かがみ
おねえさんは息を吹き返し、町下が呼んだ救急車が彼女を病院へと運んだ。
おねえさんは一命を取り留めた。それでもしばらくは入院という話だけど、病院ではそれなりに元気にしているようだ。
じつはこのおねえさんは、みんなと知り合いだった。それも不思議なかたちで。
町下に「不思議な本」を売りつけ、唯野さんには「嘘が本当になるくちばし」をあげて、僕に「腕時計」を売りつけた人物。
ニワトリを飼っていたり、警察官のフリをしていたり、時計で働いていたり……。いったい、何者なんだ?
ちなみに、彼女が川に落ちた理由は「スーパーで買ったリンゴを落としそうになって、慌てて足を滑らせた」かららしい。マヌケだ。
本の話も、くちばしの話も、常識的に考えてあり得ないことなんだけど、僕は腕時計のことがあって、あっさり信じてしまった。
まあ、実際に変なふたりが本から出て来たり、アニメのキャラに変身させられたりしたわけだけど。
おねえさんは「わたしがあげた物の事は、なるべくナイショにしといてくれよう」と手を合わせていた。
お礼よりもこっちに必死だった。
確かに、周りに知られたらパニックになりそうな物ばかりだ。
あんなありえない品を作ったおねえさんのことが政府や悪人に知られれば、きっと拷問や人体実験をされるに違いない。
それを言ったらおねえさんは「勘弁しとくれよう!」と悲鳴を上げていた。冗談なのに。
とはいえ、知られたらマズいものであるのは間違いないから、みんなにも「気を付けたほうが良いよ」と釘を刺しておいた。
僕たちは不思議な運命のめぐりあわせで仲良くなってしまった。普段はあまり遊ばない仲だというのに。
「なあ、菅原。今日の宿題の算数のプリント、写させてくれよ」
僕の席へとデブゴンがやってくる。
「ダメだよ。自分で解かなきゃ。答えだけ写しても、意味ないよ」
デブゴンを叱りながら、僕の胸が少し痛む。
「そんなこと言わずにさ! オレたち友達だろ!?」
「じゃあ、解きかた教えてやるよ」
「べ、別に解きかた分かるし……」
デブゴンの目が泳ぐ。さっきの算数の時間、“練り消し”を大きくしてたのは誰だっけな?
「ねえ、わたしもさっきの授業、イミわかんなかったんだケド」
如月さんが割り込んでくる。
「じゃあ、放課後、勉強会しようか」
僕の提案。
「あっ、しまった! 今日用事あったわ!」
デブゴンが声を上げる。
「あはは! うそくさ!」
如月さんが笑う。
「いや、ウソじゃねーし! おねえさんのお見舞い行くんだし!」
デブゴンが言いわけをする。
「おねえさんのお見舞いだったら、わたしも行きたいな」
唯野さんだ。
「ぼくは昨日行ってきた。例のふたりがうるさくってさ」
町下もやってきた。
「じゃあ、みんなでお見舞いだ。それから勉強会で」
僕はメガネをクイっとやる。
「えー、おまえたちも来るのかよ!」
デブゴンが文句を言う。
「どうして? 都合悪いの? あっ、分かった。デブゴンだけ、おねえさんから何も貰ってないから、おねだりして貰おうと思ってんでしょ!」
如月さんの鋭い指摘。デブゴンが唸る。
「ぼくはおこづかい全部で売りつけられたんだけど……」
つぶやく町下。
僕も買ったのはパパだけど、売りつけられたところは同じだな……。
僕たちは放課後、おねえさんの入院する病院に押し掛けた。おねえさんはやっぱり元気だった。
僕たちが病室に入ったとき、ベッドの上でポテチを食べてこぼしまくったことで、看護師さんに叱られている真っ最中だった。
そこにちょうど、消防の人が来ていて、僕たちを表彰したいという話になった。
消防署の所長さんとか、市長さんにも会えるらしい。
どうしよう。照れくさいな。困っちゃう。
僕たちは嬉しくて病室で騒いでしまって、大人の人たちに叱られてしまった。
でも、おねえさんだけはニコニコ笑っていた。
お見舞いが済んで、今から勉強会。今日のテーマは「面積の求めかた」だ。
まだ長方形と正方形しか出てきていないから、ここでつまづくとあとは全部分からないと思う。
……それなのに、みんな理由を付けて逃げて行ってしまった!
結局、残ったのは、僕と、如月さん。
部屋の真ん中に小さなテーブルを出して、その上で勉強会。
久しぶりに如月さんの家にあがらせてもらった。
最後に来たのが2年生の時だったと思うから、2年ぶりとかになるわけだ。
家具はそのままだったけど、部屋に置いてあるおもちゃや本、それと上着はちょっと男子っぽくなっていた。
前はいかにも女の子という感じで、ちょっと恥ずかしくて苦手だった。
どちらかというと、如月さんのほうが僕の部屋に来て遊ぶパターンが多かったかな。
「普通の四角の解きかたは分かるんだけど、この変な形のはどうしたらいいの?」
如月さんがプリントの後半の図を指さす。凸型の図形。今日の授業でちょうどやったところだ。
「これは、分けて考えるんだ。こっちの出っ張った部分と大きい部分、別々に面積を出して、あとで足すの」
「じゃあ、こっちは?」
四角い穴の空いた、四角。
「こっちは穴になってるから……」
「あっ、待って。分かった。穴のぶんを引いたら良いんだ?」
「正解。今日のプリントはこれだけで全部解けるよ。さっさとやってしまおう」
静かな部屋。鉛筆と紙のこすれる音が響く。
いつだったか、宿題をしているときにパパが覗き込んで「今は良い紙を使ってるんだな」と言っていたのを思い出す。
「ねえ、まだ終わらないの?」
ジュースをすする如月さんが不満を漏らす。
「僕、“確かめ算”をしないと気が済まないんだ。割り算を覚えたから、掛け算も確かめられる」
「うえー。なんで簡単な掛け算を、あとで習った方の割り算でやり直さないといけないの? バカっぽい」
バリバリとポテトチップスをかじる音。
「食べながらしゃべると床にカスが落ちるよ」
気にせず割り算を続ける僕。
「そうだね。おねえさんみたいに叱られちゃうね」
あははと、笑い声。
「……そういえば、如月さんもおねえさんと知り合いだったんだよね?」
僕はふと気になった。
あの時計屋の店員さんの反応からして、如月さんはおねえさんには僕より早くに出会っていたはずだ。
「うん? そうだよ。言わなかったっけ?」
「聞いてないかな。如月さんも、何か貰ったの?」
僕は腕時計をちらと見た。18時前。
ちなみにフューチャーウォッチ機能は、あれから一度も使っていない。
「当ててみて。ケンサクくんも見たことがある物だよ」
「なんだろう……」
確かめ算をやめ、如月さんの行動を思い返してみる。
最近の彼女は、ゲーム機やボールを持っていることが多い。
でも、もっと前から持っていたもののはずだ。少し前の時期は、如月さんとあまり絡みは無かった。
集団登校で挨拶をするくらいで、お喋りもほとんどナシだ。
「ねえ、まだ考えてるの? 意外とわたし、見られてないんだな」
またジュースをすする音。
――見られてない。僕は如月さんをじっくりと眺める。
「あ、そういうことじゃなくて……。今は別に持ってないし……。もう、答え言っちゃうね!」
彼女は逃げるように自分のカバンにすがり付くと、中から手鏡を取り出した。
「あっ」
「ね、見覚えあるでしょ?」
なるほど、手鏡か。そういえば、何度か覗き込んでいるのを見たことがある。
僕は納得すると確かめ算に戻った。
「ちょっと! なんかコメント無いの? 鏡の不思議な力についての質問とかは?」
如月さんがツッコミを入れる。
「先に宿題、終わらせちゃわないと」
僕は真面目に返す。
「えー。ケンサクくん優秀なんだから、どうせ満点じゃないの? 間違ってないよー」
「今のところはね。でも、たまに間違いが見つかるんだ」
確かめ算は無駄じゃない。
「ねね。わたしの答え見れば? わたしも計算間違い少ないほうだし、答えが同じなら、間違って無くない?」
「それはカンニングっぽいから嫌だ」
僕は早口で言った。
「……」
如月さんのおしゃべりが止まる。
怒ったように聞こえただろうか。怒らせただろうか。傷つけてしまっただろうか。……計算間違いが見つかる。
「もしかして、ケンサクくん、カンニングしたこと、あるの?」
「……」
僕は黙って計算を続ける。
「“ズボシ”なんだ」
如月さんの言葉が僕の胸に刺さる。無視する。僕は否定も肯定もしてないじゃないか。
「分かるよ~。言い当てられたときのケンサクくん、昔からそうだもん」
楽しそうに言う如月さん。笑いごとじゃないんだけど。
「……面倒くさかったから。バレてさ。この前、パパとママに怒られたんだ」
「それならテキトーにやっちゃえばいいのに。間違ってもヘーキヘーキ」
「……僕は満点じゃないと。勉強しか取り柄が無いから」
「そう? おねえさんを助けた時のケンサクくん、すっごくカッコよかったケド」
僕はプリントの数字に集中した。頭に視線を感じる。あれはそんなんじゃない。
おねえさんはどうせ死ぬと思ってたから、間違うことを気にしないでやれただけだ。
「ねえ、ケンサクくん」
如月さんがテーブルに身を乗り出す。シャンプーの匂い。
「ここ、間違ってない? わたしのと答えと違うケド」
プリントを指さす如月さん。
「あっ、本当だ」
単純な計算ミス。僕は慌てて消しゴムを手に取る。
「待って」
如月さんが僕の手を掴む。グラスを触っていたせいか、彼女の手はひんやりしている。
「な、何?」
僕は固まってしまった。
「答えを直す前に、この鏡、覗いてみて」
手鏡が僕のほうに向けられる。
――何の変哲もない、小さな手鏡。
「そこに映ってるのは、菅原賢作? 誰か違う人だったりしない?」
如月さんが鏡を引いたり、角度を変えたりする。
鏡の中にはぼくが居る。
「うん、ちゃんと映ってる。菅原賢作だ」
「ヘンなところや間違ったところも、無い?」
「無いよ」
鏡の中の僕も同意見だ。
「この鏡はね、“本当の自分を映し出す鏡”なの」
如月さんは、僕の目をまっすぐに見た。
「初めてこの鏡を覗いたとき、わたしには違う人が映ってるように見えた。髪の毛が短くて、すっきりした服を着ていて、男の子みたいだった」
続ける如月さん。
「最初はね、わたしは本当は男の子なんじゃないかって、ちょっぴり不安になってたの。
男子の遊びとか好きだし、女の子っぽ過ぎる服がイヤだったし。でも、別に女子でも、男子みたいな子は普通に居るでしょ?
だけど、わたしのことが分かるのはわたしだけかなって思ってたし、本当はどうなんだろうって。
それが、ケンサクくんのおかげで色々とはっきりしたんだよ」
「うん?」
僕はちょっと、分からない。
「ママに買って貰った服だと、ちゃんと映らなかったんだ。髪の短い私が映った。でも、髪を切って、ケンサクくんと買った服を着たときのわたしは、違う風には映らなかった」
「本当の自分に、なれたってことだね」
こういうことかな。
「ケンサクくんが一緒に考えて、やってくれたおかげだよ。ありがとう」
如月さんがほほえむ。
「でも、僕は……」
鏡の中の僕がこちらを見ている。
「答え、直してみて」
如月さんに促され、間違った箇所を訂正した。
「直したよ」
もう一度、鏡を向けられる僕。さっきと同じ僕だ。
「ケンサクくんは、満点でも満点じゃなくても、ケンサクくんだよ」
「……うん。ありがとう」
笑ったつもりはなかったけど、鏡の中の僕は笑顔だった。
「ささ、無事解決したし、宿題なんてほったらかして、わたしと一緒にポテチでも食べようよ」
ポテチの袋がこちらに寄せられる。
「いや、いいや」
「どうして!? 断る流れじゃないでしょ!?」
如月さんが怒る。若干マジだ。
「だって、もうすぐ夕御飯だよ。食べられなくなったら、ママに叱られる」
「あー、うちも絶対怒る。……っていうか、ポテチもジュースもママが持ってきたんですケド!?」
文句を垂れながらも食べ続ける彼女を見て、僕は笑う。
……。
もうすぐ、冬休みだ。冬休みは夏休みよりも短い。それなのに、宿題はしっかりと出る。
面積の計算はみんなをなかなか困らせてるみたいで、算数の宿題は僕が教えることになった。
町下と仲の良い奴や、デブゴンや道明寺さんも来るらしく大所帯だ。
冬休みは自由研究は無かったけど、また星座盤の宿題が出た。
これは提出するものは何もないけど、如月さんと星を見る約束をした。パパの車で山に連れて行ってもらうんだ。
ところで、クリスマスプレゼントはナシになったはずなのに、25日の朝には、枕元に携帯ゲーム機とソフトが一本置かれていた。
パパとママは知らんぷりだったけど、僕はこっそりとお礼を言った。
そして元旦。如月さんが初詣に行こうって誘ってきた。キレイな振り袖姿だった。
最近の彼女とは違って、とても女の子らしかった。「ママが無理やり着せてきた」って言ってたけど、それでも彼女は嬉しそうだった。
それから、正月明けにみんなで勉強会をしてたら、おねえさんが現れて「勉強なんてうっちゃらかして羽根突きしようぜ」なんて言い出した。
まったく! 大人が勉強をさぼらせてどうするんだ!
冬休みは、今までにない程に、にぎやかで楽しいものだった。だけど、休みなのに、なんだかかえって疲れたような気もするね。
僕は菅原賢作。算数が好きだ。勉強はクラスで一番。如月さんとは一番の友達で、他にもたくさんの友達がいる。
僕らはときどき失敗をする。でも、それで良いんだ。間違ったって、ウソをついたり、ズルをしたりするよりは、よっぽど気分が良い。
大丈夫、きっと取り戻せるからさ。
結末が幸せなら、それで万事オッケーなのだ。
***
おしまい




