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からすヶ丘小史  作者: 煙亭しっぽ


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第九章:バンク・ホリデイ

1904年8月1日

バンク・ホリデイだ。


裕福な家族たちは朝早くから駅へ向かい、海辺の町へと日帰り旅行に出かけていった。

一方で、父さんは町で一番のお金持ち(一応ね)なのだけれど、今のところ空への挑戦以上の娯楽は存在する可能性すら想像できずにいる。

もちろん私も同じであり、だから二人して朝早くから研究所へ向かい、今日も空へと出かけようとしている。


町はいつもより少しだけ静かで、銀行や役所は扉を閉ざしているのだけれど、丘から聞こえる音はいつも通りだ。

とんとん、かんかん、ごろごろ、ばりばり。

木を削る音、金属を叩く音、謎の音。

研究所には今日も見慣れた顔ぶれが集まっていた。


ただ、最近になって丘の周囲には見慣れない人影がちらほらと増えている。

避暑にやって来た都の人間が、どこからか噂を聞きつけて丘へ足を運んでくるのだ。

「こんな田舎町で飛行機づくりをやっている」と聞けば、確かに興味はそそられるだろう。


丘は一応父さんの私有地なのだが、柵などは研究所の周りにしか設けられていない。

だから外から来た人たちも珍しい動物を見物するような気軽さで、割合間近に試験を覗くことことができる。

中には何も知らずにやって来て、坂のレールを指さして「ここに遊園地ができるんですか?」と聞いてくる人もいた。


かん違い上等──私にとっては格好のお客様だ。

今日は3号機の何度目かの滑走試験。

前回の滑走では80%の出力を試している。

試験のたびに速度を上げていて、今回はいよいよ試作発動機「101/A」の最大出力で坂を駆けることになる。


シートの上で体を固定した私は、“不出来なローラーコースターか何か”と高を括っている旅客たちの前で3号機の心臓に火を入れてやった。

ばん、という爆発音が一つ。

それに続く雷みたいな連続音が丘の周りに響き渡る。

台車に載せた3号機が職人たちの手でプロペラを唸らせながら研究所の外へ押し出されると、柵の向こうで日傘を差したご婦人の驚愕する表情が見えた。

今年のホリデイは忘れられない思い出になったことだろう。


スイッチ箱のダイヤルを捻って出力を上げてやると、私の後方の発動機がひときわ凶悪に猛りはじめた。

もう職人たちの手を必要とせずに、機体は自ら坂に向かって進んでいく。

直径8フィートのプロペラ二基が作り出す風が、台車を含めて580ポンドの質量を突き動かしているのだ。


平地を越えて下り坂に入ったが、振動の中でさらに加速し続けながらも姿勢は安定したままだ。

これまでの実験で、時に想定外の風で機体が揺れたりしたけれども、ハンドルを引いて舵を効かせれば押さえ込むのは難しくない。


速度を乗せて坂を下り切り、機体が安定したタイミングで二つのハンドルを等量に引くと、左右の尾翼舵が立ち上がって少しだけ機体が浮いた。

同時に、大きく速度が落ちたことも体の感覚ではっきりとわかる。

失速した機体が沈みこんで再び台車に載った感触を確認し、即座に出力を最低域に絞った約1秒後にゴムフックで制動がかかり、3号機と台車は柔らかく停止した。


異常な振動も出なかったし、テストはひとまず成功だ。

出力80%の試験の時にも機体はわずかに浮き上がろうとした。

翼はしっかりと風をつかんでいる感触で、3号機の仕上がりはすでに十分な域に達している。


未完成の発動機を使い、プロペラを二基に増やして揚力効率が落ちた上でもこうなのだから、あとは出力を増やして速度が乗れば──。

ここから先は、発動機の完成品が届くのを待つばかりだ。



*****



十分な手応えを感じながら、職人たちと一緒に台車に載った機体を坂の上に押し上げにかかる。

坂を登っていくと父さんが数人の見物客と喋っている姿が見えて来た。

だけど近づいていくうちに、私は嫌な感じを見て取った。

話し相手の中の一人が、ペンと手帳を持っているらしい様子だったからだ。


職人たちに機体を任せて小走りに近づいていくと、その人物は丸眼鏡にチェック柄のスーツを着込んだ「いかにも都の方から来ました」という中年の男の人だった。

メモを取るペンの走りが凄まじく速い。

まず間違いなく、どこかの新聞紙の記者だろう。


父さんの方では、目を爛々と光らせていた。

新しいおもちゃを見つけた子供と同じ輝き方だ。

この人は好奇心と善意の区別がつかず、好奇心と悪意の区別はもっとつかない。


「空を飛ぶということはですね、人類と重力の関係を再定義する試みであって──」


「父さん、ちょっと──」


「あぁ、紹介しましょう。私の娘にしてあの飛行機の操縦士ですよ。見ての通り小さくて軽いんだ! なんといっても空を飛ぶには軽くなければ──」


「帰りなさいよあなた!」


多分だけれど父さんは余計なことばかり喋っている。

言葉の一つ一つは正確だし、切り取って額に入れれば立派な講演の一節に見えるかもしれない。

でもこの記者の笑みは共感じゃなくて、魚を釣りあげた笑みだろう。


記者はなおも食い下がろうとしていたが、台車を研究所まで引き込んだ職人たちが近づいてくると、流石に引き際を見てとったのか丘から退散していった。

一旦は安心していたのだけれど、後になって町でも聞き込みしていたのではないかと気づき、それだけが不安として残っていた。

そして案の定というか、翌週に町の雑貨屋で見つけた紙面の見出しはこうだ。


──からすヶ丘の空飛ぶ実験室! 地主の令嬢が空へ!──


記事は誇張だらけなのだけれど、困ったことに嘘が一切書かれていない。

研究所の場所も、設立の経緯も、飛行機の概要も、操縦するのが十四歳の娘であることも、ぜんぶ本当のことである。

なのに説明に用いる言葉だけがなんだか演劇じみている。


そのせいで記事全体から立ち上がる印象は「狂った金持ちが自分の娘を空に放り上げようとしている」という、何ともゴシップ好みの方向へ誘導されていた。

語彙力と説明の順番だけでこうまで別物になってしまうとは、一種の技術と才能として驚嘆には値する。


父さんの方でも多少の違和感は感じているようだが、私の意見は「女性特有の心配性だな」としてまともに取り合われなかった。

私としても、そうであったら良いのだけれど。


一番の不安はまた別にあった。

母さんだ。

もしこの記事が母さんの目に止まったら──いや、噂が耳に入ったら...。

この髪を見て、卒倒されないことを祈るばかりだ。



***** A Short History of Crow Hill /



記事が出た数日後の朝だった。

ばあやが朝食のテーブルに朝刊ではなく封書を置いたが、その差出人の名義は「からすヶ丘都市行政地区議会・議長」。

中身は議長直々からの丁重きわまる通知だった。

書面の要点は以下のごとく──


「氏の飛行機械に関する実験の安全性について、諸般の確認が完了するまでの暫定的な活動停止へのご協力を、畏れながらもお願い申し上げたく存じます。なお、本通知へのご回答は発行より5日以内に賜りたい次第、云々。」


──どういたしまして!

そう言いたくなるほど腰が低い。

小さな町ではあるけれど、ここのお役所はこんなに住人目線だっただろうか?


それにしたって腑に落ちない文書だ。

お願いとは、それは行政命令ではないということ?

なのに通知の末尾にはしっかり “5日” の期限が明記されている?

回答しなければどうなるのか。

何も書かれていないけれど、書くまでもないという意図すら読み取れるかもしれない。


父さんはトーストを咥えたままその通知を読み終えると、すぐに町の議会事務所へ行ってくると言い出した。

筋を通して抗議するつもりだろう。

それだけで済むとは到底思えないので、私も付いていくことにした。

仮にも事態の当事者の片割れとして──そして、父さんが余計なことを喋り出す前に話をまとめる役としてだ。



*****



議会事務所は町の中心部にある小さな二階建ての建物だ。

入り口に立つと中が一望できて、扉さえ開いていれば議長の部屋まで視線が通る。

受付から声をかけると、その議長当人がこちらに顔を向けてなんとも申し訳なさそうな顔をした。

もしかするとあの通知文は、この人の意思で書いたものじゃないのかもしれない。

そうであるなら気の重いことだろう。


「旦那さん、お嬢さん、気持ちはよくわかるんですよ。私だって好きでこんな通知をですな...いや、これは上から降りてきた話でして──」


「具体的にお聞きしたいのですが、上とは?」


「州議会ですよ。安全性に関する懸念について──」


「安全性ですと? では、より具体的にどの法令のどの条項に基づいた──」


「いや、法令とかじゃあないんですよ...州議会の方でも陸軍省の、いや、あちらも上からの...なにぶん相手がお役所でして...いや、ここも役所ではあるんですよ──」


対話は最初の1分で平行線に入ってしまった。

父さんの反論は一点の曇りもなく整然としているのだが、それが全て正しく、かつ絶望的に状況を改善しないことが問題だ。

なによりも、議長の口から一瞬こぼれた“陸軍省”の一語が非常に良くない。

あの通知のそもそもの出所は一体.....?


なんにしても議長の立場では上の指示に従うしかないだろうに、父さんは正論を一つ一つと積み上げて、二人の間の壁はどんどんと高くなっていく。

私が口を挟もうとした時、ドアの向こうと窓の外に人だかりが出来ていることに気が付いた。

小さな町ですもの。

()()()()が役所に乗り込んだとなれば、そりゃあみんな面白がって集まってくるだろう。

私だって立場が違えば覗きに行くに決まっている。


そして私の嫌な予感は的中した。

人が集まってきて興奮した父さんが、声を張り上げて野次馬相手に演説を始めてしまったのだ。


「偶然にも居並ばれたみなさん、今こそ聞いていただけないでしょうか! 今日ここにおいて一つの不正義が行われようとしているんです! 我々の飛行研究は科学の進歩を目指した誠実な実験であり──」


「父さん、ちょっと...」


「空を飛ぶとは単なる技術の問題ではありません! それは精神の自由の──」


「父さん!」


お願いだから本当にやめてほしい。

これは絶対に良い流れじゃないと思うから。

だけど父さんは、こうなったらもう止まらないんだ。

内容は理路整然としているし部分的には感動的ですらあるし、言ってることが全部正しいのだけれど、ただひたすらに“裏”というものが読めていない。


野次馬はさらに増え、通りは人で塞がって、幾つかの馬車が立ち往生を始めた。

この騒ぎに気がついて巡査たちも駆けつけてきた。

その中の一人が顔を真っ赤にして「即時の解散」や「治安妨害」を口に出したことで、父さんはますます饒舌になってしまう。


「治安妨害!! 聞いたか皆さん、今まさに正義が踏み躙られようとしている! 私を黙らせたいのであれば、他に適した成文法はいくらだってあることでしょうね!? 私が行ってきた爆破実験の数々を思えば、“爆発物法違反” の方がまだ筋が通ることでしょう! それを、よりにもよって慣習法(コモンロウ)とは! これこそは不正義の証明で──」


巡査たちの判断は速かった。

父さんは爆発物法違反を宣告されて、ただちに連行されていく。

警察にしてみればこれほど手続きの楽な逮捕劇もないだろう。

取調室に入っても、あの父さんは何もかもぺらぺらと自慢してしまうはずだ。


巡査たちに抱えられながら父さんは、いまだ議長室にいる私を振り向いて大声で叫び続けた。


「娘よ! 春にお前が戻ってきた日から決めていたことだ! 私の夢はお前に託す! 決して諦めてはならないっ! 空を目指すのであれば我々は──!」


感動的に聞こえるかもしれないが、絶対にその場の勢いだけの思いつきだと思う。

父さんの台詞はむしろ、本人よりも私に視線を集める効果を生んだ。

議長室に取り残されて一人で注目される私の方は居た堪れない気分だ。

一刻も早く逃げたいのだけれど、建物唯一の出入り口はいまだに父さんの搬出作業中である。

あちらが先に外へ出るまで逃げ出そうにも逃げ場がない。

お巡りさんたちお願いです、早く父さんを連れていってください。



*****



その後。

私はわざと町のはずれに向かって逃れ、そこで初めて入ったダイナーで昼食を摂って疲労と気恥ずかしさをゆっくりと癒した。

食後には爽やかなお茶をいただいて、頭も心もすっかりと清められた。


そのまま研究所に立ち寄ったが、その入り口に貼られた議会の封印用紙と真新しい錠前を前に足が止まった。

議会の執行官が来て鍵をかけていったのだろう。

中の機体にはもう触れないのか。


仕方なく屋敷の方に戻ってみると、こちらでは門の前に巡査が一人張り付いていた。

いかにも生居心地が悪そうに門柱の脇に立っている。


「お嬢さん──すみませんが、上からの命令でして.....。」


「いいんですよ、あなたは悪くないんですから。」


巡査はどこか悔しそうな顔をしていた。

不本意な仕事だってあるかもしれないけれど、この人にもきっと家族がいるだろう。

守りたいもののためには、嫌でもやるしかないということがある。

問題なのはやり方だ。

父さんのやり方は思いつきで、考えなしで、行き当たりばったりだから失敗した。

私ならもっと上手くやる。


──そう、私なら。


色々なことがありすぎた私の頭の中で、何通りかの未来予想図が競い合っていて、その内のいくつかは多少に()()()()的だった。

だけど足りない部品はたくさんあって、綺麗な絵図はまだ引けそうにない。


もう少しだけ時間が欲しい。

そうすれば、きっと上手くやれるだろう。



*****






封鎖された研究所の中に見覚えのない木箱が一つあった。

午前の役所での騒ぎのあいだに届けられたと思われるそれが、未開封のまま置かれている。

その中身をまだ、誰も知らない。






***** 続く *****

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