DAYS 19:田中太郎の溜息
太郎が好きなのは美月なのか、それともおっぱいなのか。
「最悪だ……」
期末試験初日を終えて僕はひとり学園の食堂で溜め息をついていた。昨日は夜に自分の部屋で改めて復習をしたけどあまり身が入らず、お陰で遅い時間までだらだらと続けてしまい寝不足に。そんなコンディションで受けた今日の科目は手応えをほとんど感じられなかった。
「……でも過ぎた事はしょうがない。残りを頑張るだけだ。気持ちを切り替えないと」
ひとつ頷いてハンバーグとご飯の残りを一度に掻き込んだ。
食事を終えると帰宅はせずに学園の図書館へと向かった。今は極力美月先輩から距離を取った方がいいと考えたからだ。だから昼食はあえて学校で取ったのだった。教室も自習用に開放されているが何となく広々とした図書館に行きたい気分だった。
だが、予想外にも図書館には多くの生徒が訪れていて席は全然空いていなかった。十五分くらい館内をうろうろとして席が空かないか見ていたが誰も離れる様子は無かった。ぐぬぬ、試験期間を甘く見ていた。こんなに勉強熱心な人達がいるとは。
しようがないので帰る事にした。
「あれ……いつの間に」
図書館にいる間に雨が降っていた。まだ梅雨は明けていないが今日は雨は降らないと朝の予報で言っていたはずだ……まあ、僕は常に折り畳み傘を持ち歩いているから何も問題は無いんだけど。
リュックから傘を出して開いて顔を上げたその時、ふと視界に馴染みのある顔が入ってしまった。
美月先輩だ。
先輩は図書館の屋根の下で空模様を窺っている。手に傘は持っていなかった。予報を信じて持ってこなかったのだろうか。
「……」
僕はその横顔につい見とれてしまった。雨のせいもあってかどこか寂しげな憂いを帯びた表情……に見える(多分違うけど)。何ていうか、写真に収めたくなる横顔だ。
いや無断で撮影するのは盗撮になるから絶対にしないけど。
……今は距離を取ろうとか言っておきながら、その顔を見るとやっぱり嬉しくなってしまう。先輩はまだこちらには気付いていない様だ。
「……」
見かけてしまった以上放っておく訳にはいかないよなあ……僕は美月先輩に声をかける事にした。
「美月先輩」
「! 太郎君、お疲れ」
「お疲れ様です……今から帰りですか」
「うん……図書館で勉強しようと思ったんだけど席空いてなくて……でも傘が無くて、どうしよっかな~って考えてた」
「僕も同じですよ……思った以上に人がいて諦めました……よかったら入ります?」
差していた傘を軽く振ってみせる。
「小さい傘でもよければですが」
「……うーん、じゃあお言葉に甘えて。じめじめしてるからさっさと帰りたいし」
先輩は癖の付いた髪を指でいじりながら言った。
「じゃあお邪魔しまーす」
ぴょんと僕の隣に飛び込んでくる。急に距離が縮まってどきっとした。
「……じゃ、じゃあ行きましょうか。まっすぐ叶荘でいいんですよね」
「うん、そのつもりだよ」
先輩と並んで歩き始める。緊張する……平静を装え太郎……。
「うひゃっ!」
「びくっ!」
彼女は突然声を上げた。い、いかん、色っぽく聞こえてしまった。
「雫が首に落ちてきてびっくりしちゃった」
「あ……すいません小さくて」
やっぱりふたりで入るには少し大きさが足りない。美月先輩の肩、濡れてるんじゃないのか? 傘を持つ右腕をさりげなく彼女の方に寄せる。すると手首がふにゅと柔らかい物に触れた。
……先輩の胸だ。
焦って腕を元の位置に戻す……が、慌てているので左に引き過ぎた。先輩は肩どころか頭から雨ざらしになってしまった。
「あああああすいませんすいません!!」
あてふたと右腕を右往左往させるのを見て先輩は左手で傘の中棒をぎゅっと掴んで位置を固定した。
「あははは、何やってるの、大丈夫?」
「え、ええ大丈夫ですすいません……その、濡れてませんか?」
「濡れてるよ、あはは」
あっけらかんと彼女は言う。
「この大きさならしょうがないよね……入れてもらってる身としては文句は言えないよ。太郎君濡れてない?」
「濡れてます」
「あはは、だよねー、ごめんね」
「いえいえ僕から言い出した事なので」
出来るだけ濡れないために先輩は僕の方に身を寄せてきた。歩きながら方がぴたぴたと時折くっついては離れる。
……駄目だ、凄く心地良い時間だこれ……。
「いやあ全然やまないね雨。予報では降らないって言ってたから通り雨だと思うんだけど」
「ほんとですね……」
やまないでくれッ! さっきから心臓がばくばくだ。傘を持つ手が震えない様に必死になっている。
ふと先輩との間に無言の時間が訪れた。今は何かを話していないと落ち着かない。何でもいいから話題を振らないと。
「せ、先輩って好きな人とかいるんですか」
「え?」
何を凸zん言い出すんだ僕は!!! 美月先輩は何の前振りも無しにそんな事を聞かれてぽかんとなっている。そりゃそうだろう。
「きょ、今日クラスメイトとそんな会話になったので、そういえば叶荘ではそんな話は聞かないなーと……」
クラスメイトとそういう話をしたというのはもちろん嘘だ。苦しい言い訳だった。
「あー、男子もやっぱりそういう話をするんだねえ……好きな人かあ……今はまだ……かな」
「そ、そうなんですねー」
自分で振っておいて適当な返ししか出来ない。でも先輩に好きな人はいない。ほっとしてしまう。
「そう言う太郎君はどうなの?」
「へっ? 僕ですか?」
聞き返されるのは当然の流れだろう。彼女はじっと僕の目を見つめてくる。この近さでそんな事をされると余計にどきどきしてしまうじゃないか。
「僕は……いますん」
テンパって「います」って言いかけた!! 危なかった!
幸いな事に先輩は今のをギャグと受け取ったらしい。
「何それ、どっち?」
「……さ、さあ、どっちなんでしょうね……あはは……あれ」
笑って誤魔化していると雨がやんだ事に気付いた。先輩も傘の下から手を出して雨粒が当たるかどうかを確認する。
「お、やんだね」
雨が通り過ぎてしまった以上いつまでも傘を差し続けておく理由は無い。美月先輩が少しだけ距離を取ったため僕は傘を閉じる。もうちょっと降ってくれててもよかったのに……と思うが、どうせもう叶荘のすぐ近くまで来ていた。
「そういえばそこに紫陽花が咲いてるんですよ」
「え、どこ?」
角を曲がって承天寺通りに入った所で僕はすぐに前の方を指差した。出来町公園。200年以上前に初代の博多駅舎が建てられた場所だ。
「ちょっと奥の方ですけど……」
少しだけ寄り道をして公園の中に入る。花壇が設置されている箇所があり、そこに色とりどりの紫陽花が咲いていた。
「写真を撮ろうとぶらぶらしてたらこないだ見付けたんです」
「へ~、こんな都心にある物なんだね~」
美月先輩は花壇に近付いていく。雨上がりの紫陽花……風情があっていいかもしれないなと僕はカメラを取り出した。
ファインダーを覗き込みながら気に入った距離と角度を探してシャッターを押……そうとした瞬間に先輩が写り込んでくる。
「あっ」
そのまま撮影をしてしまった。先輩は申し訳無さそうに笑ってカメラの視野の外へと出ていく。
「あ~ごめんごめん」
先輩がいない状態で改めて撮影した。
「どう? 撮れ高は」
「……こんな感じです」
僕はからかい目的で一枚目の、美月先輩がこちらを向いて写り込んだ写真を彼女に見せた。
「お~、綺麗に撮れてる」
「……ええ、綺麗です」
先輩はきっと紫陽花の事を指して言っているんだろう。でも僕はそんな物よりも写り込んでしまった先輩の姿しか目に入らなかった。
「これは盗撮じゃない……これは盗撮じゃない……」
この日の夜、その写真を消去し切れない僕はまた大きな溜め息をついた。
次の日の試験も散々だったのは言うまでもない。
Life goes on...next DAYS.
元々区切る予定が無かったので前回とまとめて一話という感じです。DAYS 18-1と2という様にカウントする案も出たんですがやめました。
次回、あの娘が登場!




