じてんしゃ
・7月24日(木) 晴れ
ぼくには最近、日課があります。朝のラジオ体そうの後、神社に行って虫をさがすことです。
最近は新しくなった(新しいではない)友達といっしょに虫をさがしています。
クラスメイトの子なので、二学期になったら、みんなびっくりすると思います。
お手伝いはお皿あらいをしました。
・7月31日(木) 晴れ
早くも自由研究の宿題が完成しました。自由研究は近所の虫について調べました。
最初は神社だけで調べていましたが、結局他の場所もたくさん調べました。クラスメイトの子と共同で調べました。
お手伝いはお皿あらいをしました。
・8月8日(金) 台風
台風が来ました。と言っても、直げきではありません。ぼくたちの住んでいる地いきでは風ばかりが強くて、雨はあまりふりませんでした。
ママにあぶないから出かけないでと言われましたが、台風の強い風は面白いのでガマンするのが大変でした。
お手伝いはゴミ出しをしました。
ゴミ出し。台風の風をちょっとでも楽しもうとした口実だ。
台風の風は面白い。不謹慎だって言われると思うけど、台風も雷も、火山も地震も好きだったりする。
怖いし、物が壊れたり、人が死ぬことがあるのは分かっている。
でも、自分の知り合いで死んだ人はいない。今のところは大丈夫だ。ちょっとゴミ出しをしたくらいで死にはしない。
だけど、今日ばかりはゴミ出しに出たことを、すごく後悔した。
みんなも知っての通り、僕は知りたいことがあれば、なんでもインターネットで検索するか、図鑑を見て調べている。いろいろなことを知るのは楽しい。
……「知らないほうが良い事もある」ってたまに言うけど、僕はそれを初めて体験した。
ゴミ捨て場。そこには近所の家のゴミが集まっている。
よその家のゴミを勝手に覗くのは犯罪だけど、袋が透明だから、中が見えることだってある。
先に捨てられていたゴミ袋の中に、白くて変な柄の入ったシャツと、黒いハーフパンツが入っているのを見つけた。
次の月曜日から、如月さんはラジオ体操に姿を見せなくなった。神社にも。
デパートに行った翌日から毎日来ていたのに。もちろん、あの新しい恰好で。
もしかして死んでしまったのかな、なんてちょっと思ったけど、それはさすがにバカだ。それなら連絡が来ないはずがないし、葬式だってしてない。
何が起こったのかは、だいたい想像がつく。
でも、服は汚れたとか破れたとかして捨てたのかもしれないし、違う人のかもしれない。如月さんが来なくなったのは、単に自由研究が終わったからかもしれない。
僕は窓の外を見るのが嫌になった。窓からは彼女の家が見える。
……。
「また間違えた!」
僕は机に向かって怒鳴った。イライラする。
算数のプリントの見直しが何回やっても終わらない。満点で無ければいけない。
算数は気を付ければ絶対に満点が取れる科目だ。僕はクラスで一番勉強ができる。
あまりにもイライラして、無駄に時間が掛かってしまった。
別に無理して早くやる必要が無いのも分かっている。どうせヒマだし。
だけど、7月は自由研究を先にやったせいで、プリントはまだ終わってないんだ。
僕は良いことを思いついた。計算ドリルの最後のほうのページをめくる。どうせ全部正解になるまでやり直すんだ。「結果は同じ」だ。
今は家に僕以外、誰も居ない。分かりやしない。
……。
終わり! これで宿題は日記とお手伝い以外、終わりだ。
「あーあ! スッキリした!」
……スッキリした。
・8月13日(水) 晴れ
今日は、パパが自転車を買ってくれました。
……僕は日記を書きかけて、慌てて消しゴムで消した。
自転車。じつを言うと、小学4年生にもなって、僕は自転車に乗れない。
恥ずかしいことだ。僕は身体を使ったことが全体的に苦手だ。
ボールも狙った場所に投げられないし、マット運動や跳び箱だって苦手だ。
鬼ごっことかそういうのは嫌いじゃないけど、すぐに捕まってしまう。
クラスの太っちょには「運動音痴」略して「ウンチ」だなんて呼びかたをされたこともある。
そいつは「デブゴン」と呼ばれる面倒くさい奴、しょうもない事ばかりしている奴だ。
だけど、あいつに宿題の答えを教えてやる代わりに、その不名誉なあだ名を取り消させた。取引という奴だ。
それからはあまり、僕に余計な事を言って来なくなったけど、自転車に乗れないことがバレたら厄介だ。
ここはひとつ用心をして、日記に書くのはよしておくことにする。
自転車の練習自体は乗り気じゃない。だけど、パパが張り切って高いのを買ってしまったんだ。
しかも、パパの自分の小遣いで。そこまでされたら、やらざるを得ない。
それに、「自転車が乗れるようになったら、好きなものを何でも買ってやる」と言われた。うん。やらざるを得ない。
さて、それからしばらくは、パパもお盆休みで家に居たから、河川敷で毎日自転車の練習をした。
クラスの奴に見られるのも嫌だし、夏は暑いから夕飯を食べてからの練習だ。
「パパ、放さないでよ」「もう放してるぞ」「えっ?!」
すり傷だらけにしながら、僕はそこそこ乗れるようになってきた。
だけど残念なことに、満点になる前にパパのお盆休みが無くなってしまった。
「まあ、あとはひとりでも乗れるようになるだろ」
「ひとりだと、自信が無いんだけど」
「“獅子は我が子を千尋の谷に落とす”と言ってだな……」
パパが講釈を垂れる。パパはことわざとか格言が好きで、よく使う。意味はたまに説明してくれるけど、だいたいは言いっぱなしなので、僕は意味を調べる
。こっちとしては言いっぱなしのほうが楽しいから問題無い。
「自転車もほとんど乗れるようになったから、約束を果たさないとな。武士に二言はない」
そういうわけで、ゴールを目前にして僕らはデパートに来た。
正直言うと、僕はおこづかいにはあまり困っていない。
好きなものといっても、図書館で図鑑を借りたり、ネットで調べたり、外で生き物を見たりだから、お金が掛からない。
だから、お金を貯めてまで欲しいものとかは無かった。
だけど、今回はたくさん苦労して自転車の練習をして、ようやく買ってもらえるんだ。
僕はデパートに来るまでは、すごくワクワクしていた。
僕の欲しいものは決まっている。先月、如月さんとデパートに来た時に見た図鑑だ。
如月さん……。
欲しいものが手に入るというのに、僕は気分がガタ落ちになった。図鑑だってどうせ、インターネットの方が詳しいし、意味が無い気がしてきた。
それでも僕は図鑑を買って貰った。
「ホントに図鑑で良いのか? 流行りのゲームとかでも良いんだぞ。何て言ったっけ? 海ブツモンスターとか流行ってるだろ。このさいだし、ゲーム機の本体も一緒に買っても……」
「要らない。海モンは本当には居ないし、バカバカしい。本当にいる生き物のほうが好きだ」
僕はパパの言葉を遮って言った。
「そうか。それは結構なことだが。流行りとかに乗らなくて大丈夫か? 仲間外れにされたりとかは?」
はっきりと聞いてくるな。でもおあいにく様。
「僕はゲームなんてしなくても、みんなに一目置かれてるし、嫌われてもいないよ。勉強だって一番なの、知ってるでしょ」
得意げに言ってやった。事実だ。勉強はできるし、物知りだから。
知らないことがあるとみんなが頼る。みんなは僕を使って検索するのだ。ケンサクで検索。……バカバカしい。
「まあ。そういうことなら良いがな。予定よりお金は余ってるから、他にもなんか買うか?」
「いいよ。それより、図鑑、ありがとう」
僕はさっさとデパートから出たかった。
出たかったのにとんだ邪魔が入った。
「へい! そこのオニイサン! 時計は要らないかい?」
いつぞやの変な店員。あんな接客をしてクビにならないのか。
「お、オニイサンだってよ」
鼻の下を伸ばすパパ。虫が電灯に吸い寄せられるように時計売り場へと入っていく。パパは若いおねえさんが好きだ。
「ケンサク、おまえ腕時計とかは要らないのか?」
「時間は携帯で見れるし、別に要らない」
「そうか、まあ社会人でもないし、無理に買う必要もないのか……? いやでも、それだとなんか俺が面白くない! そういうわけでケンサク。ここは何かひとつ、買え」
買えって。僕はしぶしぶショーウィンドウを眺める。
「ほら、これなんかどうだ。防水機能付き。ぶつけても壊れにくいみたいだぞ」
パパが黒くてごついのを勧める。大きくて邪魔そうだ。値段もなかなかに高い。
「うーん。そんなに高いのだったら、ママも一緒にご飯でも食べに行ったほうが良くない?」
「おまえ殊勝なこと言うなあ!」
パパが声をあげる。どこか満足げだ。もう一押しでさっさと帰れる気がする。
「よくできた子だねえ」
店員のおねえさんも声を上げた。
「……そんなよくできたお子さんにはこちら! おねえさんのとっておきの時計を紹介するよ!」
また余計な事を。
おねえさんが取り出したのは、黒くてシンプルな腕時計だった。……如月さんの買った奴が思い出される。
でも如月さんのはアナログで、こっちは文字盤がないから、デジタルの奴だろう。
「アラーム機能! 防水機能! 衝撃にも強くて、シンプルで邪魔にならない! しかもおねえさんの手作りで、1980円! 超お買い得だよ!」
何か不穏なワードが聞こえた気がする。手作りだって? 腕時計を?
「へえ。妙に安いが……なかなか良さげだな。ケンサク、これ買ったらどうだ?」
「だから時計は別に良いって!」
「そんなあ! おねえさんの力作なんだよ! 買って欲しいなー! しくしく!」
泣きまねをするおねえさん。本当にこの人、大丈夫なんだろうか。
「ほらあ! ケンサクぅ! おねえさん泣いてるぞ! これは買うしかないなー?」
パパまで乗っかって勧めてくる。こいつら大丈夫か。
「しくしく! きっとこれはケンサクくんに超似合うと思うなあ。カノジョにも褒められること間違いなし!」
「カノジョだってよ」
パパが笑う。
「この前一緒に来ていた子、ケンサクくんのカノジョだろう?」
おねえさんが首をかしげる。とんでもない! 何言ってるんだこの人は!
「はあ。おまえませてんなあ。カノジョ居るのか。どんな子だ?」
パパの肘が僕の背中に当たる。ウ、ウザい。
「なんて言ったっけねえ。如月さん。そう。如月美姫ちゃんだ」
おねえさんと目が合う。
……?
「ああ、如月さんとこの子か。なるほどなるほど。良いよなー幼馴染って」
パパがしみじみと言う。
……おかしい。上の名前なら僕が言ったのを聞いて、覚えている可能性はある。でもなんでこいつ、彼女の下の名前までちゃんと知ってるんだ?
さっさと離れたほうが良いぞ、これは。
「分かった。買おうよ。それでさっさと帰ろう」
僕はパパを急かしておねえさんの勧める腕時計を買った。急がば回れ。早く帰りたいのなら、さっさと買って貰ったほうが良い。
「まいどありい」
おねえさんはお勧めの商品が売れたからか、とっても良い笑顔をしている。
……あやしい奴め。
家に帰った僕は、腕時計の封を開けた。箱は無地の白。メーカーも書いてない。
中身はお店で見た通りの黒い時計。デジタルでちゃんと動く。電波で時間を合わせてくれるみたいで、1980円のクセになかなかハイテクだった。
ただし、あの「あやしいおねえさんが作った」というものだけって、ひとつ「汚点」があった。
説明書が手書きだ。しかもひらがなとカタカナばかり。あのおねえさんが書いたものだろうか? やっぱりあの人は、バカなのか?
時計なんて説明書を読まなくても、だいたい触れば操作は分かる。
とはいえ、一応目を通してみた。するとどうだ。やっぱりわけの分からないことが書いてあった。
▼フューチャーウォッチモード
あしたにおきるできごとをひょうじするモードです。おきることはゼッタイです。ミライはかえることはできません。
そんなもんあるわけないでしょ。子供だましだ。予言だなんてオカルト。おばけくらいにありえない。
それに、明日の出来事が分かるんだったら、フューチャーというよりは、トゥモローウォッチモードでしょ。
……と、言いつつもボタンを押してみる。
すると数字が消え、角ばったカタカナが表示された。
『バンジウマクイク』
あー、はいはい。あれね。おみくじみたいなモン。
僕はムカつく腕時計を箱にしまうと、机の引き出しにしまい込んだ。こんなもんはほっといて、図鑑だ、図鑑。
翌日。僕は夕食を食べ終わった後、河川敷に来ていた。夏だからまだ明るい。
パパは仕事から帰って来ていたけど、やっぱりお疲れの様子で、ひとりでの練習だ。
でも、ひとりだとどうしようもなかった。最初のこぎはじめが、どうしてもバランスが取れない。
正しいバランスが分からない。これだから身体を使うことは嫌いなんだ。
算数みたいに決まった数字の答えがある訳でもないし。
既に図鑑は買って貰っている。パパは約束を守った。
だから、僕は絶対に乗れるようにならなければならない。
暗くなり始めても、ライトを点けて続けた。ペダルが重たくなって、余計に上手くいかない。
もううんざりして諦めて帰ろうと思った。いいさ。明日がある。
僕は自転車を起こして回れ右をした。
……河川敷の土手の上から、誰かがこっちを見ていた。
身長からして子供。暗くて良く分からない。クラスメイトだろうか。練習をしているところなんて見られたくない。
もっとも、その人影は太ってはいないので、大事にはならないだろうけど。
人影は僕が見ていることに気付くと、こっちに寄って来た。
「やっほ。ケンサクくんじゃん」
僕は心臓が凍り付きそうになった。如月さんだ。彼女は前の通りの、女の子らしい服を着ている。
「こんばんは」
短く挨拶だけする。
「自転車の練習?」
「まあね……」
「だよね。ずっと見てたし」
ずっと見られてたのか。気付かなかった。
「僕はまだ自転車に乗れないんだ。ダサいでしょ」
仕方なく白状する。
「そんなことないよ。頑張ってたじゃん。それはカッコイイと思う」
「そうかな。男のクセに4年にもなって自転車に乗れない。体育も苦手だ」
如月さんは体育が得意だし、自転車にも乗れる。僕の気持ちは分からないだろう。
「男のクセとか女のクセとか、そういうのは、ないと思う」
暗くて顔は良く分からなかったけど、彼女の声は怒っていた。
「ごめん……でもどっちにしろ、乗れないのはダサい」
「じゃあ、乗れるようになっちゃおうよ。なっちゃえば、今ダサくても関係ない。キセージジツだよ」
それを言われると弱い。
「走り始めたらバランスが取れるんだけど、最初は支えがないと無理なんだ」
「オッケー、じゃあ話は早いね。ほら、やるよ!」
如月さんが僕の自転車を支える。やるしかない、か。
なんというか、すごく拍子抜けなことに、僕は数回チャレンジをしただけで自転車に乗れるようになってしまった。
「なんだ、全然余裕じゃん」
僕の横を走る如月さん。
「僕も意外だった!」
僕は元気づいてペダルを力いっぱいこいだ。ライトの重みなんて全くへっちゃらだ。
「あ、こら待ってよ!」
如月さんの声が追いかけてくる。楽しい。
――ガチャン!
急に自転車のタイヤが何かを引っかけて止まる。僕は思いっきり転倒してしまう。ヒザが焼けるように熱い。
「痛てて……」
タイヤの回る音が聞こえる。
「ごめん! 大丈夫だった?!」
如月さんが僕に駆け寄る。
「うん。大丈夫……あっ!」
僕は目を見張った。擦り傷なんて珍しいものじゃない。事故の原因のほうだ。
「如月さん、スカートが」
「ごめん、横で走ってたから、巻き込んじゃったみたい……」
如月さんのスカートは大きく破けてしまっていた。高そうな服なのに。いつも汚さないように気を付けていたのに。なんてこった!
「僕のほうこそ、ごめん。それ、絶対怒られるよね……」
「うん……」
如月さんは破れてしまったスカートを見ている。
「僕、謝りに行くよ。弁償もする」
こういう時は隠したり嘘をついても良いことにはならない。
彼女のママに謝るのが手っ取り早い。気が重いけど。
「ううん。いいや。破れちゃったモンはしょうがないよ。っていうか、ちょっとスッキリしたかも。それよりケンサクくんのヒザの方が心配」
「僕は大丈夫だよ。ちょっと擦りむいただけだし。でも、そのスカートのほうは直らないでしょ」
はて。僕はここになってようやく疑問が湧いた。今はもう暗い。19時くらいだ。
僕はパパやママに許可を得て河川敷に来ていたけど、如月さんはいったい、何の用事でここに来ていたんだろう?
「わたし、まだ帰らない。帰れないんだ」
「どういうこと? ケンカでもしたの?」
僕は訊ねる。
「そういうこと。ケンカでもしたの」
如月さんが返す。
ふと思い出す。台風のゴミ出しの時。聞くなら今しかない。
「……ねえ、僕この前見ちゃったんだけどさ。台風の日にゴミ出しに行ったら、ゴミ捨て場に如月さんの服っぽいのがあったんだけど。あれが関係してるの?」
暗闇から「あー」という声。しばらく静かになる。
「そうかも。でも、ケンカの原因は別。ここのところ、わたしすぐにママとケンカになっちゃう。飛び出したのも、もう……3回目? だからね」
「そうなんだ。服は捨てられちゃったの?」
「ううん。わたしが捨てた」
「自分で!? もうどうでも良くなっちゃったの?」
「どうでもいいワケないじゃん!」
如月さんが怒った。
「デパートに行ったあと、ママにすごく怒られた。服のことはちょっとしか言われなかったケド、髪を勝手に短くしたってことでたっぷりとね。すごくムカつく!」
「ご、ごめん。でも、怒られることは予想済みだったし……」
「あ、ごめん。ケンサクくんを責めてるわけじゃないんだ。
わたしがムカついたのは“勝手に短くした”って言われた事。
だってわたしの髪の毛なんだよ? ママのじゃない! でも服はママのだ。ママがわたしに買って着せたんだ!
そんなのじゃ、鏡になんか映りっこない!」
如月さんはかんかんになって怒っている。怒られてるのは、僕じゃないけど。
そういう理屈だったら、やはり僕は彼女のママに謝りに行かなくてはいけないのではないだろうか?
「ママは何でも勝手に決めちゃう。わたしの名前も、髪型も、服も、身の回りのものを何でもかんでも! それに、自由研究だって!」
「名前はしょうがないよ。……自由研究は虫の研究にしたんじゃないの?」
「した。ケンサクくんと一緒に調べたもん。
でもママが虫はキライ、虫なんて女の子の調べるものじゃない、どうせ調べるんだったら花にすれば良かったのにって!
それでケンカになって、わたし、服を捨てたんだ。
あの服を着て出かける度に文句を言われてたから“これで満足でしょ!”って。
止められたけど、“わたしが買った服だから、わたしの勝手だ!”って言ってやった!」
如月さんはそこまで一息に言うと「どうだ! わたしの勝ち!」って付け加えた。
「……如月さんは、それで満足なの? そんなわけ、無いよね」
僕がそう言うと、如月さんは泣き出してしまった。
「何回言っても分かってくれない。あんな服はイヤだって、去年からずっと言ってたのに……」
「勝手に決められるのがイヤって話はしたの?」
「え……。してない、かも」
「じゃあ、言おうよ。僕も如月さんのママに言ってあげる」
「言ったってムダだと思う」
如月さんは突っぱねるように言った。
「そうかな。僕も自転車、ひとりで何回やってもうまく乗れなかったけど、手伝って貰ったらすぐだったし」
「……」
返事はナシ。
いい加減遅くなってきたから、僕らはふたりで家の方へと歩き始める。自転車のカラカラいう音と鼻をすする音が聞こえる。
ふと空を見上げる。都会の割には、綺麗な星空だ。
「あれは、ベガ。遠いのがアルタイル」
僕は空を指さす。
「……じゃあ、残ったのがデネブ?」
「うん。田舎のほうだと、夏の大三角をまたぐように、天の川が見えるんだって。街のほうだと明るいから見えない」
「ケンサクくんは物知りだ。わたしも知ってる、ベガは織姫で、アルタイルは彦星なんだよ」
「じゃあ、デネブは?」
僕は訊ねる。
「間男」
「まおとこって何?」
「不倫相手のことだよ。ママの観てるドラマに良くでてくる」
「如月さんも物知りだ。そういうことなら、アルタイルよりデネブのほうがベガに近いのは、何かイヤだ」
「わたしもイヤ」
笑い声が上がる。
「じゃあ、行こうか」
僕は自転車のスタンドを立てた。目の前には如月さんの家。
「ううん。ここまででいい。ありがとう」
如月さんが僕の身体を押す。
「でも、スカートの事も、謝らなくっちゃ」
「着る予定は、なくなる予定!」
如月さんが元気よく言う。
「ひとりで大丈夫?」
訊ねると、如月さんが僕の手を握ってきた。けど、すぐに離した。握手?
「自転車だよ。自転車は手を離してもらわないと、乗れるようにならないでしょ?」
「転ぶかも」
「その時は、起こして、また支えて」
「分かった」
如月さんはちょっと笑うと、家の中へと入って行った。
彼女と別れると、急にヒザが痛くなって気がした……僕も帰らなくちゃ。
何日かあと、自転車で街をうろうろしていたら、デパートの近所で如月さんに会った。彼女はママと一緒に紙袋をいくつも持っていた。
如月さんは僕に気付くと、Vサインを送ってきた。
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