1.めしつかい
翌日、金曜日。
ぼくは集団登校でも、ずっとため息をつきっぱなしだった。
うちの登校班は無駄に学校に行く時間が早い。
普段なら、授業が始まる前にトモキやリュースケと遊ぶ時間が増えるからそれでも良かったけど、今は別だ。
集団登校はあまりお喋りをする班じゃなかったのは「不幸中のさいわい」だった。
学校では海モン2.5の話題で持ち切りに違いない。
たこやきにわとりの強さはどのくらいなんだろう? 海モンでは貴重なとり系で、しかも限定だし、強いに決まってる。
対戦で出されたらどうしたらいいんだ。
今ならまだ育ってないから、そこまで強くないとは思うけど、来週に対戦することになったらぼくは「みじめ」になるに決まっている。
……ちょっと待てよ? 海モンの2と2.5は違うソフトだ。そもそも対戦すらできないんじゃないか? 仲間外れかよ!
ぼくはもう学校へ行くのが嫌になった。
じつを言うと、ぼくはそれほどゲームが好きじゃない。これは、海モンが手に入らないから強がって言っている訳じゃない。
低学年の時は、そんなにゲームをしなかったんだ。
でもお母さんが「これが我が家の方針」と言って、話題のゲームや、おもちゃを時々買ってくれてたんだ。
ぼくは外で遊ぶほうが好きで、そういうのは雨の日くらいにしかやらなかった。面白いとは思うけどね。
ぼくはかけっこが好きだ。低学年の時は、学校では足が速い奴がヒーローだった。
2年の時には他のクラスでいちばんの奴らと集まって競争して、ぶっちぎりで勝ったこともある。
でも、今も一番かどうか分からない。
去年の運動会の時は、3年生の種目は一人で走るやつじゃなくて台風の目だったし、学年全員リレーは速くてもあまり目立たないわけで。
そもそも、あの頃にはもう、「足が速い奴」よりも「ゲームで強い奴」が一番だった。もっと前なら良かった。
ぼくは昔を懐かしんで、もう一度ため息をついた。
予想していたとおり、その日の学校はサイアクだった。
休み時間はみんな海モン2.5の話ばかりだ。タコとイカではタコバージョンを買った人が多かった。
女子の一部からも海モンの話が聞こえてきた。どれも予想通りだ。
ぼくは一応みんなの会話の輪に入っていたけど、2.5を持っていないことがバレないようにするのには苦労した。
なるべく話がぼくへ向かないように、あまりしゃべらなかった。
海モンの話ばかりで、ぼくはどんどん気分が落ち込んでいく。いつもなら、休み時間もあっという間に終わってしまうのに。
「終わりの会」が終わったあと。放課後にさらにサイアクなことが起こった。
普段ならさっさと帰って友達との約束に出かけるか、ゲームをする。みんなも早く帰って海モンがしたかったハズだ。
ぼくはやめとけばいいのに、みんなが1秒でも海モンをできる時間が短くなるように、挨拶が済んだあとにおしゃべりを始めた。
みんなはおしゃべりに乗ってきた。でも、海モンの話題をするわけにはいかないし、そうじゃなければすぐに話のタネなんて尽きてしまう。
みんなは帰りたがったけど、ぼくは話のタネに苦しくなって、もうすぐ始まる運動会の練習の話をした。
「走るのなんて、めんどくせー」
デブゴンが言った。
ぼくはむかついた。
「おまえはデブで走るのが遅いからだろ!」
「なんだよ。足が速いからって偉そうに!」
にらみを利かせるデブゴン。
ぼくは怯んだ。足が速いことがまるで悪いことみたいに!
デブゴンはそういう言いかたが得意だ。
体育が得意のなのはぶっちぎりでぼくのほうだけど、デブゴンとケンカになったら絶対に勝てない。口でもつかみ合いでも。
デブゴンの“オカマダキツキボディアタック”は最強だ。
こいつは身体が大きいし、高学年にもやり返して泣かせたことがある。
「さてはカケル。おまえ海モン2.5まだ買ってないんだろ」
デブゴンがにやにやしながら言った。
ぼくはもう居ても立ってもいられなくなって、教室を飛び出した。
追いかけてくる足音がする。デブゴンは教室で笑っているから、トモキとリュースケだろう。ふたりはぼくの親友だ。
優しいんだ。だから多分、「海モン以外で遊ぶ約束」をしてくれるに違いなかった。
でも、ぼくは自分でズルいおしゃべりをやっておきながら、トモキとリュースケから海モンの時間を奪うことはしたくなかった。
なんだか顔や胸がびりびりする。
ぼくはやっぱり、クラスで一番足が速い。多分、サイアクな金曜日から逃げ切るくらいに足が速い。
家に帰ると、びりびりしてたのが急に治った。
靴も丁寧に脱いで、手洗いもうがいもちゃんとする。少なくとも土日は学校が休みだ。生き延びたんだ。
月曜日の事は考えたくなかったけど、とりあえず今日の所はもう安全だ。
「カケル、おつかい頼まれてくれない?」
お母さんが現れた。
「おつかいって何?」
普段なら、友達とのウソの約束を作り出してでも行かないようにしたけど、今日はちょっと行く気になった。
「ドレッシングが切れちゃったのよ。お父さん、サラダはあれじゃないと食べないでしょ。晩御飯までに買って来てくれれば、いつでも良いから」
そういってお母さんはぼくの手のひらに百円玉三枚を乗せた。
これはぼくのお金じゃないけど、所持金のデータが1231円にアップする音がした。チャリーン。
……ちょっと待てよ。ぼくはもう「むいちもん」じゃないか。
机の上に乗せてある本に目をやる。……やっぱりある。チャリーン。300円。
表紙ばかり偉そうな本を目にしたら、「おつかいに行ってあげる気」が失せた。
ぼくはお使いを後回しにして、冷蔵庫からおやつのソーダアイスを取ってくると部屋に寝転がった。
寝転がってアイスを食べてるところを見られると間違いなく怒られるけど、それならそれで300円を投げ返してやるだけだ。
それにしてもムカつく。昨日のおねえさんは一体何だったんだ?
あやいし まほって言ってたっけ? あやしいまほう? あやしいアホでしょ。
もしかしたら、今日もあそこにいるかもしれない。本屋とハンバーガーショップのあいだ。
返品できるかもしれない。本をカバンに押し込むと、何かが当たって本がはみ出した。
……海モン2だ。昨日の自分を思い出す。海モン2を投げてやった。クソゲー。
ぼくは一応300円もポケットに入れると、家を出た。
でも、出てからすぐに後悔した。もしも、本屋やスーパーにクラスの子が居たら気まずい。
まあ、みんな海モンをして家にいるだろうし、おつかいという言い訳もある。
デブゴンなら海モンをやらないで本屋のゲーム売り場で待ち伏せをやりかねないけど、本屋の中には用事は無い。
結局、おねえさんもデブゴンも居なかった。
ぼくは、昨日おねえさんが居た場所でため息をついた。
建物と建物の隙間。壁を見ると安心するけど、道路側を見ると不安になる。
誰かが覗いて来そうな感じ。
そういえば、あのおねえさん、なんでこんなところに居たんだろう?
……まあいいや、あんなおばさんのことなんて。
次はスーパーにおつかいか。ぼくは面倒くさいことになったと思った。カバンに入れた本がやけに重たく感じる。
「なんでぼくが行かなきゃいけないんだ。お父さんなんかの為に」
ぼくは今ちょっとお父さんが好きじゃない。
海モンの発売日から、お父さんが仕事から帰って来るたびに「ちょっと期待」していたんだ。都合が良過ぎるってのは分かっているケド。
――あーあ。この本の中身みたいに、ぼくにも召使いが居ればいいのに。そうすれば、代わりにおつかいも宿題もやってもらうのにな。
そう思った途端、カバンの中身がぶるぶる震え出した。
「えっ!? なに!? なに!?」
ぼくは驚いてカバンを押さえる。あまりにも激しく震えるものだから、押さえる腕までおかしくなってしまいそうだ。
しばらくすると震えは収まった。
いったい、今のはなんだったんだろう?
カバンを開けて恐る恐る中身を確認してみるけど、そこには相変わらず重たい本があるだけだ。
あたりを見回す。こんな建物の隙間に来る人は居ない。なんだかわからないけど、今のは見られちゃマズい気がした。
「お呼びですか、ごすずん様」
急にうしろから話しかけられた。
心臓が跳ね上がり、また何も悪いことをしてないのにそんな気分になった。
振り返ると「ひざまづいた男の子」が居た。
ぼさぼさの髪の毛と、汚いぼろぼろの服。背はぼくと同じ位だけど、痩せている。よく見ると、裸足で、靴も靴下も履いていない。
「よ、呼んでないよ」
ぼくは言った。
「んなこたぁないでしょう。おら、たすかに聞いたです。召使いが居ればいいのにって」
男の子は鼻声で変な喋りかたをしている。
「確かに、考えたけど……」
「でしょう? だから、おら、出てきた。召使いだから、何でも命令してくだせえ」
男の子はぼくの目を覗き込んだ。
「何でもって、何でもするの?」
「んだ。おら、召使いだもん」
ぼくはカバンに手をやった。カバンの中には「例の本」がある。
本の物語には、召使いの男の子が描いてあったような……? ひょっとして……?
「じゃあ聞くけど、もしかしておま……キミは本からでてきたの?」
ぼくは“おまえ”って言いそうになった。初対面の人にそういう呼びかたは良くない。
「んだ」
男の子は返事をした。本当に、本から出てきたのだろうか。
ぼくはさすがに信じられなかった。でも、こんな格好をした子供なんて、今まで見たことが無い。
「ねえ、名前、何ていうの? ぼくはカケル」
「おらぁ、ペジタって言うだ。カケル様」
――カケル様。
ぼくは背中がぞっとした。なんだか暗い所を覗き込んだような気分。
「“様”はやめて。カケルでいいよ」
「わがった。ごすずん様が言うなら、そう呼ぶ」
「じゃあ。とりあえず、立って」
彼はずっとひざまずいたままだった。
「あい」
立ち上がったペジタはぼくよりちょっと背が低かった。
「ペジタは、何年?」
ぼくはいつもの調子で学年を聞いた。
「何年? おら“とお”だ」
「とお?」
「十歳だ」
両手の指を広げて見せる。
「じゃあ、ぼくと同じだ」
ぼくも十歳だ。
「そいで、おら、何すればいい?」
ペジタはどうしても「命令」が欲しいみたいだった。
ぼくは困った。確かに召使いが居たら良いなって思ったんだ。
だけど、ペジタはぼくと同い年で、ぼくたちは子供で……。
上手くは言えないけど、良くないと思ったんだ。命令とかそういうの。
ぼくのクラスは去年よりひとり減っている。3年生から4年生になった時にはクラス替えは無かった。つまり、ひとり転校したんだ。
転校していった子の名前は、久太郎と書いて「ナイン」って読むんだ。変わった名前だ。
デブゴンがよく、八太郎とか十太郎とかエイトとかテンって呼んでいた。
久太郎の「久」と数字の「九」は別の意味だけど、算数の時間に「九」という言葉が言われるたびにクラスから笑い声が上がった。
ナインはデブゴンとかに「命令」をされていた。
ナインは初めは嫌がっていたけど、デブゴンと喧嘩をしたときにオカマダキツキボディアタックの「えじき」になってから、何も文句を言わなくなったんだ。
誰かがイジメだって言ったけど、デブゴンが「でもこいつ、嫌がらないぞ」って言い返した。
ナインも「俺も嫌じゃないから」って言っていた。だから、誰もイジメって言わなくなった。
ぼくはナインが好きじゃなかった。
別に無視したり、命令したりはしなかったケド、ナインが命令されているのを見たり聞いたりするのが嫌だった。
だから正直、ナインが引っ越したのはちょっと良かったと思ってる。
他の子は、ナインが居なくなったせいでデブゴンからの嫌がらせが来やすくなって、嫌がっていた……。
ペジタはナインに似ている。ぼくはデブゴンが嫌いだし、デブゴンと同じにはなりたくなかった。
「ペジタ、ぼくと遊ぼう」
「あい」
ぼくは家の近所の公園にペジタを連れて行こうと思った。
ところが、建物の隙間から出ようとしたら「バキッ」と音がした。
……誰かが捨てた空き瓶のカケラだ。
「ちょっと待って!」
ぼくはペジタを止めた。
「ここで、これを持って待ってて」
ペジタにカバンを預ける。
ぼくはペジタを待たせて家にダッシュした。
そして、部屋で「目的の物」を引っ掴むとペジタの所に戻った。
「ペジタ、これあげる」
「これ、なんだ?」
「うわばき。靴だよ。もう捨てる奴だから。サイズ合うかな?」
ぼくはペジタにうわばきを履くように勧めた。捨てる奴だから「くさってる」ケド……。
「お姫様が履いてるようなやつだな。足がちょっと窮屈だ」
ペジタはその場で足踏みをした。
ぼくはペジタを連れて公園に来た。公園に来たものの、やることが無い。
去年まではここにブランコやジャングルジムがあったんだけど、今は何も無い。
そう、無いんだった。すっかり忘れていた。ここ最近はゲームばっかりしてて、公園に来ることなんて、滅多に無かったから。
「どうしよう、遊ぶものが無い。何して遊ぼう……」
ぼくはペジタを見る。
「おら、遊びなんて知らない」
「遊ばないの?」
「んだ。働かなきゃなんねえ。おっとうとおっかあの稼ぎだけじゃ、食えないから。おら、お姫様に気に入られたから、お姫様の子分やってるんだ」
子分。ペジタはさらっと言ってのけた。
「なんでも命令を聞くの?」
「あったりめえだ。お姫様がカエルを呑めって言ったら呑むし、イスになれって言ったらイスになるんだ」
ペジタは自慢をするみたいに言った。
「ええ……変だよ!」
「変かぁ? 召使いや子分って、そういうもんだべ」
「嫌じゃないの?」
「そら、焼いてないカエルはまじいし、お姫様は重てえけっど……」
首をかしげるペジタ。
「嫌なら嫌って言ったほうが良いよ」
「んなこと言ったら、はっ倒されるべ。お姫様すげえワガママだもん」
「そんな奴、ほっときなよ。ワガママは嫌われてもしょうがないよ」
「だがら相手したら、王様からお駄賃もらえんだ」
「なるほど……ペジタはすごいね」
ぼくはそう言うしかなかった。
でももし、ぼくがペジタと同じ立場だったら、とてもじゃないけど、できない。お駄賃が5378円だとしても。
「カケルは優しいな」
ペジタは笑った。
「そんなことないよ」
「おら、おっとうやおっかあの役に立てるのが嬉しいんだ。ふたりも、おらがお姫様の召使いなのを自慢してる」
ぼくはペジタの言う事に何とか反論したかった。でも、ペジタは嬉しそうに言うんだ。
「でもな、本当はお姫様がちょっと、かわいそうなんだ。だがら、ちょっと無茶な命令も聞いちまうんだ」
「かわいそう?」
イジワルでワガママなのに、どうしてかわいそう?
「お姫様、友達居ねえんだ。おら、遊ぶ暇はないけど、近所の子は全員友達だ」
なんだ、ぼくよりペジタのほうがよっぽど優しいじゃないか。
「ペジタ。命令」
「お、やっど命令する気になったか」
「言いたいことがあったら言う。やりたいことがあったらやる。お姫様にもね」
「それが命令か?」
「そう。王様に怒られないくらいでいいから。そのほうがお姫様のためだと思う」
ぼくにはこれが精いっぱいだ。
「うーん、そうだな。おら、勇気を出して、やってみる」
ペジタはそういうとお腹をさすった。
「んだら、おら、腹が減ったから、うちに帰る」
「うん、そうしなよ」
カバンに入った本がいきなり震え出す。ビックリしてカバンを見る。
視線を戻すと、ペジタはもう居なかった。
やれやれ……。
「ぼくもお腹が空いた」
陽はもう傾いていた。
「そうだ! おつかい!」
ぼくはスーパーにダッシュした。
スーパーの調味料売り場で、お父さんがいつも使っているドレッシングを探す。198円。
「なにさ。あっちのが30円安いじゃないの!」
誰かが文句を言っている。マスクをした女の人が、ぼくと同じドレッシングを持っていた。
「あっち」というのは別のスーパーの事だ。よくお母さんが、広告を見比べながら、ちょっとでも安いほうを買おうと努力している。
ぼくはドレッシングを棚に戻すと、お店を出た。
家に帰るころには、もう太陽は沈みかかっていた。
玄関のドアを開けると、カレーの良い匂いが漂ってきた。
「お帰り、遅かったね」
お母さんが出迎えてくれる。
「ただいま。手、洗ってくる」
ぼくは特に言い訳をしないで、スーパーの袋とおつりをお母さんに押し付けた。
手を洗いながら考える。
今日はすごく不思議なことがあった。本から人が出て来るなんて。
出てきたのは召使いで、なんでも言うことを聞くって言ってたけど、今思うとちょっぴり惜しいことをしたと思う。
やっぱり、ペジタにお金を稼がせるとかして、海モンを買うお金を手に入れるべきだったかな。
「カケル!」
お母さんの呼ぶ声。悪いことを考えてる時に呼ぶのはやめて欲しい。
ぼくはお母さんの所に行く。
「カケル、あんたわざわざ遠い方のスーパー行ったんだね」
「たまたま近くで遊んだから」
「ふうん……。じゃ、これお駄賃ね」
そういうとお母さんはぼくに百円玉3枚を握らせた。
せっかく30円安く買ったのに、300円もお小遣いをくれたら大損じゃないか。
ぼくは本当に貰って良いものかどうか、悩んだ。どうせ海モンには遠ざかってしまっていたし、お金のことは割とどうでも良くなっていたのだ。
「お父さんもう帰ってるから、ご飯にしよう。ほら、手洗って」
「洗ったよ」
「今、お金触ったでしょ」
ちょっとそれは酷くない?
ぼくはお金とカバンを片づけると、しぶしぶ手を洗う。
でも、晩御飯のカレーは、いつもよりもおいしかった。
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