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第11話 「四階層の重力と、足裏の練習」

 午前四時半。


 風見晴人は公園に立っていた。


 七日目の朝である。ダンジョンに通い始めてから七日目。振り返れば、あっという間だったというほど、密度の濃い一週間ではなかった。ただ、朝、素振りをして、電車に乗って、山道を登って、ダンジョンに入って、戻って、スーパーで買い物をして、家に帰る。それを繰り返してきただけだった。


 その繰り返しの合間に、萩田孝史という地方監査室の主任と山道で書類を書き、桑原忠雄という記者と公園で話し、田村という老人と休みの朝に対話した。


 この一週間の中で彼が話した他人の数は、パーティ時代のこの一週間の倍以上だった。


 ……最近、少し話す機会が多いな、と彼は朝の公園で素振りを始めながら、少しだけ思った。


 だが、それを深く追わなかった。話す機会が多くても、素振りはいつも通り千本振れば、それでいい。



   *



 樫の枝を持ち上げた。


 柄のタオル生地は、七日目に入って指の位置が完全に決まっていた。もう握り直す必要はなかった。


 一。二。三。四。


 振り上げて、振り下ろす。振り上げて、振り下ろす。


 今日の朝は、少しだけ風が強かった。


 湿度が抜けていた。夏の朝の乾いた、少し涼しい風。日の出前のこの時間帯の空気の透明感が、七日間の中で一番澄んでいると感じた。


 空気の切れる音が、朝の公園に細く鋭く鳴った。


 いつもより切れの質が良い、と彼は思った。



   *



 同時刻。


 日本全国のどこかの部屋で、視聴者たちはいつも通り通知アプリで叩き起こされていた。


 だが、今朝の彼らはいつもと、また少しだけ違っていた。


 昨日、暁の剣の公式チャンネルが、活動休止の告知を公開した。それは静かな告知だった。多くの視聴者はそれを静かに受け止めた。だが、その静かな告知がなぜか、朝の素振りの視聴者数をまた一段押し上げた。


 視聴者たちは静かに画面を開き、静かにコメントを打ち始めた。


『来た』


『今日もフォーム、澄んでる』


『昨日の告知、静かだった』


『わかる、静かだった』


『あの静けさの中で、この朝の素振りが始まってる』


『不思議な朝』


『素振り宗、朝の御勤め、開始』


 視聴者数、開始十分で十二万を超えていた。



   *



 千本をいつも通り振り抜いた。


 深く息を吐き、木の枝を軽く振って砂を落とした。


「……悪くないな」


 小さくつぶやいた。


 彼はいつものように、砂場の隣に置いてあったスマホを拾い、ドローンに着陸の合図を送った。


 スマホの画面には、通知がいくつか積まれていた。彼はそれを上から順に、指で送った。


『藤原(暁の剣 マネージャー) 着信 三件』


 という通知がまだ残っていた。昨日、深く考えるのが億劫で、閉じたままにしていたものだった。


 ……藤原さん、か、と彼はしばらくその名前を見た。


 真面目な人だった、と記憶している。遠征の経費の精算で、事務所で何度か会った。晴人が領収書を細かく整理して提出すると、藤原はいつも「風見さん、こういう細かい整理は本当に助かる」と言った。それを丁寧に言ってくれる、数少ない大人の一人だった。


 その藤原から、電話。


 少し迷った。


 だが、公園の砂場の隣で電話を掛けるのも迷惑だ、と彼は判断した。夜、家に戻ってから掛け直そうと決めた。



   *



 駅までの道を歩いた。


 電車に乗った。今日は車内に若い人が、また少し多かった。四、五人、スマホを少しだけこちらに向けていた。晴人はまた自分の服装を確認したが、特におかしなところはなかった。


 電車を降り、山道に入った。


 山道の途中、いつものベンチのそばに、今日はまた人が立っていた。



   *



 白いシャツ。黒いスラックス。四十代前半。


 萩田孝史、だった。


 彼は書類の入ったファイルを脇に抱えていた。晴人は少し驚いた。


「あの、おはようございます」


「おはようございます、風見様」


「あの、また、何か、その」


「いえ、いえ。あの、今日は書類ではなく」


 晴人は少し首を傾げた。


「あの、これをお渡ししたく」


 萩田は小さな白い封筒を差し出した。中には、カードが一枚入っていた。晴人はそれを受け取った。カードには『特別冒険者 風見晴人』と書かれていた。写真はなかった。ライセンス番号と名前と、シンプルな印章だけだった。


「あの、これがその」


「はい、正式な特別冒険者登録カードです。これで、本部のシステム上、風見様は正式に特別冒険者として認定されました」


 晴人はカードを両手で持ち、少しだけ頭を下げた。


「あと、あの、少しだけ確認をさせていただきたいことが」


「はい」


「昨日、口座に振込をさせていただきました。あの、金額を確認していただけましたか」


「はい、八桁の頭に数字が入っていました」


「はい」


「あの、これは給料、なのですか」


「はい、特別冒険者の月額報酬の初回分です。今後、毎月、月初に振込いたします」


「月額」


「はい、毎月」


 晴人はしばらく頷いた。



   *



 萩田はファイルを開いた。中の書類を一枚抜いた。


「あの、風見様、こちらの月額は、細かい規定に基づいて算出されておりまして」


 晴人は静かに聞いていた。


「ダンジョン内で、大規模な地形変化を伴う活動をされた場合、その活動の規模と頻度に応じて、月額が算定されます。風見様のこの一週間の活動規模と頻度は、その、大変活発でいらっしゃいまして」


「はい」


「そのため、この金額になりました」


 萩田はそこで少しだけ遠慮がちに笑った。


「あの、正直、事務局の算定の上限に達しています」


「上限」


「はい、月額の上限です。これ以上は、規定上、算定できません。ですので、風見様が今後さらに活発に活動されても、月額は同じ金額になります」


「はい、わかりました」


「あの、一応、規定として、月額の算定の上限に達している特別冒険者は、当面、風見様一名だけです」


 晴人は少し首を傾げた。


「あの、参考までに、これまでの記録では、この上限に達した人物は、過去二名しかいません」


 萩田は指を二本立てて見せた。


「一人は、二十年前に封印されていた古代の神の器を、単独で討伐した方です。もう一人は、十年前に大陸の地下の封じ手の封印を、更新した方です」


「はい」


「風見様は今、その二人と同じ算定枠に入っておられます」


 晴人はしばらく頷いた。彼は萩田の話を静かに聞いた。


 だが、彼はその話の意味を、あまり深く受け取らなかった。


 彼にとって、そういう話はいつも遠くのできごとだった。台風の予報とか、選挙の結果とか、有名人の結婚とか、そういうものと同じで、自分の生活にはたぶん関係がない。



   *



「あの、風見様」


「はい」


「今日は、どちらまで」


「はい、あの、四階層まで行こうかと」


「四階層、ですね」


 晴人は小さく頷いた。


「あの、四階層は環境が少し独特で、途中に、重力の少しだけ狂う区画があります」


「はい、昨日、そこの入り口まで行きました」


「はい、そこの奥はまだ行かれておりませんね」


「はい」


「その奥は、その区画の重力の狂いが複雑になっております。浮遊型の、その、生き物も複数出ます」


「はい、わかりました」


「無理はなさらないでください」


「はい、あの、ありがとうございます」


 萩田は丁寧に頭を下げた。晴人も頭を下げた。二人はその山道の途中で、それぞれの方向に別れた。



   *



 詰所に着いた。


 今日の担当は、またあの女性職員だった。彼女は晴人を見て、少しだけ頬を緩めた。


「お疲れ様です、風見様」


「はい」


「本日は」


「四階層まで行きます。あの、重力の狂う区画の奥まで」


「はい、承知しました」


 女性職員は書類を記入した。手は既に震えていなかった。彼女はこの一週間で、風見晴人という名前に対して、驚きの表情を作らない、という訓練を完璧にこなすようになっていた。


 書類を記入し終え、彼女は少しだけ遠慮がちに、こう言った。


「風見様、あの、これは私からの、その、一言なのですが」


 晴人は続きを待った。


「あの、本日、四階層の区画の奥は、その、重力が複雑に狂っております。あの、通り抜けを目指されると、良い練習になると思います」


「練習」


「はい、あの、足の着地の感覚と、体の芯の通し方の」


 晴人は少しだけ驚いた。


 女性職員は少し頬を赤くした。


「あの、実は私、若い頃、少し剣道をやっておりまして」


「はい」


「あの、風見様の朝の素振りの映像を、何度か拝見しました。あの、四階層の重力の狂う区画は、足裏の感覚を養うのに大変良い場所です。ぜひ、体験なさってください」


 晴人は深く頷いた。


「はい、あの、貴重な情報、ありがとうございます」


「いえ、いえ」


 彼は頭を下げ、詰所を出た。



   *



 視聴者たちは、その詰所の会話を、ドローンのマイクを通して静かに聞いていた。


『詰所のあの人、剣道、やってたのか』


『女性職員、名前、まだ出てないな』


『萩田さんは、名前、出た』


『萩田さん、朝からご苦労様』


『女性職員さんも、いい人』


『「足裏の感覚を養うのに、大変良い場所」』


『名台詞、更新』


『詰所の人、皆、良い』


『翠嵐ダンジョンの詰所、癒しの場』


 視聴者数、その時、十四万三千。



   *



 四階層まで下りた。


 四階層は緑がかった光の空間だった。壁は緑色の苔のような光源に覆われていた。空気は独特で、少しだけ密度が高い。歩くと足裏に、微妙な抵抗が感じられた。


 昨日、途中まで進んだ通路を、まっすぐ歩いた。


 通路の途中で、空気の密度が変わった。歩いても抵抗が少なくなった。逆に、足裏の地面への密着感が薄れた。


 ……ここが始まりだな、と彼は思った。


 重力の狂う区画の入り口だった。



   *



 入り口を超えた。


 通路の幅は変わらなかった。だが、足裏の感覚が明らかに変わった。踏み込みの深さがいつもより浅くなった。踏み込みが浅いのに、足の上がり方はいつもより大きくなった。


 ……面白い、と彼は思った。


 これは重力が、いつもの七割くらいなのだな、と彼は体で判断した。


 朝の素振りで、時々雨上がりの公園で、湿った砂の上で素振りをすることがあった。あの時、足裏の地面への密着感が少しだけ変わった。踏み込みが深く入る反面、次の足の上がり方が遅くなる。それを修正するのに、腰の位置と体の芯の通り方を細かく調整した。


 今、逆のことが起きている。


 踏み込みが浅く入る。次の足の上がり方が速くなる。腰の位置と体の芯の通り方を、細かく調整する必要がある。


 彼はしばらく通路の途中で立ち止まり、腰の位置を細かく動かした。


 深く落とす。少しだけ上げる。もう少し上げる。両足の幅を変える。膝の柔らかさを変える。


 そのたびに、体の芯の通り方が微妙に変わった。


 いつもの朝の素振りのフォームは、重力が通常の地上の環境で完成されていた。だが、重力が七割のこの場所では、いつものフォームは少しだけずれる。


 ずれを正すには、腰と膝の位置を微調整する必要がある。


「……なるほど」


 小さく、つぶやいた。


 この区画は、確かに足裏の練習に最高だった。



   *



 視聴者たちの画面には、その光景が映っていた。


 地下の通路の途中で、地味な猫背の中年男性が立ち止まり、腰の位置を細かく動かしていた。膝を少しだけ曲げ、また伸ばし、両足の幅を変え、また戻し、それを静かに繰り返していた。


 その動きは、動画的には地味だった。派手さは皆無だった。


 だが、視聴者たちはその動きを、静かにじっと見た。


『……見て、これ』


『腰の位置』


『微妙に動いてる』


『膝の柔らかさも動いてる』


『これ、たぶん重力に体の芯を合わせている動き』


『詳しい人、いる?』


『居合、やってた人、コメントにいる?』


『居合、少しだけやってた者だけど、これ、ヤバいよ』


『何がヤバい?』


『地面に対して、体の芯の通り方を常に修正し続けている』


『はい』


『地面の重力に対して、体の芯を垂直に通す、その感覚を意識的に動かしてる』


『それ、居合の達人でも五十年掛かる動き』


『それを、あの人、たった数分で体で掴んでる』


『……達人、五十年、を、数分で』


『……天才って、こういう人のこと言うんだな』


 コメント欄が、いつもと違う方向で盛り上がった。



   *



 通路の奥から、二つの影がこちらに向かって飛んできた。


 浮遊する半球状の生き物だった。両側に六本の細い触手を垂らしていた。触手の先が微妙に光っていた。速度はそれほど速くなかった。空気の密度の変化に乗って、ふわり、ふわり、と揺れながら近づいてきた。


 晴人は木の枝を持ち直した。


 この区画で、いつものフォームで振ると少しだけずれるはずだった。ずれを正すには、腰の位置を通常より二センチ深く落とし、膝の柔らかさを通常より少しだけ増す。


 彼はそう決めた。


 右足を大きく前に踏み込んだ。踏み込みは浅かったが、腰の位置を通常より深く落とすことで、重力の狂いを体の内側で吸収した。


 左足を後ろにしっかり残した。膝の柔らかさを通常より増した。


 朝の素振りの九百八十本目のフォーム。ただし、腰、二センチ深く、膝、柔らかく。


 息を細く吐きながら、腕を伸ばした。


 枝の先端が、二つの半球状の生き物の間を、水平に通り抜けた。


 通り抜けた、瞬間。


 二つの生き物はそれぞれ、上下、真っ二つに割れて、静かに床に落ちた。触手がまだ、ぴくり、と動いていた。



   *



 晴人は体を起こした。


「……悪くないな」


 小さく、つぶやいた。


 枝を軽く振って、触手の粉を落とした。


 彼はしばらくその場に立って、腰の位置をまた細かく動かした。今度は、通常より三センチ深く落としてみた。そのあと、四センチ深く落としてみた。


 三センチと四センチの間で、体の芯の通り方が大きく変わった。三センチがたぶん最適解だった。


「……三センチ、か」


 小さく、つぶやいた。


 これは家に帰ったら、ノートに書き足そう、と彼は決めた。



   *



 通路の奥まで進んだ。


 途中、また浮遊する半球状の生き物が五体出た。晴人はそれを通り抜けるついでに、それぞれ一振りずつで通り過ぎた。全て、腰、三センチ深く、膝、柔らかく、で対応した。全て、上下、真っ二つになった。


 やがて、通路が開けた。


 大きな部屋の入り口だった。


 昨日、途中で引き返した、あの大きな部屋だった。


 晴人はそこまで来て、少しだけ覗き込んだ。


 部屋の奥は闇の中に消えていた。だが、闇の中に、何か大きな金属の光沢が微かに見えた。動いていた。ゆっくりと。歯車の噛み合う低い金属音が、時折聞こえた。


 ……次はここから、と彼は静かに決めた。


 だが、今日は四階層の重力の狂う区画の奥まで、と詰所の女性職員に伝えたわけではなかったが、律儀な性格の彼は、大きな部屋の入り口までで引き返すことにした。


 彼は静かに背を向け、通路を戻り始めた。



   *



 通路を戻る途中、彼は腰の位置をまた細かく動かした。


 深く落とす。少しだけ上げる。もう少し上げる。もう少し下げる。それを静かに繰り返しながら歩いた。歩くその動きの中で、腰の位置と体の芯の通り方が、少しずつ深く繋がっていくのを、彼は感じた。


 この感覚は、朝の公園の素振りにはなかった。


 朝の公園の地面は、いつも同じ重力の下にあった。だから、腰の位置を動かして体の芯を探る必要はなかった。だが、この重力の狂う区画では、腰の位置を意識的に動かして、体の芯を探る必要があった。


 この感覚を、朝の公園に持ち帰りたい、と彼は思った。


 朝の公園でも、腰の位置を意識的に動かして、体の芯を探る。そういう朝の素振りができる。この区画で掴んだ感覚を、そのまま朝の公園に持ち帰れば、朝の素振りの質は確実に一段深まる。



   *



 通路を戻り、四階層の階段を上がり、三階層の中央の部屋を通り抜け、二階層の地下森ドームを通り抜け、一階層の通路を通り抜けた。


 ダンジョンの入り口を出た。ドローンを回収した。スマホの青いところを押した。今日は幸か不幸か、また青の方に指が当たった。それが、既に朝から続いていた配信の終了を意味していた。


 詰所に戻った。



   *



「お帰りなさい、風見様」


「はい」


「四階層の重力の狂う区画は、いかがでしたか」


「あの、大変良かったです」


「よかったです」


「あの、腰の位置を通常より三センチ深く落とすと、体の芯の通り方が変わることを掴みました」


「はい」


「あと、あの、途中で、その、浮遊する生き物が七体いました。あの、少し、その、落としてしまいまして」


「はい、承知しました」


「大きな部屋の入り口までで、今日は戻ってきました。あの、部屋の奥に、何か大きな金属のようなものが動いておりました。歯車の音が聞こえました」


「……はい、承知しました」


 女性職員は書類にペンを走らせた。手は震えていなかった。ただ、書類の記入項目がまた、彼女の中で書ききれない量になっていた。彼女はそれを静かにこなした。


「ありがとうございました。お疲れ様でした」


「はい、あの、ありがとうございました」


 晴人は頭を下げ、詰所を出た。



   *



 山道を下り、電車に乗り、街に戻った。


 スーパーで、鶏むね肉と玉ねぎと、明日の朝の分の食パンを買った。特売のトマトがまだ残っていた。三個で百九十八円。二袋買った。冷蔵庫の中身と相談を済ませ、今週の献立を頭の中で決めた。


 バスに乗って、家に戻った。


 昼食を食べ、洗濯物を干し、素振りノートを開いた。


 今日の欄に、書き足した。


『四階層、重力の狂う区画。腰の位置を通常より三センチ深く落とすと、体の芯の通り方が綺麗に通る』


『膝の柔らかさは、通常より少しだけ増す』


『この感覚は、朝の公園にも応用可能。明日の朝、腰の位置を動かして、体の芯を探る素振りを試す』


『大きな部屋の入り口。奥に金属の光沢。歯車の音。明日、行く』


『萩田さんから、カードを受け取った。月額の算定の上限に達している、との事。数字の意味は、あまりよく分からない』


 五行、書いた。


 窓の外で蝉が鳴いていた。西の空が少しずつ赤くなり始めていた。



   *



 夜。


 晴人は風呂から上がり、椅子に座った。テーブルの上のスマホを指で掴んだ。


 着信欄を開いた。


『藤原(暁の剣 マネージャー) 着信 三件』


 彼はしばらくその名前を見た。


 少し迷ってから、指を掛けた。掛け直しの通話ボタンを押した。


 三コール目で、藤原が電話に出た。


「風見さん、あの、夜分遅くにありがとうございます」


「はい、あの、こちらこそ遅くなり、申し訳ありません」


「いえ、いえ」


 藤原はしばらく言葉を選んだ。それから静かに、こう切り出した。


「あの、風見さん、こちら、暁の剣マネージャーの藤原です」


「はい」


「あの、単刀直入に申し上げます。あの、レオンが風見さんに直接お会いして、お話をしたい、と言っています」


 晴人は少し驚いた。


「あの、レオンさん、が、ですか」


「はい」


「あの、話の内容は」


「あの、詳しくは、レオンから直接お伝えしたい、と申しております。風見さんの都合の良い日と場所を指定していただければ、レオンがそこに伺います」


 晴人はしばらく考えた。


「はい、あの、では、一週間後の日曜日の朝、九時、公園で、いかがですか」


「公園、ですか」


「はい、あの、私が毎朝、素振りをしている公園です」


「はい、承知しました。レオンに伝えます」


「はい、あの、では、失礼します」


「はい、失礼します」


 通話が切れた。


 晴人はしばらくスマホを見た。それから静かに、テーブルの上に置いた。


「……悪くないな」


 誰に言うでもなく、そうつぶやいた。


 彼はまだ、何一つ気づいていない。世界の側が、朝の素振りの公園を、既に一つの聖地として扱い始めていることに。


 その聖地に、追放した元リーダーが、一週間後の朝、九時、訪ねてくること。


 それが、朝の素振りの視聴者たちの、一週間先の最大の話題になることを、彼はまだ少しも知らない。




第十一話 了


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