ろーぷ
唯野さんが無事だったのは良かった。
聞いたところによると、本人はそんなに時間が経っていたと思わなかったと言っているらしい。
嘘をつく元気があるのは良いことだ。
彼女は月曜日には元気に登校してきて、みんなにお礼と謝罪を言って回っていた。
大事件にはならなかったし、彼女を見つけた町下がまたもヒーローになるということも無かった。
こんなことなら、僕がひとりで探しに行けば良かった。
ところで、その日を境にちょっと妙な事が起こり始めた。
くだんの唯野さんと、町下と、如月さん。それになんと、あのデブゴンがつるんでよく遊んでいるというのだ。
別に僕も一緒に遊びたいというわけじゃない。何をしているのかは知っている。ゲームだ。海ブツモンスターという、大人気の携帯ゲーム機のソフトだ。
僕にはどうもピンとこない。現実の深海について調べるほうが楽しい。
それに何より、海モンの世界では人間やキャラクターが死なないのだ。
悪役のテロ集団“シーコーギー”というのが居て、海モンを使って世界の破壊や混乱を企んでいるんだけど、その割に人や海モンを殺すことはしない。
海モン同士のバトルでも、火に焼かれたって電撃を浴びせられたって死んだりはしない。
それは変だろう?
僕は、死というものが一番怖い。それに一番興味深い。人は、死んだらどうなるのだろうか。
……ともかく、そういうことだから、海モンでみんなと遊ぶ気にはならないのだ。
そう、それで妙な事っていうのは、あっちこっちにオレンジの皮が捨ててあったり、街の中をお姫様みたいな恰好をした子が走り回って、それを町下が追いかけたりとか、そんな事だ。
普段ならどういうことか調査に乗り出すところだけど、そんな気分にはならなかった。
それからしばらく、僕は死んでいるのか生きているのか分からない日々が続いた。
季節は進み、上着無しではいられない12月だ。師走で忙しいって言うけど、僕ら子供にとってはイベントが目白押しで、一番楽しい期間でもある。
去年は欲しかった百科事典のセットを貰って小躍りした。元気のない僕でも多少はテンションが上がるというものだ。
これでがっかりする子も居るのは、なんとももったいないことだ。
そこに、もうひとつ楽しみな出来事が飛び込んできた。天気予報。
天気予報は数日に渡っての「大荒れ」を示していた。
12月といえば微妙な時期だ。僕らが住む町は比較的、都市部だから、雪が降ることは滅多にない。
でも、今回の天気予報では寒気が入り込むから、もしかしたら大雪になるかもしれないと言っていた。
体育が苦手な僕でも、みんなと雪遊びができたら楽しいと思う。
僕は雪が降るかどうか知りたくて、腕時計のフューチャーウォッチ機能を使った。
『カンニングバレル』
雪どころか凍り付いた。
……白状すると、計算ドリルについては常習犯なのだ。
夏休みの宿題に始まり、運動会関係で疲れて計算する気力が無くて、ついこないだはテンションが低くて……ああもうとにかく、授業自体は理解してるし、ドリル以外のプリントは全部自分で計算してるし、テストも満点だったんだ!
結末は同じだ。
問題は、どうバレるのか、誰にバレるのかだ。
この手の失敗は、僕のクラスではときおり面倒なことになる。ご存知のいじめっ子のデブゴンだ。
あいつは他人の失敗や変わったところを見つけると、しばらくそいつに付きまとっておもちゃにするんだ。
この前までは唯野さんだったし、去年はそれが原因かは不明だけど、いじめられていた子が転校したりもした。
勉強においては一番の僕がカンニング。
そんなのがバレたら、オシマイだ。
明日から僕は「カンニングマン」だろうか? 略して「カニ」? 今のうちに横歩きを練習しておくか?
バカバカしい! だいたい、デブゴンのことを抜きにしたって、死んだに等しいことになる。
僕は翌日の学校を震えて過ごした。なんで学校を休まなかったって?
言っただろう、結末は同じだって。
僕は腹をくくった。やってしまったことには責任をとらなくちゃいけない。
……さて、僕は何事もなく学校を終えた。
昨日は計算ドリルの宿題は無かったし、今日はでたけど、ちゃんと自分で解くつもりだ。というか、もうちゃんと「終わらせている」。
これは一体どういうことなんだろうか? バレたとして無視されるような出来事ではないはずだ。
夕方、僕はすべてを悟った。ママが「学校から帰ってきた」のだ。今は個人面談のシーズンだ。
担任の先生と保護者が一対一で学校で話をするアレだ。
ママは帰ってすぐは何も言わなかったけど、それはつまりパパと二人掛かりでお叱りなられるということだ。
はい。僕は粉々に打ち砕かれました。
「どうしてカンニングなんてしたの」って聞かれて、「めんどくさかったから」としか答えられなかった。
だって本当にそうだったし、分からないからとか、間違うのが怖いからとかじゃないんだし。どうせ結果は同じなんだし。
それを証明するためにドリルを普通に解いて見せたら、パパに烈火の如く怒られた。
「結果は同じとはなんだ!? お前は周りをバカにしているところがある。ズルは一番ダメだ! 自転車の練習を頑張っていたお前は、どこに行ってしまったんだ!」
――ズルは一番ダメ。
僕は今年のクリスマスプレゼントをナシにされた。そんなのはどうでもいい。
だって、これは不幸中のさいわいなんだ。
カンニングを繰り返したら、いつか本当にバカになるから、見つかって良かったとも言えるし、先生は気付いても他の子にはばらさず、パパとママだけで済んだんだから。
落ち込むことなんてない。反省だけすればいい。
「一番ダメ、か」
そこから数日、僕たちの町には「雨」が降った。寒気が予想よりも南下せず、雪は降らずに、すごい風と土砂降りの雨。いつかの風だけの台風なんか、目じゃない。
雨は夜中にはもっと強くなり、このまま降り続けば学校が休みになるんじゃないかと思われた。
でも、そんなことはなく、翌朝には小雨に変わって、風のほうもぴたりと止んでしまった。
僕は学校が終わって家に帰ると、神妙な面持ちで腕時計の機能を使った。
『アタラシイハジマ』
8文字制限。つまりは「新しい始まり」だろう。
僕はここでひとつ、他の人が知らない事実を知った。
死後の世界か、生まれ変わりのどちらかが存在するということだ。
なぜなら、昨日の予言が『オボレシヌ』だったからだ。
そう、つまりは今日溺れ死んで、明日に始まりが訪れる。
僕は、運命は変えられない事を知っている。溺死。「カニ」のクセに溺れ死ぬなんて笑える。
僕が死ぬとは限らないって? そうかもしれない。
落ち込んではいるけど、死ぬほどではない。でも、僕は今から河川敷に行くんだ。連日の大雨で増水した川にね。
死ぬなら死ねばいい。
この予言は「僕が知ってる範囲の人に起こる出来事」なんだ。
それがパパやママ、如月さんだったら最悪だし、デブゴンですら悲しい。
一番ダメな僕が死ぬのが一番マシだ。だから、僕はちょっと川の様子を見てくるんだ。
流れる川。河川敷はコーヒー牛乳のような水で満たされている。衝撃映像みたいに車や家が流されるほどじゃないけど、人間ひとりくらいなら一飲みに違いない。
「助けて!」
遠くで悲鳴。女の人の声だ! ママは家だ。じゃあ、如月さん!?
僕は声のほうへと走る。川の茶色の中に、女の人の姿。
「うえーん。溺れちまうよう。助けとくれえ」
えっ? 誰? 知らないんだけど?
知らないおねえさんは河川敷の土手に必死にしがみついている。
加えて、土手の上には子供が三人。
「おねえさんが流されちゃう!」
まごついているのは唯野さん。
「ぼく、泳ぐほうはあんまり得意じゃないんだ!」
片脚を土手に掛けてバカなことをしようとしているのは町下。
「わたしは得意だけど……」
同じく如月さんもだ。
「ダメだ! 川に入ったら危ないって!」
僕はみんなの所へ駆け寄った。
「まずは消防に通報しないと」
「そっか。通報!」
唯野さんが声をあげる。
「わたし電話持ってない。ケンサクくんのは?」
如月さんが訊ねる。
しまった! 電話を持って来ていない。
「ごめん。僕も今、持ってない」
考えなきゃ。こういう時はどうしたらいいのか。思い出せ。
「大人を探して通報してもらわなきゃ。でも、それだけじゃ遅い。通報してから来るまでに時間が掛かる。どこかこのあたりに、ペットボトルとロープがあると良いんだけど」
「何に使うの?」
町下が首をかしげる。
「浮袋代わりにするんだ。おねえさんもいつまでもつかまってられないよ」
「わたし、近くにある場所知ってる! 猫避けのペットボトルと、空き地に置きっぱなしのロープ!」
答えたのは唯野さんだ。
「唯野さんは町下をその場所まで案内して。町下はそれを手に入れたらここまでダッシュだ。
きみが一番足が速い! 如月さんは電話を持ってる人を探して。
僕は浮袋を作るのと、誰か通り掛かったら手伝ってもらうのと、おねえさんを見失わないようにするためにここに残るから」
みんなは頷くと駆けて行った。
やんでいたはずの雨がまた降り始めた。小雨だ。
おねえさんが手を離した……!
少し流されて、もう一度しがみついた。
さっきより頭の位置が低い。息をするために顔を上げなければいけない。
声を掛けて無事を確かめたいけど、声を出させると体力を消耗させてしまう。それにどうせ……。
「菅原くん! 持って来たよ!」
早い。町下は息を切らせて必要な品を届けてくれた。
僕はボトルの水を少しだけ残して捨てると、ロープを結び付けて浮袋を作った。
「おねえさん! これに抱き着いて!」
僕は叫んだ。でも声は聞こえてないみたいだ。それでも、おねえさん目掛けてボトルを投げる。おねえさんの頭に命中。
「あ、痛ぁ!」
でも頭に当たったおかげで、おねえさんは僕が何をしようとしているのかに気付いた。
おねえさんはボトルの付いたロープに抱き着く。草にしがみ付くよりは楽なはずだ。
僕と町下は、引きずり込まれそうになる。腕がちぎれそうだ。
「ヤバいよ!」
町下が声を上げる。
「ねえ、大人の人居ないんだケド!」
如月さんが悲鳴を上げながら戻ってきた。
「引っ張るの手伝って!」
三人。まだ駄目だ。じりじりと土手の方へ引き寄せられていく。
「町下、唯野さんは?」
「唯野さんは“他に取ってくるものがある”ってどっか行っちゃったよ!」
「肝心な時に! 足が折れそうだよ!」
僕も悲鳴だ。
「足! 足なら自信があるぞ!」
そう言うと町下は背を向けた。
「町下! それはダメだ!」
ロープを背負い走り出そうとする町下。足が浮いて、一気に引っ張られる。
みるみる土手が近くなる。万事休す!
……僕たちは急に止まった。
「おい、面白そうなことしてるじゃんかよ」
うしろでロープを握るのは、クラスで一番重い奴。
「デブゴン! 何でここに?!」
町下が訊ねる。
「マミが走ってたからよ。何してんだって訊いたんだよ、そしたらここで綱引きしてるっていうからさ!」
しかしいくらデブゴンが重いとはいえ、所詮は子供だ。
僕たちは引っ張られるのが止まっただけで、おねえさんを引っ張り上げることはできない。
「おねえさん! 抵抗しないで、力を抜いて! “浮いて待て”だよ!」
おねえさんに声を掛ける。
「なんだって!? 聞こえないよう!」
おねえさんが声を上げる。肺から空気が抜け、その分身体が沈む。
「喋っちゃダメだって!」
「おい、ケンサク。なんか良いアイディアないのかよ!?」
デブゴンが言う。
「他にも誰かが引っ張ってくれると良いんだけど。唯野さんは何やってるんだ!」
「あはは! なんかこれ、一年の時にやった“おおきなかぶ”みたい」
「おいミキ、何笑ってんだよ!?」
デブゴンのツッコミ。如月さんが壊れ始めた。
「他に誰か……おおきなかぶ……そうだ!」
町下は何かを思いついたらしい。でも、手も離せないこの状況で、いったい何ができるって言うんだ!
僕の背後で何かが光る。町下が肩から掛けていたカバンが何やら眩しい。
「うわっ!」
如月さんとデブゴンが声を上げた。
「なんか用事か? カケル?」
「何よ、私たちには勝手に出てくるなって言っておきながら……って雨降ってるし!」
知らない声がふたつ。
僕は首を目いっぱい曲げて、うしろを見た。
……見間違いか? みすぼらしい男の子と、お姫様みたいなのが居る。
「おねえさんが溺れそうなんだ! 助けるの、手伝って!」
町下がふたりに助けを求める。
「まあ! でも私、泳げないわ」
「おら、泳ぐの得意だべ!」
「水に入っちゃダメだよ! ロープを引っ張るんだ!」
ふたりの力が加わる。
……いいぞ! 少しづつだけど、引っ張れてる気がする。
もう一度光。それから轟音。雷鳴だ。雨が強くなる。
「マズい、時間が経つと川がまた増水するぞ!」
びしょ濡れの僕たち。
「おい、オレたち、なんか滑ってねえか!?」
……先頭の僕の足は、ほとんど土手に掛かっていた。土手は濡れた草で、坂道だ。
踏ん張りなんて利かない。ぼくが落ちればそのぶん力が減って、ぼくの体重の重さが増えて、みんなが引きずり込まれてしまう。
もう、手を離すしかない。腕時計の予言は絶対だ。
どんなに頑張っても、結末は同じだ。
溺れかかっているおねえさんが、一瞬だけこっちを見た気がした。沈むおねえさん。川の流れに飲み込まれて行く。
――僕は、僕は。
「わたしたちはペディキュア!」
「えっ!?」
急に光り出す僕たち。服が変わり、足が裸足になる。この姿ってあのアニメのやつだよね……。
「ちょっと!? 何よこれ!?」
「なんだべ!?」
後方で声が上がる。僕はうしろが気になったけど、まうしろが町下で、その二つうしろがデブゴンなのを思い出して、振り返るのをやめた。
「おい! なんでオレがピンクなんだよ!?」
「あはは! デブゴンだったらフツー、黄色だよね!」
「なんだよそれ!? おい、マミ! あとで覚えとけよ!」
「だってえ!」
騒がしい。ともかく、引っ張られるのは止まった。しかし、ヒーローに変身した割には……。
「ねえ、思ったよりこれ、引っ張れてなくない?」
如月さんが代弁してくれた。
「あっ、そうか。ペディキュアってキックは強いけど、腕の力はそんなに無いんだった!」
「なんだよ! コスプレさせられ損かよ! やっぱり覚えとけよ!」
そんな事はない。唯野さんが加わって、その上裸足になったおかげで、僕は踏ん張りやすくなった。何とか土手に踏み入れないで済んでいる。
「菅原くん!」
町下が助けを求める。
「みんな、聞いて! “いち、にの、さん”の掛け声でタイミングを合わせるんだ! 大きな声を出すんだよ!」
「そうか、二人三脚の要領だ!」
――いち!
――にーの!!
「「「「「「「さんっ!!!」」」」」」」
合わさる力。これは足し算じゃない、掛け算だ。
おねえさんの身体が茶色い濁流の中から現れる。
僕らは川との綱引きに勝利した。
川から身体が出ればあとは軽い。僕ら7人の力なら、楽勝だ。
……。
引き上げられたおねえさんは、ボトルを強く抱いて離さない。
「おねえさん! 大丈夫!?」
唯野さんがおねえさんを揺さぶる。
返事は無い。
「おねえさん! しっかりして!」
町下も揺さぶる。
おねえさんはボトルから手を離して仰向けになる。動かない。
「おねえさんの心臓。止まってる……」
唯野さんが泣き出す。
「そんな! 死んじゃったの!?」
町下も涙声だ。
「おい、こんな時はあれだろ!」
デブゴンが唯野さんの肩を叩いた。唯野さんはなにやら顔に変なもの、くちばしのようなものをくっつけている。
「そっか!」
唯野さんの顔に笑顔が戻った。
「おねえさんが生き返る!」
しかし、何も起こらない。
「そんなあ!」
「おい、マミ、諦めんな!」
「だっで! くぢばしきがないんだもん! もう無理だ!」
唯野さんはいよいよ土砂降りだ。
「うるせえ! オレはしつこいのがウリなんだ! ウソが効かねえってことは、まだ死んでねえってことだ! おい、菅原!」
デブゴンが僕にすごむ。
「ケンサクくん! 助けて!」
如月さんも僕に泣きつく。
「心臓マッサージ。それと人工呼吸だよ。やりかたは……」
「よっしゃオレに任せろ!」「おら、ずんこう呼吸得意だべ!」「じゃあ、ぼくも……」
なぜかおねえさんに群がる連中。
「ちょっと男子!?」
声を上げる如月さん。
「こっちは女子に任せよう」
僕はおねえさんの顎をあげ、女子のほうを見る。
やりかたは、分かる。学校に消防車が来るイベントの時に、実演していたのを見たから。
あのあと、家に帰ってから検索して、しっかりとマスターしたはずだ。
「みんな、僕の手と動きをみて覚えて。1、2、3、4……30回。1分に100回くらいなんだけど……1秒1回よりも早いペースで」
僕が実演する。想像以上にキツい。さっきまで綱引きしていたせいか、体重を掛けても30回を2セットは無理だ。
「デブゴン代わって。手はこう。ヒジはまっすぐ。力も真上から。
キミは体重があるからあまり力任せにはしないで。おねえさんの骨が折れちゃう。
人工呼吸は5秒に一回くらい、鼻を塞いで、1秒かけてゆっくり吹き込んであげて」
「……分かった」
如月さんが頷く。
「そうだ、町下。まだ体力ある? 今度こそ救急車を呼ばないと」
言うが早いか町下は住宅のある方面へと駆けて行った。
「け、結構キツイな。おい、おまえ、変われ。腕はまっすぐだぞ」
デブゴンが男の子と交代する。
僕は冷静だった。不思議なくらい頭が回った。
だって分かってるんだ。結末は変わらない。腕時計の言ってた通り。おねえさんは――。
――ゴホッ!
おねえさんが咳き込み、水を吐き出した。
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