2回目のデビュタント
セレナはユリウスからの手紙を捨てるでもなく、すべて大事に保管していた。
《ーー君の婚約者より》
そう締めくくられる手紙を読み終えるたび、彼の存在を近くに感じた。
ユリウスの不在と彼からの短いながらもセレナを思いやる内容の手紙は、彼女の心を徐々にーーだが確実に変化させていった。
ユリウスが戦場へ赴いてから、アレクのセレナに対する執着はさらに強まった。
彼は何かとセレナに接触を試み、彼女が拒絶するたびに苛立ちを募らせていた。
だが、決してそれは彼女に対する嫌がらせではなかった。
ーーある日の舞踏会で、アレクはセレナの腕を掴み、低い声で囁いた。
「ユリウスがいなくて困っているだろう?俺が君のパートナーになってやろう」
「殿下、この手を離していただけますか?私は何も困っておりませんので」
「嘘をつくな。君が他の令嬢たちからどんなふうに言われているかーー俺が知らないとでも?」
彼の血のように赤い瞳が、じっとセレナを見つめる。
この瞳を美しく、そして恋しく思った日々は、はるか昔のことだ。
(……この目を見るたびに、あの頃を思い出して気持ちが悪いわ)
セレナは怪訝そうな顔をして視線をそらす。
「君の周りにいる者たちを見てみろ。奴が魔獣討伐へ行った途端、君の噂話ばかりしている。婚約者がいなければ、君に味方する者などいない。俺と婚約していればこのようなことにはならなかったのに」
事実、社交界ではユリウスがいなくなってから、彼女への風当たりがさらに強まった。
かつてはユリウスの存在が少なからず抑止力となっていたが、今やセレナは完全に孤立していた。
「私は、誰にどう思われようと構いません。では失礼します」
まるで他人事のように言い切った彼女に、アレクは苦々しい表情を浮かべた。
自分に擦り寄ってくる他の令嬢たちとは全く違う、セレナの冷静で冷酷な態度は、逆にアレクの関心を高めていた。
セレナもそれに気づいていないわけではなかったが、これ以上どう接することもできなかった。
***
そして今日は、最初の人生以来ーーセレナにとって、二回目のデビュタントの日を迎える。
「お嬢様、お支度の時間です」
セレナは鏡の前に座り、侍女たちが手際よく髪を結い上げ、
繊細なドレスをその身に纏わせていく様子を、どこか遠くから眺めているような気分だった。
「よくお似合いですよ、お嬢様」
「ええ、ありがとう」
白銀の髪は丁寧に巻かれ、深い藍色のドレスは彼女の肌を一層白く際立たせる。
だが、どれほど着飾っても、なんの意味もない。
舞踏会も、祝福も、興味がないからだ。
デビュタントは、貴族令嬢としての“公式な始まり”を意味する。
誰にとっても、それは輝かしい門出であり、望ましい結婚を求める者たちにとっては絶好の機会だった。
けれど、セレナには、ただ過去の苦しみでしかない。
(この場所で私はーー)
***
舞踏会は華やかだった。
帝都の中心にそびえる、宮殿の大広間。
その天井には巨大なシャンデリアが光を散らし、壁にかかる金糸のタペストリーには、紋章が誇らしげに掲げられている。
セレナが足を踏み入れると、会場は一瞬静まり返った。
ドレスの裾が床を滑るたびに、その美しさに誰もが息を呑む。
その姿を一目見ようと、人々の視線が一斉に集まる。
セレナは魔獣討伐に行っている婚約者のユリウスの代わりに、兄であるレオナード・エヴァレットにエスコートされて会場に入った。
「ありがとう、お兄様。私は大丈夫だから、他のご令嬢のお相手でもしてきて」
「いや、俺はセレナといるよ」
「いいから。他の令嬢たちの目が痛いわ。私は注目されたくないのよ」
「……わかった。何かあればすぐに呼ぶんだぞ?」
「ええ」
レオンは社交界ではいつも注目の的だった。
セレナより四つ年上のレオンは、その美しい容姿もさることながら、
結婚適齢期のピークを迎えていたこともあり、貴族からの縁談話が絶えなかった。
(そういえば、レオンが結婚したのはいつだったかしら.......。たくさん縁談の話はあったのに、なかなか結婚しないものだから変な噂まで流れて、お父様が困っていたのよね)
セレナが令嬢たちに囲まれるレオンをみていると、中央の階段からアレクが降りてくる姿が見えた。
人々に囲まれながらも、彼の視線はただ一人、セレナに注がれていた。
ーー彼は笑っていた。
かつて彼女を愛した時と同じように、優しい微笑みで。
(……吐き気がする)
あの笑顔の下に、どれだけの暴力性が潜んでいたか。
どれだけの嘘と裏切りがあったか。
記憶が一瞬にして蘇る。
夜ごと浴びせられた冷たい言葉と、体も心も痛めつける暴行の数々。
「……っ」
気づけば、手が小刻みに震えていた。
背筋が凍るような感覚に襲われる。
(落ち着かなきゃ……。大丈夫よ、あれはもう過去のこと。私はもう、あの頃の私ではないのだから……)
手袋の下で、爪が自分の手のひらを強く刺していた。
セレナは数日前にアレクのエスコートを拒絶していたため、また何か難癖をつけられるだろうと、震える手を握り締めながら少し離れた場所に移動した。
「皇太子殿下だわ!」
「今日は一段と素敵ね」
「あの赤い瞳に吸い込まれてしまいそうね」
令嬢たちの騒ぐ声がセレナにはとてもバカらしかった。
彼の本性を知るものは、未来を知る自分以外ーー誰もいないのだから。




