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#2

 文化祭ライブの後、俺の生活は一変した。


「あ! 琴音ちゃんと鳴子くんだ! 今日も一緒に歩いてる」

「やっぱり付き合ってるのかなぁ。あの二人」

「いいなぁ琴音ちゃん。私、ライブ観てから鳴子くんのことちょっと良いなと思ってたのに」

「くそぅ、鳴子が相手じゃ勝てねぇよ。俺の琴音ちゃーん……」


 遠くからヒソヒソと聞こえる声に耳をそばだてながら、俺はこっそりとほくそ笑む。

 琴音は、人から噂されることに慣れているからか、あるいは興味が無いだけか、素知らぬ顔で鼻唄を口ずさんでいる。この間のライブで俺が歌った歌だ。桜の花びらのようなその小さな唇が開くたび、俺の心は優越感の波にさらわれ、溺れる。


 琴音と俺は元々家が近所で、幼稚園に入る前からの幼馴染だ。

 俺たちはいつも一緒にいて、仲の良い友人……と呼ぶには一方の秤が重すぎたかもしれないが、傍目にはそう映る関係だった。


 だった、というのはそれが過去形だからだ。


 琴音は特別な存在だった。幼少期から陸上の短距離種目でその才能を開花させた彼女は、『天才陸上少女』と呼ばれ、テレビで何度も特集が組まれるほどの有名人だった。

 そんな琴音と、一方、何の取り柄もないただの凡人だった俺は、次第にお互いの間に埋めようのない深い溝が生じ、疎遠になっていた。


 つい先日までは。

 あの文化祭ライブの日を機に、俺への周りからの評価は180度変わった。

 そして、琴音との間の溝を華麗に飛び越えた俺は、今こうして示し合わせるでもなく、二人学校の廊下を並んで歩いている。かつてと同じように。


「あ、あの!」


 人気の少ない渡り廊下。後ろから声をかけられて振り向くと、一人の女子生徒が俯き気味に立っていた。腰のあたりまで伸びた黒髪が目立つ、和風美人といった風貌だ。赤いリボンをしているところを見るに、俺たちと同じ一年生だろう。

 よく見ると、頬もリボンと同じ色に染まっている。


「鳴子響(なるこひびき)くん、ですよね? この間の文化祭ライブの」

「ええ、そうです、私が鳴子響です」


 俺は気にしてませんよ風を装って返事をするが、自慢げな気持ちが先走ってどこかの変なおじさんみたいになってしまった。隣の琴音がプッと吹き出す音がした。

 ライブの日以来、こうやって知らない女子生徒から声をかけられることが頻繁にあり、最初こそテンパって不格好な対応をしていたが、最近少しずつ慣れてきたところだ。

 ……今はたまたま失敗したけど。


 女子生徒はロボットのようにカクカクした動きで、背中からピンク色の小さな包みを取り出す。


「ファ、ファファファファッ!」

「ファファファファ?」

「ファンです! 受け取ってください!」


 俺の前に包みを差し出し、祈るように下を向く女子生徒。俺は包みを受け取り、「ありがとう、嬉しいよ」と今度こそ格好良くお礼を伝える。

 女子生徒は感激したような弾ける笑顔で「これからも頑張ってください!」と言い残し、走り去って行った。下心なんて決してこれっぽっちもないが、ニヤニヤが抑えられない。

 どうだ、琴音。俺は横目で琴音の顔を盗み見た。


「良かったね、響」


 琴音はクリクリした大きな目を三日月型に細めて微笑んでいた。母親が小さな子供に向けるような生暖かい目で。

 その視線に、浮かれていた俺の気分は穴が空いた風船のように一気に萎んでしまった。昔からずっと、俺は琴音のこの手の表情が大嫌いだった。


「なぁ、知ってるか琴音」


 俺は挑発するように口を開いた。



「俺の声は『1/fゆらぎ』が含まれている、特別な声なんだぜ」

「えふぶんのいち?」


 舌っ足らずに繰り返し、小首を傾げる琴音。

 特別、という部分を強調したつもりだったが、食いつかれたのは前半の部分だった。まぁ、知らない言葉だろうから当然か。

 俺は馬鹿でもわかるように噛み砕いて説明してやる。


「1/fゆらぎっていうのは、要するに、『人が無意識に心地良いと感じるゆらぎ』のことなんだ」

「ほうほう」

「このゆらぎが声に含まれてる人っていうのはとても珍しくて、たとえば歌手でいうと、美空ひばりさんとか宇多田ヒカルさんとか、他にも誰もが知ってるような国民的大スターたちがこのゆらぎを持っているって言われているんだよ」

「ひぇー!」


 さすがの陸上馬鹿でも美空ひばりさんや宇多田ヒカルさんの名前は知っていたらしく、琴音は大袈裟なほど仰け反って驚きの声を上げた。

 その反応に、俺は経験したことないほどの快感を覚える。


 実は、あの文化祭ライブの模様を誰かが撮影してSNSに投稿していたらしく、さらにまた別の誰かがその中の俺の歌唱部分を切り抜いたショート動画を拡散し、それがそこそこにバズった。

 そして動画を見たどっかの専門家だかが「1/fゆらぎを持つ奇跡の高校生だ!」と騒ぎ立て、俺は一躍(高校内で)時の人となった。


 俺自身エゴサをしていてその1/fゆらぎを知った。同時に、俺が特別な存在だということも。

 これで少しは琴音も、俺のことを尊敬して……


「ねぇ、どうしてそのえふぶんのいちゆらぎ?があると心地良く感じるの?」


 琴音が無邪気に尋ねた。


「え゛っ? えーと、規則性と不規則性の融合が、その、なんやかんやで……」

「なんやかんやて」

「……あと、『ピンクノイズ』?っていうのがあって、それがその、なんかいろいろ頑張って……」

「ピンクノイズって、かわいい名前だね。で、そのピンクノイズって何?」

「……」

「ふふ、自分でも分かってないんじゃん」


 けらけらと琴音が腹を抱える。彼女にそんなつもりはないんだろうけど、なんとなく馬鹿にされたように聞こえ、俺は再び苛立った。


「なんでもいいだろ! とにかく、俺の声は特別なんだよ!」

「ふぅん。まぁなんにしても、ようやく響に居場所が見つかって良かったよ。ずっと好きなもの探して、部活を転々としてたもんね」


 琴音は太陽のように優しく笑う。

 すると言葉がウッと喉奥でつまり、出てこなくなる。こっちの表情もさっきとは別の意味で苦手だ。本当は「転々としてたのはお前のせいなんだからな」と言ってやりたいのに。


「でも意外だなぁ。響が好きなものは、バンドだったのか」


 琴音がしみじみと、確認するように繰り返す。


 好きなもの。確かにそうだ。俺は今、バンドに夢中だ。


 むせ返るほどの会場の沸き立ち。

 今にも爆発しそうな熱波の中、陸のギターの音に乗ってサーフィンするような万能感。

 そしてなにより、大人数が音楽で繋がり、たった一つの個となる一体感!



「そうだね。バンドは楽しいよ」


 きっと全部、1/fゆらぎという特別な才能が無ければ得られなかったものだ。素敵な贈り物をくれた神様に、感謝の歌でも歌ってやりたい気分だ。アーメン。ナンマンダブ。


「あ、私? 私が陸上が好きな理由はね、」

「聞いてねぇよ」

「えへへ、いっぱいありすぎて難しいなぁ」


 俺のツッコミは無視し、琴音は自分勝手に話し出す。

 昔から彼女は、陸上のこととなると周りが見えなくなることがあった。


「太陽の照り返しで熱くなったタータンの匂いとか。スタート直前の、静まり返って会場中の視線が集まる冷たい雰囲気とか。でも一番は、自分の身体が風になったような一体感かな!」

「一体感……」


 なんとなく、俺がバンドを好きな理由と似てるなと思った。

 そんな些細なことが馬鹿みたいに嬉しい。


「あ、喋ってたらそろそろ分かれ道だね」


 琴音が名残惜しそうに言う。

 琴音はグラウンドへ、俺は軽音部の部室へ。


 文化祭ライブの後、陸からの熱烈な勧誘があり俺は軽音部と陸のバンドへの加入を決めた。

 今は直近の『クリスマスライブ』という、一二月中旬頃開催の内輪向けの小さなライブのため練習に励んでいるところだ。

 内輪向けとは言っても、部員はそれぞれに大(・)切(・)な(・)人(・)を招待してカッコいいところを披露し、その後のクリスマス本番への足掛かりにするらしい。


「……あのさ、琴音」


 俺は勇気を出し、一歩分前を歩く琴音を呼び止めた。



「なに?」

「あのさ、その、クリスマスライブっていうのが、今度あるんだけど……」

「軽音部の?」

「うん。それでもし良ければ、観に来てくれないかなって……」


 琴音が驚いたように目を見開いた。

 思えばまだ仲の良かった昔、琴音と学校の外で会う時、誘うのはいつも琴音の方からだった。琴音は陸上部の練習で日々忙しいから、彼女から誘う方が予定を合わせやすいという理由もあるにはあったが、一番は、俺の方から誘う勇気も資格もなかったからだ。


 だけど今の俺ならそれがある。


 琴音は、パァッと表情を明るくした。


「お誘いありがとう! 響から何か誘ってくれるなんて初めてだね!」

「そ、そうだっけ?」

「予定が合えば、ぜひ行きたいな!」

「! ほんとか!」


 俺は喜んで日程を琴音に伝える。すると琴音は「うん! その日は陸上部の練習も休みだし、大丈夫!」と目を輝かせた。


「じゃあ、詳細は追って連絡するよ」

「楽しみだなぁ、響のバンド! またあんなカッコいい響の姿が見られるのかぁ」


 その何気ない一言に、俺は小さな震えが足先から迫り上がってくるのを感じた。

 俺の声は特別だ。きっと琴音を十分楽しませることができるだろう。だけどその自信とは裏腹に、微かな不安があるのもまた事実だった。


 それはこれまでの人生で染み付いてしまった、根源的恐怖。

 震えは太ももから背中の筋肉を伝い、頭のてっぺんまで一気に駆け抜けた。


「惚れても知らねぇぜ」


 強がりで吐いた言葉は、ほんの少しだけ揺れていた。


/


「さーて、今日も練習頑張るぞ!」


 玄関前で琴音は元気よく宣言すると、下駄箱の方に曲がり、靴を履き替え、グラウンドへと向かってゆく。俺はそのまままっすぐ文化部の部室棟を兼ねた第二校舎へ向かう。

 ふと琴音の後ろ姿に目をやると、彼女はスキップをしていた。


 ったく、どんだけ陸上が好きなんだよ。


 俺はふっと微笑み、歩き出す。いつのまにか自分もスキップしていたことに気付いたのは、部室の前に着いた時だった。



「おっそーい!!!」


 部室に入ると、陸が仁王立ちで俺を待っていた。栗色のフワゆるパーマの隙間から覗く切れ長な目が、恨めしそうに俺を睨んでいる。


「遅くねぇよ。ホームルーム終わって直行してきたし」

「ホームルーム前に抜け出すのがバンドマンの基本だろうが!」

「なるほど、だからバンドマンって内申点が悪いんだな」

「おい、なんで今こっち見た」

「陸って、バンドマンのお手本みたいだなと思って」

「そ、そうか? えへへ」


 そうだった。琴音が陸上馬鹿なら、この男は音楽馬鹿だ。


 聞くところによると、陸の父親はかつてとあるプロバンドでギタリストを務めていたらしい。音楽に疎かった俺ですらテレビで観て名前を知っていた程度には有名人だ。

 そして陸自身も父親の才能を見事に受け継ぎ、さらに幼少期からの英才教育もあり、『速弾きのサラブレッド』の異名で音楽業界からもすでに注目されている。


 とまぁ、陸は自分からそんな話は絶対しないので、これは全部噂で聞いた話だ。彼もまた中学時代に初めて出会った頃から琴音と並んで特別な存在として、学校で知らない人はいない有名人だった。


 そんな陸だが、なぜか今までずっと固定のバンドを組まず、一人で活動をしていたという。もちろん、才能ある陸とバンドを組みたいとオファー自体はたくさんあったようだが、彼はその全てを突っぱね続けてきた。


 つまり、俺が陸のお眼鏡にかなった最初のメンバーということになる。

 陸には絶対言わないが、俺はそのことが誇らしくて仕方なかった。お前だけは特別だとお墨付きをもらえたようで。



「おい、入るならさっさと入れよ。入り口にぼーっと突っ立ってられると邪魔でしょうがねぇ」


 突然、後ろから敵愾心剥き出しの低い声がした。振り返るまでもなく、誰だか分かった。


「……あぁ、すみません、奥下先輩」

「弦本も、バンド組むならメンバーの教育ぐらいちゃんとしたらどうだ」

「はは……まぁその、気を付けるように言っておきます」

「おい! 呼び止めたのはお前だろうが!」


 俺と陸が言い争いを始めると、蚊帳の外に置かれた奥下大輝(おくしただいき)先輩は「ふんっ」とわざとらしく鼻を鳴らした後、肩をいからせながら部室奥へと入っていき、窓際ど真ん中の席にふんぞり返って座った。自前のギターケースを乱暴に床に置いたせいで、ゴンッという鈍い音がした。


 軽音部部室は使われなくなった空き教室から机を撤去しただけの狭い部屋だが、元々の人口密度が高くないのでそれほど苦に思ったことはない。

 ただ、壁際にぐるりと配置された椅子やアンプの類と、後方隅にどぉんと鎮座するドラムセットが多少の圧迫感を生み出している。


 奥下先輩は、軽音部でギターボーカルとして活動しており、先日の文化祭で本来歌うはずだったメンバーとは彼のことだ。


 どうしても陸とバンドを組みたかったという奥下先輩は、これまで何度も勧誘を繰り返しており、「文化祭限定のバンドなら」とオーケーを貰い、相当舞い上がっていたようだ。

 それが熱を出して当日欠席、おまけに陸が正式なボーカルとして、代役だった俺をメンバーに招き入れたときた。


 俺は哀れみの目を奥下先輩に向けた。まるでかつての自分を見ているようで、煽りではなく胸が痛む。

 持たざる者の気持ちはよく分かる。だから、ちょっとぐらいの横柄な態度は許してやるとしよう。


「おい、響。さっさとクリスマスライブの練習始めるぞ」

「へーい……てか今更だけど、ドラムとかベースはどうすんの? まだ俺しかメンバー決まってないんだろ?」

「今回は先輩にサポートメンバーで入ってもらう。お前はそんなこと気にしなくていいから、ちゃんと歌の練習に専念しろ。ちょっと運良くバズっただけで、お前はまだ歌の『う』の字も知らないド素人なんだからな」

「歌って、二文字しかねーじゃん。簡単そー」

「うるせぇ! いいからほら、やるぞ!」


 それから俺は陸の演奏に合わせて歌った。廊下から人の声が聞こえると必要以上に声を張り上げ、そのたび陸から「思春期男子か!」と怒られたが、それはそうなんだから仕方ない。

 それに陸が言うように元々がド素人だったためか、歌うたびにピッチが目に見えて安定していくのが分かった。


 それより何より、陸の超絶技巧のギターをバックにしていると、まるで自分の声に羽が生えてどこまでも飛んでいけそうな感じで、気持ち良くて仕方なかった。


 天賦の才の1/fゆらぎに加え、プロの息子の指導による技術の向上。これなら、次は文化祭ライブ以上のパフォーマンスで客席を沸かせられるはずだ。あの時以上の熱狂の渦……想像するだけで、背筋が興奮でゾクゾクと粟立った。



/


 数日後。

 自室にてウキウキでライブ当日の服を選ぶ俺に、ケータイがLINEの受信を告げた。


【響、ごめん】

【クリスマスライブ行けなくなっちゃった】


 琴音からだった。

 手に持った黒のテーラードジャケットが床にくしゃっと落ちた。


【どうして?】

【急に陸上部の練習が入ったの。記録会が近いからってことで】

【休んだりは?】

【ごめん。陸上を蔑ろにはしたくないから】

【そうだよな。こっちこそごめん】


 どちらが悪いわけでもないけど気まずい空気が液晶画面越しに流れる。窓の外から聞こえる、帰宅中のカラスの鳴き声が嫌に耳にこびりつく。


【観には行けないけど、応援してるから。ライブ頑張ってね】

【ありがとう。そっちこそ、練習頑張れ】


 正直に言うと、萎え半分、安堵半分。

 琴音が観に来るというのはやる気に繋がっていた反面、大きすぎるプレッシャーにもなっていた。だから、そんなに落ち込むことではないのかもしれない。


 それに、琴音が陸上よりも俺のことを優先しなくて良かった。俺は陸上に夢中な琴音が一番好きだ。少しだけ悔しいけれど。


 ……強いて言えば、クリスマスライブを足掛かりに、本番のお誘いを……イルミネーションの下で身を寄せ合って、二人は幸せなアレを……なんて妄想もしてたのに。


「あー! やっぱり来てほしかったよぉー!!」


 小さな木造住宅に、惨めな思春期男子の叫び声がこだました。



 そしてきたるクリスマスライブ当日。

 話題の1/fゆらぎの歌声目当てに例年の倍近くの人が集まった体育館を、俺は思い切り白けさせた。


「なんか動画と違くね?」

「なんでだろ。同じ声のはずなのに、なぜか心に響かないんだよな」

「バズってたから期待してたのに」


 客席からは時折そんなヒソヒソ声が聞こえてきた。

 文化祭ライブの時より人が少ないとはいえ、それにしても明らかに盛り上がりに欠ける。盛り上がったとしても、せいぜい陸のギターソロの時ぐらい。


 最初は緊張が原因かと思った。でもよく考えれば、それは文化祭ライブの時も同じこと。むしろあの時の方が緊張していたぐらいだ。


 とすると、理由は一つしか考えられない。原因は不明だが、おそらく俺の声から1/fゆらぎが消えたのだ。

 1/fゆらぎのない俺の歌なんて、はっきり言って素人に毛が生えたようなものだ。俺は焦り、必死に声を振り絞ったが、どう考えても俺の技術だけが悪い意味でバンドから浮いていた。


 また、これは後から知ったことだが、琴音はこの日陸上部の練習に向かう途中、自動車に跳ねられ右脚に大怪我を負った。

 緊急手術により歩けなくなるという最悪の結果は回避できたが、元のように走れるようになるかは経過次第で分からないという。


 奇しくも同じ日に、俺たちは神様から与えられた特別を失った。


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