ふしんしゃ
金曜日。残念だけど、わたしはピンピンしている。風邪なんてまったくひいていない。
お腹を出しても言うほど冷たくなかった。
今日の授業はバッチリだった。忘れ物も無かったし、宿題の答え合わせも乗り切ったし、給食もわりと好きな「ソフト麺」だった。
コッペパンなのにジャムが無い日が一番イヤ。
……それでもサイアクな学校の日になってしまった。
デブゴンさえ何も言わなきゃ完ぺきだったのに。
終わりの会の先生の話の時、近所に「フシンシャがでた」って話がされた。
おじさんがズボンをはかないで、シャツと「ももひき」のままで外をうろうろしていたらしい。
たったそれだけ。
みんなは「うちのとーちゃんはパンツいっちょで新聞取りに外に出る。フシンシャだ!」とか「うちのママはごみを捨てるのにも化粧をする」とか勝手な話を始めて、終わりの会が長くなった。
先生がまたお決まりの「知らない人について行かないようにしましょう」とか「危ないと思ったら近くの大人に助けを求めましょう」と言って「防犯ブザー」の使い方を説明し始めた。
何度も聞いたし、引っ張るだけなのに説明も何もないよ。
問題はそこからだ。
せっかく終わりの会が終わるところだったのに、デブゴンが「昨日、唯野さんが校区外に勝手に出るのを見ました。フシンシャがいるのに危ないと思います」なんて言った!
どこでどうやって見たのか知らないけど、見られてたなんてサイアク。デブゴンがフシンなストーカーじゃんか!
でも、わたしは先生に注意された。だから「おつかいでスーパーに行ったら売り切れで、違うスーパーに行ったから」って言った。
先生は納得してくれたけど「なるべく大人の人と行くように」と言われた。
やっと解放されて、さよならの挨拶が終わったあと、みんなは教室のうしろで、土日の遊ぶ約束を始めていた。
本当はわたしも遊ぶ約束の話をしたかったんだけど、昨日のことを聞かれるとメンドクサイから、さっさと帰ろうとした。
そしたら、すれ違いざまにデブゴンが、わたしのランドセルに付いたブザーを引っ張ろうとした。
でもわたしはよけて、代わりにデブゴンのブザーを抜いて教室の端っこに投げてやったのだ!
けたたましくなるブザーを拾いに行くデブゴンをしり目に、わたしはさっさと走って逃げた。
「あとで……だからな!」
ブザーがうるさくてよく聞こえなかったケド、デブゴンのストーカー宣言。
他の子にうるさいって文句を言われてて、声が震えてた。顔もまっか! ざまあみろ!
少しドキドキしたけど、金曜日だから大丈夫だ。帰ってしまえば、明日と明後日は学校が無いし。
今日こそは、あの茶色いマンションに行こうと思う。
今日は6時間目が無かったし、お父さんとお母さんは結婚記念日でお食事とお買い物に行ってるから、帰ってくるのが遅い。
だから、少しくらい遅くなっても平気。
わたしはナップサックに懐中電灯と、ペットボトルに入れたお茶と、戸棚から「シッケイ」したお菓子を放り込んで、野球帽をかぶった。
それと、机の上で光っていたくちばしを放り込んだ。
変装はバッチリ、鏡を見たら男の子だ。昨日と違う格好をすれば、デブゴンに見つからない。
野球帽は親戚のおじさんが買ってくれたやつだ。お母さんのお兄さん。お母さんだったら絶対に買ってくれない。
夏は暑くて汗をかくから帽子をかぶってなかったけど、今なら帽子をかぶっても暑くない。
家を出てからはストーカーが居ないか調べてから進む。電信柱とか、曲がり角とかを気を付けなきゃいけない。
……安全確認ヨシ!
と言っても、デブゴンの家はわたしの家より遠いから、先に帰ったわたしの家に来てるわけがないのだけど。
道をひとつぶんずらして移動して校区外に出る。ニワトリがいたところの隣の道だ。
あのニワトリはどこから出て来たんだろう?
ちょっと気になって、昨日の道に繋がってそうな路地を通ってみた。
でも、庭のない真新しい民家と内科があるくらいで、ニワトリ小屋のありそうな家なんてない。
謎は深まる。
昨日、引き返した信号まで来た。まだ明るいせいか、歩いている人が少ないせいか、景色がちょっと違うだけで、いつも行くスーパーの近所に似た風景だと思った。
ずんずん進むわたし。
茶色いゴールが大きくなる。遠くから見たら縦長だったけど、近づくと横のほうが長い気がしてきた。残念。
縦長なら「塔」みたいだと思ってたから、一番上に髪の長いお姫様がいたら良いなって考えてた。ついでに魔女に閉じ込められててくれたら、もっと良かった。
『グランドタワー鳴金』
マンションの名前。太っちょの塔の名前。
ぴかぴかの表札に、建物の周りには割と広い庭と、ちょっとした噴水みたいなのがある。
入り口は自動ドア。中は昼なのにライトが沢山ついていて、外より明るい。
わたしは、すごくがっかりした。ここまで高級だと、困る。
「やっぱり……」
玄関の奥にもうひとつの自動ドアが見える。その横には電話みたいなボタン。パスワードを入れないと開かないタイプのドアだ。
しかも、ドアの横には窓付きの管理人さんの部屋まであって、「ジョーダン」で試してみることもできない。
あっけないオシマイ。あーあ!
でも、まだ時間はあるし、何もしないで帰るのももったいないから、近所を探検することにした。
あたりは住宅街だ。どの家も新築みたいに綺麗。知らない住宅街をうろうろしたら、迷子になってしまいそうだけど、茶色い塔のオカゲで、かえりみちが分からなくなることはない。
うーん、人の家ばかりで見るものがない。
退屈し始めた頃、遠くに「木と水色のポール」が見えた。
あれは公園かな?
わたしは早歩きになる。
――ワンワン!!
人の家の柵の中から犬が吠えてきた。歯をむき出しにして、すごく怒ってるみたいだ。いきなり吠えられたから、目の奥がしみる。
これだから犬はキライ。動物だったら、猫がスキだ。
早歩きがダッシュに変わって、予想通りの公園についた。
でも、誰も遊んでないし、遊具も何も無い。あるのはベンチだけ。これなら学校の校庭のほうがまだ遊ぶ場所がある。
うちの近所の公園も何にもなくて、みんなはゲームくらいしかしてない。
「公園に行って遊んできなさい」って言うおとなが多いけど、どうやって遊べばいいんだろう?
公園の看板には自転車とかボール、それに犬の絵におおきな「×印」が付いてるし、鬼ごっこやだるまさんがころんだで遊んでると、「声が近所迷惑」って言われる。
学校は学校でゲームは持って入れないし、去年から土日は立ち入り禁止になっちゃった。
だからみんな、決まった子の家で遊ぶのがだいたいだ。でもわたしは、そういうみんなが集まる家の子とはあまり仲が良くない。
――誰もいない公園。
ベンチに座って、お菓子を取り出す。たくさんクッキーが入った縦長の箱。
本当はみんなで食べる用のお菓子だけど、今日もひとり占め。
わたしの家では家族以外とこれを分けて食べたことがない。家に友達を呼ぶとお母さんに怒られるから。
三枚食べたところで、公園の隣にぼろっちいアパートがあるのを見つけた。
いつもなら無視するところだけど、周りは綺麗な家ばかりなのに、あのアパートだけ汚いのは謎だ。
お菓子をナップサックにしまい、回り込んでアパートの入り口を見てみる。アパートは二階建て。
窓にはシャッターみたいなのが付いてて、どれも赤茶けて錆びている。
ベランダの物干しざおもハゲてるし、誰も住んでないように見える。
階段は金属の板のやつで、わたしは音が鳴らない様にそっと登ってみた。
二階の廊下からは公園が見渡せる。ぼろい金属の錆びくさいにおいが漂ってる。
金属はみんな錆びてしまうんだろうか。
わたしはふと気になって、ナップサックからくちばしを取り出してみた。
くちばしの表面は手すりとは反対で、金色でつやつやだ。
爪でくちばしを叩いてみる。かつかつとプラスチックみたいな音がする。本物のワケがないか……。
ニセモノだからいいやと思って、くちばしを口にくっつけてみる。口の力で、意外とくっ付く。
「コケェ」
ニワトリの物まね。
このくちばしをつけて叫べば、ウソがホントになるっておねえさんが言ってたけど、やっぱりウソだろうな。
くちばしもニセモノの金だし……。
「デブゴンが居なくなった」
呟いてみる。
馬鹿みたい。だけど、くちばしを落とさないようにしたまま、一階まで戻れるか試してみよう。
わたしは戻ろうと思って振り返った。
急に目の前が黒色になる。
……見上げると、知らないおじさんの顔があった。
「お嬢ちゃん。何しとんねん。勝手に入ったらアカンで」
心臓が「キュッ」となる。
――怒られる。
「しょうがなかったから」
しどろもどろのわたし。
「何がしょうがないねん」
おじさんは独特のなまりで話す。関西弁というやつだ。
「だって……」
おじさんの顔は怒ってないけど、怒ってるように聞こえる。
「何がだってやねん。それに、口に付けてるのはなんや?」
くちばし、忘れてた。……そうだ、これだ。
「フシンシャが居たから、鳥の振りをして隠れてたの……」
わたしはスズメみたいな声で言う。
「あ? なんや? 聴こえへんかったわ。もっと大きい声で言いや」
おじさんが耳をこっちに向ける。早口だ。怖いよ。
「フシンシャが居たから……」
「聴こえへんわ」
おじさんはわたしの前からどかない。さっきからちらちらと公園を見ている。
公園には誰もいない。何を見ているんだろう?
とにかく、聞こえるように言わないと、おじさんは納得してくれない。
「フシンシャが居たから!」
わたしは大きな声で叫んだ。太陽の光に反射したのか、くちばしがちょっとだけまぶしくなった。
おじさんは「チッ」って舌打ちをすると、首を伸ばしてもう一度、公園のほうを見た。怖い。怖い!
――逃げよう!
わたしはおじさんの横を無理やりすり抜けて、走り出した。錆びた階段が「カンカンカン」と音を立てる。
「おい、待て!」
わたしは階段の最後を「四段飛ばし」した。
誰か助けて! 叫びたい。でも、悪いのは勝手に入ったわたしだから、誰かが居たら怒られちゃうかもしれない。
うしろから「ガンガンガン」と階段が悲鳴を上げるのが聞こえる。
逃げなきゃ、わたしの家のほうへ。校区内まで戻れば安心だと思う。
……「グイ」と強く引っ張られた。おじさんの手がわたしのナップサックの紐を握っていた。
捕まっちゃった。
身体が冷たくなる。
「逃げるなや」
おじさんのもう片方の手が、わたしの方へ伸びる。
――ワンワン!!
犬が吠えた。おじさんが驚いて、ナップサックから手を離す。
わたしは走りだす。見直したぞ、犬。それでも犬と猫、どっちを飼うかときかれたら猫だけど!
でも、すぐに捕まっちゃうに決まってる。もっと足が早かったらいいのに。学年で一番早い、町下くんみたいに。
町下くんはすごい。あれはこのまえの運動会の全学年リレーの時だ。
全学年リレーは一年から六年まで一緒のチームになって、女子と男子別々で二回勝負する。
女子はわたしたちの青組が勝った。青いバトンで私もやる気満々だったから、他のクラスの女子よりも速く走れた。
でも、男子は一年生にすっごく遅い子が居たせいで、周回遅れになりそうだった。
ところが、四年の番が回って来た時に走ったのが町下くんで、五年と同時に走り出したのに、先に次の人にバトンを渡した。
しかも、他の競技でヒザをすりむいていたのに! それでも五年生より早い町下くんはヤバイ。……青組の男子はそれでもビリで終わったけど。
――わたしも、町下くんみたいに足が早かったらいいのに。
「おい待てや。殺すぞ!」
殺す。すごく怖い言葉。言うと大人はみんな怒る言葉。言われただけなのに、包丁で刺された気がした。
「わたしは、町下くんより速く走れる!」
わたしは叫んだ。すると、くちばしがまた「キラッ」と光って、急にわたしの身体が軽くなった。
……もしかして、これはホンモノなの?
とにかく逃げなきゃ。わたしは自転車に乗ってるみたいな速さになって走る。
どんどん変わる景色。振り返っちゃダメだ。マンションも通り過ぎて、道路の信号まで来る。
お願い、「赤」じゃないで!
青が点滅するのが見える。わたしは息をするのも忘れて思いっきりダッシュする。
わたしの後ろで信号が変われば、もう大丈夫だ。
振り返る。誰も居ない。道路に車が走っているだけ。
……良かった。
わたしはゆっくり息を整える。知らないおばさんが自転車で信号に引っかかった。
それを見ながらナップサックからペットボトルを取り出して、お茶を飲む。おばさんがこっちを見るけど、別に良い。
「コツン」と当たる音。くちばしがくっついたままだった。くちばしを引っ張って外す。
ふざけてコップに吸いついた時みたいに、顔に跡がついてないか心配だ。
……帰ろう。家じゃやることが無いけど、宿題はたっぷりある。
ゆっくりやれば、お父さんとお母さんも帰ってくるかもしれない。それにお姉ちゃんだって部活が終われば帰ってくるはずだ。
一度振り返って、ストーカーのおじさんがいないかだけ確認する。
「よし、居ない」
わたしは安心して家の方へと歩き始めた。
「おまえ早いやんけ」
おじさんがわたしの向かう先の角から出て来た。なんで?!
「おまえ、ウチに来いや」
おじさんがこっちに来る。今まで気づかなかったけど、手には軍手をしている。
わたしは知ってる。テレビで見た。軍手をすると指紋が付かないんだ。探偵のアニメでやっていた。
この人は「ホンモノのフシンシャ」だ。
防犯ブザー! ……はランドセルに付けたまま。
交番! ……はもっと向こうの通りだ。そこまで走るしかない。
「勝手に入ったらアカンって言うたのに、おまえ逃げたから、警察に言うで」
どうしよう。警察に捕まるのはわたしなの? 家まで走れたとしても、家がバレたら殺される。
くちばし! わたしはくちばしをもう一度口に付けて、叫ぶ。
「悪いのは、おじさんだ!」
「だったら、なんやねん」
おじさんはポケットから何かを取り出す。ギラリと光った。
それはフツー、台所にある。お母さんはそれでカッコ良くニンジンや大根を切る。
「誰か、誰か助けて……!」
わたしは声が枯れてしまっていて、カラスみたいな声になってしまう。
走らなきゃ。
「わたしは町下くんより速い!」
またくちばしが光る。身体が軽くなる。
このくちばしはホンモノだ。でも、肝心な時に、ちょうどいいウソが思いつかない。
いくら町下くんがすごいとはいえ、大人のほうが速いに決まってるんだ。
おじさんの気配は、あっという間にわたしの後ろに来た。おじさんの手が伸びる。振り返ってないけど、分かるんだ。カンだけど。
「ちょっとお、誰か捕まえとくれよう!」
どこからか女の人の声が聞こえる。はて、どこかで聞いたような。
思い出す間もなくハトが飛び立つような、ばさばさとうるさい音が聞こえた。
目の前がまっしろ。しかも、ちょっとくさい。
「ニワトリやんけ!」
うしろでおじさんの声。振り返るとニワトリの群れが居た! なんだこりゃ!
「ちょいとおっちゃん! ニワトリを捕まえるの手伝っておくれよう!」
女の人の声。くちばしをくれたおねえさんだ!
「こんなぎょうさん、どっから出てきたんや!?」
おじさんがすっとんきょうな声を上げる。今がチャンスだ!
わたしは家までまっしぐら。おじさんも、ニワトリも、信号も、デブゴンも、関係ない!
「おい、待てや!」
うしろのほうでおじさんの声が小さく聞こえた。わたしに言っているのか、ニワトリに言っているのか分からないけど、逃げれてる!
校区の境目の道路を越えて、近所のスーパーの通りを越えて。
通学路。いつものお店。吠えないハチ公が居る家。ハチ公を散歩してるおとなりの山下さん。わたしの家!
「お母さん!」
家の塀が見えたら、たまらなくなって叫んでしまった。自分でもびっくりするくらい声が震えていた。
……わたしはバカだ。だって、今日はみんな出かけてて、まだ帰ってきてないはずなんだもの。
カギを取り出してドアを開けようとすると、思ったのとは違う感触が返って来た。
玄関。
お父さんの靴と、お母さんのよそ行きの靴。ついでにお姉ちゃんの靴もある。
「おかえり。電車が止まっちゃってね、めんどくさくなったから買い物だけしてお食事はパスにしちゃった」
お母さんが笑ってる。
わたしは「ただいま」も言えない。
「……?」
お母さんが首をかしげる。
心配そうな顔。なんだか涙がひっこんだ。
「ううん、何でもない。ちょっと、びっくりしただけ」
ただいまは言わなかったけど、振り返って、靴をそろえて、お母さんの横を通り抜ける。
その時、ちょっとだけ、そっとお母さんの手にぶつかってから洗面所へ。
「あ……くちばし」
鏡に映った、わたしの間抜けな顔。
わたしは大きなため息をついた。
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