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幕末に転生したら近衛家の姫でした。まず屋根を直します【設定資料集】  作者: 1009


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【解説】第二百三十九話~第二百四十二話――糸子と慶喜、幕府談判の勝者は誰だったのか?

 第二百三十九話から第二百四十二話まで続いた幕府との談判は、これまでの『近衛姫』の中でも、糸子の交渉力が最も鮮明に現れた場面の一つだと思う。


 ただ、この四話を「糸子が幕府を言い負かした話」として読むと、本当に面白いところをかなり取りこぼす。


 糸子は、相手を論破して要求を呑ませているのではない。むしろ逆である。幕府側に反対させ、拒ませ、考えさせ、そのうえで「ここまでなら認められる」という結論を相手自身に出させている。


 しかも、その結論が出るところまで、かなりの部分を事前に読んでいる。


 そのことが最もよく表れているのが、旭狼衛の人数をめぐる「五百」と「三百」だ。


 糸子が本当に必要としていた増員数は、最初から三百だった。


 それなのに、談判の席では五百を要求する。


 ここは重要である。


 五百を要求して、幕府に削られた結果として三百になったのではない。三百を通すために、最初に五百を置いたのである。


 つまり糸子にとって、五百は本命ではない。


 三百を幕府自身に選ばせるための数字だった。


 この違いが分かると、第二百四十話から第二百四十二話までの見え方が変わってくる。


 五百という数字を聞けば、慶喜が警戒するのは当然だった。


 朝廷の御用掛のもとに五百人もの旭狼衛を置き、それを幕府が正式な組として認めれば、外からは私兵に見えかねない。町方の管理にも影響が出るし、諸藩に対しても説明が難しくなる。


 だから慶喜は拒む。


「五百は、呑めませぬ」


 ここまでは糸子の想定どおりだった。


 だが、糸子はそこで「では三百で」と言わない。


 すぐに数字を下げれば、五百が値切られることを見越した数字だったと悟られかねない。そこでいったん話を切り、別の要求へ移る。


 この間の取り方が効いている。


 慶喜の側には、まず「五百を退けた」という感覚が残る。


 そして少し時間を置いて「三百」という数字が出てくると、その印象は、最初から三百を要求された場合とはまるで違ってきます。


 五百に比べれば、三百は少ない。五百はさすがに認められないとしても、三百ならどうだろう。しかも江戸と京に分ければ、それぞれ百五十ほどになる。それくらいなら管理できるのではないか――と、幕府側の考え方も少しずつ変わっていきます。


 ここでは、二つの交渉心理が重なっています。


 一つは「アンカリング効果」です。


 人は最初に示された数字に引っ張られ、それを基準にして次の数字を判断しやすいとされています。最初から「三百」と言われれば、幕府が考えるのは、三百という人数そのものが多いか少ないかでしょう。


 ところが、その前に「五百」を見せられている。


 すると、あとから出てきた三百を単独の数字として見るのではなく、どうしても五百と比べてしまう。三百という決して小さくない人数が、「五百よりは少ない」「これならまだ受け入れられるかもしれない」という数字に見えてくるわけです。


 同じ三百でも、見え方が変わる。


 もう一つが、ドア・イン・ザ・フェイスと呼ばれる交渉のやり方である。


 最初に大きな要求を出す。


 相手に断らせる。


 そのあとで本来の要求まで下げる。


 すると二度目の要求は、ただ数字が小さく見えるだけではありません。相手には「向こうも五百から三百まで譲った」という感覚が生まれます。これだけ譲ったのだから、こちらも多少は応じなければならない。そんな心理が働きやすくなるわけです。


 糸子は、この二つを同時に使っています。


 最初に五百を出すことで、あとから示す三百を小さく見せる。同時に、五百から三百へ引き下げることで、自分も二百人分を譲歩したように見せています。


 ところが、糸子が最初から欲しかったのは三百です。


 幕府からすれば、五百という過大な要求を退け、交渉によって二百人を削ったことになる。糸子が譲り、自分たちが譲歩を引き出したという形で決着できるため、幕府側の面目も立ちます。


 一方の糸子は、実のところ何も失っていません。最初から必要だった三百人を、そのまま手に入れているからです。


 しかも、三百という数字を最後まで自分一人の要求として押し通したわけでもありません。


 そこに周防守が実務上の理由をつけます。三百なら江戸と京に分けて、それぞれ百五十ほどになる。それなら御公儀の帳面にも載せられるし、実際の管理もできる――。


 こうして三百という数字は、いつの間にか「糸子が欲しがった人数」ではなく、「幕府としても認められる人数」に変わっていくのです。


 さらに総裁職が別の意味を与える。


 先ほど慶喜自身が認めた「借り」を返すのであれば、五百は退けたうえで三百を認めるくらいがちょうどよい。それなら御公儀として言うべきことは言ったことになるし、返すべきものも返したことになる。


 ここまで来ると、三百という数字は、もはや糸子だけの要求ではありません。幕府の側も「なぜ三百なら認められるのか」という理由を、自分たちで作り始めています。


 その結果、最後に残るのは「糸子に三百を呑まされた」という形ではなく、「五百という要求を退け、幕府の判断で三百まで削った」という決着です。おそらく糸子が欲しかったのは、三百という数字そのものと同時に、この形だったのでしょう。


 相手に負けたと思わせずに、自分の本命を取る。


 この談判で糸子が動かしているのは、数字そのものではありません。同じ数字でも、出し方や順番によって受け取られ方は変わる。その相手側の感覚まで含めて、交渉を組み立てています。


 武士の任命についても、考え方はよく似ています。


 近衛家が召し抱える者を自由に武士として任命できるとなれば、公家が幕府のあずかり知らぬところで武力を抱えることにもつながりかねません。幕府が警戒するのは当然でしょう。


 そこで糸子は、要求する範囲を狭めます。


「近衛の家が召し抱える者すべて、とは申しませぬ」


 あくまで天朝外語御用掛の職を守護する者に限り、任じた者の名も御公儀へ届け出る。


 これも表面だけを見れば、糸子が要求を引っ込め、幕府に譲ったように見えます。しかし、幕府が何を恐れているのかを考えると、この修正にはきちんと意味があります。


 幕府が恐れているのは、近衛家が勝手に武士を増やしていける状態です。ならば、対象を御用掛の守護に限り、誰を任じたのか幕府にも分かるようにしておけば、その警戒をかなり薄めることができる。


 糸子は要求そのものを捨てたのではなく、幕府が拒む理由のほうを一つずつ削っているのです。


 幕府が嫌なのは、近衛家が自分たちの知らないところで際限なく武士を増やし、独自の武力を形成することだった。ならば職務を限定し、任命した者を届け出ればいい。


 糸子は幕府の反論を押し潰そうとしていない。


 相手がなぜ反対するのかを聞き、その理由だけを取り除いて、本当に必要な部分は残す。糸子の要求が通っていくのは、そのためです。


 そして堀田は、その通り方そのものに違和感を覚えます。


 五百から三百へ。召し抱える者すべてから、御用掛の職を守る者だけへ。


 要求を引くときの糸子には、ほとんど迷いがありません。


 普通なら、一度拒まれた要求を修正するときには、多少なりとも探りが入るはずです。五百が駄目なら四百ではどうか、三百五十なら認められるかと、相手の反応を見ながら落としどころを探していく。


 ところが、糸子はそれをしません。


 その場で落としどころを探す必要がないからです。どこまで取れればよいのか、どこなら相手が呑めるのか。そこまで考えたうえで、この座に来ています。


 第二百四十二話で慶喜が感じ取った違和感も、まさにそこにありました。


 五百を退けたとき、慶喜は自分が押し返したと思っています。そして最終的に三百を認めても、二百人は削ったのだから、御公儀として譲りすぎたわけではない。少なくとも、その場ではそう考えることができた。


 ところが談判が終わり、一つずつやり取りを振り返ってみると、どうにも引っかかる。


 もし、三百こそが最初から糸子の欲しかった数字だったとしたら。


 五百から二百を削り取ったと思っていたが、本当にそうなのか。


 自分は糸子を三百まで退かせたのではなく、最初から用意されていた三百という着地点へ、自分の判断で歩いていっただけではないのか――。


 そこまで考えて、慶喜はようやく、自分が何をされたのかに気づきます。


 だからこの談判は、単純に「アンカリングを使った」「ドア・イン・ザ・フェイスを使った」というだけの話ではありません。


 糸子の本当の巧さは、交渉術を使った痕跡を相手に見せないことにある。


 もし慶喜が「五百は吹っかけだ」と見抜けば、三百が出た瞬間に構える。


 ところが実際には、慶喜自身が五百を拒み、周防守が三百なら管理可能だと考え、総裁職が借りを返す数字として三百に意味を与え、最後に幕府自身の判断として受け入れる。


 だから決まったあとにも、「押し切られた」という感覚が薄い。


 ここまで含めて、糸子は設計していた。


 そして、この「相手自身に結論を出させる」というやり方は、旭狼衛だけに使われているわけではない。


 屋敷については、幕府側に前例の問題を語らせる。


 御沙汰の行についても、まず幕府の理屈を出させてから、御門の言葉を重ねる。


「借り」についても同じだ。


 糸子が一方的に「借りを返してください」と言っているのではない。借りがあることも、借りは返すべきだということも、幕府側がすでに認めている。


 だから観光丸を拒まれたあとも、糸子は新しい理屈を持ち出しません。慶喜がそれまでに口にした言葉を、順番に並べ直していきます。


 旭狼衛五百は「呑めぬ」。武士の任命も「呑めぬ」。屋敷については「考えおく」。そして観光丸は「ならぬ」。


 そこまで確かめたうえで、糸子は一つだけ問いかけます。


「……先ほど数えていただいた借りは、どちらへ参ったのでございましょう」


 相手を責めるような言葉ではありません。それでも慶喜にとっては、かなり答えにくい問いです。


 糸子がここで持ち出しているのは、自分に都合のいい新しい理屈ではなく、慶喜自身が認め、口にしたことだからです。それを順番に並べ、では先ほど認めた「借り」はどうなったのかと返している。


 自分で認めたものを、自分でなかったことにするのは難しい。


 ここでも糸子が動かそうとしているのは、相手の判断です。


 ただ、この四話を糸子の完全勝利として見るのは少し違います。慶喜は最後まで観光丸を渡しませんでしたし、この要求には旭狼衛三百とは決定的に違うところがあります。


 観光丸は、あとで引くために置いた要求ではありません。


 本当に欲しかった。


 だからこそ、「ならぬ」と退けられ、「諦めまする」と答えたときに伏せた目も、袖をつかんだ指の震えも、慶喜には策とは見えなかったのでしょう。


 あれだけは違う。


 五百という数字には、その先に三百という着地点がありました。しかし観光丸の先には、別の本命が用意されていたわけではありません。糸子は本気で欲し、本気で取りにいき、そして取れなかった。


 慶喜も、そこは見抜いています。


 だから観光丸まで、五百と同じように「大きな要求を出し、本命を取るための捨て石だった」と考えてしまうと、この談判の意味そのものが変わってきます。


 五百は、三百を取るために意図して大きくした数字でした。しかし観光丸は違います。糸子は本当に欲しくて取りにいき、それでも取れなかった。


 この違いがあるからこそ、談判全体が生きてきます。


 もし何もかもが糸子の計算どおりに進んでいたのなら、慶喜はただ策にはめられただけの人物になってしまいます。けれども実際には、慶喜は観光丸という最後の一線を守り、談判が終わったあとには、それまでのやり取りを振り返りながら、自分がどこで、どのように誘導されていたのかを逆算していきます。


 五百から三百へと減った旭狼衛の人数、武士の任命、屋敷、そして御門の言葉。それぞれのやり取りを並べ直してみて、ようやく一つの流れが見えてくる。


 慶喜は「申されよ」と言い、糸子が出してくる要求を一つずつ吟味しているつもりでした。何を認め、どこから先を拒むのか、その線を引くのは自分だと思っていたのでしょう。


 ところが、あとから振り返ってみれば、その線を引くための枠そのものが、先に糸子によって置かれていた。


 五百を認めるか、認めないかではない。五百を見せられたあとで、三百なら認められるかを考える。武士の任命そのものを許すかどうかではなく、御用掛を守る者だけなら許せるかを考える。


 答えを決めていたのは慶喜です。ただし、何と何を比べ、どこまでなら認められるのかを考える、その出発点を用意していたのは糸子でした。


 この談判の怖さは、そこにあります。


 だから、単純にどちらが勝った、負けたとは言い切れません。


 旭狼衛三百をはじめ、談判全体の流れを先に組み立てていたのは糸子です。とりわけ五百から三百への流れは、その場で生まれた妥協ではなく、最初から三百を取るために用意されていました。


 それでも慶喜は、自分が三百を呑まされたとは思わない。五百という過大な要求を退け、二百を削り、幕府として認められるところまで糸子を退かせた――少なくとも、その場ではそう判断できる形になっていたのです。


 一方で慶喜も、幕府として越えてはならない線を失ってはいない。


 観光丸は守った。


 しかも最後には、糸子が何をしていたのかまで見抜いている。


 だから、この談判で慶喜の格は落ちない。


 むしろ逆だと思う。


 一度は糸子の組んだ盤面の上を歩きながら、終わったあとに盤面そのものの仕掛けを見抜いたことで、慶喜は次から同じ手には簡単に乗らない相手になる。


 そして糸子もまた、慶喜を自由に動かせるわけではないことを、観光丸によって思い知らされた。


 糸子は三百を取った。


 慶喜は観光丸を守った。


 糸子は慶喜の判断を読み、その判断が自分の望むところへ向かうよう道を作った。


 慶喜はその道を歩かされたことに、最後には気づいた。


 だから第二百四十二話の「あの姫君……ようやってくれる」「……また、謀りおって」という慶喜の言葉には、単なる悔しさだけではなく、相手の力量を認めた者にしか出せない感情が滲んでいる。


 ここで二人の関係は変わった。


 慶喜にとって糸子は、朝廷との関係上気を遣うべき姫君ではなくなった。


 本気で考えなければ、自分の判断そのものを利用される相手になった。


 糸子にとっても同じである。


 慶喜は、すべてを予定どおりに動かせる相手ではない。


 観光丸は止められた。


 だから次が面白くなる。


 この四話で糸子が見せたものを、アンカリング、ドア・イン・ザ・フェイス、一貫性、フレーミングといった言葉で説明することはできる。


 だが、それらの専門用語が糸子の凄さなのではない。


 五百を置く。


 慶喜に拒ませる。


 すぐには三百を出さない。


 時間を置いて三百を出し、周防守に「それなら管理できる」と考えさせ、総裁職には「借りを返すなら筋が立つ」と意味づけさせる。


 最後には慶喜自身に、その三百を認めさせる。


 それでいて、慶喜には「五百から二百を削った」という手応えまで残す。


 三百を取ることだけが目的ではない。三百を、相手が自分の判断で認めたと思える形で取る。


 そこまでやって初めて、糸子の交渉は完成する。


 だからこの談判で、糸子が本当に動かしていたものは人数でも、屋敷でも、武士の身分でもない。


 人の判断である。


 そして慶喜は最後に、それに気づいた。


 糸子は盤面を作った。


 慶喜はその盤面の上で一線を守った。


 二人とも相手に一つずつ傷をつけられ、同時に、相手が自分の想像以上の人物であることを知った。


 この四話で最も大きく動いたものは、幕府から糸子へ渡った条件の数ではない。


 糸子と慶喜が、お互いを見る目そのものだったのだ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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