第4話 「暁の剣、崩れ始める朝」
午前八時。
『暁の剣』のリーダー、レオンは、いつもより二時間遅く目覚めた。
自室のベッドの上で、スマホを手に取り、寝ぼけた指でロックを外した。
その瞬間、レオンは何度も瞬きをした。
通知欄に、赤いバッジがついた通知が、視界の高さいっぱいまで積まれていた。DMが二百件超。メンションが千件超。所属事務所のマネージャーからの電話の履歴が、深夜から早朝にかけて十七回。
「……は?」
寝起きの掠れた声で、レオンはつぶやいた。
通知の一番上を開いた。
マネージャーからのメッセージだった。
『レオン、朝八時に電話するから起きててくれ』
その下に、事務所のスタッフからのメッセージ。
『レオンさん、SNSの傾向に注意してください。落ち着いて対応をお願いします』
その下、ミアからのメッセージ。
『レオン、ちょっと連絡してもらえる?』
その下、カイ。
『兄貴、まずいっす』
リラからは、短く一言だけ。
『レオンさん、大丈夫ですか?』
レオンは、通知を上から順にスクロールしていった。上へ、上へ、上へ。マネージャーの電話履歴の下に、SNSアプリの通知が数百件、束になって並んでいた。彼はその中の、一番上のを開いた。
『#暁の剣 が世界のトレンドに入りました』
『#カザミハルト誰 が世界のトレンドに入りました』
「……何?」
レオンはそこで、ようやくベッドから起き上がった。
*
午前八時十五分。
電話が鳴った。マネージャーだった。
「レオン、朝からすまねえな。ちょっと状況説明する」
「あの、俺、まだ寝起きなんですけど」
「今すぐ起きろ。それも、しっかり」
マネージャーの声には、明らかに苛立ちが混じっていた。
「一昨日の夜、お前、追放した奴、いるだろ」
「え、ああ、風見さん」
「その名前だ。うちの管理してるチャンネル分析ツールで、昨日今日のトレンド上位、全部その人の名前で埋まってる」
「……なんで」
「なんでも何も、その人、追放された翌朝から、なんか変な配信始めてるらしい。ダンジョンで、木の枝でモンスターを一撃で倒す配信」
「木の枝で」
「そう、木の枝で」
「……いや、あの、風見さん、そんな戦えるはずないですよ。うちで三年間、荷物運びだけで――」
「レオン、聞いてる?」
「はい」
「一昨日、B級モンスターを一振りで真っ二つ、それも通路の壁ごと。昨日、A級モンスターを一振りで斜めに真っ二つ、それも通路の壁ごと」
「……」
「本人は自分が配信してることに気付いてないらしい。何度もアプリの押し間違いで、朝の素振りからずっと配信垂れ流し」
「……」
「レオン」
「はい」
「お前のSNS、今どうなってると思う?」
「……見ます」
レオンは、通話を保留にしたまま、SNSアプリを開いた。
*
トレンドの一位は、確かに『#カザミハルト誰』だった。
二位『#素振りおじさん』。
三位『#無自覚系』。
四位『#暁の剣は追放を撤回しろ』。
五位『#レオン許すな』。
自分の名前のハッシュタグは、下にスクロールするといくつも並んでいた。全て、彼にとっては好ましくない方向のものだった。
レオンはトレンドの二位のタグを開いた。
動画が並んでいた。三十過ぎの、地味なジャージの男が、深夜の公園で素振りをしている映像。何度も繰り返し切り取られて、スロー再生も付けられ、あちこちに転載されている。あの日、暁の剣のロッカールームの前ですれ違ったときの、風見晴人の顔と、確かに一致した。
その下に、ダンジョンでの一振り。
一秒。
通路の奥まで、水平に、一直線に、壁が切れた。
もう一つの動画。
一秒。
通路の奥まで、斜めに、一直線に、壁が切れた。
レオンは動画を見終わったあと、しばらく画面を見つめたまま、動けなかった。
通話を耳に戻した。
「マネージャー」
「なんだ」
「これ、CG、じゃない、ですよね」
「CGじゃない。翠嵐ダンジョンの管理局が現地確認済み。壁の切断跡が、修復機能でうっすら残ってる。管理局が明日、公式声明を出す」
「……」
「レオン」
「はい」
「お前、俺は、責めてない。お前は、あの人の戦闘力を知らなかった。誰も知らなかった。あの人自身も、たぶん、まだよく分かっていない」
「……はい」
「ただ、世間の空気は、そうは受け取らない。追放したお前を叩く方向で盛り上がってる。今のうちに謝罪配信を、と言いたいところだが、下手に触れると火に油になる可能性もある。だから、今日の予定の朝配信は、通常通りやれ」
「通常通り、ですか」
「そうだ。話題に触れず、いつも通り朝の練習配信をやれ。無視するんじゃない。触れない、だ」
「……はい」
「メンバー全員に伝えておけ。この件は、今日一日、絶対に配信内で触れるな」
レオンは電話を切ったあと、天井を見上げた。
もう二時間、寝直したかった。だが、そういう状況ではないことを、彼はよく理解していた。
*
午前十時。
『暁の剣』の朝の練習配信が始まった。
場所は、街の郊外にある屋外の訓練場。四人、フル装備で並んで、いつも通り走り込みと、対人戦の練習をする予定だった。
配信開始と同時に、視聴者数が、いつもより二倍以上のペースで増えた。
最初はレオンも、これは追い風か、と一瞬思った。話題性が上がって、注目が集まっている。ここでいいところを見せれば、逆に評価を巻き返せる。そう考えた瞬間、コメント欄が流れ始めた。
『レオン、風見さんの謝罪はいつ?』
『追放したの謝った?』
『レオンより風見さん見に来た』
『あれ、なんで違うチャンネル開いた俺』
『間違えた、風見さんのは?』
『いや、朝の分は終わったよ』
『今日はもう終わっちゃったのか』
『じゃあ、ここはハズレか』
『ハズレ言うな、レオンさんもがんばってる』
『でも風見さんは木の枝で壁切ったから』
『比較するのはやめよう』
『比較になってない』
『……今日はミアさんと一緒だぞ! 可愛い!』
『ミアさんかわいい』
『でも風見さん』
レオンは、コメントを画面の端で見ていた。汗が首筋を伝った。
彼は視聴者に対して、いつものように明るく声を投げた。
「みんな、おはよ! 今日も朝の練習始めるぞー!」
反応は、いつもより薄かった。
カイが横で盾を構えた。ミアが杖を回した。リラが後方でストレッチを始めた。四人、動きだけを見れば、いつも通りだった。だが、コメント欄は、確実に、いつもと違う流れになっていた。
『レオン、今、笑顔ちょっと固くない?』
『わかる』
『焦ってるのバレバレ』
『いや、そういうこと言うな、可哀想』
『可哀想じゃない、追放したのはレオンだ』
『あーはいはい、そういう流れね』
『でも風見さんが、』
『風見さんの話はやめよう、ここはレオンの配信だから』
『……戻ってきていいのに、風見さん』
レオンは、走り込みの最中に、視線を横に飛ばした。
ミアが、走りながら、彼にちらりと目配せをした。目の色が、少し硬かった。
カイは、盾の位置を、いつもより低くしていた。集中していない証拠だった。
リラは、後方で笛を吹く役割だったが、笛を吹く合図が、二テンポ、遅れた。
*
三人一組の連携訓練が始まった。
いつもなら、レオンが先頭、カイが盾で守り、リラが後方で回復、ミアが遠距離で援護、という布陣で、まず一分間の連続攻撃をこなす。訓練用のダミーゴーレムを、時間内にどれだけ削れるかで、いつも競争していた。
だが、今日は、何かが噛み合わなかった。
レオンが前に踏み込むと、カイの盾が半歩遅れた。カイが盾を出すと、リラの回復詠唱が、一節、飛んだ。詠唱を飛ばしたことにミアが気付いて、援護のタイミングをずらそうとした。ずらしたタイミングが、レオンの二撃目に間に合わなかった。
いつもより、明らかに、遅い。
視聴者はすぐに気付いた。
『あれ、動きが変』
『いつもより遅い』
『カイの盾、遅れてるよ』
『ミアの援護もずれてる』
『リラの詠唱飛んだ?』
『え、四人がバラバラ』
『レオン、指示は?』
『指示、出してるつもりだけど、届いてない感じ?』
『これ荷物持ちの人が抜けたせいじゃないよね?』
『は? 荷物持ちの人が連携に関係あんの?』
『関係ない、けど、これは違う話』
『これは……たぶん、集中の問題』
『集中できてないってこと?』
『……たぶん』
『それはレオンのせいで、』
『やめよう、その話はやめよう』
レオンはコメントを横目で見た。
彼は明らかに、集中していなかった。頭の隅で、あの追放シーンをもう一度反芻していた。
風見さん、絵面が地味だから、と言った。
……絵面が地味、と言った。
あの、木の枝で壁を切った人に、俺は、そう言った。
訓練の途中で、レオンの足が、砂に取られた。
派手に転んだ。
カイが「兄貴!」と叫んで駆け寄った。ミアが手を差し伸べた。リラが慌てて回復魔法を詠唱した。四人、みんな、慌てた動作だった。それが全部、映像に映っていた。
視聴者数、その瞬間、二十四万。
*
配信終了後。
訓練場の隅で、四人は円になって立っていた。全員、汗と砂まみれ。誰も、口を開かなかった。
最初に口を開いたのは、ミアだった。
「レオン」
「なんだよ」
「今日、あんまり良くなかった」
「わかってる」
カイが、盾を地面に降ろした。
「兄貴。俺、今日、盾の位置、いつもより下げちゃってた。集中できてなかった。すみません」
「いや」
「たぶん、あの人が、いなくなってから、俺、荷物のことばっか考えてる。あの人がいた頃、俺、盾に集中できたんですよ。いつもの位置に、いつも通り、荷物とご飯と、次の予備の武器と、全部、決まった順番で並んでてくれて。だから、俺、盾のことだけ考えてよかった」
リラが、頷いた。
「私も、あの人がいた頃、水筒を差し出されるタイミングが、いつも回復詠唱の直前だった。あれで、詠唱に入る前に一呼吸置けてた。今日、水筒を、自分で取ろうとしてタイミング崩れた」
ミアが、杖を握り直した。
「私、荷物持ちの意味を、実は今まで、あんまり考えたことがなかった。ただ、あの人が抜けてから、なぜか、みんなが、集中できていない。私も含めて」
レオンは、砂を払いながら、四人の顔を見た。
「……お前ら」
「レオン、責めてるんじゃないんだ」
「わかってる」
「ただ、俺たち、今の連携、あの人がいた頃の連携じゃない」
レオンは、しばらく黙っていた。
空を見上げた。
夏の日差しが、痛いくらいに強かった。
「……マネージャーが、今日、この件に触れるなって言ってた」
「うん」
「触れるな、って言われてるうちは、俺、動けねえ」
「そうだね」
「明日、明後日、今週いっぱいは、たぶん、こんな感じの練習が続く」
「うん」
「その間に、俺、少し、頭、整理する」
「うん」
四人は、静かに、その場を離れた。
誰も、次の配信の予定を、この場では、口にしなかった。
レオンだけが、訓練場の隅にしばらく残った。汗が乾いていく感触を、腕の内側で感じた。彼はスマホを取り出し、SNSのトレンドをもう一度、開いた。
一位『#カザミハルト誰』は、まだ変わっていなかった。
その下に、切り抜き動画の再生数が、深夜からの間に、四百万を超えていた。
レオンは、動画の中の、あの地味なジャージの背中を、無言で見つめた。
あの人が、朝、公園で、こんな綺麗な素振りをしていたことを、俺は、知らなかった。
いつも遠征の荷造りは早くて、飯の手配は完璧で、モンスターの残骸の処理は静かで丁寧だった。三年間、当たり前のように、そこにあった。それだけの人だと、俺は思っていた。
レオンは短く息を吐いた。
「……絵面が地味、って、俺、あの人に言ったんだよな」
誰にともなくつぶやいた。返事は、当然、なかった。
*
同じ時刻。
街の郊外の、いつもの公園。
風見晴人は、その日は朝の素振りを終えて、家に戻る途中だった。ダンジョンから帰ってきた翌朝である。今日は、ダンジョンには行かなかった。二日連続で行ったので、休みにしよう、と決めていた。
パーティ時代からの習慣で、彼は週に一日、休みを設けていた。
休みの日は、朝の素振りだけ。そのあとは、洗濯と、買い物と、家計簿と、素振りノートの整理。それで一日が過ぎる。
スーパーで、明日以降の食材を買った。特売の豚バラが百グラム九十八円だったので、少し多めに買った。冷凍にすれば、四日分の夕飯になる。玉ねぎと、人参と、あと、豆腐も追加した。
歩いて家に戻った。
途中、すれ違った高校生二人が、スマホを見ながら小さく笑っていた。晴人はそれをぼんやり見ていたが、内容までは分からなかった。
「……素振りおじさん、また来てほしい」
「明日、また、朝配信あるらしいよ」
「マジ? 俺、朝早く起きるわ」
二人はそんな会話をしていた。
晴人は、それを聞いたが、話の中身と自分を結びつけなかった。素振りをするおじさんは、たぶん、この街にも何人かいるのだろう、と思った。世の中には、似た趣味の人間が、少なくとも三人はいる、と、昔誰かに聞いた気がした。
アパートに帰り、昼食を作った。豚バラと、キャベツと、豆腐で、簡単な炒め物。
食べながら、家計簿と、素振りノートを開いた。
素振りノートに、今日は本数と、朝の湿度と、それから、一行、書き足した。
『樫の枝、二日目。まだ手に馴染む。感触良し』
それだけだった。
窓の外で、蝉が鳴いていた。
晴人はふと、テレビをつけた。何気なくニュースが流れていた。ダンジョンの管理局が、なにか声明を出す予定、というテロップが下の方に流れていた。晴人は、それを見て、少し首を傾げた。
「……何か、あったのだろうか」
小さくつぶやいた。
だが、それ以上、深くは追わなかった。彼にとって、世の中のニュースは、いつも遠くのできごとだった。台風の予報とか、選挙の結果とか、有名人の結婚とか、そういうのと同じで、自分の生活には、たぶん、関係がない。
彼はテレビを消し、素振りノートを閉じた。
明日は、また、ダンジョンに行こう、と思った。
休みは、今日一日で十分だった。
彼はまだ、何一つ、気づいていない。世界の側が、彼の朝を、じっと待ち始めていることに。
第四話 了




