彼の帰還
「殿下、私と踊っていただけませんか?」
令嬢たちが皇太子に申し出るのを、セレナはただ遠巻きに見ていた。
「悪いが、俺が踊る令嬢は決まっている」
彼の視線がセレナに向く。
(こんなに離れた場所にいたのに……やめてよね)
アレクがセレナのいる会場の隅まで近づいてくる。
「エヴァレット嬢、俺と踊ろう」
セレナは無表情でそっと首を振った。
「申し訳ありません、殿下。私は殿下と踊るつもりはございません」
「……俺の誘いを断るのか?」
「ええ、申し訳ありありません」
会場は静まり返り、アレクの表情が凍りつく。
一瞬の沈黙の後、アレクは不気味に微笑んだ。
「いいか、セレナ。君は俺と踊るんだよ」
アレクがセレナの耳元でそっと囁き、それがセレナに過去の恐怖を呼び起こさせた。
(……ユリウス)
セレナは心の中で、まるで助けを求めるかのように彼を呼んだ。
そして、アレクが彼女の手を強引に引こうとした、その瞬間ーー
「ーー待たせたな、セレナ」
それは低く響く、どこか懐かしい声。
名を呼ばれて振り返ると、そこには三年ぶりに見るユリウスの姿があった。
深緑の礼装に身を包み、金色の瞳が真っ直ぐにセレナを捉える。
「ユリウス……?」
彼の瞳相変わらず、美しかった。
一瞬でその星々の光のような彼の瞳に引き込まれる。
(……なぜ私は安心しているのかしら)
「踊るか?」
指が細く長い、美しい手がセレナの前に差し出させる。
彼の手の平には、幾度となく剣を握った痕跡が残っていた。
セレナは頷き、その手を取る。
相変わらず細身であるのに、以前と違って鍛え抜かれた硬い体と、セレナを引き寄せる強い力。
踊る間、誰もが二人に釘付けだった。
それでもセレナは、ユリウスの肩越しにアレクの視線だけを感じ取った。
その瞳は、燃えるように赤く、歪んだ執着の色に満ちていた。
アレクと、令嬢たちからの熱い視線が痛い。
でも今は、そんなことよりも、彼の瞳をずっと見ていたい。
令嬢たちの羨望の声が広がる。
「聞いた? アーデルハイト侯爵の魔獣討伐でのご活躍を!まるで閃光のようだったとか!」
「あの大人しくて目立たなかった方が、今や帝国の英雄ですわね」
「帝国の英雄が婚約者だなんて。エヴァレット嬢が羨ましいわ」
「でも……、お二人は本当に愛し合っているのかしら……?」
しかし、そんな視線をまるで意に介さず、ユリウスはただセレナだけを見つめていた。
セレナとユリウスが一曲踊り終えると、アレクが怒りに満ちた表情で問いかけてきた。
「……お前、いつ帰還したんだ」
「本日帰還いたしました、殿下。正式なご報告は後日改めて。今は、婚約者のエスコートが最優先ですので」
アレクの圧にも屈することなく、さらりとした言葉でそう言い放ち、ユリウスは視線を戻す。
「セレナ。今度は、君を一人にはしない」
その言葉に、セレナの瞳が静かに揺れた。
そして、差し出されたユリウスの手をセレナはそっと掴んだ。
「ええ。そうしてちょうだい」
セレナは相変わらず無表情だったが、ユリウスは彼女が自分の手を取ってくれたことが嬉しかった。
「手紙……ありがとう。ちゃんと読んでいたわ。返事を出さずにごめんなさい」
「いいんだ。手紙にも書いただろ?返事が欲しくて書いていたわけじゃないんだ」
「……」
セレナは何だか自分がとんでもない悪人になったような気分だった。
(せめて、これだけは言わないといけないわよね)
「……ユリウス、お帰りなさい。無事でよかったわ」
「あぁ、ありがとう。ただいま」
セレナとユリウスはそっと目を合わせ、恥ずかしそうに逸らした。
***
舞踏会が終わった後、セレナはユリウスと並んで馬車に揺られていた。
車窓に映る夜の街並みは煌めいていたが、その光のすべてが、彼女にとっては遠いものに感じられた。
「久しぶりに会ったのに、あまり話せなかったな」
ユリウスの穏やかな声が、静けさを破るように響いた。
セレナは目を伏せ、しばしの間沈黙してから答える。
「あそこは人が多かったから。それに、話すことなんて……特にないわ」
「そうか? 俺は、君に話したいことも、聞きたいこともたくさんあるが」
「……」
「魔獣の討伐に行っている間、いつも、セレナのことを考えていた。夜になると特に。君が今どこかで俺の手紙を読んでくれてるかもーー、なんて想像して。それだけで頑張れたんだ」
「……そうなのね」
セレナはそれ以上言葉を返さなかった。
だが、内心ではその言葉のひとつひとつが、まるで温かな水滴のように心に染み込んでいくのを感じていた。
ユリウスはそれ以上は何も言わず、静かにセレナの隣にいた。
夜の闇は深く、馬車は静かに、ゆっくりと進んでいった。




