城下町extra side:オディット
その知識が俺にダウンロードされたときの絶望はきっと生涯忘れることはないと思う。
すべてが作り物であったと突きつけられる残酷さ。己の存在さえもただのデータであり、これから出会う誰かのための添え物でしかなかったという事実。今までの己も、これからの己もただ誰かのために消費されるという事実。
目の前が真っ暗になった。立っているところ全てが崩れ去っていくような絶望感。何もかも信じることができない。目の前に感じるこの風だってすべて作り物だと、どうして信じられる。
嗚呼、けれど、それがすべて本当だと俺のすべてが激しく訴えてくる。それは本能で感じる絶望だった。
けれど。
嗚呼、けれど、俺には光があった。
幼少期、俺を闇の中から救い出してくれた光がまたも俺の前に現れてくれた。
一度目は何のために生きているかもわからなかった、わかろうとしなかった頃だ。
俺は物心の付く前からヴェール城の従者屋敷にいて、誰の子でもなく育てられていた。唯一誰かとの繋がりは、知らずうちに持っていた桜色の花のピアスのみ。同じ年頃の子どもたちは親なしの俺を容赦なく迫害した。否、迫害なんてものじゃなかったのだろう。その頃の子どもにとって丁度いい玩具が俺であっただけだ。けれど、俺にはそれがどうしようもなく辛かった。俯き、ただ一つのピアスを握り込んで、投げかけられる無邪気な悪意をただ耐える日々。
そんな日々の中、俺がいつも握りしめるピアスがターゲットになるのは自然なことだった。無邪気な悪意を持つ子どもが俺のピアスを取り上げ、壊す。俺はそれをただ見ていることしかできなかった。
そんなときだった。俺の光が現れたのは。俺の光は小さな女の子の形をしていた。
突然現れた幼い女の子は自分よりも頭一つ以上大きい子どもに物怖じすることなく突っ込んでいき、無茶苦茶に暴れた。『こんな弱そうなのをいじめるとか格好悪い』だとか『こんなのいじめるのなんて誰にでもできてつまんないだろう』とか俺をけなすような言葉もあったけれど、その行動は俺にとってまさに救いそのものだった。女の子が暴れる様子をただ呆然とみていると、いつのまにか俺をいじめていた子どもはどこかへ消えていてそこには少しだけ怪我をして汚れた女の子が憮然とした表情でいるだけだった。
それから暫く口汚く逃げた子どもを罵っているかと思うと、おもむろに自分のピアスを外して、カチャカチャと忙しなく小さな手を動かし始めた。そして暫くすると、女の子の小さな手の上には不格好に直された俺のピアスがあったのだ。
『もう壊されるなよ』
と、にっかりと歯を見せて女の子は笑った。まるでこちらの方が子どものようなその言い方に俺はどうしようもなく嬉しくなって、同時にそばに誰の温もりもないことにとてつもなく寂しくなって俺は泣いた。わんわんと泣き喚く自分よりも頭一つ分は大きい子どもに女の子はなにを思ったのか、ただ黙ってそばにいてくれた。
それから女の子は頻繁に従者の屋敷に現れるようになった。どこからともなく現れて俺の後ろをくっついて歩いていたと思うと、俺の手を引いて外に駆け出す。俺に向けられる無邪気な親愛は、縋り付くに十分な光だった。そうして、暫く女の子と過ごしているうちにその子がこの城で最も大事にされるべき姫だと知った。本当なら、ただそばにいるのも許されない存在だった。だけど、今、彼女は俺の隣にいる。
俺はどうしてもその温もりを離したくなかった。
だから、俺は彼女のそばにこれからずっといるために、彼女のそばを離れることを決めた。
侍従長に頼み込み、学校に入れてもらった。そこで一番を取ったら、彼女の執事として推薦してもらうことを約束した。
それは俺の希望だった。
俺の生きる標だった。
そうして俺は彼女のそばにいる権利を掴むことができた。
久しぶりに会った彼女は俺のことを全く覚えていなかったけれど、それでも良かった。彼女は昔のように無邪気に笑い、俺を振り回す。まるで姫らしくない姫だったけれど、それが彼女らしくて俺は嬉しかった。
彼女を見守り、彼女を導き、助ける。
そんな存在になれればいいと、そう思って生きていた。
嗚呼、だけど、それが全部作り物であったというのか。
0と1の集積でしかないデータであるというのか。
俺は絶望の中のさらなる絶望を知った。今すぐこの世界から消えてしまいたかった。
そんなときだ。
『オレ!坂巻明彦!』
彼女は、…彼は、また俺の前に現れた。
闇の中、ただ一人、どうすることもできずに立ち尽くす俺に手を差しのばしてくれた。
一人じゃ心細かった、と何の躊躇いもなく俺に心を打ち明けてくれることに歓喜した。
そして彼と話すうちに、データの中の俺と違うことがあることもわかった。
俺の名前も、俺の姿も、データの中の俺と相違はなかったけれど、今の俺が持つ記憶は俺だけのものだったのだ。
すべて彼女が、彼が、くれたものだ。
彼の存在が俺を真実にしてくれる。
ゲームのキャラクターというデータではなく、俺という人間にしてくれる。
俺は躊躇いもなく彼に縋った。
それでも彼は俺の手を突き放すことなく、あまつさえ、頼りにしていると、…相棒だと、対等な存在だと、そう言ってくれた。
シナリオと同じことが目の前に現れる度に、崩れ落ちそうになるほどの恐怖を感じる。
それでも俺がここに立っていられるのは彼の存在があるからだ。
彼はシナリオの中、為す術もなく殺される。
俺の手から離れて、物言わぬ屍になる。
彼の話を聞けば他の"ルート"であっても、彼は殺されることとなるらしい。
嫌だ。
俺は俺のためだけでなく、ただこの世界から彼という存在が消えることに恐怖した。
シナリオから遠ざからなければ。そんな強迫観念が常に俺に付きまとうようになった。
けれど、彼はそんな俺の心配を撥ねのけるように前に進んでいく。
シナリオと違うことが起こる度に安心する。そして嫌悪する。あまりに利己的な自分自身を。ただ彼のことだけを思うことのできない己の勝手さを。
けれど、きっと、彼ならばそんな俺さえも許してしまうのだろう。そして、笑うのだろう。無邪気に、どこまでも自由に。
ならば、俺はその自由を邪魔する全てを取り払おう。
彼が俺を『相棒』だとそう言ってくれた言葉に報いたい。
「オディットさん?」
「おい、オディット。どうした食わぬのか?」
考え込んでいた俺の前に、機人族の族長であるゼロセブン様と天翼族の長であるミスティ様が怪訝な顔をしてそこにいた。
そうだ。今日はアイリーン様の希望で彼らと城下町に来ていたのだった。
そっと彼らを見ると、その手には屋台料理の『獅子巻』が握られていた。俺は、促されるままにそれを受け取る。そしてよくみればその『獅子巻』は少しだけ囓られた跡があった。
俺はハッとして、ミスティ様を見る。
「なんじゃ、ちょっと腹が空き過ぎていてな。少し貰ったぞ」
まるで悪びれずそういうミスティ様に、ゼロセブン様のからかうような声が続く。
「ミスティにしては大人しいつまみ食いだね」
そう言いながら、彼はその麗しい見目から想像されるよりも豪快に獅子巻に食らいつく。
俺はわかってしまった。ミスティ様は腹が減っていた、などと嘯くがわざわざ俺のために毒味をしてくれたのだと。ただのアイリーン様の執事である俺に。この中で毒に耐性がないのは俺だけだ。それをミスティ様やゼロセブン様はわかっていたのだろう。
族長とはいえ、年下の子にそんなことをさせてしまったことを恥じればいいのか、己の不甲斐なさを嘆くべきなのか。俺はどう答えるか迷っていると、獅子巻に豪快にかじりついていたアイリーン様と目が合った。
彼はもぐもぐと咀嚼しながら、俺に片目を瞑って笑いかける。
…そうか、笑えばいいのか。
「…ありがとうございます」
「なに、礼を言われることはしとらんぞ」
ぎこちなく笑いながらそう言えば、ミスティ様のそんな声が聞こえた。
…シナリオの中の俺は、彼らとこのような会話をしたことがなかった。どの会話も事務的なもので、必要に迫られたからしただけだ。
そう思うと、途端に実感する。俺はここに生きているのだと。
「…美味い」
「な。ネーミングが適当過ぎてちょっと笑ったけど、美味いな」
思わず呟く俺に「『はしまき』のままでいいじゃんなあ」と呑気なアイリーン様の声が続いた。
そうか、この獅子巻は彼の世界で『はしまき』と呼ばれるものなのか。
俺はダウンロードされる知識を頭に叩き込みながら、周囲を見渡す。
そこにはミスティ様がいて、ゼロセブン様がいて、アイリーン様がいる。平和な城下町で彼らはみな笑っている。
俺も、ここで生きたい。
ここで、彼らとともにこれからも生きたい。
ただのデータではなく、オディット・カーリーという人間として。
「オディットくん、どうした?何か元気ない?これ好きじゃなかったか?」
「いえ、なんでもありませんよ」
心配そうにこちらを伺うアイリーン様に俺は笑って応える。
彼らと共に生きたい。その気持ちに偽りはない。
嗚呼、けれど、もし…この世界が残酷にも牙を剥き、俺がただのデータとなったなら。
───俺は、あなたに壊されたい。
そして、最期まで、おそばに。




