第24話 「休日の公園」
日曜日だった。
晴人は休日もダンジョンには行かない。朝の素振りだけは変わらない。
四時に起きて、顔を洗って、水を一杯飲んで、公園へ向かう。空が白み始めていた。気温は十六度くらいだった。上着が要るか要らないかの境目で、結局持って出た。
公園に着いた。
東側の広場に誰もいなかった。
広場の端の木の根元に、昨日置いていった枝が立てかけてあった。
もともとは木刀を使っていた。三年間、毎朝ここに持ち込んでいた。ある日、振りすぎてヒビが入った。修理に出すほどのことでもなかった。その日たまたま広場に落ちていた樫の枝を拾って、代わりに使い始めた。
最初は毎朝新しい枝を拾って、帰るときは捨てていた。いつからか、同じ枝を木の根元に立てかけて帰るようになった。特に理由はなかった。ただ、毎朝探す手間がなくなった。
枝を取って、構えた。振り始めた。
一本目。
二振りのことがまだ手に残っていた。昨日の段差の先で出会った相手の感触。粘りのある表面。角度を変える必要があった。
今朝の素振りでは、少し角度を意識して振ってみた。いつもの垂直から、ほんのわずかだけ斜めに入れる。手首を使うのではなく、腰の回転で角度をつける。
三本目。四本目。
何かが違う気がした。
五本目で、空気を切る音がわずかに変わった。
悪くない。
六本目。七本目。角度を維持したまま、速度を落とさない。腰の入りと角度が一致するポイントを探していた。
四百本を過ぎた頃、リナが来た。
「おはようございます」
「おはようございます」
リナも同じ木の根元から自分の枝を取った。いつの間にか一本置くようになっていた。晴人が毎回同じ枝を根元に立てかけて帰るのを見て、自然とそうなった。
隣に並んで、構えて、振り始めた。
しばらく二人の素振りの音だけが公園に響いた。
五百本を過ぎた頃、レオンが来た。
「おはよう」
「おはようございます」
レオンも根元から太めの枝を取った。参加した最初の日に晴人が手の大きさを見て選んでくれた枝だった。以来、同じ場所に置きっぱなしにしている。三日でもう「自分の枝」になっていた。
昨日教わった「落とす」をまずやった。枝を構えて、腕ごと下に落とす。三回繰り返してから、素振りに入った。
三人が並んで振っていた。
日曜日の朝五時、公園の東側広場。
*
語時二十分頃、四人目が来た。
ミアだった。
レオンが最初に気づいた。
「ミア」
「……おはよう」
ミアは手ぶらだった。枝も持っていない。ジーンズにパーカーという格好で、少し離れた場所に立っていた。
「やるのか」
「わかんない。見に来ただけ」
晴人が振り向いた。
「おはようございます。ミアさん」
「おはようございます……」
ミアの声が少し小さかった。
晴人は枝を下ろした。
「見ているだけでも構いませんが、やってみますか」
「……やったことないんですけど」
「最初はそうです」
晴人が東側広場の隅にある木の枝を見た。何本か折れたものが落ちていた。一本取って、軽さを確認してから、ミアに差し出した。
「軽いものから始めます」
ミアは枝を受け取った。
しばらく手の中で枝を見ていた。軽かった。剣よりずっと軽い。援護職のミアでも片手で持てる重さだった。
それからレオンを見て、リナを見て、最後に晴人を見た。
三人とも同じことをしていた。同じ場所で、同じ枝を、同じように振っている。それぞれの段階が違うことは見ていてわかった。レオンの振りとリナの振りは明らかに違う。そしてリナの振りと晴人の振りも全然違う。
同じことをしているのに、全員違う。
不思議な光景だった。
「構え方がわかりません」
「こう持ちます」
晴人が自分の枝を見せた。
「足はこの幅です。肩の力を抜いて」
ミアが見よう見まねで構えた。形にはなっていなかった。肩が上がっていて、足の幅も狭かった。
晴人は手を伸ばして、ミアの肩を軽く押し下げた。
「肩を落としてください」
「こ、こう?」
「そうです」
ミアが一本振った。
枝が空気を切る音がした。弱い音だった。
「……これを千本やるの?」
「人によります。ミアさんは五本くらいからで」
「五本」
「最初はそのくらいで十分です」
ミアは二本目を振った。三本目。四本目。五本目で少し息が上がった。
「腕が重い」
「最初はそうです」
晴人がまた素振りに戻った。
リナとレオンも素振りに戻っていた。
ミアは枝を持ったまま、しばらく三人を見ていた。それから六本目を振った。自分で決めたらしかった。
*
『 四人!!! 四人になった!!!! 』
『 ミアちゃん来た!!!! 』
『 「見に来ただけ」って言ったのに枝持ってる!! 』
『 師匠の「最初はそうです」が万能すぎる 』
『 五本からでいいって言われたのに六本目振ったのが好き 』
『 自分で決めた顔だった 』
『 リナちゃんの時と同じ流れだ……丁寧な入り口…… 』
『 [ENG] There are now FOUR people doing morning stick swings in a park at 6 AM on a Sunday 』
『 [ENG] And one of them is the most famous person on the internet who doesn't know it 』
『 日曜の朝六時に棒を振る四人組、もう意味がわからなくて好き 』
『 師匠がミアの肩を押し下げたシーン、リナちゃんのときと同じ教え方だ 』
『 全員同じところから始まる 』
『 レオンが「落とす」やってるの見えた 』
『 各自の段階が違うのに同じ空間で練習してるのが道場 』
『 ここ道場だったんだ 』
*
七時を過ぎた。
素振りが終わった。
「今日もありがとうございました」
晴人が枝を下ろした。
リナが枝を地面に立てた。今朝は十八振りの間に丹田が抜けなかった。腰が入ったのは四回。多くも少なくもない。安定してきている感覚があった。
レオンが肩を回した。九十二本だった。「落とす」を意識した後の素振りは、以前とは手の中の感触が違い始めていた。
ミアが枝を見ていた。結局十二本振った。五本と言われて六本にして、しばらく見学して、また六本振った。腕が痛かった。
「明日も来ますか」
晴人がミアに聞いた。
「……明日は月曜なので」
「お仕事ですか」
「まあ、そんな感じで」
「ご都合が合えば」
いつもの言葉だった。
ミアは少し黙ってから言った。
「あの……来週の日曜も、来ていいですか」
「いつでもどうぞ」
晴人が帰り支度を始めた。上着を羽織って、枝を木の根元に立てかけた。リナとレオンも同じように立てかけた。
ミアは手の中の枝を見た。
三人の枝が根元に並んでいた。自分の枝をそこに加えるかどうか、少し迷った。来週また来るかどうか、まだわからない。来ないかもしれない。
それでも、端の方に静かに立てかけた。
*
四人が公園を出た。
レオンとミアが先に歩いた。リナは少し遅れて晴人の横にいた。
「風見さん」
「はい」
「今朝の素振り、少し角度が違いませんでしたか」
晴人が少し驚いたような間を置いた。
「気づきましたか」
「途中から音が変わっていたので」
「昨日の二振りの反省です。角度を少し変えてみました」
リナは頷いた。
二振りの反省。百三十万人が「#TwoSwings」で語っていることを、この人は朝の公園で黙って修正していた。
「うまくいきそうですか」
「まだわかりません。もう少し振ってみます」
晴人がスーパーの方向を見た。
「リナさんは今日は何か予定がありますか」
「特にないです」
「今日は休日なので、ダンジョンには行きません。スーパーに行って帰ります」
「わかりました」
「お疲れさまでした」
晴人が頭を下げて、スーパーへ向かった。
リナはしばらく背中を見ていた。
日曜日。ダンジョンには行かない。スーパーに行って帰る。
世界で一番有名な配信者の休日の過ごし方が、それだった。
*
スーパーは日曜朝市をやっていた。
卵が十個入り百七十八円だった。平日より安い。二パック取った。
鶏むね肉が百グラム五十八円だった。チラシに載っていた通りだった。一枚取った。二百三十グラムくらいのものを選んだ。
野菜売り場でキャベツとにんじんを見た。キャベツは半玉で百二十八円だった。丸ごとだと百九十八円で、半玉の方が割高だった。丸ごとを取った。にんじんは袋入りが二本で八十八円だった。取った。
長ネギが三本で百二十円だった。安い。取った。
レジに並びながら、今週の献立を頭の中で組み立てた。鶏むね肉は塩麹に漬けて明後日焼く。キャベツは味噌汁と炒め物。にんじんは副菜。長ネギは味噌汁と薬味。
会計は九百二十四円だった。日曜朝市のおかげでまとまって買えた。
帰り道、公園の前を通った。
東側の広場を見た。
誰もいなかった。木の根元に、枝が四本立てかけてあった。晴人のものとリナのものとレオンのもの。端の一本がミアのものだった。
四本の枝が並んでいるのを見て、少し立ち止まった。
増えたな、と思った。
最初は一本だった。毎朝一本だった。追放されてから、この公園でずっと一本で振っていた。
二本になったのは十日前。三本になったのは一週間前。今日、四本になった。
別に集めているわけではなかった。誰かに来てくれと言ったわけでもなかった。
ただ、ご都合が合えば、と言っただけだった。
四本の枝を見ていたら、少し変な気分になった。変な気分の正体はわからなかった。嬉しいとか寂しいとか、そういう名前のつく感情ではなく、ただ「増えたな」としか言えない感覚だった。
晴人はスーパーの袋を持ち直して、家へ帰った。
*
その日の昼過ぎ、冒険者ギルド日本本部の東條の執務室に電話が入った。
国際冒険者連盟のヨーロッパ支部からだった。
東條は受話器を取った。
「はい。東條です」
相手は英語だった。通訳を介さず東條が直接応対した。
内容は三点だった。
一つ目。「One Swing」配信者の身元照会。
二つ目。映像内で確認される七階層以深の情報共有の要請。
三つ目。当該配信者の国際登録ランクの再査定の提案。
東條は一つ目と二つ目に対して「確認の上、改めて連絡する」と答えた。三つ目については「当該冒険者は現在のランクを望まれている」とだけ返した。
電話を切ってから、東條は椅子に背を預けた。
国際登録ランクの再査定。風見晴人のランクは現在、最下位の「登録のみ」だった。荷物持ちとして登録され、パーティ追放後も更新していない。
世界で最も視聴されている冒険者のランクが「登録のみ」。
東條は少し笑った。
笑ってから、表情を戻した。
国際連盟が動き始めている。ヨーロッパ支部が直接連絡してきたということは、アメリカ支部とアジア支部も同様の動きがあると見ていいだろう。
東條は内線を取った。
「萩田さんに繋いでください。……萩田さん、東條です。本日、国際連盟から照会が入りました。風見様の身元についてです。回答は保留にしましたが、今後の対応方針を協議する必要があります。……はい。明日の午前中に。よろしくお願いします」
受話器を置いた。
もう一つ気になっていることがあった。今朝の配信に四人が映っていたと部下から報告を受けていた。風見晴人の朝の活動に同行者が増えている。その中にA級冒険者リナの名前があった。元暁の剣のレオンとミアの名前もあった。
国際連盟がこの映像を見ていれば、風見晴人の周囲にA級冒険者が集まっていることも把握しているだろう。身元照会の動機はそこにもあるかもしれなかった。
窓の外は晴れていた。日曜の午後の都心は静かだった。
この数時間前、風見晴人はスーパーで卵と鶏むね肉を買っていた。東條はそれを知らない。ただ、あの男が今日も何事もなく過ごしていることだけは確信していた。
*
同じ頃、世界のSNSでは別の動きがあった。
朝の公園の配信——正確には「録画のつもりの配信」——が切り抜かれていた。
四人が並んで素振りをしている映像だった。
切り抜きのタイトルは「Sunday Morning Dojo」だった。
映像の中で、一人の若い女性が枝を初めて持った。構え方を教わっている。肩を押し下げられている。一本振った。弱い音だった。
次のカットで、別の若い女性が十八振り連続で枝を振っていた。音がはっきりしていた。
さらに次のカットで、金髪の男が九十二本目を振っていた。腕の動きが少し変わっている。
最後のカットで、一人の男が千本を終えて枝を下ろした。
「今日もありがとうございました」
その声だけが音声として残っていた。
切り抜きは六時間で五百万再生に達した。
コメント欄は三つの言語で埋まっていた。
『 四人になった。四本の枝が並んでいた。 』
『 日曜の朝に棒を振ってる四人が世界で一番強い集団なの意味わからん 』
『 [ENG] This is the most peaceful martial arts school I've ever seen 』
『 [ENG] He said "thank you for today" like he's ending a regular office meeting 』
『 [ESP] Cuatro personas. Cuatro palos. Un parque. Esto es arte. 』
『 新しい子が来た!!初日で十二本! 』
『 リナちゃんの音がまた変わってる 気づいた人いる? 』
『 レオンの落とし方変わった。先週と違う。師匠に何か言われたな 』
『 師匠の角度が微妙に変わってることに気づいた猛者いる? 』
『 [ENG] wait... is his swing angle different from yesterday? Did #TwoSwings change his form? 』
『 反省を翌朝に持ち込んでる 』
『 反省を翌朝に持ち込んで朝市で卵を買う男 』
『 素振り宗の聖地巡礼したい人いるだろ 』
『 場所特定はやめろ!!!! 』
『 やめてください師匠の日常を守れ 』
視聴者数は百四十万を超えていた。
*
晴人は夕方、家でキャベツと鶏むね肉を炒めた。
塩胡椒だけの味付けにした。シンプルな方がキャベツの甘みが出る。
食べ終えてから、メモ帳を開いた。
昨日の分は書いてあった。段差の先の記録。緑色の四足のもの。角度の問題。
今朝の公園で角度を試したことを書き加えた。「斜めに入れる。腰の回転で角度をつける。手首ではない」
三行で終わった。
ページをめくった。空白のページが続いている。このメモ帳はまだほとんど使っていなかった。百円ショップで買って三日目だった。
明日からまた平日だった。朝の公園、スーパー、ダンジョン。
段差の先にもう一度行く。
今度は一振りで仕留める。
晴人は電気を消して横になった。
明日も朝が早い。
第二十四話 了




