけど──」


「飛行機の発動機なんか作っておいて、よくそんなことを言うわね? 操縦役に余計な危険を冒させないの。ほら、早く。」


青年はもごもご何かを言いながらも、用意してきた鉤付きのロープを投げ入れて慎重に手応えを確かめてから、研究所の壁を登り始めた。

ちょっと心配だったけど、見かけに反して身は軽いようだ。


私の方でもレールを先まで辿っていき、固定を外してゴムフックを脇に退けてしまう。

その瞬間、飛行が成功するかしないかに関わらず、もうこの制動装置にも役目はないのだと気付いて感慨深かった。

何度も滑走を受け止めてくれたこの太いゴムだけじゃない。

レールも、工作機械も、研究所そのものも、そして飛行機も、私の夢に力を貸してくれたそのすべてが、これから終わりを迎えることになる。


唐突に割って入ってきたあの研究中止指示。

命令を出したどこかの誰かにも、なにか事情や都合があってのことだろう。

今となっては話はシンプルだ。

お互いに意地を通して、全てをやり切って、そしてどちらもお終いになろう。

それで遺恨なしだ。

意外だけれど、私は今のこの状況を結構楽しんでいるらしい。


肝心のレールに問題がないか、点検しながら来た道を戻っていく。

ランプもないのに月明かりのおかげで意外と細部までわかるものだ。

坂を登り切ると、研究所の正面扉はすでに少しだけ開かれていた。

中を覗くと青年は窓を覆うための余り布をかき集めている最中で、がさごそという音だけが動き回っている。


二人で協力して全ての窓を覆い終え、余計な光を反射しないようにテント屋根も畳み、二つの扉もしっかりと閉じた。

万全を期してからマッチを擦って、その火をランプに差し込んでやる。


───ふわりと、弱々しい光が広がった。

見回せば、見慣れたはずの空間が夜の中で目を覚ますように浮かび上がっている。

最後に見た時と変わっていないはずのに同じ場所とは思えなかった。


天井から吊り下げられた3号機が、月明かりとランプの光の間で壁に影を投げかけている。

製図机の上には広げっぱなしの図面。

工具は棚に整然と並んだまま。

...そして入り口の脇に、見慣れない木箱が一つ。


蓋を外し、藁の中の梱包材を剥がすと、銀灰色の塊が姿を現した。

101/Aとは明らかに別のもので、一回りだけ小さく引き締まっている。

手を触れた瞬間に、腕にかかる軽さに思わず声が漏れた。


「それがBPMF-102/Aです。101/Aからは20ポンド近く軽くなっていて86ポンド。出力は18馬力ですが、シリンダーもクランクも再設計して回転数は1600rpmに達しました──耐久性と引き換えに軽量化・高回転化した、試験飛行用の限界設計です。」


青年技師は自分の手で作り上げた心臓を、誇らしさと恐怖の入り混じった目で見つめていた。


「リミッターを外せば最大24馬力で2000rpmまでいって、そして自壊します。1900rpmを超えたら、もういつ壊れてもおかしくありません。これは発動機の設計よりも現代技術の限界点と思ってください。」


搭載するのが実験機なら、搭載される発動機も実験用と割り切って、耐久性を度外視して到達した限界の性能と軽さ。

飛ぶためだけに作られた心臓──飛べさえするなら、それで終わっても構わないという割り切りの結晶だ。

最初で最後の挑戦にはお誂え向きだと思う。


「ねぇ、未完成の101/Aでもあと少しで飛べそうな手応えだったのだけれど、これに替えたらどれぐらいの速度が出るの?」


「試験時の最高速度は時速20マイルほどだったとか? 実際に試さないとなんとも言えませんが、計算では25マイルぐらいは.....。今のプロペラは直径が8フィートですけど、この発動機に最適なのは6フィート強です。そちらも用意できれば30マイルだって狙えそうですけどね。」


時速25マイルか...。

機体の重さに対して、試算上の最低飛行速度を少し上回ってはいるけれど。


「.....飛べるかしら?」


「───ぎりぎりですねぇ。」


それでもやるしか道はない。

夜を徹しての作業が始まった。



*****



研究所の全ての窓を布で覆ってはいたけれど、それでも万が一がある。

作業は心許ないランプの灯りだけを頼りに、丁寧にゆっくりと進められた。

幸いなことに機体はすでに台車に載った状態でレールの上にあった。

台車を固定し、発動機さえ載せ替えるだけで済むのは運がいいと言わざるを得ない。


まずは搭載済みの101/Aを外していく。

ロープをかけて空中に固定し、配管を切り離し、チェーンのテンションを解放する。

固定ボルトを外した発動機を慎重に降ろす──頼もしい蒸気クレーンでなく、動滑車を使って人力でだ。

最初から軽い発動機を目指しておいて本当に良かった。


それにしたって重労働に違いはない。

本来なら、か弱い少女とひ弱なインテリの二人だけでやる仕事ではないだろう。

まだ先もあることだし余裕を持って休憩を挟んでいくことにした。


ばあやの淹れてくれたお茶はすでに冷めていて、息の上がった体を落ち着かせるにはちょうど良い。

私が青年の分もお茶を注いだカップを持って戻ると、彼は壁に貼られたライトフライヤー(ということになっている)の写真を食い入るように見つめていた。


「その写真、やっぱり気になる?」


「えぇ、とても。お嬢さんはこの写真を見てどう思いますか?」


「胡散臭いわ。」


これに関して私の意見は変わらない。

一貫して秘密主義を貫く自転車屋の兄弟が、そう簡単に秘密を盗まれるとは思えなかった。

なによりも、あの父さんがそう何度も立て続けに “当たり” を引き当てるはずがないしね。


「あなたは信じているの?」


「どうでしょう.....自分でもよくわかりませんね。ただ、これを見ていると急がなければ──と思いますよ。この写真の真偽はともかくとして、いずれ()()()()()が当たり前な時代がすぐに来る予感がするんです。都の方では飛行機を夢物語とは思わない人も少しずつ増えていますしね。」


言われてみると、これまでは飛行機を作ることばかり考えていたけれど、作った後のことは余り考えていなかったな。

もしも当たり前に飛べるものを当たり前に作れるようになったら、その時世界はどうなるんだろう?


「50年もしたら──今の自動車みたいに、世界中で色んな飛行機が作られていたりするのかしら?」


「多分、もっと早い.....こんな風にこそこそと試行錯誤する楽しみは、今生きている我々にしか味わえないことでしょうね。本物かどうかは関係なく、この写真は人に夢を見せてくれる──そう思います。」


なるほど、言うなればこれは前夜祭だ。

たしかにそれは一番楽しい時間かもしれない。

もしも飛べることが当たり前になってしまったら、こんな風に必死で空へ憧れる必要さえもなくなってしまうことになる。

空を自由に飛べるのは羨ましいと思うけれども、それはそれで少し寂しいな。


二人でそれから少しの間、他の資料をいろいろと見ながら話をしていた。

飛行の理論は先人たちの手で数多く発見されてきたけれど、それでもわからないことはたくさんある。

もしかすると私たちが想像もしてないだけで、まだ誰にも知られていないことの方が多いということもあり得る。

飛べてから始めてわかる事だってあるはずだ。

まったく、空は人を夢中にさせてくれる。


朝までだってこのまま話を続けられそうだけど、それはまた今度にしよう。

今夜の目的は他にある。


「お嬢さん、そろそろ作業に戻りましょうか。まずは──」


「じゃあ()()()()()を外して。」


「──え?」


青年の顔は一転して強張っていた。


新発動機によって得られる推定速度は時速25マイル前後──計算上ではぎりぎり飛べる。

だけど事前のテストなしじゃあ予想に幅がありすぎる。

飛べるかもしれないし、浮いてすぐに落ちるかもしれない。

発動機を起こせばすぐに警察も駆けつけてくるはずだ。

再挑戦なんてあり得ない。

チャンスは一度きりだ。


「やっぱりね、私はいま飛びたいわ。何年も先の未来を待てるほどの辛抱強さは、私にはないのよ。」


「...お嬢さん、最初に言いましたよね? この発動機は限界に近い設計なんです。回転数を上げると、自壊の危険性が跳ね上がるんですよ。」


「どうせ明日には解体されるのよ? 飛んで壊れるか、飛ばずに壊されるか──その違いだけじゃないの。」


「だからって──」


「私は、飛びたい。」


飛行機の気持ちまで代弁するつもりで、はっきりとそう宣言した。

屋敷の地下倉庫の機械たちだってやれることを全部試して、その上であそこに眠っている。

なのに、何のために生まれたのかを試すことすら許されないなんてあんまりだ。

私はこの飛行機を、最初で最後のフライトに全力で挑ませてあげたい。


「..........。」

「..........。」


沈黙は長かったけれど、青年は工具を手に発動機の前に向かった。


そこから先はただ黙々と手を動かした。

彼は私の希望通りに出力の調整を行なってくれた。

そのあとは二人で滑車で吊り上げて慎重に配置を決めていく。

取り付け位置はやや後ろに張り出すように、軽くなった分だけ重心をずらしてバランスを取って組み付ける。

マグネト箱を発動機につないて通電状況を確認した。

かけたチェーンの張りを調整し、最後に各部を増し締めしていく。

操縦席にも屋敷から持ち出した時計・コンパス・簡易風速計を即席で固定した。


彼の手際はとても良かった。

なにひとつ迷いのない見事な手捌きで作業を進めていく。

自分が設計した心臓を自分の手で飛行機に組み付けていく彼の横顔は、なんとも頼もしい機械技師のそれだった。



*****



夜明けも近い頃にすべての作業がようやく終わった。

少しだけ明るさを増した空全体の、東の稜線だけがほんの僅かに紫色がかっている。

もうランプも窓覆いも必要なさそうだ。


正面の扉を開け放ってやると、夜明け前の乾いた空気がそっと流れ込んできた。

風はほとんどない。

視界の先では二条のレールが薄明の中をまっすぐと西へ延び、その先の空では大きな月が、幾つかの星と一緒に夜の名残を惜しんでいた。


あれを目標に飛んでみよう。


たまごの中に体を滑り込ませてシートに体を預けた。

いよいよだけど、自分でも不思議なほどに心が落ち着いている。

ベルトを締めながら、すぐ後ろにある新しい心臓の気配を感じていた。

まだ眠ったままの冷たい鉄の塊なのに、首筋に触れるような刺々しい存在感を放っている。

まるで孵化の寸前の雰囲気だ。


「お嬢さん、確認します。発動機の出力は1900rpmまで解放しました。...これでも十分過ぎるほど危険なんですよ。異常を感じたらすぐに停止させてくださいね。」


声をかけてきた青年も同じような気分らしい。

口ぶりはどこか楽しそうで、でも何かを諦めているような、“なるようになれ” という感じだ。


「接続にも問題はありません。燃料は必要最低限。このまま行けますよ.....ですけど、その───」


青年技師は何かを言いかけて、何もない方を見て、手を握ったり開いたりして、そして言おうとしていた言葉を飲み込んで、別のことを言った。


「──ありがとうございました。」


「...気が早いじゃない。まだ飛ぶのはこれからよ?」


「そうですけど、ここまで来れたのはあなたたち親娘のおかげなんです。自分一人の力じゃこんなことは叶わなかった。自分の発動機を空に挑ませてくれて、本当にありがとう。」


この人ってそんな殊勝なセリフを言えるんだ?

意外だけれど、感謝されて悪い気はしない。


「こちらこそ。空に挑めるのはあなたのお手伝いがあってこそだったわ。私に発動機を預けてくれて、本当にありがとう。」


お互いにそれ以上なにも言うことはない。

町はまだ静かなままだ。

草原の暗さはそのままに、丘の稜線だけが夜と朝の境目で1秒ごとに色を変えていく。


私たちは頷くだけの合図を交わして最後の仕事に取り掛かる。

スイッチ箱から電源をONに。

プロペラに巻きつけられたロープが引かれた。

私たちの飛行機が目を覚ます。


グッド・モーニング。



***** 続く *****

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